第9話「苛烈なる前哨戦」
真空の空気が、音もなく震える。
月面を疾駆する、巨大な機動兵器……それはまさしく、天翔ける要塞だ。
現代の人類が建造しうる最小のビーム砲、集束荷電粒子砲の砲身を含めた全長は300m。それがたった二人の少年少女によって、最強の力を発揮する。
摺木統矢と更紗れんふぁが乗る【樹雷皇】は、激しい弾幕の中へと飛び込んでいった。
その巨体を包むグラビティ・ケイジが、砲弾やミサイルを接触前に爆発、消滅させる。
見送る五百雀千雪は、兄でもある小隊長の声を聴いた。
『っしゃ、まずは一当てしてみっかよ! フェンリル小隊、前進! 統矢、れんふぁも! 無理すんじゃねえぞ。少し探りを入れてから、下がる!』
五百雀辰馬は、妹の千雪が言うのもなんだが優秀な男だ。
チームの司令塔としても、一人のパンツァー・モータロイドのパイロットとしても。
普段はうだつの上がらない三枚目で、だらしない助平なのだが……銃爪を引く時は豹変する。そして、大事な人のためなら彼は銃爪を躊躇わない。
例え自分が返り血に汚れても、迷わず敵を撃つだろう。
そんな兄に小さい頃から、千雪は憧れていたのかもしれない。同時に呆れてもいたし、今でも目が離せない。だが、自分の死を泣くことすら忘れて悲しみ、生還を涙で迎えてくれた人だ。
「兄様は桔梗義姉様と下がっててください! 正面突破、私のグラビティ・ケイジを前面に押し出しますっ!」
『千雪、二体のセラフ級に気をつけろ! あとは自由に動いてよし!』
「了解」
遊撃を許されたならば話は早い。
以前からの愛機である、89式【幻雷】改型参号機……徹底して突進力と突破力を突き詰めた、零距離格闘戦能力に特化した機体を千雪は乗りこなしてきた。改型参号機が高速で戦場に楔となって撃ち込まれる弾丸なら……この【ディープスノー】は、それをも超える超高速の砲弾。当たる全てを拳と蹴りで叩き潰す、千雪の肉体そのものなのだ。
あっという間に千雪は、突出した【樹雷皇】の下をくぐり抜ける。
要塞都市は、高層ビル群のそこかしこから火線を浴びせてきた。
月面に突如現れた都心は、人の気配もなくパラレイドの無人兵器が無数にひしめいている。
後方の辰馬の声は冴え渡っていた。
『沙菊! アイオーン級がうじゃうじゃいやがる……撃てば当たるぞ、ガンガン撃て!』
『ういーッス!』
重装甲の改型伍号機が、両肩の88mmカノン砲を撃ち始めた。
渡良瀬沙菊は器用な方ではないし、取り立ててPMR操縦で卓越した技術を見せることもない。だが、彼女が威勢よく直接火力支援してくれるのは、千雪にはいつもありがたかった。
『桔梗、そこに固定! 遠距離からデータ収集、とりあえず敵後方の黄色いセラフ級を足止めしてくれ。狙撃勝負ならお前は負けねえからよ』
『まあ……今日の辰馬さんは素直なんですね、ふふ』
『俺はちょっくら、敵の面ぁ見てくっからよ。それと、ラスカ!』
指揮官機である白い改型壱号機が加速した。
よせばいいのに、辰馬は戦闘に参加するつもりだ。
そして、先程までセラフ級の矢面に立たされていたラスカ・ランシングが叫ぶ。
『なによっ、辰馬! 今、忙しい……この赤いの、図体の割に速いっ!』
『赤いセラフ級はお前にまかせる、できるな? 頼むぜ、ラスカ!』
『誰に言ってんのよ、誰、にっ!』
ラスカが亡き愛犬、アルレインの名で呼ぶ改型四号機。そのネイキッドな真紅のボディが跳躍する。何倍も巨大なセラフ級の足元、グラビティ・ケイジの内側へと飛び込んだ。
紅と紅とが激突する。
巨体にものを言わせて、セラフ級は足元のラスカへ手を伸ばす。
