羊の夢見る私はどこにいる。【ミステリ】
私は夢の中で、羊を追いかけていた。
なぜ羊を追いかけているのかは分からない。
でも、無性に……。
♢
私が目を覚ますと、そこは暗闇だった。
いつもの部屋じゃない。
それに、轟音が聞こえる。
この部屋の外から、何か途轍もない大きさの音が聞こえてくる。
それと、周期的に揺れるこの部屋。
――移動している?
私はともかく前に進もうとしたが、思ったよりこの部屋は狭いようだ――すぐに壁へと頭をぶつけた。
途端、不安になる私。
眠りから覚めて、すぐに暗闇へと閉じ込められたら、誰でもこうなるだろう。
これは、犯罪だ。悪意の満ちた何者かによる仕業だろう。
そして私は、ある一つの結論に辿り着いた。
”私は、攫われた……!”
まさか私が、犯罪に巻き込まれるとは。
心細い。
こんな時、みゆうがいてくれれば……。
いや、そもそも、ここに来る前私は何をしていた?
記憶を辿り、眠る前に何をしていたか思い出す。
そうだ、みゆうと遊んでいたのだ。
リビングでみゆうと遊んで、疲れて、歯も痛いし、そのまま自分のベッドに行って寝た。
そこまでは覚えている。
だが、起きたらこの状況。
じゃぁ、みゆうはどこへ?私達は二人で暮らしていた。
私が攫われたのだとしたら、彼女は?
みゆうが危ない……!
私は一刻も早く、この真っ暗な小部屋から抜け出すことを決意した。
♢
私はまず、出口を探すことにした。
壁は滑らかで、扉らしき構造はどこにもない。
開ける、押す――そんな機能が、この空間には初めから存在しないようだった。
あまり冷たくなくて、つるつるとした材質。プラスチックだろうか。
いつもの部屋と違い、暖かみの無い、まるで無機質な小部屋。
匂いも化学的で、何とも不快だった。
と、その時、急にこの部屋の速度が落ちた。
慣性によって体が前に引っ張られるのが分かる。
そこから、周期的に揺れていた部屋全体が、不規則に揺れ出した。
たまに方向を変えるのも分かる。
心なしか、外の騒音も小さくなった気がする。
なんと、私は慣性を理解しているのだ。
みゆうは信じないだろうが、本当に分かっている。
これを理解していないと、急な方向転換も難しいからね。
ともかく、脱出だ。
私は静かに、だが確実にこの部屋から抜け出す方法を探す。
まず壁際に身体を寄せて、足の力で踏ん張る。
そのまま勢いよくジャンプ――しようとするが、天井に頭をぶつけてしまった。低すぎる。私は唸りながら座り込んだ。
この空間、制限が多すぎる。
そこで私は今一度、暗がりの中で、目を凝らしてみた。
暫く暗闇の中にいたからか、眼が闇に慣れ始めていた。
だが、それでも暗いことには変わりない。
視線を走らせる。角。隙間。目立たないヒンジのようなものを発見。
私は手でそこをこする。
しかしヒンジはビクともしなかった。
金属なのか。これは無理そうだ。
”もう!何やってるんだ私、急がないと”
焦燥が全身を満たす。
みゆうが危険かもしれないのに、私はこんなプラスチックの檻の中に閉じ込められている。
焦るほどに怒りが湧いた。
もう一度ジャンプする。壁を蹴る。天井にぶつかる。方向を変えて、右隅へ突進する。
すると、わずかに扉の一部が揺れた。
その反応に、私は息を荒らして、今度はもっと強く跳びかかる。
小部屋が、揺れた。
揺れた……のだ。
♢
私は町の人気者だった。
みゆうと二人で町に出れば、必ず誰かが声を掛けてくれた。
よしこおばちゃんや、こうきくん、ぎんざぶ何とかおじいちゃんとか。
私は町のスターだったし、みゆうも町のスターだった。
だとしたら、狙いは私達の美貌か?それとも、みゆうの財力か?
