第15話「戦いは地下深くへ」
【ディープスノー】のコクピットで、五百雀千雪は信じられない光景を目の当たりにしていた。月面の要塞都市は、その地下に広大な空間を内包していたのだ。そこには緑があり、空気があり、まるで火山が形成したジオフロントだ。
確か百年近く前に、月の裏側で巨大地下空洞が発見されていた筈だ。
眼下の光景はそれを利用したものなのだろうか?
「これは……ん、あの建造物は、パラレイドの指揮中枢でしょうか。それより、統矢君は」
周囲を見渡せば、すぐに巨大な【樹雷皇】が浮いているのが見えた。
だが、そこにコアユニットとして搭載された97式【氷蓮】サードリペアの姿がない。すぐに千雪は、ゆっくり愛機を着陸させながら回線を開いた。
すぐに更紗れんふぁの声が返ってくる。
そして、やはり摺木統矢は既にそこにはいなかった。
『あっ、千雪さん。さっき、ミカエルを撃破した、と、思います。けど』
「統矢君が飛び出してしまったんですね?」
『はっ、はいぃ……ごめんなさい、止めたんですけど』
「大丈夫ですよ、れんふぁさん。【氷蓮】の反応をみつけました」
識別コードを受信するよりも早く、千雪は肉眼でモニター内に【氷蓮】を見つけていた。紫炎色に塗られているので、その機体はぐるぐる巻のスキンタービンもあって酷く目立つ。
だが、それが大地に片膝をついての降着状態だ。
その上空をフライパスすれば、コクピットが開け放たれてるのに気付く。
どうやら統矢は、機体を降りて敵基地らしき建物に向かったらしい。
「統矢君、なんて無茶を」
【氷蓮】の隣へと【ディープスノー】を着地させつつ、千雪は僅かに唇を噛んだ。
無謀、そして危険な決断だ。
パイロットという戦術単位を逸脱した行為である。
同時に、そこまで統矢を駆り立てる感情を、千雪はよく理解していた。何故なら、彼が殺したいのは、自分……平行世界の未来からやってきた、パラレイドの首魁たる摺木統矢なのだから。
千雪は外の気圧と酸素濃度を確認して、ハッチを開く。
ヘルメットを脱げば、汗に濡れた髪が風に舞った。
天井に大穴が空いてるため、徐々に空気は漏れ出し始めている。セフティーシステムが働いて、何重もの気密シャッターが作動してるかもしれないが……既にもう、人類同盟の部隊が大挙して効果中である。
陸戦部隊を乗せた車両も無数に落下傘を開いており、そのことで初めて千雪は気付く。
「1G……地球とほぼ同じ重力がありますね。この空間はいったい……」
重力までもが、地球と同等に整備されている。
千雪は手持ちの拳銃を手に、安全装置を解除する。敵の本拠地に殴り込みをしようというのに、これ一丁ではいささか心細い。だが、いざとなれば文字通り殴り倒してでも、進む。身体能力には自信があったし、半身を機械化した今は文字通り無敵だ。
無鉄砲な統矢の基質が少し伝染った気もして、それを否定するのは難しかった。
「とにかく、統矢君を追わなければいけませんね……無茶はしないでほしいのですが」
漠然とした不安だけが、胸の内に広がってゆく。
周囲では対空砲火が無数に舞う中、人類同盟軍の強襲作戦が成功しつつあった。すぐ近くにも、宇宙空間での気密性を急造仕様で得た装甲車両が、半ば墜落するように着地する。
宇宙服の上からボディアーマーを纏った特殊部隊の兵士達が、手早く展開していた。
ここまでくれば、外堀は埋まったも同然である。
だが、危険な時間はまだ終わってはいない。
空気を揺るがす咆哮が響いて、戦慄に周囲が凍る。
誰もが振り返る先で、おぞましい狂気が立ち上がろうとしていた。
「あれは……セラフ級パラレイド、ミカエル。くっ、機体に戻らなければ!」
ゆっくりと身を起こす、その姿は破損が激しく中破状態だ。だが、それでもミカエルは立ち上がるや、耳まで裂けた顎門を上下に開いて慟哭する。
鬼神の如きその姿は、生身を晒して銃を手にした人間を竦ませるには十分だった。
あまりにも神々しく、禍々しいその姿。
ゆっくりと上空の【樹雷皇】が回頭する。
れんふぁは迎撃する気だが、彼女一人では【樹雷皇】は動かせない。れんふぁの担当は火器管制と特殊兵装のコントロール、そして情報処理だ。【樹雷皇】は基本的に、コアユニットとしてドッキングするパンツァーモータロイド側で制御するのである。
千雪の【ディープスノー】は、規格外の実験機なのでドッキングは不可能だ。
「いえ、あの手を使えばドッキングは……しかし、っ!?」
ミカエルの双眸が見開かれた。
同時に、激しい衝撃波が千雪を襲う。
ミカエルが発した怪光線は、【樹雷皇】のグラビティ・ケイジを容易く引き裂く。
重力場が相殺しきれぬエネルギーに食い荒らされ、肉眼でハッキリ見える形で崩壊してゆく。このままでは【樹雷皇】も、降下中の部隊も危険だ。
