第10話「決戦に備えて」
リレイド・リレイズ・システムを守る、謎の要塞都市。そして、有線動力により無限のエネルギーを得て戦う、三体のセラフ級パラレイド。
五百雀千雪達、フェンリル小隊の強行偵察任務は驚きに満ちていた。
そして、そのまま戦端が開かれ、敗走に近い形での脱出。
合流予定地へと辿り着いても、激戦の予感が千雪の緊張感を高ぶらせる。
「とにかく、統矢君もみんなも無事でよかったです。……統矢、君?」
千雪の【ディープスノー】は今、通常のパンツァー・モータロイドより一回りも二回りも巨大な機体で、摺木統矢の89式【幻雷】改型零号機を支えていた。
宇宙戦仕様に換装され、姿勢制御用のスラスターやアポジモーターを増設された改型零号機……そのデリケート過ぎる操作感に、統矢はついていけなかったようだ。だが、無理からぬ話だ。千雪の兄、あの五百雀辰馬でさえ扱いきれず、過去に擱座させてしまったいわくつきの機体なのだ。
なにはともあれ、全員の無事の帰還が千雪に安堵感をもたらす。
合流地点は既に仮設の基地が設営されており、巨大な【樹雷皇】も低空に浮いていた。宇宙服の係員が誘導する中、大きなクレーターへと千雪は機体を降ろす。
『……千雪、こいつは……なかなか半端じゃないな。改型零号機……どうりで封印されていたわけだ』
「ですね。なので、決して統矢君の操縦が未熟な訳では――」
『ん、いや……ただ、辰馬先輩やラスカ、お前なら、もっと上手く扱うんだろうと思ってさ』
着地させた【ディープスノー】が、改型零号機を支えていた手を離す。
六分の一の重力の中で、漆黒の機体がよろけてそのまま倒れ込んだ。ただ立つだけでも、神経をすり減らすような操作が続く……それが改型零号機だ。究極の追従性と運動性は、どこまでも乗り手に極限の集中力を要求してくる。
かろうじて両手を地に突けば、周囲に砂塵が舞い上がる。
誘導係や整備の人間がやってくる中、コクピットから統矢がずるりと這い出た。
千雪もパイロットスーツの気密を確認してから、ハッチを開放する。
「統矢君、大丈夫ですか?」
憔悴しきった様子で脱力する統矢は、地面にふわりと弾んで少し浮く。そんな彼を避けて、多くの人員が改型零号機の整備へ向かった。千雪の【ディープスノー】にも、既に専門のスタッフが取り付いている。
千雪は優雅に真空を泳いで、統矢の腕を抱き寄せた。
ヘルメット同士をコツンと押し当て、バイザーの向こうの表情を覗き込んだ。
そこには、珍しく萎縮して悔しさを滲ませる統矢の顔があった。
「統矢君、とりあえずドームの方へ……少し休みましょう。多分、報告等は兄様達がやってくれますから」
『あ、ああ』
仮設の基地には、かつて宇宙開発華やかりし頃の遺産が並んでいる。特殊ビニールを幾重にも編み込んだ、半透明のドーム……100m四方程の大きさで、エアロックの向こうに地球と同じ大気と気圧を再現している。長時間の作戦中、ずっとパイロットスーツにヘルメットではストレスが溜まるからだ。
他にも、機体を失ったパイロットや、整備員等を乗せる帰還船。
遺棄された宇宙ステーションも、そのまま地表に固定されて作戦指揮所になっていた。
ドームに向かって千雪は、統矢の手を引きつつ大きく一歩を飛ぶ。
『情けないな……普段乗ってる【氷蓮】とは、まるで別物だった。千雪達は……戦技教導部のパイロットはみんな、あんな過激な仕様を乗りこなしてるのか』
「ピンキリですよ、統矢君。改型零号機は特別ですから」
やはり、統矢は少しショックを受けたようだ。
