第23話「終わりの始まりが始まる」
その瞬間、誰もが呼吸を忘れた。
鼓動さえ止まったかに思える、永遠の一瞬。
零分子結晶という新たな刃を振り上げ、【シンデレラ】の装甲……平行世界の97式【氷蓮】へ姿を変えた摺木統矢の愛機。その手が、巨大な刃を振り上げる。
拳で迎え撃ったサンダルフォンが、無音で静かに切り裂かれていった。
五百雀千雪は、メタトロンから開放される【ディープスノー】を必至で制御する。
今、愛する少年は己の宿業に向き合っている。
ならば、その邪魔は誰にもさせない。
だが、頭部を欠損したままでもメタトロンから怒気が吹き出した。
『五百雀千雪っ! またボクを邪魔だと! 貴様ぁ!』
「ここであちらのトウヤ君には死んでもらいます! それを統矢君が望んでるんです!」
『トウヤ様はボク達の希望! ボク達の地球を取り戻すために、誰もが命を賭けているんだ!』
「その戦いに、私達の地球を巻き込まないでください……貴女達は、パラレイドと呼称されるただの侵略者です!」
そう、別の世界線などに興味はない。
まして、勝手にこちらに押しかけて戦争をするなど、迷惑も甚だしい。
正体不明の敵として世界を侵食するパラレイドは、無数の命を奪い、それに倍する悲しみと憎しみを生み出してきた。
千雪の父もまた、軍人としてシベリアの大地に散っていった。
果てなき永久戦争が常態化した世界は、少しずつ衰退、滅びへ進んでいる。
それをもたらした者達に、正義や志を語られたくはなかった。
「征ってください、統矢君。その一秒、わずか一瞬でも……私が誰にも邪魔させません!」
『トウヤ様っ! 今すぐ援護に……そこをっ、どけえええええええっ!』
ちらりと背後を見る。
生まれ変わった【氷蓮】の一撃が、サンダルフォンの鉄拳を粉砕した。
否……粉砕などという荒々しい暴力ではない。
零分子結晶の刀身を顕にした【グラスヒール】が、まるでバターを切るようになめらかに通り抜けてゆく。火花さえ起こさず、サンダルフォンの右腕が切り裂かれた。
恐るべき切れ味は、既に現在の物理法則を無視している。
それが、異星人との戦争で相手の技術を取り込んだ、あちらの世界の最先端なのだ。
千雪はその目に焼き付ける。
自分とは別の自分、チユキが全身を機械にしてまで紡いだ反抗の刃。
歪んだ未来に抗う一撃は今、宿命の少年に託された。
『くっ、サンダルフォンが! レイル、レイル・スルールッ! 私を守れっ! 遺憾ながら基地を放棄する!』
『ご安心を、トウヤ様!』
サンダルフォンは隻腕になりながらも、トウヤの操作で距離を取る。
だが、荒れ狂う怒気を叫びに変えて、統矢の絶叫が剣を振り続けた。
【氷蓮】の振るう一撃が、あっという間にサンダルフォンを梳る。通常のパンツァー・モータロイドにとって、全く手足の出ない強敵……セラフ級パラレイドが圧倒されてゆく。
剣の重さに踊る【氷蓮】の挙動は、いつ破綻してもおかしくない。
今も【シンデレラ】に着せられた装甲は、二人の少女が与えたグラビティ・ケイジの力場によって接続されているにすぎない。更紗れんふぁは落下して横たわる【樹雷皇】の中で、まだ重力波を統矢に与え続けていた。
それは千雪も同じだ。
その瞬間、レイルのメタトロンが上下に分離する。
「見え透いた手をっ! コアを撃破すれば……お覚悟っ!」
上半身と下半身を排除して、中央のコアブロックが戦闘機に変形する。
そこにパイロットであるレイルが乗っている。上下のパーツは無人制御で、いくらでも交換が可能なのだ。
しかし、新たなパーツは飛んでこない。
ならば、中央のコアブロックを潰せば終わりだ。
千雪は愛機【ディープスノー】に鞭を入れた。
これで最後だからと、心の中で呟く。
何度もごめんねと、繰り返し祈るように胸に刻む。
同時に、フルパワーで加速力を爆発させた。
地を蹴る【ディープスノー】が、右の拳を引き絞った。
そして、体感時間が無限に引き伸ばされる。
「これは……DUSTER能力の」
『チィ! DUSTER能力者同士で戦えばこうなる……ならどうするっ、五百雀千雪っ!』
「知れたことです。知覚できるあらゆる可能性、その全ての分岐を閉ざします!」
『やってみろっ! お前がボクを読むなら、ボクはお前を読み切ってみせる!』
極限状態の中で、千雪は無数の可能性を知り、その全てに対して最適解を得てゆく。DUSTER能力がもたらす肥大化した集中力が、一秒の中で絶え間なく思考を研ぎ澄まさせてくるのだ。
DUSTER能力者同士での戦いは、互いに限界を超えてるが故の膠着状態を生み出す。
その停滞した緊張感すら、周囲から見れば一瞬にも満たぬ刹那だ。
そして、千雪は相手のレイルが百戦錬磨のエースパイロットだと熟知している。
畏敬の念さえ感じるが、許せないし理解し得ない。
ただ、エース故にレイルの判断と行動が読める……洗練されてるからこそ読みやすい。
「そこですっ!」
千雪は不意に、空中で【ディープスノー】に急制動をかけた。
同時に、なにもない背後へと振り向き様に逆回し蹴りを放つ。
