3話 目撃
「はぁ……格好悪いな、俺……」
逃げるように美術室を後にした俺は図書室に戻ってきた。
椅子に腰を下ろして深々とため息をつく。
「詩織……せっかく誘ってくれたのになぁ……」
詩織の傍にいると辛い……。
だから彼女から距離を取ったのに……一人になるとやっぱり寂しい。
本当に情けない限りだ。
「なにため息なんかついてるの?」
一人悩んでいると、後方から声がした。
「なんだ……梅野か……」
振り返るとそこに立っていたのは詩織にも負けずとも劣らない美少女。
クラスメイトの梅野佐知だった。
「元気ないなぁ、蓮くん。どした?」
「別に……なんでもないよ……」
「なんでもないことないでしょ?橘さんのことで悩んでるんじゃないの?」
「い、いや……それは……」
さっきの俺の独り言を聞かれていたのか……。
「まったく……。どうせ優秀な橘さんと比べて俺は…………なんて考えているんでしょ?」
「な、なんでわかるんだ!?」
「顔に書いてある」
この梅野という女子生徒はよく俺に話しかけてくる。
彼女は頭が良くて、特にスポーツが得意なことで有名だ。
その上、美人ときたものだから詩織と同じで男子生徒からの告白が絶えないと愚痴を聞いたことがある。
「ふふっ、図星なんだ」
「まあ……そんな感じだけど、さ」
梅野は優しく微笑むと俺の隣の席に腰を下ろして、言葉を続ける。
「才女である橘さんと比べられたら、そりゃあ……精神的に辛いよね」
「いや……そうなんだけど……俺は……」
俺が怪我をして野球を辞めてから、梅野はよく話しかけてくれるようになって仲良くなった。
今では親友と言っても良いような……そんな関係だ。
「そんなに気になるの?橘さんのこと?」
「え!?……実は……明日詩織と美術館に行く約束をしてたんだけど、用事ができて行けないって嘘をついてしまって……」
劣等感から詩織を避けてしまった事実を打ち明けると、梅野は頭を押さえて首を振った。
「蓮くん、それはよくないよ。約束は守らないと……」
「そ、そうだよな……」
しかし……もう遅い。
今から詩織に『やっぱり一緒に美術館に行こう』なんて、どの面下げて言うんだって話だ。
「でもまあ……距離を置くっていうのはいいかもね」
「え……でも……」
さっきは自分から詩織と距離を置いたくせに、他人にそう言われると何とも言えない気持ちになる。
「別に一生会話もしないってことじゃないよ。一旦距離を取ってお互いに自分のことに集中するってことで良いんじゃないのかな」
「自分のことに集中……か」
たしかに今の俺は他のことに時間を割いている余裕はない。
今年度は大学受験だって控えているし、もっと勉強を頑張らないといけない。
「そうだな。もっと自分のことを頑張らないとダメだよな」
「そうそう。蓮くんは成績悪いんだし」
「うっ……そんなにストレートに言わなくても……」
「蓮くんは変化球よりストレートのほうが好きでしょ?」
いや、それは野球の話だろうが。
「仕方ない。成績不振な蓮くんに私が直々に勉強を教えてあげましょう!」
こいつはなにを張り切っているんだが……。
怪我をして野球を辞めた時、スポーツ科から普通科に編入するための勉強をこの梅野に何度も見てもらった。
そのおかげで俺は無事普通科に編入できたと言っても過言ではない。
「はいはい、ご指導お願いしますよ。梅野先生」
こいつと過ごす時間は何というか……気が楽だ。
今の俺にとって唯一気兼ねなく話ができる友人は梅野だけなのかもしれない。
♢
翌日の日曜日。
今日は詩織と美術館へ一緒に出掛けるはずだった日。
俺は嘘をついて詩織との約束をなかったことにした後ろめたさから、昼前まで布団にこもってだらだらと過ごしていた。
「詩織……ごめん。せっかく誘ってくれたのに……」
詩織は一人で美術館へ行ったのだろうか……。
「もしかして……詩織……翔と一緒に美術館に行ったんじゃ……。翔は詩織のことが気になっているって言っていたし……」
翔を誘ってみればどうだ?と、要らぬ事を言ってしまったばかりに……。
そうなったら……翔のやつ……詩織に告白するかもしれない……。
「いや……詩織は今までもたくさんの男から告白されているが、誰かと付き合ったことなんてないもんな」
ここで考えるのを辞めて、俺は再び布団を深く被ったその時だった。
ドアホンのチャイム音が家に響いた。
両親は共働きで休日は不定期のため、今家には俺しかいない。
「誰だよ……日曜日だっていうのに……」
気怠い体に鞭を打ってベッドから出た俺はリビングまで赴きドアホンに応答する。
「はい、どちら様───」
「蓮くん!?私だよー!」
明るく大声で返事が返ってきたので驚いた。
ドアホンの液晶画面をよく見ると、そこには見知った人物が映っていた。
「う、梅野?なんで俺の家知ってるんだ?」
「いつだったか、場所教えてくれたじゃない」
「そ、そうだったか?っていうか、何しに来たんだ?」
「日曜日に寂しく暇してると思ったから、遊んであげようと思ってさ」
「別に寂しくなんか……」
まあ……詩織のことを考えていて気落ちしていたのは確かだけどな。
「とりあえず少し待っていてくれ」
「はいよー」
正直梅野と遊ぶようなモチベーションはないが、このまま門前払いをするのも気が引ける。
俺は着ているバジャマから普段着に着替えて、玄関の扉を開けた。
目の前には私服姿の梅野が立っていて……。
「ん?どした蓮くん?ぼーっとして」
「あ……いや、なんでもない……」
別に梅野の私服姿に見惚れていたわけではないが……さすがは学校で詩織と並び称される美少女なだけはある。
「じゃあ、遊びに行こうか」
「はあ?なんでそうなるんだ?」
なんで俺が休日に梅野と遊びに行かなくちゃいけないんだ?
