第13話「死ねる女、生きる女」
月の裏側で死闘は続く。
狭いコクピットの中で、五百雀千雪は浅い呼吸を刻んでいた。
今、有線制御のセラフ級パラレイド、ガブリエルの広げるグラビティ・ケイジが目の前の敵と自分とを包んでいる。退く場所はなく、その理由もない。ガブリエルは、この要塞都市での限定運用を前提とした、グラビティ・ケイジの出力を特化させたセラフ級のようだ。
そして、眼前にパワーアップを果たしたメタトロン・ゼグゼクスがそびえ立つ。
『五百雀千雪っ! ……こっちの世界でも、ボクの統矢様に逆らって! どうして統矢様の痛み、苦しみがわからない! あの人の悲しみを癒やしてやれる距離にいたのに!』
「私は、常に私の統矢君の側にいます。それに……私の知っている統矢君は、厚顔無恥な卑怯者ではありませんので」
『お前っ、統矢様を侮辱して!』
グラビティ・ケイジへ閉じ込められた空間は、周囲の地形もろとも……その広さは大きく見積もっても、50m四方もない。そして、一緒に閉じ込められた要塞都市の設備はまだ、あらゆる火器で千雪の【ディープスノー】を狙ってくる。
だが、千雪に不思議と恐れはない。
恐怖も恐懼も感じない。
「この拳で押し通ります……貴女、邪魔です!」
地を蹴る【ディープスノー】が、厳つい鉄拳を引き絞る。
メタトロンも増加装甲で膨れ上がった全身のあちこちから、ミサイルポッドを展開、全弾ぶちまけてきた。あっという間にモニターを、白い尾を引くミサイルが埋め尽くす。
だが、【ディープスノー】もまた単独でのグラビティ・ケイジが展開可能な機体だ。
そして、千雪にとってこの巨大なパンツァー・モータロイドは手足も同然。身体の半分を機械に引き換えた彼女にとって、以前よりも親密で身近に感じる存在だった。
前面に重力場を形成して折り重ね、ミサイルの爆炎を弾き返す。
その紅蓮の炎を突き破って、千雪は迷わず拳を解き放った。
『お前は必ず飛び込んでくるっ! 拳と体術、近距離での格闘戦がお前の戦い方だからだ!』
レイル・スルールの絶叫と共に、メタトロンが迫る。
踏み込む千雪に対して、レイルもまた前進を選んだ。
振り抜くことで最大の衝撃を放つ拳が、その直前で受け止められる。
メタトロンの左手が、ミシミシと【ディープスノー】の拳を軋ませた。
「……やりますね。以前よりも、強い」
『当然だっ! ボクは統矢様のためになら、死ねる……お前も、れんふぁ様も統矢様を見捨てたから! ボクが側にいてあげなきゃ駄目なんだ!』
「私は……統矢君のためには死ねません。あの人のためには……どんな姿になろうとも、私は生きて生き抜き、生き続けます!」
完全に右拳を掴まれたまま、徐々に【ディープスノー】が押し負け始める。PMRとしては破格の馬力と瞬発力、突進力と突破力を凝縮した異形の機体……だが、あまりにも質量差が大き過ぎた。
だが、千雪はパイロットであると同時に、空手や柔道で修行を積んだ少女拳士だ。
柔よく剛を制する……千雪の思惟を拾うGx感応流素が、繊細かつ豪胆な動きを【ディープスノー】へと伝えて突き動かした。
『なっ……なにを――』
「邪魔だと言いました! どいてください!」
千雪の【ディープスノー】が、全力で押してくるメタトロンの、その手に掴まれたまま……後へと拳を下げた。突然、反発する力が消え失せた反動で、僅かにメタトロンが姿勢を崩す。
ほんの少しの隙。
一秒にも満たぬ間隙に、千雪は目を見開く。
武道で鍛えた千雪の肉体は、少女としての美しさ、女性としての豊満さの内側に……研ぎ澄ました刃の如き強さを秘めている。それは、身体の大半が機械になった今でも変わらない。
そして……【ディープスノー】はそんな人間凶器とも言える彼女との違いが一つだけ。
「切り裂きなさい、【ディープスノー】ッ! いい子だから!」
【ディープスノー】の両肘には、Gx超鋼であつらえたブレードが生えている。人間とは違って、肘の延長線上に鋭利な刃が備え付けられているのだ。
引いた反動でよろけたメタトロンへと、再度肘を振り抜く。
手応えはない。
避けられたが、同時に拘束も振り払った。
メタトロンは椀部の装甲をパージし、その下から白地にトリコロールカラーの本体を見せた。恐るべき切れ味で、肘のブレードが捨てられた装甲材を両断する。
仕切り直しになって、両者は離れると同時に再び突進した。
千雪には今、メタトロンしか見えていない。
恐らく、レイルにも【ディープスノー】しか見えていないだろう。
だが、二人には決定的な差がある。
致命的とも言える差で、それは千雪には絶対のアドバンテージだ。
『この距離っ、避けられるものかぁ!』
メタトロンが右手で肩に担いだ、巨大なキャノン砲を向けてくる。ビーム兵器の小型化、量産化に成功している未来の地球人が、その技術で出力だけを求めた巨砲だ。
