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いい加減にしてよ、姉さん

作者: はとむぎ茶

猫系気まぐれお姉ちゃんと不器用な世話焼き弟っていいよね!いいよね!!という想いを込めました。楽しんで頂けたら嬉しいです!

「トモ、どこいくの? ご飯は?」

 上がり框に腰掛けて少々格闘していたものの、おろしたてのスニーカーは思ったより固くて靴紐を結びにくかった。洗濯といい朝の掃除といい、もうちょっと手早く済ませていたらこんな寝ぼけて間延びした声を聞かされることも無かったのに。ほぞを噛むとはこのことだ。

「いいだろどこだって。夕飯まで食ってくるから」

 ぺたぺたとした足音の主を振り返る。重たげな瞼を擦っていた(かず)()姉さんは俺の態度に低く唸った。ただでさえ小柄な上に、寝間着代わりの着古したTシャツ姿だからちっとも怖くないけれど。パンツが裾からちらついてるのによく堂々と凄めるものだ。無論、嬉しくもなんともない。俺が洗って干してるんだから。

「ひど、ショクムタイマン! いたいけな姉を見捨てるのか、あたし一人で狩れるわけないだろ~」

 高校生の身で、俺はいつから何の職務に励んでいたのか。(いたい)()、そして姉という言葉を辞書で引いてみるべきだ。自分から意気揚々と買ったゲームで何故に俺に頼り切るのか。毛羽立ったカラスみたいなぼさぼさ頭で起きてきて真っ先に言い出すことがそれなのか。汲めども汲めどもキリが無い突っ込みを無理矢理潰して溜息に押し込む。両手をぶらぶらと振り回す姉さんに俺は目つきを尖らせてしまった。

「飯は冷蔵庫、チンして。洗濯干しといた。取り込むくらいはやって」

 それだけ突きつけ靴紐を結びきる。背を向けてみても姉さんの不服っぷりは伝わってきた。それはもうあからさまに、少し露骨過ぎるくらいに。にわかに重たくなった腰を俺はすぐさま持ち上げた。立ち上がれなくなる前に。

「いい加減、弟離れしたら?」

 姉さんと目を合わせないようにして、俺はそのまま玄関を出て行った。後ろ手に荒っぽく閉めたドアがバタンと嫌な音を立て、俺から姉さんを切り離す。

「行ってらっしゃい、がんば」

 ほんの微かな囁きは、俺には聞こえやしなかった。姉さんの浮かべた表情なんて勿論見えやしなかった。


 腰を下ろした公園のベンチで、意味も無くスマホを引っ張り出してまたも時間を確かめる。初夏の日差しはさんさんと眩しく、画面がやたらと見辛かった。とはいえ何度見ようがそう変わらない。待ち合わせた時間からまだ三十分も経っていない。背中を深く預けると、風雨に晒された背もたれは小さく軋んだ。

『そういう付き合い方、ほんとむかつく。それだけ』

 キリ、と耳障りに歯が鳴って、慌てて俺は顎を緩めた。今更思い返して何になる。済んだことだ、終わったことだ。きめ細やかに練りあげておいたデートプランはその一欠片も果たせなかった。けんもほろろ、取り付く島も無い。そんな言葉の使いどころをこの身をもって学ばされた。言い放つが早いが背を向けて足早に去って行ったあいつは、今や俺の彼女では無かった。多分今日よりずっと前から。

「くっそ……」

 すっきりとした晴天を木々の緑が縁取り、遊具のあたりからは幼児のはしゃぎ声が聞こえてくる。絵に描いたような穏やかな光景がどうにも胸を逆撫でて、俺は思わず目元を覆った。

『元カノ? 片思い? まぁいいんだけどさ、(とも)(ひろ)は誰を見てるわけ?』

 後悔は先に立たないものらしい。遮ったはずの光景に代わり目の前に浮かんできやがったのは、固く腕組んだ彼女のしかめ面。いや、元カノだ。ついさっきから。こめかみに指先が食い込んだ。

「好き勝手言いやがって」

 吐き捨てた言葉は刺々しかった。腹のあたりのむかつきと喉に覚えたいがらっぽさは俺の頭に血を上らせた。リュックに突っ込んでおいたペットボトルを軽くへこむのも構わず引っ張り出す。

「不味」

 派手に流し込もうと煽ったはずが、たった一口でうんざりするなんて。目の前でゆらゆらと振ってみたけど、どこからどう見ても自販機でお馴染みの紅茶だった。素人が雑に淹れたわけじゃあるまいし、ペットボトル飲料の味がそうそうブレるはずは無いのに。この分じゃ、用意しといた諭吉を今からすっからかんにしたところで誤魔化すこともできないだろう。

「あーあ……」

 もう一度スマホを取り出したけど、時間はナメクジみたいにのろまだった。一ちぎりの雲も無い青空を仰ぎ見て、俺は息をつくしかなかった。

 

