第一部 第二章 第1話
翌朝、夜明けとともに駐屯地に薄い霧が立ちこめ、澄んだ空気に騎士たちの息が白く溶けた。
草の先端には露が鈍く光り、遠くで枝葉がこすれる乾いた音がかすかに響き、森の気配がじわりと迫ってくるのを誰もが感じていた。
二日目は本格的に深い林へ踏み入る前の最終調整として、十五班とミラージュ王国魔導騎士団の新人十五名が一堂に会し、駐屯地内の広大な鍛錬場で合同訓練が始まった。
鍛錬場の中央には、木製の人形標的が地面を這うように動く仕掛けと、可動式の障壁群が並び、遠距離からの狙撃、接近戦、そして魔導障壁との連携を想定した即席の複合訓練区域が設えられていた。
四隅には見張り役の古参騎士たちが立ち、その視線は一切の手抜きを許さない鋭さを帯びて若者たちの呼吸と動きを読み取っていた。
「今日は互いの呼吸を合わせるのが目的だ。遠距離の魔導射撃から接近戦への切り替えを身体で覚えろ。魔導ライフルが使えない、あるいは詠唱が中断されたときの手返しも忘れるな」
レオが声を張り上げると、十五班とミラージュの新人たちの胸中に一斉に気合が沸き起こり、短く歯切れのいい応答が重なった。
霧の残る空気にその声が鋭く響く。
アリスとレティアは前列に位置し、隣にはリナが長杖を背にしながら魔導ライフルを構えていた。
霧の水滴を弾くように魔導障壁を緩やかに展開しつつ、三人は互いに目配せで合図を交わす。
最初のセットでは、標的の人形が魔導障壁を張り巡らせて不規則に動き、射線を切り替えながらの正確な狙撃が求められた。
アリスがスコープ越しに照準を合わせる。
「……右、移動する」
「了解」
レティアが即座に反応し、低い姿勢のまま銃身を滑らせた。
二人の魔導ライフルから放たれた光弾が、時間差で標的の防御膜を叩く。
レティアの弾が障壁をわずかに揺らし、その直後、アリスの射撃が継ぎ目を正確に貫いた。
「ヒット確認、貫通成功」
リナが背後から報告を飛ばす。
彼女の詠唱が重なり、即座に周囲の射線が転送補助陣に記録された。
「よし、次――近距離へ移行」
レオの号令と同時に、前衛二人が滑るように前へ出る。
その一瞬を逃さず、リナが支援位置を変えた。
背に負った長杖を外し、魔導ライフルを肩に構える。
「カバー入る、三時方向」
声と同時に、淡い蒼光の魔導弾が霧を切り裂くように放たれた。
その一弾が標的の左肩を撃ち抜き、動きを封じる。
リナは詠唱補助を最小限に抑え、魔力をライフルの符術層に集中させていた。
「偏差、〇・二下げ……次弾、右側抑制」
冷静な声とともに、二発目がほとんど無音で放たれ、アリスとレティアの進路を開く。
「ナイスショット、リナさん」
レティアが短く叫び、遮蔽物の陰から身を乗り出して三連射。
光弾が散り、標的の防御障壁の出力がわずかに低下する。
「リナさん、後方からの狙撃は任せます。レティア、私と前に出るわ」
「了解、アリス」
アリスは構えていた魔導ライフルを背に回しながら、腰の魔導剣を抜いた。
レティアの弾が標的の脚部を撃ち抜き、体勢が崩れた瞬間――アリスの剣閃が閃き、障壁表面を裂いた。
裂け目から内部の結界がほころび、制圧行動に移行する。
鍛錬用の標的とはいえ、銃撃から剣への移行は滑らかで、呼吸の合った動きだった。
その連携は、まさに実戦さながらの速さと精度を持っていた。
リナは後方で詠唱を紡ぎながら、魔導ライフルを再び構える。
「再補正完了、支援弾行く」
その言葉とともに、彼女の射撃が正確にアリスの前方へと着弾し、残る標的の注意を引きつけた。
弾丸の魔力残光が地面に線を描き、アリスとレティアの突撃ルートを照らす。
「狙撃補助、再設定完了。第二波、左側に出る」
リナの声に反応し、アリスが後方へ短く合図を返す。
「了解、転送リンク維持。――レティア、右へ展開」