光をあつめて白く輝く砲口へ、迷わず千雪は飛び込んでゆく。
取り回しの悪い巨大な砲の、その内側へと潜り込めば勝ちだ。
だが……不意に千雪は、振りかぶる【ディープスノー】の拳を大地へ打ち付けた。その反動で、六分の一の重力があっさりと巨体を手放す。同時に、すぐ真下で苛烈な光の奔流が迸った。
敢えて外へ、上へと大きく避けた千雪。
それを見逃すレイルではなかった。
重力制御と無数のアポジモーターで、空中での姿勢を整える【ディープスノー】……だが、格闘技で戦う機体は基本的に、両足が地面についていなければ拳に力を乗せられない。生身の時と同じで、腰を入れて重さを速さに変えねば、一撃必殺は生まれないのだ。
『馬鹿めっ! 拳士が地面から離れて、浮いてっ!』
「馬鹿で結構です……馬鹿な女はかわいいと言いますので」
千雪は常々、兄の五百雀辰馬に言われてきた。
全くかわいげがない、と。
そして、千雪は知らない……こんな身体になったことは秘密にしているからか、今でも|皇立兵練予備校青森校区では、誰もが憧れる学園の女神、天使とさえ言われていることを。
常に怜悧な、玲瓏極まりない無表情の千雪。
そんな彼女も、最近はかわいげを探し求め、望んでいるのだ。
好きな人の前では、かわいくありたい……気持ちを分かち合う、あの更紗れんふぁのようにかわいらしい女の子でいた。
だが、その努力が全くもってトンチンカンなため、今も彼女はかわいげを勘違いしていた。
「足場は……あるんですよ。ここは貴方達の築いた要塞都市なので。そして」
ズシャリ、と手近なビルの壁面に【ディープスノー】が着地する。そのまま大地を見上げるようにして、身構える。踏み締める脚力で、ミサイルランチャーをむき出しにしたビルが崩れ始めた。
今、【ディープスノー】はビルの壁に立って、足場を破壊しながら踏み込んだ。
同時に、周囲を覆って外部から隔離してたグラビティ・ケイジが消える。
『なにっ!? どうしたガブリエル……ガブリエルッ!』
『やらせていただきました、っとくらあ! おう、愚妹! ブン殴れ!』
ガブリエルは停止していた。
その背のケーブルを今、兄の89式【幻雷】改型壱号機が一閃する。のたうつ蛇のように暴れて、切断されたケーブルが周囲の設備を破壊しながら落ちていった。
電源を喪失したことに気付いた黄色い人型パラレイドは、振り向いた。
その瞬間を、辰馬の仲間達は決して見逃さない。
『沙菊、撃ちまくって! 援護! トドメはあ、アタシがあああああっ!』
赤い閃光が走る。
改型伍号機の88mm砲が火を噴く、その着弾の道案内で改型四号機が走った。その両手に、逆手に握られた大型のダガーが光る。単分子結晶の刃が、ガブリエルの単眼を交互に刺し貫いた。
そのまま首に両足でしがみつくようにして、更に腰の背部からパイルトンファーを取り出す。突然の強襲に振り向くレイルが、声も表情も失う気配が千雪にも伝わった。
『まずっ、一機っ! こいつでっ、ダメオシッ!』
ラスカ・ランシングの絶叫と共に、捩じ込まれたパイルトンファーから空薬莢が飛び出した。脳天を刺し貫かれて、ガブリエルがその場に動かなくなる。
その瞬間にはもう、千雪は必殺の距離にメタトロンを捉えていた。
「この距離っ、外しませんっ!」
『チィ! アーマーをパージッ! フルアーマーがなんで、何分も持たないでっ!』
とうとう全身の増加装甲を、メタトロンは全てパージした。右肩の大砲も外した上で、それを千雪の【ディープスノー】へと投げつけてくる。
だが、千雪は避けない。
直撃しないからだ。
『千雪っ、そのまま突っ込め!』
『統矢さんっ、マーカー・スレイブランチャー全機展開しますっ! フルコントロール!』
【ディープスノー】のグラビティ・ケイジを、その外側から更に大きな領域で【樹雷皇】が包む。垂直発射セルから発射された無数の無人浮遊砲台が、れんふぁのマニュアル操作で障害を排除した。
爆発の中へと飛び込み、突き抜けて……千雪の拳がメタトロンを捉えた、その時だった。
真空の宇宙を揺るがす、獣のような絶叫が響き渡る。
同時に、摺木統矢の声で千雪は僅かに踏み込みを鈍らせた。
ギリギリで避けられた拳の横で、メタトロンが背から光の剣を抜刀する。
そして……振り向く先で、爆炎に崩れ落ちるビルの影から……恐るべき影が立ち上がった。
『千雪さん、離脱を……あれ、まだ動きますっ! 紫の一本角、ミカエルが動いてます!』
『奴は俺がれんふぁとやる! 無理するな、千雪っ!』
先程、狙撃用の超巨大ビーム砲を千雪は破壊した。その爆発の中へと、射手であったミカエルは消えた筈だった。
だが、振り向く先でその巨躯が、ゆっくりと立ち上がる。
その顔は今、耳まで裂けた口を開き、激昂に慟哭する鬼神のような形相だった。