 個人的なことだけど、世の中気の持ちようだ! とか世界は貴方の捉え方次第! みたいな説教臭い話が俺は嫌いだ。黴臭い精神論には鼻をつまみたくなってしまう。だから、一時間ちょっと前には後ろ手で乱暴に閉められたドアを、今は真正面から向き合っているのにやたらと重たく感じてしまうのがどうしようもなく癪だった。

 父さん達は家にいるほうが珍しい。姉さんは二度寝かゲームだろう。足音を忍ばせながら誰もいないリビングまで辿り着き、リュックをソファの横に下ろすと全身の力が一気に抜けた。柔らかな感触にぼふ、と身体を沈めこむ。

 煮えくり返っていたはらわたはいくらか火の手が弱まってきていた。出来ればこのまま目を瞑りたい。一日ぼけっとしていたい。ささやかな願い事だったけど、虚しいことに階段を降りてくる足音が聞こえてきてしまった。考える前に両手が動き、頬にぴしゃりと痛みが走る。ちょっとはマシになっただろうか。

 俺が背後を振り返るのと、引き戸の影から姉さんがひょこりと顔を出してきたのは殆ど同時のことだった。猫のような細い瞳が俺のだらけた姿をなぞる。

「……予定変わった。一狩りする?」

「んーにゃ、気分じゃない」

 ついさっきの発言を平然と翻しながら姉さんはぺたぺたとリビングを横切った。流石にちゃんと着替えたのか、ボトムスに濃紺のスキニージーンズを穿いている。くたびれたTシャツはそのままなのに、髪を整えピアスを付けたらモデルみたいにも見えてくるからお洒落ってやつは侮れない。

 そんな雰囲気を帯びながら姉さんが向かった先は所帯じみた台所だった。冷蔵庫を漁りにでも来たんだろう。美人の無駄遣いとしか思えない。

 俺はといえば、足腰にも背中にもまるで力が入らない。ソファに身体を預けているのか、それとも力を吸われているのかわからないような有様だ。かといって今ここでしたいことも無く、スマホを取り出してあてどなく画面を眺めるばかり。強いて言えば部屋に戻ってだらんと不貞寝でもしたいけど、歩くどころか立ち上がるのも億劫だった。気力の糸がことごとく、ぶっちり千切れてしまっている。しばらく振りの馴染み深い感覚だ。忌々しいことこの上ない。

 カチャカチャと食器が触れ合う音を聞くともなしに感じながら俺はそのままぼんやりしていた。脳が怠さでやられていると、がさごそと何かを探す気配も漂ってくるかぐわしい香気もただそれだけの情報にしかならない。ばらばらのまま、それら同士が繋がらなかった。あるいは繋げなかったのかもしれないけれど。

 とはいえ、目の前のテーブルにお盆が置かれ、否が応でも目に入ってくるとそうも言っていられなかった。若草色の新茶が眩しい。お茶請けのクッキーも並べると、一仕事を終えた姉さんは俺の隣にためらいなく座り込んだ。肘が触れ合う距離だった。

「何さ」

 細くて薄い両の手で自分の湯呑みを包み込み、姉さんはそっと一口啜った。満足げに頬を緩めた後も返事は返ってこなかった。

「何」

 曲がったへそが声色に滲む。俺は思わず唇を噛んだ。視線だけをおずおずと向ける。姉さんは真っ直ぐこっちを見つめていて、黒々と深いその瞳に俺のことを写していた。肩が勝手に跳ねて竦んだ。

「まー、たまにはね、貸しでも作らんとね」

 お菓子だけに。と安直な駄洒落を重ね、姉さんはクッキーを口に放り込んだ。甘さを噛み締める横顔は普段通りの姉さんそのもの。にんまりとしながら次の一枚に手を伸ばす。気分屋で、いい加減で、平気で俺に甘え散らかす。いつもの姉さん過ぎるくらいで。

「バカ」

 俯いたせいで声が曇った。喉が狭まったんだから当たり前だ。ただの自然現象だ。両手を固く握り込む。

「うん、あたしバカだよ。トモと違って」

 湯呑みを置いた姉さんがぼす、と背中をソファに預けた。姉さんの表情は俺からは見えない。となれば当然、俺の顔つきも姉さんには見えない。

「姉さんのバカ」

「わかってるって」

 重ねた罵倒を姉さんはへらへらと受け流す。本当に何でもないことみたいに。こんなことは年に一度もしないのに。せめて自分の茶碗は下げろと母さんが口を酸っぱくしてものらりくらりとしている癖に。

「ほら、冷めちゃうぞー。あたしの淹れた茶が飲めねぇっての?」

 飲んだくれみたいな物言いと共に背中を叩いた手のひらは、耐えられないくらい温かかった。信じられないほど柔らかかった。

「うっさい」

 勢い任せに身を起こし、姉さんの手を払いのけようとした。もし触れたままでいたら、撫でられでもしてしまったら。危ぶむより前に、思考よりも早く俺の身体は反応していた。間の悪いことに姉さんは俺の肩を掴もうとしていて、考えなしに動いた俺は思いきり重心を崩してしまって。ぐらりと傾く世界の中で姉さんの顔が瞳に焼き付く。あ、と言わんばかりだった。

