第6話「彼女のいないコクピット」
種子島宇宙基地は、全盛期の活況を取り戻していた。
天へと向かうは、希望を載せたロケットではない……微動に震える人型機動兵器、パンツァー・モータロイドの大軍だ。アメリカ海兵隊に皇国陸軍のティアマット聯隊、そして皇国海軍のフェンリル小隊。他にも、各国からパイロットを集めた精鋭部隊だ。
整備員の怒号をPMRの駆動音が掻き消す中、五百雀千雪は愛機のチェックを終える。
「……風が、出てきましたね」
周囲には、無数のPMRが片膝を突いて屈んでいる。
その背や両足には、空間戦闘用のスラスターやプロペラントタンクが増設されていた。基本的に陸戦兵器であるPMRは、多種多様な戦術ニッチェを持つ汎用兵器でもある。
宇宙での戦闘も問題はないが、実際に経験した者は数えるほどしかいない。
もはや宇宙に出向く程、今の人類には力がないのだ。
グリスや燃料の臭いをはらんだ風は、南国だというのに秋の冷たさだった。
「五番と六番、それと八番のフィルターを持ってこい!」
「装備の換装した機体は定位置へ! おい、そこっ! ラインの内側に入るな、轢かれたいのか! ウロウロしてると踏み潰されるぞ!」
「大尉の【サイクロプス】には例のブツを持たせろ! そう、四番コンテナのオバケガトリングだ! 急げよ!」
慌ただしい出撃準備の中、千雪は一度だけ愛機を振り返る。
一際異様を放つ【ディープスノー】は、深い青を湛えて俯いている。側で待機しているアメリカ海兵隊のTYPE-13R【サイクロプス】ですら、一回り小さく見えた。
今回の作戦では、フェンリル小隊は全て千雪の【ディープスノー】がグラビティ・ケイジで引き連れることになる。【樹雷皇】が本隊の主力と司令部を受け持つためだ。
その【樹雷皇】は、地表スレスレに静かに浮いている。
同じ基地内でも、その巨体は見るもの全ての距離感を狂わせていた。
「統矢君、大丈夫でしょうか」
ヘルメットを小脇に抱えて、千雪は歩き出す。
擦れ違う誰もが振り返り、ある者は口笛を吹き、またある者は言葉を失い見送ってくれる。だが、千雪に自分の玲瓏なる美貌の自覚はない。
見れば、そこかしこで古参兵が煙草を吹かし雑談している。
ドラム缶の上でカードをする者や、酒を飲んでいる者まで様々だ。
国籍や戦歴は関係ない……ここにいるのは、地獄の戦場を生き抜いたベテランばかり。そして、地獄さえ死で迎えることを拒んだ死に損ないだ。
そんな中、好奇の視線も気にせず千雪は【樹雷皇】を見上げた。
迷わずタラップを登れば、そこにいつもの97式【氷蓮】サードリペアの姿はなかった。
光を吸い込む漆黒の機体が、コントロールユニットとして納まっている。
「ん、千雪か? 悪ぃ、手が離せないんだ」
「手伝いましょうか? 統矢君。私、この子のことは少しは詳しいつもりです」
「いや……授業のPMR実技教練でも、【幻雷】は使ってたからな」
「完全に別物、ですよ? この子……いわくつきですから」
「らしいな」
コクピットのハッチを開きっぱなしにしているのは、89式【幻雷】をベースとした改造機である。そして、まだフェンリル小隊が|皇立兵練予備校青森校区の戦技教導部だったころからの、一番古い機体である。
――改型零号機。
かつて部長の五百雀辰馬が乗っていた機体だ。
そして、千雪が一年生として参加した全国総合競戦演習で、原因不明の擱座を経験した機体でもある。その原因は、いまだもって不明……機械に魔法も奇跡もないが、時として魔性にも思える不可思議な不気味さが改型零号機にはあった。
現在、【氷蓮】が修理中のため、摺木統矢の代替機として引っ張り出されたのだ。
【樹雷皇】へのコネクトユニットは共通規格なので、接続に問題はない。
だが、セッティングを調整する統矢の声は少し不安が滲んでいた。
「なあ、千雪……去年のこと、聞いていいか?」
「ええ」
「こいつ……なんで突然、動かなくなったんだ?」
「佐伯先輩も何度も調べてくれたんですが……不明、です。ただ、原因は必ずあると思うんです。この子、ずっとそう。時々むずがるように、慄くように竦んで動かなくなる」
「ま、【樹雷皇】に乗っかってるぶんには、コントロールユニットとしての意味しかないからな。気にはならないけど……よし、モードセッティング、リコール」
千雪がコクピットを覗き込むと、丁度統矢のセッティングが終わったところだ。周囲のモニターが小さな電子音と共に、オールグリーンで完調を訴えてくる。
だが、数値で確認できぬ不安が消えない。
そして、それは命を委ねて乗る統矢が一番感じていると千雪は思った。
開いたハッチの上に身を乗り出し、千雪はコクピットへと上体を屈める。
基本的にコクピットはどのPMRも似たようなものだが、やはり奇妙な雰囲気がある。オカルト的なものを千雪は信じない質だが、どこか空気の密度が違って感じられた。
そんなことを考えていると、小さく息を吐いて統矢がシートにもたれかかる。
「なあ、千雪……ちょっと、ちょっとだけ……頼めるか?」
