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第一部 第一章 第7話

 会議が終わると、駐屯地内の室内鍛錬場を兼ねた広めの多目的ホールでは、十五班と、これから行動を共にするミラージュ王国魔導騎士団の新人十五名との顔合わせを兼ねた、ささやかながらも心のこもった壮行会が催された。


 石造りの床に敷かれた簡易テーブルには、駐屯地の料理班が腕を振るった温かいシチューや焼きたてのハーブパン、香草で風味付けされたローストチキンや、地元の茸と根菜の煮込み料理が並べられ、戦いに赴く若き騎士たちを労う香りがホールいっぱいに満ちていた。


 十五班の面々は所定の席に着き、向かいには同じく緊張を滲ませたミラージュ魔導騎士団の新人たちが整然と座っている。互いに視線を交わすものの、まだぎこちない空気が漂っていた。


「さあ、堅苦しい挨拶はこれくらいにしよう。明日からは共に剣を振るう仲間だ。まずは腹ごしらえだ!」


 先導役のエルネスト・ルヴェリエ団長が軽やかに声を張り、場の空気を和ませると、長机の上に並んだ皿が次々と手に取られ、若者たちの間に小さな笑い声が広がっていった。


「うわぁ……このパン、焼きたて!」

 レティアが嬉しそうに声を上げ、ふわりと立ちのぼる香草の香りに目を細める。


「ミラージュは食材が豊富なのね。香りが全然違うわ」


「うちの料理班が自慢なんですよ」

 向かいの席の青年が照れくさそうに笑う。

「王都で仕込んだパン職人が隊にいて、演習前はいつも焼いてくれるんです」


「へえ……羨ましいわね」

 アリスが微笑みながらスプーンを取り、シチューを口に運ぶ。とろりとした熱が舌に広がり、野菜の甘みが溶けていく。

「……おいしい」


 その一言に、レティアも思わず頷いた。

「うん、本当に。こんなご馳走、学院の食堂じゃ絶対出ないよね」


「演習の前だからこそ、体力をつけてもらおうってわけだ」

 と、レオが笑いながら隣の皿を差し出す。


「アリス、これも食っておけ。ミラージュのローストチキンは滋養強化符付きだ」


「ありがとうございます、班長。……ちゃんと栄養符が組まれてるのね。符刻の精度が高いわ」


「細かいところ、よく見てるな。さすが学院のトップだ」


「……観察癖なだけですよ」

 アリスが小さく肩をすくめると、周囲に柔らかな笑いが生まれた。


「明日はお前たちがこの森を切り開く番だ。王国の誇りを胸に、必ず帰ってこい!」

 誰かが声を張り上げると、ホールのあちこちから小さな歓声が返る。

 エルネストが杯を掲げ、満面の笑みを浮かべた。

「両国の剣と盾に、栄光あれ!」


「「栄光あれ!」」

 一斉に声が重なり、杯が鳴り合う音が響く。


「あなたがアリス・グレイスラーさん?」

 向かいの席のミラージュ騎士団の少女が、少し緊張した声で尋ねた。


「はい。あなたは?」


「ルシア・ハルフェインです。この演習では後衛支援を担当します。……その、噂は少し聞いてます。学院で上位だって」


「噂は大げさですよ。でも、一緒に頑張りましょうね」

 アリスが穏やかに手を差し出すと、ルシアもほっとしたように笑って握り返した。

「はい……よろしくお願いします!」


「ねえ、レティアさんは弓も使えるんですって?」

 別の青年が興味深げに声をかける。


「ええ、少しだけ。どちらかと言えば魔術攻撃がメイン。でも今回は近接支援がメインよ」


「へえ、どんな魔術を使うんですか?」


「そうね……実際に見せたほうが早いかも」

 レティアが微笑みながら小さく手をかざすと、指先に小さな光の輪が浮かび上がった。それが花弁のように広がり、ふっと消える。


「……わぁ」

 目を丸くしたミラージュ側の新人たちが思わず拍手を送る。


「ちょっと、明日使う魔力を無駄にしないでくださいよ」

 アリスが苦笑交じりに言うと、レティアは頬を膨らませた。

「ちょっとだけだもん」


 そのやり取りに、周囲の空気が一気に柔らかくなる。

「いいな、君たちは仲が良くて」

 隣の席の青年が羨ましそうに笑った。


「うちは上下関係が厳しくて、演習前はいつもピリピリしてるんですよ」


「それだけ責任が重いんでしょうね」

 アリスが答えると、青年は苦笑しながら頷く。


「ええ。でも、今日みたいな夜があると少し救われます」


「――全員、明日からは全力で行け」

 レオが杯を掲げ、短く言い切った。


 その言葉に、全員の視線が自然と彼に集まる。


「恐れるな。仲間を信じろ。互いの力を合わせれば、どんな霧の中でも必ず道は見える」

 その声音には、若い騎士たちを導く指揮官の誇りが滲んでいた。


 エルネストも静かに頷き、言葉を添える。

「まずは明日、実戦に近い合同訓練だ。けれど、恐怖よりも誇りを胸に刻め。――君たちは、この森に挑む最初の刃だ」


 その一言が、若者たちの胸に深く響いた。


 ──そのとき、不意にアリスの横へと、一人の青年が近づいてきた。


「……グレイスラーさん、少しよろしいですか?」

 声をかけてきたのは、ミラージュ第一魔導騎士団の新人の一人、ヴェイル・シフォード伍長。


浅く整えられた銀灰色の髪と鋭い眼差しを持つ青年で、その制服の胸元には、第一騎士団を示す紋章が誇らしげに刻まれていた。物腰は丁寧だが、どこか“強者を見極める視線”を感じさせる眼差しだった。


