第2話「束の間の、日常」
久々の登校で、五百雀千雪は更紗れんふぁと一緒に校舎を歩く。
同級生にいらぬ心配を与えたくなくて、両脚の義足は黒のタイツで覆ってしまった。義手である右手も、黒い皮手袋がちょっと仰々しい。
だが、隠してこそ癒える傷もある。
千雪は、己の出血で他者を汚すことをよしとしない少女だった。
「千雪さぁん……もっとこぉ、かわいい手袋にしませんかぁ?」
右腕にしがみつくように抱き付いて、れんふぁが見上げてくる。
彼女がなかなかに少女趣味なのは、最近になって判明した事実だ。それも、ちょっと度を越してかわいいもの好きで、そんなれんふぁがとても可愛いと想う。
千雪は、同性ながられんふぁをとても愛しいと感じていた。
同じ人を愛して、自分の代わりに愛し続けてくれる。
だから自分は、愛し合う二人のために戦えるのだ。
「いえ、まあ……今度、街に探しに出てみましょうか」
「あっ、じゃあ統矢さんも! 三人で行きましょうっ!」
「ですね。統矢君には荷物持ちをやってもらいましょう」
「うんうんっ! 何か、いいですねっ! ……ちょっぴりでも、少しでも、平和です!」
嬉しそうにれんふぁが笑う。
釣られて千雪も、ぎこちなく笑った。
最近、少しだけ表情筋が柔らかくなったと兄の五百雀辰馬に言われた。時々鏡の前で、指と指とで頬をお仕上げてみたりもしている。笑顔の綺麗な女性は、魅力的で美しく、異性を虜にするという話も本で何度も読んだ。
正直、自信がない。
だが、笑ってみせようと頑張る度に、あの人は笑ってくれる。
呆れたような、安心したような、許すような笑みを摺木統矢は向けてくれるのだ。
「それにしても……青森校区も少し閑散としてしまいましたね」
「うん……あのね、千雪さん。三年生はD組とE組が統合、F組は残り10人を切ったから各クラスに再配置だって」
「随分、死にましたからね」
「戦争、なんだよね。……わたし、こんな戦争を止めに来たのに。なのに、記憶もまだぼんやりしてるし、全然役に立てなくて」
俯くれんふぁが声を湿らせる。
だが、千雪はそんな彼女の胸から腕を引き抜くと、そっと肩を抱いた。
華奢で細い、なだらかな肩だ。
武道を嗜む千雪と違って、柔らかで温かい。
額を寄せるようにして、千雪はれんふぁを見下ろし呟いた。
「役に立ててますよ、れんふぁさん。れんふぁさんがみんなにとって……私にとって、どれだけ助けになっているか」
「そ、そうですかぁ? でも……千雪さんがいうなら、エヘヘ」
「ええ。とても助かってます」
そうして、久々の二年D組へと顔を出す。
出迎えてくれたクラスメイトは、最後に見た時より何人か減っている。
机自体がなくなっている者もいたし、机があっても花が咲いてるだけの者もいた。
それでも、久々に美貌のクラス委員長が顔を見せて、周囲に人だかりができる。
「おっ! 五百雀さん! 久しぶり、元気そうだなあ……よかった、とにかく生きて会えてよかったよ。勿論、れんふぁちゃんも!」
真っ先に声をかけてきたのは、柿崎誠司だ。
彼のほがらかな笑顔も、頬に絆創膏が痛々しい。
「お久しぶりです、柿崎君」
「ご無沙汰してますぅ……あれ、柿崎君っ!? 怪我、してますよぅ」
「はは、掠り傷さ」
千雪達、|海軍PMR戦術実験小隊《かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》……通称、フェンリル小隊の不在中も、何度かパラレイドの襲撃が昨夜のようにあった。そして、誠司達一般の幼年兵にとっては、今持ってパラレイドは謎の侵略者だ。
まさか、夢にも思わないだろう。
自分達の敵が同じ人間、異なる世界線の未来から遅い来る地球人類だなどと。
今はその真実を胸にしまって、小さくれんふぁと頷きを交わし合う。
しかし、そうこうしている間に千雪は女子達に囲まれてしまった。
「五百雀さん、無事なのね!? ああ、よかった……心配してたんだから」
「わ、わわ、私も……うう、よかった……よかったよぉ、えぐっ」
「あーちょっと、泣かないでよ。ゴメンね、五百雀さん。この子ほら、放課後に勉強とか見てもらってたから、変に懐いちゃってて」
「こんな時でどんどん人も減るしさ……いなく、なるし、さ……だから、嬉しいな。おかえり、五百雀さん。れんふぁちゃんも、おかえりなさい」
涙ぐむ少女に戸惑いながらも、そっと手を伸べ……慌てて千雪は右腕を引っ込める。改めて左手で、彼女の頬の涙を拭ってやった。
何だか、凄いキラキラした視線で見上げられてしまって、少し照れ臭い。
クラスでの出来事は、誠司がまとめて手短に教えてくれた。
「かなりやられた……けど、D組はまだいい。パンツァー・モータロイドでの防御陣地構築で、たまたま敵襲の時にローテに入ってなかったからさ。でも」
「でも? ……そういえば、隣のクラスが教室ごと閉鎖されてますね」