光弾が二筋の軌跡を描き、標的の中心を撃ち抜いた。
同時に、アリスの剣が残響のように閃く。
土煙が立ち上り、魔力の光が一度に弾けた。
乾いた銃声と金属が擦れる音、リナの詠唱の低い反響が混ざり合い、鍛錬場には戦場の縮図のようなリズムが流れた。
気温が徐々に上がるにつれて、霧が薄まり、日差しが斜めに差し込む。
光と影の中で、三人の連携動作がさらに鮮明に浮かび上がっていく。
短い休憩の時間には、互いの射線の被りを指摘し合い、カバーのタイミングを言葉で微調整する姿があった。
レティアが肩で息をしながら、額の汗を拭い、アリスに視線を向ける。
「……これなら、ライフルが不調でも詠唱で穴を埋められるわね」
「うん。みんなの剣の動きも、ずっと鋭い」
リナは杖を胸元に抱え、深呼吸を整えながら小さく笑みを浮かべた。
「次のセットもお願いします、アリスさん、レティアさん」
再び号令が響く。
霧の中に設置された新たな標的群が、一斉に光を放ちながら浮かび上がった。
今度は三方向――正面、左翼、そして上空。
地形を模した障害物の間から、複数の魔導標的が一斉に展開され、強度の異なる魔導障壁を瞬時に張り巡らせる。
「複数標的、距離二十五、角度左十度――上からも来るわ」
「上は任せて」
リナが詠唱を切り替え、杖先から射出した符弾が上空へと弧を描いた。
符弾が炸裂し、降下してくる標的の進行を一瞬止める。
「今」
レティアの光弾がその隙を突き、標的の防御膜を打ち抜いた。
しかしその直後、背後の通信端末がノイズを発する。
「――ッ、通信干渉」
「干渉強度、五十パーセント超。この範囲、ほとんど遮断されてるわ」
「手信号に切り替える」
アリスが指を上げ、視線で合図を送る。
レティアが頷き、霧の奥へと走る。
地面を蹴るたびに、土と魔力の残光が飛び散った。
アリスは彼女の動きを読み取りながら、照準を標的群の中央へとずらす。
リナが援護射撃を行い、霧の幕を裂くように青白い光弾が走る。
「右、抜ける」
アリスが声を張る。
その瞬間、レティアが低く滑り込み、標的の脚部を撃ち抜いた。
光の閃光が爆ぜ、霧が激しく渦を巻く。
アリスはそこへ突き込むように跳び込み、魔導ライフルを片手に構えたまま射線を切り替え――
「――撃て」
同時に、リナの支援弾が標的の背面を撃ち抜いた。
金属質の爆裂音が重なり、三つの標的が同時に沈黙した。
しかし次の瞬間、別方向の地面が隆起し、新たな標的が地中から出現する。
「地下反応、右斜面から三体」
「私が迎え撃つわ」
レティアが即座に詠唱を始め、銃口に魔力を収束させた。
短詠唱の魔導弾が放たれ、地表を削るように走る。
「二体は止まった、残り一体」
「私が行く」
アリスが身を翻し、剣を抜いた。
白銀の刃が霧を裂き、標的の装甲を横一文字に断ち割る。
残滓の光が散り、短い沈黙が戻った。
「……ふう、今ので終わり?」
「まだ出るわよ、上空に反応二、距離十」
リナが冷静に告げ、再びライフルを構える。
アリスとレティアも前へ出て、息を合わせるように照準を揃えた。
「せーの――」
三発の魔導弾が同時に放たれ、光の軌跡が空を裂いた。
撃ち抜かれた標的が霧の中で爆ぜ、周囲を白い閃光が染め上げる。
やがて、残る標的がすべて沈黙し、音が消えた。
重い呼吸だけが、鍛錬場に残る。
「……これなら、実戦でも通じそうね」
レティアが微笑を浮かべると、アリスも小さく頷いた。
「ええ。でも、今の干渉の強さは予想以上。現地ではさらに酷くなるかも」
「なら、次のセットは通信遮断を想定して組もう」
リナがライフルを下ろしながら言い、二人に視線を送る。
その目には、疲労の奥に確かな手応えが宿っていた。
緊張と集中が切れないまま、何度も繰り返し、動きの連携と「異常」を察知する感覚が研ぎ澄まされていく。