今、統矢がいつも乗っている97式【氷蓮】サードリペアは修理中だ。大きな戦いの都度、損傷して破壊され、何度も立ち上がってきた。修理される度に、より強く、より頑強に……その姿は、PMRを含む兵器や機械が大好きな千雪には、いつも痛々しく思える。
だが、それこそが統矢の不屈の闘志を体現するものだったのだ。
そして、復讐から始まった彼の戦いは、今は違う形で少年を縛っている。
この世界を脅かすパラレイドの正体は、別の世界線からやってきた摺木統矢……もう一人の統矢なのだから。
千雪の心配する気持ちが、ついつい体温を求めてしまう。
しかし、真空の宇宙ではお互いパイロットスーツ姿、生まれたままのシルエットに限りなく近いのに、肌を曝け出すことは許されなかった。
そんな時、短波通信で聞き慣れた声が響いてくる。
『統矢さんっ! 千雪さんも! おっ、お疲れ様ですぅ~』
ふわふわとこっちにやってくるのは、更紗れんふぁだ。
彼女は危うい歩調で、千雪の胸に飛び込んでくる。
統矢を抱き寄せる手とは逆側で、千雪は軽い感触を受け止めた。
『れんふぁ……その、すまん。【樹雷皇】は? お前は、平気だよな。よかった……怪我とかなさそう』
『う、うんっ。わたしは平気……【樹雷皇】も損傷軽微、応急処置でなんとかいけるって。でも、びっくりしたぁ。グラビティ・ケイジが無効化されるんだもん』
れんふぁの笑顔を閉じ込めたヘルメットを、統矢は手で触れ、撫でてようやく笑う。
千雪が統矢の肉体と命を守れるように、れんふぁもまた彼の心と気持ちとを守ってくれる。そして二人で、過酷な運命へと抗う統矢を支えたい……そういう決意と覚悟を約束していた。
だから、二人で同時に一人の少年を愛していても、全く気にならない。
それに、以前から不思議とれんふぁは千雪にも懐いて、友人以上の存在として接してくれる。その理由を以前、千雪は少しだけ聞いたことがあった。
この世界線へと【シンデレラ】と共に次元転移するまで、れんふぁはあちらの世界線の五百雀千雪に面倒を見てもらっていたという。母であり姉であり、厳しい教官だった人……千雪自身は、まだ見ぬ平行世界の自分へ想いを馳せたものだ。
「さ、二人共。ヘルメットの脱げる場所まで行きましょう。統矢君も、少し休めば気持ちも切り替わります。それに」
『サンキュな、千雪。れんふぁも。……それに?』
「それに、今日の統矢君のマニューバにはミスが多過ぎです。軽くチェックして、反省会が必要、ですね」
待ってましたとばかりに、れんふぁが例のタブレットを取り出した。宇宙でも使えるようにシーリングされたそれは、今は割れた液晶パネルも交換されて新品同様だ。
以前は、更紗りんなの遺品として絶対に統矢はこのタブレットを手放さなかった。
今ではもう、千雪やれんふぁを信用して預けてくれることも多かった。
『げっ、反省会……そ、そんなに酷かったか?』
『統矢さんっ、いつもの【氷蓮】じゃないんですからねっ? 安易に【樹雷皇】と分離し過ぎですぅ』
『それは、だって……グラビティ・ケイジが消えて、お前が危なかったから』
『うう……それはぁ、そうだけど……』
思わず千雪は、二人を左右に抱き寄せた。
ちょっと恥ずかしそうに統矢はそっぽを向いてしまったが、れんふぁは人目もはばからず抱き返してくる。周囲は無数のPMRが出撃準備で最終調整中、皆が忙しく働いていた。
そして、パイロットは休むのも任務の内だ。
千雪達は今、決死の強行偵察任務から生還したばかりなのだ。
そんなことを考えていると、不意にれんふぁが頭上へ手を伸ばす。
『千雪さん! 統矢さんもっ! 空、凄いですよぉ? 満天の星空ですっ』
身を寄せ合う中で、千雪も見上げて言葉を失う。
統矢が息を呑む気配だけが、回線越しに耳に伝わった。