「あたた……」

 姉さんの声が上から聞こえる。くすぐったく、むず痒い気分だった。俺が中学に上がった頃にはもう姉さんの背丈を追い越していたから。

 顎か鎖骨か、固い部分が額に当たる。さらさらとしたTシャツの布地を感じた。何も見えない。甘酸っぱい匂い。頬に返ってくるむにっとした弾力。少しだけひんやりもしていて、やわらかい。しなやかで細い。伏せたお椀よりは低く、平皿よりは高いもの。カチ、と思考の歯車が嵌まる。

「ごめ、ちがっ」

 手をつける場所を手探ろうとして、そもそも下敷きになった腕が抜けなくて、頭の中が青くて白い。引いていく血の気が肌へと巡る。むにゅ、と当たる感触が左胸に火をくべてきて。

「はーい貸し二つ目。ねーちゃんのおっぱいは高くつくぞ? 金利もつくぞ~」

 だらっとした吐息が耳を掠める。頼りない柔腕が俺の頭を絡め取っていた。平然と、惜しげもなく、大切な場所へと閉じ込める。うなじが熱ぼったい。息が出来ない、だって吸えない。固く閉ざした瞼の裏に、その向こう側がおぼろげに浮かぶ。まろやかな膨らみ、姉さんの華奢さ。離れろバカ、と命じた手足は痺れるばかり、凍てついたまま。

「だいじょぶ。貸しだから、ね?」

 指が頭皮をくすぐった。しゃりしゃりと髪が鳴る音。とん、とんと叩く小さな手のひら。何てことのない物音が骨身をするりと潜り抜け俺の内へと滴り落ちる。息を抑えて吐き、吸った。姉さんの匂いがあたたかい。

「……うん」

 俺の言葉は子供のようで、自分のものとは思えなかった。根元まで強張っていた手足に温かなものがまた行き渡る。右腕を引き抜こうとするのに合わせて姉さんはその身をよじってくれた。晴れて自由の身となったのに、頼るべき俺の利き腕は華奢な肩へひたと寄り添う。俺よりずっと細くて脆い。たおやかで、軽くて、折れそうなくらい儚げなのに。

「返済はいつでも。ローン千穂はお客様本位、大変寛大なのですよ」

 営業スマイルとセットになっていそうな、でも絶妙に噛み合わない声色だった。寛大なんてどの口で言う。右頬のあたりが煩いじゃないか。奥から響いてきてるじゃないか。

「…………ありがと、姉さん」

 もぞもぞと動くと隙間が消えていく。谷間に深く溺れ収まる。少しだけ汗ばんだ気配。腕がひとりでに姉さんへ沈んだ。気付けば足が絡んでいた。駄々を捏ねるガキみたいな有様。呼吸が深く、長くなる。

「いいよ」

 俺にさえ辛うじて届いた囁きは、俺と姉さんだけのもの。姉さんと俺しか知らない言葉。姉さんはそっと背中をさすってくれた。ずっと一緒に居てくれた。

 

「ちゃんと見つけんだぞ、ねーちゃんみたいなイイ女」

 体温が交わるくらい抱き締めて、ほつれてしまうまで包み込んで、微睡みの一歩手前まで誘った俺にこんな言葉をかけてくる。姉さんはバカだ。本当に。

「……胸を貸し付けてくる女の子は嫌なんだけど」

 甘い柔らかさに縋りついたまま返事を濁した俺も俺だ。血は争えないってやつなのか。

「グチグチ言ってると行き遅れるぞ~」

 しっかりと俺を捕まえたまま、姉さんは俺の刈り上げをわしわしと弄くってきた。遠慮の無い手つきに腹がざわつく。

「うっさい。何だよ男の行き遅れって」

 多少は棘の戻った切り返しに姉さんは小さく笑うのみ。そりゃそうだ。赤ん坊みたいに抱き着いたまま口だけ尖らせて何になる。首筋のあたりがじりりと熱い。

「ま、どーにもなんなくなったら貰ってあげっから」

 姉さんはあっけらかんと言い放ちながら俺の頭をまた抱き寄せた。にへらとした口元が目に浮かぶ。

「逆だろ、それ」

 言い返した、というよりは聞こえてきた。耳を打って、骨に響いて、初めて俺はその言葉を知った。

「ふぅん、そこ?」

 悪戯っぽく姉さんが茶化す。腕だけじゃなく、脚だけでもなく、その身全てで俺のことを包み込みながら。肩甲骨が浮き出した肩を、かっと温度を上げた頬を、黙りこくったバカな俺を抱いてあやしてくれながら。

「ねーちゃんが一番って思ったら、いつでも。ね?」

 密やかな囁きに俺は何も言わなかった。何一つ言えやしなかった。いい加減にして欲しい。だってこんなの、あまりにも。

※この作品はフィクションです。登場する人物・団体・名称・出来事等は架空の存在であり、実在のものとは関係ありません。

また、この小説はエブリスタ、pixivにも掲載しています。

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