「E組は消滅した。F組も片手で足りる人数になって、各クラスに散ってったよ」
「うちも、かなりやられたみたいですね。……ごめんなさい」
「はは、なんで五百雀さんが謝るのさ。みんな、海軍でもう戦ってるんだろ? すげじゃん! 正規兵と幼年兵、立場は違うけどやることは変わらない。一緒に頑張ろうぜ!」
誠司は千雪から見て、PMRの操縦に長けた人間ではない。
そればかりか、生き残れた幸運に誠司自身が気付けないというレベルの腕前だ。
だが、だからこそ千雪は守りたい……彼は大事なクラスメイトで、それはこの場の誰もがお互いにそうだ。
そして、誠司は統矢の最初の友人、親友と言ってもいい同世代の少年なのだ。
「櫛引や櫻田もやられた。外崎なんか、死体も残らなかった」
「では、飯田君と小山さんも?」
「ああ、あの二人な……驚かないでくれよ、五百雀さん」
クラスの女達も、どこか浮ついた笑みを交わし合う。
なんだろうと、千雪だけが無表情で首を捻った。
「あの二人は、駆け落ちした。互いに寮から脱走して、そのままドロンだ」
「えーっ! ちっ、ちち、千雪さんっ! 駆け落ちって、アレですよね! 盗んだバイクで走り出す的な、何でもないようなことが幸せだったと想うような! アレですよね! BUTTERFLYが乾杯で栄光の架橋なCAN YOU CELEBRATEですよね!」
れんふぁの言ってることはよくわからないが、千雪も顔が火照るのを感じた。
そういう生き方も、あるだろう。
誠司達にとって世界は、ゆっくりと滅びに向かっている。
それに抗うこともできず、抵抗は意思表示止まりだ。
勝ち目のない物量に押し潰される中で、選択肢がないまま戦い続ける……勝利なき永久戦争は終わらないのだ。
千雪達が、もう一人の摺木統矢を倒すまで終われない。
真実を知る千雪達よりも、それは辛いかもしれない。
だが、駆け落ちの話題になった途端、女子達が乙女の顔になる。
「あの二人、前からさあ……ねー?」
「うんうんっ、あたし飯田に言ってやったもん。責任とんなよ、って!」
「うわ、きっつー! ……でも、いいよね。小山さん、元気かな」
「小さいボロアパートに二人きり、見知らぬ街、身を寄せ合う貧乏暮し……憧れるかも!」
千雪もちょっと、想像してみた。
軍人の家系で、千雪は幼い頃から暮らしに不自由した記憶はない。それは、父が英霊認定を受けてからもずっとそうだった。
兄が優しくて、強くあり続けてくれたからだと想う。
そんな時、ガラガラと扉を開いて統矢が入ってきた。
朝まで一緒に肌を重ねていたが、怪しまれるからと時間をずらしたのだ。
早速誠司が子犬のように駆け寄ってゆく。
「統矢! この野郎、生きてたなっ! よく帰ってきた! 御苦労、摺木統矢三尉!」
「なんだよ、朝から……誠司、おい。鬱陶しいんだが」
「そう言うなよ、マブダチだろ? な? なあ?」
「まあ……そうだな。お前がそう言うの、うっ、うっ……嬉しい。久しぶり、元気か?」
「おうよ! お前なあ、何で昨夜は寮に帰ってこないんだよ! こいつー!」
統矢はチラリと千雪を見て、れんふぁを見て、それから……顔を赤らめ黙った。
それで、肩を組む誠司が奇妙な三人だけの空気に「え? お? おお?」と目を瞬かせる。だが、統矢はそんな彼の肩を抱き返して笑った。
「ま、色々あったんだよ! それよか……人、減ってんな」
「まあな」
「……俺、転校生だからさ、まだ……でも、教えてくれ、誠司。誰と誰がやられた? 逝っちまった奴の名前、教えてくれよ。少しでも、覚えてたいからさ」
先程と同じ話題が少し繰り返され、統矢は何度も頷いた。
時には、過敏の置かれた机を見て、睨むような瞳に暗い炎を燃やす。
そして、例の駆け落ちの話には目を点にして、それから激しく動揺した。
「そっ、そそ、そうなのか! そうかあ、ははは……しっ、幸せならいいけどなあ」
「なーんか白々しいな、統矢。お前、何かあったか? まさか、軍で――」
その時、出席簿を持って御堂刹那がやってきた。
ずっと海軍の軍服ばかり見てきたが、今日は真っ赤なジャージの上下を着ている。しかし、どうみても女教師というよりは女児、幼女なので……生徒達に緊張感はない。
「朝のホームルームだ、ガキ共! 座れ座れ!」
「はーい! ……ってか、今日は刹那ちゃん先生いるんだ?」
「めっずらしー! 最近ずっと副担任だったよねー」
「あの副担も災難だよなあ……息子さん、こないだの富士で」
「知ってるー、何かでっかいセラフ級が出たんでしょ? 地球に風穴空けたとかって」
バンバンと出席簿を手で叩きながら、刹那は「御堂刹那先生と呼ばんか!」と怒鳴る。だが、全然怖くない。そして、教卓の前に立って……その矮躯が完全に隠れてしまう。
いつものように教卓の上によじ登って、彼女は出席を取り始めた。
千雪にとって、久々の日常が戻ってきた。
以前にもまして、静かな絶望へと零れ落ちてゆく、そんな時間が今はゆっくりと流れていた。