「はい。どうかされましたか?」

 アリスが笑みを返しながら応じると、ヴェイルはほんのわずかに目を細めた。


「単刀直入に申し上げます。昨年度、王立魔術学院の武術競技会で総合一位だった――フレイド・クレイスさんと、あなたは今年の武術競技会で対戦して勝利されたそうですね?」


 一瞬、周囲の空気が静まる。

 アリスはわずかに瞬きをしてから、少しだけ肩をすくめた。


「……ええ、たしかに。あの試合は、学院の武術競技会の一環でしたから」


「私は、そのフレイドさんと、二年前の二国間学生対抗武術競技会で一度だけ交戦したことがあります。――完敗でした」


 そう言うヴェイルの口調には、悔しさよりも敬意と静かな情熱がにじんでいた。


「だから、正直に言えばずっと気になっていました。――あの人を破ったあなたが、どんな戦いをする方なのか。もしよければ、演習中でもいい。いずれ、魔術か剣術のどちらかで手合わせをお願いできませんか?」


 そのまっすぐな言葉に、アリスはしばし黙ってヴェイルの瞳を見つめた。彼の言葉は虚飾なく、挑発でも羨望でもない。まさに、“強くなりたい者”の目だった。


「……いいですよ。演習の合間に、機会があれば。――でも、私はあなたと違って騎士ではないので、手加減とかはできませんからね?」


 アリスがそう応じると、ヴェイルは驚いたように一瞬だけ目を見開き――やがて、静かに笑った。


「それでこそ、です。ありがとうございます。光栄です、グレイスラーさん」


 ぴしりと敬礼を一つして、ヴェイルはその場を去った。

 彼の背を見送りながら、レティアがアリスに小声で囁く。


「……さっそく、興味を持たれちゃったみたいね?」


「ええ、ああいうの苦手なのに。変に持ち上げられるのも、期待されるのも」


「でもアリスは、ちゃんと期待以上に応えてるじゃない。だから惹かれる人もいるのよ」


「……だといいけど」

 そう言って、アリスはまた、静かにスプーンをシチューに沈めた。再び広がり始めた笑い声と、食事の温もりの中で、ひとつの出会いが確かに結ばれていた。


 夜更け、壮行会が終わると、駐屯地の兵舎区画に戻り、班員たちはそれぞれ割り当てられた部屋へと散っていった。


 アリスとレティアは、班員の中でも特別扱いの学院生として、同じ魔術師団枠の新人の女性と三人部屋を与えられていた。部屋には質素ながらも清潔なベッドが三つ並び、窓の外からは森の夜風がひんやりと吹き込んでくる。


「お二人と同じ部屋になるなんて……学院の選抜組と一緒だと、やっぱり少し緊張しますね……」


 魔術師団の新人の女性――リナ・フローレンスは十八歳。ミラージュ王国の魔術師養成院で学び、一般入団試験を突破して王立魔術師団に入った努力家だ。


「そんなに気を張らなくて大丈夫ですよ、リナさん。同じ班の仲間ですから」

 アリスは穏やかな笑みを浮かべて言い、レティアも柔らかく微笑んだ。


 リナは小さく深呼吸をして、二人を見つめてから自己紹介をした。

「……改めまして、リナ・フローレンスと申します。平民の出ですが、魔術師養成院を卒業して、一般試験で魔術師団に入りました。未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします」


 リナが真面目に頭を下げると、アリスとレティアもそれぞれ一歩前に出て名乗り返す。


「私はアリス・グレイスラーです。王立学院からの演習参加です。リナさんの実力は班長から伺ってますから、こちらこそ頼りにしていますね」


「私はレティア・エクスバルドと申します。同じく学院から来ました。年下ですが、少しでもお力になれるように頑張りますので、これからよろしくお願いします、リナさん」


 レティアが年上のリナへ、丁寧ながらも真っ直ぐな目で言葉をかけると、リナの頬がわずかに赤くなり、遠慮がちだった背筋がすっと伸びた。


「はい……! こちらこそ、よろしくお願いします、アリスさん、レティアさん」


 小さな会話を交わしながら、三人は寝具を整え、明朝からの行軍に備えて静かに横になる。


 外では、駐屯地の見張り塔が魔導灯で森の夜を照らし、遠くでフクロウの声が微かに鳴いていた。


 アリスは寝台に体を預け、瞼を閉じる前に心の中でそっと誓う。


(――明日からが本当の始まり……必ず、無事に戻る)


 かすかな夜風が頬を撫で、月明かりが三人を穏やかに包んでいた。

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