「はい、統矢君。セッティングでしたら、普段の【氷蓮】に近い設定にもできます。この子、ベース機体は初期ロットの【幻雷】なんです。皇国陸軍でも数少ない初期型は、若干重量が――」
「あ、いや……そういうんじゃ、ないんだ。その」
千雪は無表情のまま、首を傾げる。
統矢は片手で顔を覆って、上目遣いにコクピットから千雪を見上げてくる。
「今回は、さ。多分、【樹雷皇】は前にはあまり出ないと思うんだ。先生が……御堂刹那特務三佐達が乗ってる、仮設指揮所のコンテナを守らなきゃならないし」
この時代、人類にとって宇宙はまだまだ未知の領域だ。そして、パラレイドとの永久戦争は宇宙開発を停滞させ、遂には諦めさせてしまった。
人類同盟には、宇宙でPMRを部隊単位で運用できる母艦は存在しない。宇宙用の艦船は勿論、往復可能なロケットすら持っていないのだ。だから、急造仕様の仮設指揮所を作って、それを【樹雷皇】で運ぶことになる。
必定、【樹雷皇】は後詰の戦力として援護の砲撃等にのみ参加する予定だ。
それは千雪にとっては、愛する二人の少年少女が少しだけ安全だということだった。
だが、バツが悪そうに統矢はじっと見詰めてくる。
まるで悪戯の言い訳を考えてる子供だ。
「……あの、さ。千雪」
「はい」
「ちょっと……俺の上に座ってくれないか?」
一瞬、耳を疑った。
だが、統矢が耳まで真っ赤になって目を背けるので、聞き間違えではないらしい。たしかに彼は『俺の上に座ってくれないか』と言ったのだ。
頭の中で言葉がぐるぐる巡って、ようやく理解に到達する。
瞬間、千雪も頬が火照るのを感じた。
「私、重いですよ?」
「それは、知ってる。……あ、ま、待てっ! グーはよせ、ってか殴るな! 拳を振り上げるな!」
「……嘘でもいいから、そこは否定して欲しいんです……統矢君」
千雪の肉体は、半分以上が機械だ。
以前に瀕死の重傷を負い、生還と引き換えに女性としての全てを失ったのだ。いまだ試作段階の生体パーツも多いが、基本的に金属の両脚と右腕は重い。
年頃の少女にとって、体重が70kg以上あるのは少し恥ずかしい。
だが、もう一つのコクピットから声が響く。
『あ、あのっ、千雪さん……統矢さんを、その、ちょっと……ちょっとだけでいいんで、甘やかしてくださいっ。わたし、こっちはちょっと手が離せなくて』
「れんふぁさん。でも……わかりました。嫌ではないですから。むしろ」
おずおずと千雪は、シートの統矢の膝に腰掛ける。
背を抱いてくる統矢の息遣いが、パイロットスーツ越しに首筋をくすぐった。
「……悪ぃ、千雪。しばらく、こうしてていいか?」
「ええ。いくらでもどうぞ。……何か、ありましたか?」
「不安、なのかな? ここには……あいつの匂いがないから」
「あいつ……ああ、なるほど」
統矢にとって、この【幻雷】改型零号機のコクピットは初めてである。レイアウトが同じでも、彼には見ず知らずの新たな戦場なのだ。
普段の統矢は、常に一人の少女に身を重ねて戦っている。
彼が身を沈めるシートで、かつて大切な人だった少女が死んでいるのだ。
凄絶な死で遺体は原型を留めなかったと聞いている。
千雪も、修理中の【氷蓮】のシートに残った黒い血の跡を覚えていた。
「俺はいつも……りんなの死んだ場所で戦ってた。そして、気付けばお前やれんふぁが支えててくれた。小隊の仲間達や、沢山の人達が」
「当然です」
「……こういうのって、ないよな。れんふぁも聴いてるし、こうして……千雪に触れてるのに、りんなのことを口にするなんてさ」
背後から抱き締めてくる腕に、僅かに力がこもる。
千雪はただ黙って、そっと統矢の手に手を重ねた。
「りんなさんは、統矢君にとって大切な人です。ずっと、大切な人だと思ってて欲しいんです」
『わっ、わたしもです! こっちの曾祖母のこと、よく知らなくて……でも、統矢さんを守ってくれた。わたしや千雪さんに、統矢さんとの出会いを残してくれたから』
「そういうことです、ですから統矢君。今回は我慢して、この子で出撃してください」
千雪の長い黒髪に顔を埋めて、背後で統矢が小さく頷いた。
振り向いて、今すぐ抱き締めたい。
すぐにでも愛し合いたい。
いつも、いつでも……そう望む全てが奪われる可能性に満ちているから。
だが、今は自分を戒め千雪は平坦な声を静かに紡ぐ。
「因みに統矢君。改型零号機をマイルドにデチューンし、バランス重視のセッティングにしたのが……兄様の改型壱号機です」
「……マジかよ、あんな過敏な、並の腕なら歩かせることすらできない改型壱号機が? デチューン……お、俺、今回は【樹雷皇】から分離しないことにするっ!」
「それが懸命です。統矢君、操縦も戦闘も上手くないですから」
「な、なんだよそれ……すっげえ傷付くんんだけど」
「上手くはないですよ? でも、強いです……とても強いから、だから時々私達は不安です。だから、いいですね? 今回は自重して、後方支援に徹してください」
回線の向こうで、更紗れんふぁの頷く気配があった。
千雪は立ち上がると振り向いて、そっと統矢の頬にキス。
同時に外では、作戦開始へのカウントダウン開始を告げる声が響いていた。