訓練は単なる技術の反復ではなく、互いに頼り、信号を読み取り、カバーし合う「互恵の呼吸」を共に作る時間となっていた。
太陽が天の高みに昇るころまで、鍛錬場には若き剣と銃火、魔の光が交錯し続け、体の動きは徐々に無意識のレベルへと落ちていった。
汗と微かな火薬の匂い、魔力の残滓が乾いた土に混じり、空気に熱と疲労の重みを残した。
合同鍛錬は、昼食を告げる鐘の音と共に一旦区切られた。
魔導ライフルの乾いた発射音も、剣戟の金属の鋭い響きも途切れ、若き騎士たちの張り詰めた肩がゆるやかに落ちていく。
「ふう……お腹空いた〜」
レティアが伸びをしながら隣のアリスへ笑いかけると、アリスも汗を拭いながら頷いた。
「しっかり食べて、午後に備えましょう」
訓練の余韻を引きずりつつ、アリス、レティア、リナ、そしてルシア・ハルフェイン達のミラージュ魔導騎士団の若い女性隊員たちは、休憩ホールの片隅に腰を落ち着けた。
そこには昼食用に整えられた大皿が並び、蒸気を立てるシチュー、香ばしく焼けたパン、彩り豊かなサラダ、甘い果実のコンポートといった品々が、空腹を優しく誘う匂いを放っている。
「わぁ……今日は豪華ですね」
リナが目を輝かせながら白パンを手に取る。
レティアも器用にスープをよそい、表情を和らげた。
「リナさん、これ美味しそうですよ。一緒に食べましょう」
「はい、ありがとうございます。……鍛錬の後のご飯って、なんでこんなに幸福感があるんでしょう」
ルシアが柔らかく微笑みながら、カップに注いだ湯気を見つめる。
「きっと、全力で体を動かした後だからですよ。魔力の巡りも良くなって、味覚まで敏感になるんです」
「なるほど……理屈まで納得です」
リナが感心したように笑い、アリスも小さく頷いた。
「それに、こうして誰かと一緒に食べると、疲れもどこかへ行く気がしますね」
魔導騎士団の女性隊員たちも、先ほどの緊張がほどけた笑顔で会話に加わり、アリスの隣に腰を下ろした。
「学院のお二人って、普段はどんな授業を受けてるんですか。やっぱり王立学院って特別ですよね」
好奇心を含んだ問いに、アリスとレティアは顔を見合わせ、少し照れたように笑った。
「普通の講義もあるけど、実技や模擬戦の密度が違うの。特に連携を重視するから、今日みたいな訓練はよくやってるわ」
「でもこうして一緒に戦うのは初めてだから、新鮮で楽しいです。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ」
ルシアが手を伸ばし、軽く拳を合わせる仕草を見せた。
「学院と騎士団で違うところも多いけど、こうして話してみると、思ってたより近い気がします」
「うん、戦う相手が違うだけで、考えてることは同じかもしれないね」
レティアの言葉に全員が頷き、自然と笑みが広がった。
パンをちぎり、温かなシチューを口に運びながら、鍛錬中の小さな失敗や成功を冗談交じりに話し、互いの得意な術式や動きのクセを交換して笑い合う。
「アリスさん、あのときの回避、まるで風みたいでした」
「ええ? あれはただ転びかけただけよ」
アリスが苦笑を浮かべ、場が和やかな笑いに包まれる。
窓の外では昼下がりの柔らかな光が駐屯地を照らし、森の葉がかすかに揺れる音が、穏やかな背景として混ざっていた。
「……午後も頑張れそうだね」
レティアが静かに呟くと、アリスも果実コンポートを取り分けながら頷いた。
「ええ。しっかり休んで、次はもっと息を合わせましょう」
「ふふ……次は負けませんよ、アリスさん」
「望むところよ、ルシアさん」
小さな“女子会”のような時間は、疲労を癒やし、信頼を深める貴重なひとときとなり、やがて昼食の終わりと共に再び緊張が静かに戻り始めた。




