第88話 赤に染まる⑥
私の視線に気付いたのか、ボスが視線だけで頷いた。
「新くん、襲撃に気を付けて。適当なところで停めて戦闘することも考えて走っ…と、撃って来たね」
「北北東の崖の上です」
「走る車内からあんな距離狙えません。しかも自分が座ってる方と逆とか無茶言わないで下さい」
このまま進めば、囲まれる可能性は増す。だがひとりしか認識出来ない。まさか、単独なのか。それとも自動車を停めたところを襲って来るのか。
「少し遠回りになりますが、南東にある崖の間に道があるはずです。そこを通ってはどうでしょうか。襲撃には向かない地形です」
「戦闘は出来るだけ避けたいからね。そうしようか」
何年か前に恐らく一度通っただけの道がそのままだと良いが。崖崩れでも起きていたら、袋小路だ。
進行方向を変えると、予期していたかの様に弾が飛んで来た。
「止まって下さい」
勢い良く止まった車体の先端に弾が当たる。そのまま走っていれば燃料タンクに当たったかもしれない。腕が良い様子だな。
「弓弦くんはここから相手を狙い、絢子くんはその支援。新くんは右手、佐治くんは左手の様子を見て来て。沙也加くんはいつでも出発出来るように運転席へ」
2人がボスを襲った場合、対応出来るだろうか。
「車を傷付けると総代に怒られるんだ。修理代をもらって来てくれるかな。内臓は保存するものがないから必要ないよ」
これは相当怒っているのでは。
「私も行きます」
「足手まといになるだけだよ。ここにいなさい。4人は早くあの不届き者を片付けに動いて。これ以上傷を付けないようにね」
返事をし、自動車を降りる。
「走ってないからって、こんな距離無茶苦茶です。相手が当てられたのは、こっちの的が大きいからなんですよ」
「燃料タンクの場所を知っていますか」
本部に赴く際ボスが解説してくれた。図鑑で見たこともあったため一応覚えてはいたが、実際に見てみると想像と違う部分もあった。
あの出来事が、遠い昔の様な感覚だ。
「そんなことが出来るなら全員とっくに死んでますよ。走ってませんし、頭くらい狙えます」
「そうですか。では指示通り撃って下さい。先ずは2.5km先にある木の幹です。下から15cm出来るだけ中央」
苦笑いをしながらも構える。
弾が飛んで来る間隔からして、ひとりだと思われる。弾が乱れているのはわざとかと思ったが、違うのか。
深呼吸をひとつして、引き金を引いた。
「下から14cmですね。左右は狙った場所へ当たりましたか」
「右に3cmズレましたが、この距離なら狙い通りと言えます。ですが…」
「分かっています」
相手はその木の0.2km奥にある木の上にいる。
しかも的は人間だ。動かない木とは違う。間違いなく弾には気付いたはずだ。さらに距離を取られるかもしれない。
ただ、相手は人間だ。思考をしない木とは違う。
「佐治さんが上手く誘導してくれるはずです」
「そういえば、いくら崖の上だからって着くのが遅いですね。回り込んでるんでしょうか」
「恐らく。1本奥の木の枝を揺らす様に撃って下さい。右側です」
この距離でもおおよそ狙い通りに当てられると思わせることが出来れば良い。こちら側へは近付きたくないだろう。これで動きが各段に制限される。
退散するかもしれないが、その方向には佐治さんがいる。仮に仕留めることが出来なかったとしても、こちら側へ来れば弓弦さんが仕留める。
指示した場所を揺らすことは出来た。しかし、何故だか動かない。少しずつ自分に脅威が迫っている。距離を取るか、突っ込むかの二択ではないのか。
脅威に対応しない理由。
指示、だろうか。指示が細かいとことまでされているために、動けない。そう考えると、相手はひとりではない可能性が増す。
「ボス、崖の上の空気に動きがありません。回り込む者を待ち伏せていたのかもしれません。向かわせて下さい」
「新くんの方は」
「戦闘になっている様子はありません」
「絢子くんは佐治くんの方へ。念のためスミレくんは新くんの方へ」
スミレさんを向かわせることを、沙也加さんは少々反対するかと思った。
では誰が行くのか、となれば沙也加さんだ。行けば車内には捕らえた2人とボスのみになる。それが不味いことは分かっているのだろう。
「弓弦くんへの指示は車内から私がしよう」
ほんの少し開けた窓から私と弓弦さんの会話を聞いていたのか。銃声や弾を弾く音の中だ。簡単なことではないはずだ。
返事をし、佐治さんが向かったと思われる道を進んで行く。大勢が動く空気を感じ、一先ず岩に身を隠す。
12人に誰かひとりが囲まれている。囲んでいる者の動きはそこまで鍛錬を積んではいない。ただ、数が数だ。
