第20話「理の破壊者、顕現」
施設の外へと脱出した五百雀千雪の、その長い黒髪が宙へと舞い上がる。
今、月面の巨大な地下空洞から、空気が失われようとしていた。地表の要塞都市も攻略され、穿たれた風穴へと大気が逆巻き吸い上げられていた。
長くはもたない……急いで渡良瀬沙菊と共に機体へ飛び乗る。
ヘルメットを被る間も惜しんで、愛機【ディープスノー】を起動する。
微動に震えてメインモニターが点灯すれば、すぐ近くで立ち上がる機体があった。対ビーム用クロークを身に纏った、紫炎色のパンツァー・モータロイド……頭部をありあわせのパーツで応急処置したため、摺木統矢の97式【氷蓮】サードリペアはまるでパッチワークだ。
89式【幻雷】の頭部装甲を流用されており、バイザー状のアイセンサーが光る。
『千雪っ! お前は沙菊を守れ。俺は……ここで奴との決着をつける!』
「統矢君、焦っては――」
轟音が頭上を突き抜けた。
巨大な【樹雷皇】が、セラフ級パラレイドをグラビティ・アンカーでぶら下げたまま飛び交う。ラスカ・ランシングの操縦は統矢よりも大胆で、繊細で、そして正確なものに見えた。
ミカエルと名付けられた、暴走状態のセラフ級……その巨体が宙へと放られる。
同時に、【樹雷皇】の全ての垂直発射セルが開かれた。
『ラスカちゃんっ、全弾ロックッ! いっ、いいよっ』
『これでっ、くたばれええええええっ!』
ありったけのミサイルが全弾発射された。
地下空間の天井へと、無数の爆発が咲き乱れる。
爆風の衝撃波が押し寄せ、千雪は急いでグラビティ・ケイジを展開した。沙菊の89式【幻雷】改型伍号機を守りつつ、ゆっくりと空中へ浮かび上がる。
どうやらこれで、防御に特化した有線制御のセラフ級は終わりらしい。
大きく旋回する【樹雷皇】は、敵の撃墜を確認して高度を落としてきた。
「統矢君、今は脱出を優先しましょう。作戦は失敗……リレイド・リレイズ・システムは再び別の世界線へと消えてしまいました。そして……統矢君に伝えなければいけないことがあります」
周囲を警戒しつつ、千雪は言葉を選ぶ。
――リレイド・リレイズ・システム。
それは、全ての元凶にして原点、この永久戦争の始まりを司る禁忌のシステムだ。異なる世界線で、人類は異星人と接触し、星間戦争に突入した。その中で、和平をよしとしない男が、このシステムを生み出したのである。そして、ランダムで選んだ世界……千雪達の世界へとやってきた。
DUSTER能力に人類を覚醒させ、その全てを戦力として再び自分の世界で戦うために。
そう、無作為に選ばれたのだ……戦火の中で滅びゆく、千雪達の世界は。
そして、平行世界を繋げるシステムには、一人の女性が封じ込められている。
あちら側の摺木統矢……トウヤが愛した、更紗りんなが縛り付けられているのだ。
こちら側の統矢は、この過酷な真実に耐えると思う。
耐えて怒りに燃える彼を、千雪はれんふぁと共に癒やして支えたいのだ。
『クソッ、どこだ……どこに行った、トウヤァ! 俺は、俺は俺を、殺す……絶対にっ、殺してやるっ!』
「落ち着いてください、統矢君。沙菊さん、一緒に索敵を――」
『千雪殿ぉ! あそこっ、二時の方向! セラフ級パラレイド、メタトロンナントカが飛んでるッス!』
両手で大事そうに、一人の男を抱えて……捧げるようにして、メタトロン・ゼグゼクスが飛んでいた。
今なら、両手の使えない敵を叩ける。
しかも、数の優位を持って包囲殲滅できるかもしれない。
急いで上空のれんふぁとラスカにも、援護の要請を叫ぼうとした、その時。
メタトロンの手の中で、小さな子供が立ち上がる。
それは間違いなく、千雪が愛した少年の面影があった。
だが、同じ顔立ちには醜悪な憎悪と不遜な傲慢さが浮かんでいた。
ノイズ混じりの回線に、その声が響く。
『私はここだ、統矢……この世界の、弱き私よ。私はここだ……ここにいるぞ!』
露骨な挑発だった。
そして、千雪が自制を促すより先に、統矢が激昂に吼える。
『そこを、動くなあああああっ! お前は潰す! 今、ここで! 俺の手で!』
背の【グラスヒール】を抜き放って、【氷蓮】が対ビーム用クロークを脱ぎ捨てた。
メタトロンは動く様子を見せず、静かに滞空している。
誰もが決着を待つ中で、千雪は悪寒が止まらない。
不快な汗が浮き出て、パイロットスーツの密着感が湿ってゆく。
淡雪のような肌は今、泡立つように緊張を漲らせていた。
そして、千雪の不安は的中する。
トウヤは、迫る【氷蓮】へと拳銃のようなものを向けた。
そう、トリガーに人差し指を当てつつ、もう片方の手で備え付けられたダイヤルを操作している。銃、ではない。むしろそれは――
『フッ、【氷蓮】か……なにもかも懐かしい。私がりんなを守れなかったのは、地球の技術力が異星人に、監察軍に圧倒的に劣っていたからだ! 【氷蓮】が、PMRが弱かったからだ!』