月の裏側から見上げる宇宙は、途方もなく広い。そして、闇に沈む極寒の月面からは、無数の星が瞬いて見えた。心なしか、地球で見上げる星空よりもずっと近くに感じる。
その星を数えてまわるように、すらりとした細い腕をれんふぁが伸ばし続ける。
『……なんか、不思議、です』
「なにがですか? れんふぁさん」
『わたしのいた世界は……覚えてる限りの記憶を繋いでみると、ですけど……異星人との戦争を経験してるんです。こうして見上げる星の、そのどれかから来たのかなあって』
「そうでしたね。もしかしたら、まだ見ぬ遠い星から来たのかもしれません」
『せっかく、こんなひろーい宇宙で出会ったのに……どうして、戦っちゃうのかなぁ』
そのあたりの事情は、酷く不鮮明だ。
全てを知る者達、リレイヤーズ……パラレイドを追って来た御堂刹那は、真実を全ては語ってくれない。そして、彼女達が成長するための遺伝子情報と引き換えにして、この世界線を守ろうとしてくれている。
そんな彼女達の生まれた世界は、巡察軍と呼ばれる地球外知的生命体との戦争を経験した。開戦理由などは定かではないが、多大な犠牲の上に停戦、そして終戦へと動き出した中……徹底抗戦を訴えたのが新地球帝國大佐、もう一人の統矢なのだった。
「こっちの世界の私達は……銃口ではなく、笑顔で迎えたいですね。他の星から来た人には」
『ですですっ! 統矢さんも、そう思いますよねっ』
『……ああ。パラレイドとの戦争がこんなに続いたんだ。もう、戦いはまっぴらだよ』
統矢の言葉には、不思議な重みがあった。
しみじみと染み渡り、その中に秘めた想いが伝わってくる。
しばらく三人で星を見ていると、不意に背後からポンと頭を叩かれた。
振り返るとそこには、宇宙服姿でもはっきり個人を特定できる声が響き渡っていた。
『自分ら、呑気でええなあ? 千雪ちゃん、【ディープスノー】はええで。損傷ナシ、操縦が丁寧やから負荷もかかってへん』
整備の人間として同行してくれた、佐伯瑠璃だ。彼女は千雪を褒める一方で、統矢の首に両腕を回した。そのまま背後から密着するように締め上げる。
『統矢、おーまーえーはー! なんやの! まるであかんやないの!』
『すっ、すみません、瑠璃先輩! でも、あの機体――』
『なんやの? 改型零号機のせいにするん?』
『……や、言い訳は、しない、です。俺は……操縦が上手くない』
『今はな、今は。それとなあ……自分、ずっと【氷蓮】やさかいな。気付いてへんやろ? 【氷蓮】も今はサードリペア、何度も修復する中で統矢の操縦に最適化され、統矢の癖を飲み込み吸収するチューニングになっとるんよ』
そう言って、瑠璃はグイと統矢を振り向かせる。
れんふぁと一緒に視線を巡らせれば、向こうの方で開封されるコンテナがあった。
その中から、包帯を思わせるオレンジ色のスキンタービンを巻かれた、紫炎色のPMRがデッキアップされる。
修復を終えた【氷蓮】は、以前とは全く印象が異なっていた。
『パーツがな、桔梗が融通してくれたもんを合わせても、やっぱアレコレ足りへんのや。頭部は一時的に【幻雷】のもんになったけど、かんにんな。メインカメラは相変わらず、右側が死んでる。せやけど、補正ソフトで調整しとるから問題ない筈や』
隻眼をバイザーで覆われ、アチコチ未塗装の部分があるようだ。パッチワークのようにまだらな銀色は、塗装する時間すら惜しんで組み付けられた補修用のパーツである。
千雪は、統矢がようやく普段の闘志を取り戻してゆくのを感じていた。
応急処置が完了した【樹雷皇】へ搭載するべく、すぐに【氷蓮】は運ばれてゆくのだった。