すぷれーは使ってしまった。全員迷彩模様の服を着ているのだろう。どれが血か分からないため、異能の発動が出来ない。
無暗に突っ込んで行って良いものか。
「まだお仲間が隠れているね。怖くなったのかな。可哀想に。僕がすぐに怖くなくしてあげるから出ておいで」
尻込みして隠れる様な者は、ろくな者ではない。そういった者ほど、動きが読みにくい。一緒に相手をする利点が全くない。
つまり私に、なんでも良いから早く手伝え、と言っているのだろう。
こちらに完全に背を向けている3人の内2人と、その右隣のひとりくらいは一気に仕留められるか。
左はこの中では強い。2番目以降であれば刃物を防がれる可能性は十分ある。先ずは数を減らすことを優先した方が懸命だ。
狙い通り仕留め、佐治さんと背中合わせになる。
「12指示、1,4,8左脇、2,6,7右腕、3,5右肩」
襲って来る者たちの相手をしながら小さな声で伝えられた。
12人が円になっていた。数字は時計の文字盤だろう。方角が分からない可能性を考えて、目印となる人物を初めに言ったと考えるのが妥当か。
司令塔がいなくなれば統率がなくなる。始末しておくべきだったっか。…反省は後で良い。それより、他の者の部位だ。
これは恐らく、怪我をしている箇所だろう。庇って動いている。
異能『赤い靴』
「あの者を殺せ」
一斉に動き出すが、全員殺されてしまう。元の戦闘力がない。仕方がないか。深い傷を負わせられていれば良いが。
「呪術使いか。商品にしようかと思ってたが、そっちの方が良い値で売れそうだな。ラッキーだぜ」
山賊だな。異能の言い方や口ぶりからして、楠巌谷が雇ったわけではなさそうだ。何度も通っているはずなのに、何故今襲って来る。
偶然ではないとして、その理由が分かるとすればこの者だろう。
「自分が相手をし…」
「いいえ、佐治さんはスナイパーをお願いします」
「はい」
男が嫌な笑みを浮かべる。
「行かせて良かったのか?多少はやるようだが、所詮は幼い女だ。しかも銅バッヂなんか付けてるお嬢ちゃんときた」
「心配無用だ」
ボスが待っている。早く片付けなければ…と意気込んだが、ひとりでは大した戦力ではなかったな。指示出しが上手い多少強い者、というだけか。
なにも聞けなかった。成長していないな。
崖の上では多くの弾が飛び交っている。私が判断を誤ったせいで、佐治さんにばかり戦闘させてしまっている。やはり私には…それより早く向かわなくては。
多くの者を相手にして動き続けていた。息は上がっていなかったが、そろそろ多少は休まなければ怪我をする可能性が増す。
「佐治さん、少し下がって休んで下さい」
「大丈夫です。相手は3人ですが、場数を踏んでいます」
「下がれ」
しまった。強く言っても良いことなど起きない。
「私が判断を誤ったせいで怪我をさせてしまっては、貿易のボスに顔向けが出来ません。ボスの無実が証明されるまでは、主とすると決めたのです。息が上がり始めています。90秒で整えて下さい」
無理に佐治さんを追わないか。しかし装填の時間は撃つ者が2人になり、それなりに時間がかかっている。技術を場数で補っているのか。
自動車を狙っていたであろう者の死体が転がっている。別の団体と考えて良い。複数の団体が同時に同じ場所に現れたのか。
90秒耐えるだけなら簡単だが、出来るだけ早くボスの元へ戻りたい。新さんとスミレさんが向かった方も気になる。
複数の団体であれば、統率があるとは思えない。無理をして傷を増やすより耐えて一気に叩いた方が無難だ。
「っ…!」
今の息を呑む様な声は佐治さんのものだろうか。流石に3人の弾を弾きながら振り返ることは出来ない。
刃物がぶつかり合う音がしている。一体いくつ団体がいる。
「お前たち。私の背後にいる団体の相手を3分すると言うのなら、金目の物を置いて行く。私に雇われないか」
軽く目配せすると頷き合い、銃の引き金へかける指を緩めた。佐治さんが襲われている団体は、岩の向こうにいる。私に背を向けた瞬間が勝負だ。
難なく3人の首を切り、岩を超える。無駄に長い刃物を持った5人を2人で相手にすることは簡単だった。
「性格が悪いですね」
「私が攻撃しないことは条件に含まれていません。受け取る相手がいないのですから、金目の物を置いて行く必要はありませんね」
自動車へ戻ると、新さんとスミレさんも戻って来たところだった。
いつまた襲撃があるか分からない。ここから早く離れた方が良い。沙也加さんもそう思ったのだろう。なにも言わず発進させた。