その攻撃を援護するように、周囲のビル群からもミサイルが降り注いだ。
だが、当たらない……掠りもしない。
これが、千雪と同レベルか、それ以上の技量を持つ天才……ラスカ・ランシングの直感的な操縦だ。彼女にとってPMRは、自分の身体ですらない。神経を張り巡らせた、などというレベルでは説明できぬなめらかさで、改型四号機が躍動する。
『有線動力って、バッカじゃないの! 攻撃してくださいって、言ってるようなあ! もんっ、でしょおおおおおおおっ!』
ラスカの絶叫が、改型四号機に大型のダガーナイフを抜かせる。
左右の手に刃を握って、あっという間にラスカはセラフ級の背に生えるケーブルを切断した。
巨大な拠点防御都市とのセット運用を前提とした、有線動力によるセラフ級……体外に動力炉を持っているため、無尽蔵に強力なパワーを常時発揮できるのだ。そのグラビティ・ケイジは強力で、【ディープスノー】や【樹雷皇】の比ではない。
だが、その命綱であるケーブルをラスカは断ち切った。
すかさず、都市部上空で反転した【樹雷皇】から声が走る。
『ナイスだっ、ラスカ! 流石だな』
『うっさいわね、あったりまえでしょ!』
『パワーが落ちるか、止まるかする筈……れんふぁ! グラビティ・ラムを使う!』
【樹雷皇】の長い長い主砲に、暗い光が集まり出す。
あれは、グラビティ・ケイジを高圧縮して集束した、重力の衝角だ。
そのまま【樹雷皇】は、フル加速で彗星になる。
だが、エネルギーの供給を絶たれたセラフ級は振り向くなり両手をかざした。
互いのグラビティ・ケイジが干渉し合って、周囲を衝撃波が薙ぎ払う。千雪もコクピットのメインモニタがノイズで乱れる中、激震に耐えた。
そして、信じられない言葉を耳にする。
それはれんふぁの悲鳴だった。
『統矢さんっ、グラビティ・ケイジ消失……あのセラフ級っ、グラビティ・ケイジを中和、対消滅させることができるみたいっ』
『くっ、丸裸かっ!? やべぇ、急速反転、離脱を――ぐっ!?』
ここはパラレイドにとってはホームなのだ。
赤いセラフ級は、自分のグラビティ・ケイジをそのまま【樹雷皇】のグラビティ・ケイジに同調させた。そして中和し、打ち消した……最強の【樹雷皇】も、グラビティ・ケイジを失えば巨大な的である。
数千枚の特殊装甲で編み上げられた【樹雷皇】に、ビル群からのビームが直撃した。
爆発に包まれ、白亜の巨躯が大きく揺らぐ。
「いけません! 援護を! 行きましょう、【ディープスノー】……私達のグラビティ・ケイジで――」
『行け、千雪っ! 機を見て離脱すっから、ケツを頼む!』
「ちょっと下品です、兄様。ですが、殿は任されました」
『頼むぜ、お前さんのそのデカいケツで……っと、そこっ! 見え透いてんだ、よっと!』
辰馬の目配せが、敵陣で開くシャッターを見逃さなかった。
予備のケーブルらしきソケットが、ゆっくりと浮かび上がる。辰馬は手にしたアサルトライフルの一斉射、そして銃身下部に備え付けたグレネードランチャーを発射。爆発の中で再接続の阻止に成功した。
せめて赤い方だけでも……エネルギーを断ったまま攻撃し続ければ、自滅も期待できる。
千雪は爆炎の中で浮き上がる【樹雷皇】の直掩に入る。
ラスカも呼吸を合わせて、ケーブル再接続を狙うセラフ級を牽制してくれた。
後方からは御巫桔梗の狙撃、そして沙菊の釣瓶撃ちである。
敵後方でスナイパーライフルを構える黄色いセラフ級も、警戒してか突出してはこない。
統矢の声が響いたのは、その時だった。
『れんふぁ、【樹雷皇】のコントロールを渡す! 離脱しろ! ここでこいつを失ったら……それだけは駄目だ! ユーハブ!』