だとしたら必ず、彼らの中に犯人がいるはずだ。
または私達のことを前々から知っていて、私を人質に、みゆうから食べ物か何かをせびるつもりなのかもしれない。
だがその悪事もすぐに止めてみせる!
この小部屋が外の乗り物と分かれていることが分かった今、この小部屋ごとここから抜け出してみせる!
私はもう一度足に力を入れ、小部屋を動かすべく、思い切り体を壁にぶつけた。
ドン!
大きな音と共に、部屋全体が揺れた――と同時に、外から思いがけない人物の声が聞こえてきた。
「ごめんね~。怖いよね~すぐに出してあげるからね」
その声の主はみゆうだった。
私は驚いたが、そんなこともお構いなしに、彼女は続けた。
「君は初めてだもんね。前の子もそうだったからさ。布も取ってあげたいんだけど、もっと興奮しちゃう気がするから。すぐ楽にしてあげる」
な、何を言っているのか。
信じられないが、この事件の犯人はみゆうだった。
え、まってまって、彼女は”前の子”と言った?
なんてことだ。私のルームメイトが臓器売買のブローカーだったとは……!
そして、楽にしてあげる……だって?
前に彼女と見た映画で聞いたことがある。
このセリフの後、人が殺されるのを――。
私は絶望した。
味方が一人もいないとは思いもしなかった。
だって、みゆうはいつも私の味方だと思っていたからだ。
そんな、そんな……。
そして彼女は急に、曲を流し始めた。
これは……彼女が教えてくれた名曲……"カン何とかロード"か。
いい歌だ。
微かな弦楽器の音色が空気の中をかき分けるように響き、心を和ませる。
荒野を野生になって駆けている様な爽快感と、何ともいえない寂寥感。
まるで、遥か彼方の故郷へ向かう旅路を、友と共にするような、あるいはまだ見ぬ「帰る場所」への憧れを抱いて進むような、不思議な感覚。
死に際の曲にしては悪くない、と私は思った。
この曲が止まれば、やがて私はこの腹を裂かれるのだろう。
歯の痛みに顔を顰めながら、私は地面に伏した。
♢
その時はすぐにやってきた。乗り物も、曲も止まり、みゆうがこちらへやってくる気配がする。
あぁ、神様。もしいらっしゃるなら、犯人をみゆうでない他の誰かにしてください!
その両脚で、私の運命を救ってください!
でももう、無理だ。神なんていないんだ。ほんとは。犯人はどう考えてもみゆうしかいなかった。
なんてひどい……運命なの!
だが、もう抗いようもなかった。
部屋に掛けられていた布が取り払われ、私は差し込んでくる眩い光に目を顰めた。
光と共に視界へと入ってきたのは、やはりみゆうだった。
部屋の天井が開き、彼女はそこから私を持ち上げた。
彼女の正面にある建物は、たくさんの動物たちで溢れる怪しい施設。
私は大人しくみゆうの手にかかろうとしたが、彼女が放った一言は私を絶望の淵から救い上げた。
「だっこちゃん!大人しくできてえらいねえらいねぇ!歯痛いでしょ?これから治してもらうからね」
私は遂に、事の真相が分かった。
彼女は私を怖がらせまいと、工夫して”車”に乗っけていたのだ。
恐らく、彼女の家にはもう一匹、前の子がいた。その子での経験を通して、私が車の中で興奮してしまうのを分かっていたのだ。
それで事故を起こしようモノなら大変。
彼女のおかげで、一度も暴れ回らずに済んだのかもしれない。
ともかく、よかった。
ここはどうやら、私の歯の痛みを治してくれるところらしい。
当然チェーンソーを持った闇医者もいないし、解体された犬達もいない。
私は尻尾を振って、みゆうの腕に抱えられたまま施設へと入った。
♢
上機嫌な彼女の会話が聞こえる。
「えー!うちの子もボーダーコリーなんです!名前は”だっこ”ちゃんっていうんです。かわいいでしょ?」
それを聞いていた私は、得意気に口角を上げて吠えた。
「ワン!」
主人公はみゆうの愛犬・だっこちゃん。つまり、ずっと犬の視点で進んでいた、というわけでした!