一瞬の躊躇に考え込む暇も持てず、千雪は愛機へと取って返す。
【ディープスノー】の戦闘力ならば、単騎でセラフ級との戦闘も可能だ。また、一度きりの切り札を使えば、【樹雷皇】との合体も可能である。
しかし、絶叫が頭上から降ってきた。
『れんふぁっ! 合体用の誘導レーザー、照射して! 軸線はこっちで合わせるわ! 辰馬は桔梗と援護して! 沙菊は一人で突っ走ってるあの馬鹿を追う! ほら、行ってっ!』
ラスカ・ランシングの絶叫に、ミカエルが空を仰ぐ。
鋭い眼光そのままのビームが、再び発射された。
だが、自称天才少女は愛機アルレイン……89式【幻雷】改型四号機に対ビーム用クロークを脱ぎ捨てさせる。一瞬で蒸発する特殊繊維のリアクティブアーマーの、その僅かな面積を彼女は足場にしてジャンプした。
信じられないことだが、ビームを踏み台にしたのである。
「そんな馬鹿な……いえ、ラスカさんならやりかねません」
ラスカの改型四号機は、トリッキーな特殊兵装ばかり搭載した白兵戦闘用のネイキッドである。超軽量の高機動モデル……身に纏う対ビーム用クロークも、内側にびっしり予備の対装甲炸裂刃を仕込んでいた筈だ。
ラスカはそれを誘爆させ、反動で翔んだのである。
そして、彼女が向かう先には【樹雷皇】が浮いていた。
『れんふぁっ! ドッキングセンサー!』
『う、うんっ! レーザー同調、ドッキング準備完了……カウントダウン』
『カウント省略っ! 全コントロールをこっちに回して! あと、統矢が使ってるナーヴ間のマージンプログラムを全カット! 姿勢制御系をセッティングリコール!』
『そ、そんなぁ! ラスカちゃん、【樹雷皇】が落っこちちゃうよぉ』
『そいつは並の腕に言うのねっ! ほら、合体して!』
ラスカは無理矢理に近い形で、【樹雷皇】にドッキングした。
瞬間、ガクン! と巨体が傾く。
重力制御で浮かんだ空中の武器庫は、二度三度とミカエルのビームを避けながらフラフラと飛んだ。出鱈目に回避する中で、徐々にその機動が洗練されてゆく。
恐らくラスカは、ほぼ全ての操作をマニュアルに切り替えたのだ。
統矢が普段扱う上で設定した、安全マージンや補正プログラムを全部切り捨てたのだろう。なんて無茶なと思った、次の瞬間には【樹雷皇】が生まれ変わる。その見た目を裏切る鋭い加速で、大地に立つミカエルを中心に旋回し始めた。
「……心配、なさそうですね。兄様達もついてますし」
改めて千雪は、拳銃を手に敵の中枢施設へと走り出した。
銃声が聴こえる。
ここは戦場、そして生身を晒した誰もが人間だ。
パラレイドは未知の敵ではない……同じ血の流れる地球人なのだ。
その姿を間近で見た時、千雪は銃爪が引けるだろうか?
その自問に自答する瞬間はすぐに訪れた。
「こっちだ! 女が一人! ……っ!? 子供!? 少女、乙女かっ!?」
「馬鹿野郎、こっちの世界の幼年兵だ! 撃て、撃てっ!」
「でっ、でも! 女の子なんですよ!」
「くっ、脚を狙え! 殺さなくてもいい!」
パラレイドも混乱していた。
コンテナが無数に積み上げられた区画を走り抜ける中、千雪の前に小隊規模の歩兵が現れる。突然のエンカウントで、向こうも慌てたようだ。
そして、思考を挟まぬ分だけ、千雪の方が早かった。
銃を片手に、そのまま地を這い舐めるように姿勢を屈める。円運動で繰り出す蹴りが、足払いとなって最初の一人を転ばせた。すぐに倒れた兵士の腹部を踏み抜き、その先へ踏み込む。短い悲鳴を背中で聴きながら、次に向けられたライフルを高々と蹴り上げた。
銃は使わない。
使わざるを得ない時まで、撃たない。
「くっ、こいつ……手練かっ!」
次々と無手の体術で敵を無力化する中、ついに銃口が突きつけられる。
最後の一人が銃を構える中、反射的に千雪も銃を向けてしまった。
互いの指が銃爪に触れて、ゆっくりとその感触を加圧してゆく。
だが、千雪は次の瞬間――
「なにっ!? 銃を捨て、ガッ!?」
千雪は躊躇なく銃を捨てた。
予想外の行動に、思わず兵士は放られた銃を見てしまう。そして、しまったという顔をしたその瞬間には……銃の放棄をフェントにした千雪が、背後に回ってガッチリと首を極めていた。
手足をばたつかせる兵士の呼吸を、そのまま奪ってゆく。
チョークスリーパーでの秒殺劇を終えて、銃を拾って再び千雪は走り出した。
だが、その背後で立ち上がろうとする、殺気。
全員無力化したつもりだが、当て身の浅い兵士がいたのだろう。
すぐに銃口が向けられる。
「くっ、舐めやがって! 殺さなければ殺される、それが戦場だ!」
刹那、銃声。
振り向く千雪の歩みは、止まってしまった。
硝煙の匂いが漂う中、遠くでは【樹雷皇】が圧倒的な力でミカエルをねじ伏せている。その激突する爆発音と衝撃音も、どこか遠くで空虚に響いて感じるのだった。