それは同時に、分離変形したメタトロンの下半身が襲い来るのと同時だった。
読み通り、千雪の一撃がそこに置いてあった。
下半身パーツの機動を読み切って、その先に一撃が吸い込まれる。
激しい衝撃音と共に、メタトロンの下半身が蹴り飛ばされた。
レイルは予想通り、千雪の死角へとパーツを遠隔誘導したのだ。
『やるなっ、だがまだ!』
「いいえ、終わりですっ! コアを直接、叩きます……穿つ!」
上半身パーツは周囲に感じない。
襲ってこない……千雪のDUSTER能力が見せた、レイルの可能性の全てにそれがない。恐らく、トウヤを守るために使ったので、直接千雪には飛んでこないのだろう。
そう思ったし、千雪が励起させるDUSTER能力がそう読み切った。
――筈だった。
「――っ! これはっ!」
『そこで黙って見てろ、千雪っ! 今はトウヤ様をお救いする! DUSTER能力の使い方では、ボクや統矢の方がまだ断然っ、上だ!』
戦闘機へと変形したコアが飛び去る。
だが、千雪の【ディープスノー】は、メタトロンの上半身によって大地に叩き付けられた。その動きが読めなかったし、全く予期せぬ選択だった。
DUSTER能力は極限状況で、あらゆる情報を元に可能性を網羅する。
そこに、この動きはなかった。
レイルを読み、レイルに読まれる中での攻防にはなかった結末だ。
そして、千雪はその理由を瞬時に察した。
「リモートコントロール……上半身は全てオートで。それは、レイルさんを読んでも全く把握できない動き! くっ、迂闊!」
メタトロンの上半身は、完全に自律制御のオートで襲ってきたのだ。
なんとか【ディープスノー】を立たせる。
だが、その時にはもう勝敗が決していた。
統矢の【氷蓮】は、サンダルフォンを真っ二つにしたまま、停止した。グラビティ・エクステンダーが張り巡らせた力場が消失し、グラビティ・ケイジで押さえつけていた装甲が全て脱げる。トリコロールの白いパーツが散らばった。
【シンデレラ】の十二時の魔法が解けたのだ。
そのまま【氷蓮】は、フレームだけになって背後に倒れた。
そして、レイルのコアはトウヤを回収、再び合体する。
メタトロンは頭部を失ったものの、健在だった。
そんな時、声が走る。
『まだ終わりじゃねえ! 諦めんな、千雪っ!』
兄の声。
いつもヘラヘラしてて三枚目で、軟派でだらしない兄……五百雀辰馬の声だった。
そして、89式【幻雷】改型壱号機が降下してくる。
抜き放ったDOS……ドウダヌキ・オーバード・セイバーが煌めいた。消耗品であることと引き換えに、Gx超鋼を研ぎ澄ませた必殺の刃だ。
だが、メタトロンは左腕部を犠牲にしてコクピットを守る。
太い腕の中ほどまで食い込んで、それっきり兄の斬撃は止まってしまった。
『くっそ、硬ぇ! ……千雪、脱出用のポッドが今、負傷者を拾ってる。統矢をコクピットから救出、そのままれんふぁ達と乗って逃げろ!』
「兄様ッ!」
『おいおい、泣きそうな声出してんじゃねぇぞ、まったく……なあ、千雪? お前さん、しぶとい女じゃねえか。いい女だ、妹にしとくにゃ惜しいぜ』
メタトロンが光の剣を抜く。
辰馬の改型壱号機も、刃こぼれし始めた剣を構えた。
そして、援護射撃の狙撃と共に、御巫桔梗の改型弐号機が脱出ポッドを連れてくる。大気圏突入用のものに、申し訳程度の推進力を設けた仮設内火艇だ。
意を決して、千雪は【ディープスノー】のコクピットを開放、飛び降りる。
「……いい子で待っててください。私のかわいい貴方。……必ず、貴方の中に戻りますから。いつか、必ず」
一度だけ愛機に振り向き、小さく呟いて千雪は走る。
【氷蓮】の残骸では既に、駆けつけたれんふぁがハッチを強制開放させようとしていた。
メタトロンの足を止めるために、渡良瀬沙菊の改型伍号機が援護を始める。
そして、すぐ近くに見覚えのあるPMRが着陸、周囲に怒号が広がる。
『地下空洞の崩壊が始まった! 吸い出される空気が生んだ気圧差で、もうじき崩れて埋まるぞ!』
それは、重装甲のTYPE-13R【サイクロプス】、グレイ・ホースト大尉の機体だ。損傷が酷いが、オイルにまみれて尚も動いている。出撃時にハリネズミのように武装していたが、今は手持ちのショットガンだけになっていた。
千雪は周囲で激しい戦闘が起こる中、嵐のような地表を走る。
「れんふぁさん、どいてください!」
「あっ、千雪さん! 電源が飛んでてハッチが。このレバーなら手動で!」
「貸してください!」
既に【氷蓮】の常温Gx炉は停止し、全ての電源が飛んでいた。
内蔵された炸薬を発火させるレバーを、千雪は全力で引き抜く。機械の半身がもたらす怪力を、今日ほどありがたいと思ったことはない。
炸裂で煙が舞い上がる中……吹き飛ぶハッチの奥から、血塗れの統矢が落ちてきた。
それを受け止め肩に担ぎ、れんふぁの手を引き走る。
内火艇に乗り込み振り返った時、千雪は見た。
それは、光の剣で横薙ぎに両断され、爆散する兄の改型壱号機だった。