『弱いのはお前だっ、トウヤ! お前は、この俺と同じか、それ以上に弱い……そして、そのことを認められないただのガキだ!』
統矢の【氷蓮】が、大上段に【グラスヒール】を振りかぶる。
必殺の距離、メタトロンにかわそうとする動きは見られない。
だが、その時……千雪はセンサーを通じて、後方からの爆発音を聴いた。すぐに上空のれんふぁが、なにがあったかを教えてくれる。
『千雪さん! ラスカちゃんも、沙菊ちゃんも! 地上で爆発……施設後方、あれは……なにかの、格納庫? 爆発の中から……あ、あれはっ!』
千雪も機体を翻す中で目撃した。
そう、敵基地の一角が燃えている。
その炎の中から、黒光りする鋼鉄の巨人が立ち上がる。
そして、それは信じられない速さで【ディープスノー】の横をすり抜けた。飛び立ったと思った瞬間には、その爆発的な加速力が飛び去る。
「ッ! 統矢君っ、なにかそっちに……あんな加速、パイロットにかかるGは――」
だが、その心配は無用だった。
常軌を逸した機動で、謎の鉄巨人が飛ぶ。
そして、それを操っているのは……両手でリモコンを操作するトウヤだった。
『来い、サンダルフォン! 思い知るがいい、私よ……PMRでは我々の戦力に敵わぬ! 我々が敗北と共に忘却した、そんな陳腐な兵器では勝てぬのだ!』
統矢は、背後から新型機に襲われた。
敵は無手、武器も持たず固定武装も見られない。
シンプルすぎるほどに真っ直ぐな手足は太く、背のスラスターも必要最低限。そう、あまりにも洗練されすぎた姿は、不気味ですらある。
頭部には鶏冠のような飾りが突き立ち、ツインアイの下に尖った鼻が伸びている。
統矢の【氷蓮】を拳で大地へ叩き落とし、サンダルフォンと呼ばれた鉄巨人は吼える。両腕を振り上げ胸を張り、あたかも最強を誇示するかのように絶叫を響かせていた。
「統矢君っ!」
『千雪殿、援護するであります! 早く統矢殿のフォローに!』
「頼みます、沙菊さん! ……クッ、邪魔を!」
再び千雪に、メタトロンが襲ってきた。
その手からもう、トウヤは降りている。彼はサンダルフォンの手で地上に降り立ち、勝ち誇ったように【氷蓮】へと歩み寄る。その頭上を飛ぶメタトロンは、さながら異界の預言者を守る熾天使のようだ。
そして、瓦礫の中から立ち上がる【氷蓮】のダメージを、響く異音が伝えてくる。
一撃でかなりのダメージ、関節や駆動系へも衝撃が貫通している。
その痛みが、千雪には我が身のことのように感じられた。
だが、統矢の不屈の闘志を宿して【氷蓮】は立ち上がる。
「統矢君、今行きます!」
『行かせないっ! トウヤ様のために! 五百雀千雪、お前は、お前だけは!』
「邪魔だと言いました、レイル・スルールッ! 邪魔を……邪魔をするなら!」
千雪の直感が警鐘を鳴らしている。
漏れ出る空気が竜巻を呼び、嵐の真っ只中になったこの戦場で……最も最悪の形で、決着がつこうとしている。
トウヤは統矢を倒し、この世界の最後の希望の芽を摘み取るつもりだ。
そして、千雪はレイルのメタトロンに阻まれ、思うように助けにいけない。
上空のラスカとれんふぁも、救出しようと高度を下げてくる。だが、こういう時に巨大な火力の塊である【樹雷皇】は取り回しが悪い。そして、強力な推進力と機動性は、限られた空間内ではかえって小回りがきかなかった。
今、統矢を助けられるのは自分しかいない。
沙菊の援護射撃を受けつつも、千雪を蝕む、それは焦り。
『くっ、動け……動いてくれ、【氷蓮】ッ! 一撃、あと一撃でいい……目の前の、あの男を!』
『無駄だ! 既に私達から見て、PMRとは過去の遺物! 時代遅れのガラクタに過ぎん。さあ、サンダルフォン! 私の、私達の未来のために……ここの未来をぉ! 潰せぇ!』
サンダルフォンの豪腕が振り上げられる。
その攻撃方法は千雪の【ディープスノー】と同じ……素手の体術、鋼の拳だ。千雪の体得した格闘術を、【ディープスノー】は完全に再現する。PMRの関節構造が人間と全く同じにできているからだ。
だが、サンダルフォンは違う……丸太のような手足は、関節部がモーフィング構造に見える。つまり、伸び縮みして変形し、自在に動けるのである。
サンダルフォンの鉄拳が振り下ろされた。
咄嗟に統矢は、【グラスヒール】を盾にして受け止める。
よろけた【氷蓮】の足元が、クレーターとなって大きく窪んだ。
そして……千雪は我が目を疑った。
『ハハッ、どうした? 押し返せんか? 非力だなあ! 潰れてしまえ……我が意にそぐわぬDUSTER能力者など、不要!』
統矢の悲鳴と共に、【氷蓮】が地面にめり込んだ。
弾き飛ばされた【グラスヒール】が、回転した後に大地へ突き刺さる。
まるで墓標のように突き立ったその大剣は……単分子結晶の塊は、先程の一撃で大き|なvひびが走って割れていた。