『アッ、アイハブ! あ、待って、統矢さんっ。その機体は……改型零号機は』
『辰馬先輩がやれたんだ、乗りこなせないまでも俺だって!』
高度を取る【樹雷皇】から、コアユニットである改型零号機が切り離される。宇宙の闇より尚も深い、漆黒に塗られたプロトタイプ……フェンリル小隊の全ての機体の開発母体となったハイチューンドである。
常人ならば歩かせることすら困難な辰馬の改型壱号機は、この改型零号機をマイルドチューンしたセッティングである。
「統矢君、気をつけてください。その子は気難しいんです」
『大丈夫だ、千雪! ……うっ! なんだ……都市部中央、地下からなにかが』
背部のマウントラッチから統矢は40mmカービンを装備した。
その挙動はどこかぎこちない……やはり、操作に対して機体が過敏過ぎるのだ。そして、千雪は知っている。統矢はそこまでPMRの操縦が上手い方ではない。センスも才能も信じず、コツコツと地道な努力で自分を高めてきた……だが、それは時として戦場では、決定的な差となって現れることがある。
千雪は自分の全てで彼を守るべき、機体を寄せてグラビティ・ケイジで包んだ。
そして、改型零号機がメインカメラを向ける先を凝視する。
大通りの道路にひしめき合うアイオーン級が、文字通り蜘蛛の子を散らすようにスペースを開けた。何重もの隔壁が道路に開く中、地底から異形の姿がせり上がってきた。
『三機目!? おいおい、今度は紫かよ……しかも、角がついてらあ。ありゃ、指揮官機か? ここまでだ、各機は応戦しつつ後退、後方の主力に合流する!』
ゆっくりと歩みだす紫色の巨体。
例えるならそれは、鬼。
他の二機と違って、より人間らしい頭部が鬼神を思わせた。赤い機体は四つ目で、黄色い機体は単眼……だが、新しい紫の機体にはギラつく輝きを宿した双眸が並んでいる。
「統矢君、下がってください! 私が殿に立ちますので」
『千雪だけ置いていけるかっ! 相手は三機、そして周囲の建物全部が敵だ。いくら【ディープスノー】でも』
「グラビティ・ケイジがあるから大丈夫です。統矢君は離脱を」
『嫌だっ!』
意外に頑固な言葉に、千雪は驚いた。
だが、統矢は冷静だった。
『聞け、千雪。お互いに背中を合わせて死角をカバー、このまま一緒に離脱する。三機のセラフ級は無視する。けど……接近し過ぎるとグラビティ・ケイジを侵蝕されるぞ』
「……わかりました」
『俺がオフェンス、お前がディフェンスだ。退路は俺の攻撃がこじ開ける。お前はグラビティ・ケイジの展開に集中してくれ。って訳で、辰馬先輩! みんなと先に行ってください!』
慣れない機体で、統矢も不安な筈だ。千雪には、その挙動を見るだけでわかる。普段の97式『氷蓮』サードリペアとは違うのだ。あまりに理想を追求し過ぎた改型零号機は、乗り手のことを無視した設計なのである。
そして、すぐにその悪癖が顔を出す。
『クッ、銃身がブレてるのか? 照準が……弾が当たらないっ』
「Gx感応流素を通じての制御が過敏過ぎるんです。もっと強く、鋭く念じてください。大丈夫です、統矢君になら」
『ああ、やってみせるさ! 行くぞ、千雪っ!』
千雪は統矢と互いに背を庇って、魔都と化した月面都市から撤退する。
やはり紫色の個体もケーブルの長さに限度があるのか、積極的には追ってこないようだった。だが、展開するグラビティ・ケイジは他の二機よりも強い反応を示している。
リレイド・リレイズ・システムを守護する鬼神……まるで神が遣わした御使いだ。
厳しい戦いを予感させる強行偵察任務が、多大な消耗と共に終わろうとしていた。