本来なら俺は今日詩織と美術館に行く約束をしていたところ、それを蔑ろにして梅野と遊ぶなんて……。
「いいから行こうよ」
「行かねぇよ!もしも詩織と鉢合わせたらどう言い訳するんだよ!」
「橘さんと行く予定だったのは学校の近くにある美術館でしょ?大丈夫、そことは逆方向だから」
「いや……でもなぁ」
「お願い!昨日勉強教えてあげたじゃない、今日は私に付き合ってよ!」
「わかったからデカい声を出すな!近所迷惑だろうが」
遊びに行く気分ではないが、大声で駄々をこねる梅野が帰る気配はないので渋々俺は首を縦に振るしかなかった。
♢
「さすがは元野球部、上手いねぇ」
「はいはい、ありがとう」
俺が梅野に連れられてやってきたのは、歩いて20分ほどの場所にあるバッティングセンター。
あれだけ付き合ってほしいと懇願してくるものだから、どこに連れていかれるのかと思えば……。
「俺にバッティングを教えてほしかったのか?」
「まあ、そんなところかな」
梅野はヘルメットを被ってバットを構える。
バッティングマシンから放たれるボールの球速は120キロ。
それを真芯で捕えて鮮やかに打ち返した。
「おまえ全然上手いじゃないか、120キロを簡単に……本当に女子か?」
「ちょっと!失礼なこと言わないでよ!」
梅野は学業の成績が優秀だが、特に運動神経が良いことで有名だ。
1年生や2年生の時は色々な運動部からお誘いがあったらしい。
「そんなに運動ができるのに、なんで部活に入らなかったんだ?」
「……別に……。私って今では成績優秀だけど地頭はそんなに良くないから……勉強に時間を充てたかったんだ」
「……そうか」
少し俯きながらそう答えた梅野の言葉は、どこか含みがあるように感じた。
「そんなに打てるんだったら俺が教えることないんじゃないか?」
「じゃあ、勝負しようよ。ホームランの的に多く当てた方が勝ちね」
「負けたらなにかあるのか?」
「お昼ごはん奢りね」
それから俺たちはしばらくバッティングセンターで汗を流した。
野球を辞めて以来、バットを握ったのは初めてだった。
思い悩んでいたことが何もかも浄化されていくようで……久しぶりに楽しい時間を俺は過ごしていた。
♢
「やったー!タダ飯だー!」
「くそっ……ブランクが無かったら負けなかったのに……」
俺は梅野との勝負に負けた。
そして、これから昼飯を奢る羽目になってしまったわけだ。
「スポーツで男の子が女の子に負けて、その言い訳はよろしくないんじゃないの?」
「……わかってるよ」
まあ、久しぶりに体を動かして楽しかった。
肩は故障してしまったので投げる動作は難しいが、バッティングならそこまで支障なくできる。
これから定期的にバッティングセンターに通うのもありかもしれない。
「それにしても梅野。俺の家の近所にバッティングセンターあるって知ってたんだな」
「あ、うん。マップアプリで探せばすぐに見つかったよ」
さっきまで楽しんでいたバッティングセンターは俺が小学生時代によく通っていたお気に入りの場所だ。
そして、そのお気に入りの場所がもう一つ……。
「バッティングセンターの向かいにスポーツショップがあるんだね」
「ああ……ここもよく通ったよ」
グローブのケア用品をよく買った記憶がある。
それと……。
「俺の誕生日になったら、詩織が毎年プレゼントをくれたんだ。このスポーツショップで俺が欲しがってた物をわざわざ買ってくれて」
「へー、プレゼントか……。素敵な話だね」
そう……今も大切に俺の記憶の中にある素敵な思い出だ。
「お腹空いたね。早くファミレスに行こう」
「ああ……そうだな」
俺たちは少し離れた場所にあるファミレスに向かって歩を進めていた……その時だった。
「あれって……橘さん?」
梅野の言葉につられて振りかえると、さっき話をしていたスポーツショップから出てきた詩織の姿が目に入った。
「詩織……なんで、ここに……?」
詩織は今日、美術館に行ったはずじゃ……。
俺と梅野は十数メートル離れた位置にいるため、詩織はこちらに気づいてはいないようだ。
「橘さん……美術館に行ったんじゃないの?」
「俺もそう思ってたんだけど……」
見つからないように咄嗟に物陰に隠れた俺と梅野は詩織の動向を伺っていたのだが、次の瞬間……俺は愕然としてしまった。
詩織の後を追うようにスポーツショップから出てきた一人の男が視界に入る。
それは俺の友人である野球部の岡部翔だった。
「あれって……たしか、野球部の……」
「詩織と翔が二人で……なにを……」
なにを?……なんて考えるまでもない。
男女が二人で出掛けている。
それは紛れもないデート……というほかない。
「なんか……橘さんと岡部くん……楽しそうに話してるね」
翔と美術館に行くように勧めたのは俺だ。
でも……本当に二人で出掛けているなんて……。
「梅野……帰ろう……」
ショックを隠し切れない俺は一刻も早くこの場を離れたかった。