第84話 赤に染まる②
次に土の地面を踏んだのは、佐治さんだった。相手が西間スミレだからだ。佐治さんが選ばれたことは、相性と実力以外に理由はないだろう。
ボスは勝負で粋な計らいをする様な、人情味のある人物ではない。
「3つ聞きたいことがあるの。良いよね?」
「答えられる範囲で答えさせていただきます」
世話になっていた相手だと言っていた。それだけではない。ずっと覚えていた。そんな相手にも定型で返すのか。
もちろん聞きたいことが過去のことだとは限らない。だが、あの悲しそうな表情を見れば、多くの者はそう思うのではないだろうか。
「私と君が出会ったのは、偶然なの?」
「はい、全くの偶然でございます」
「私のことは、どう思っていたの?」
一瞬下を向いたが、すぐに顔を上げる。
「善き志を持った方だと思っておりました。人として好いておりました。ですので、この様な事態となりとても残念に思います」
「じゃあなんで、出て行くときに挨拶くらいしてくれなかったの?」
問いを口にする際動いた頬を、光りが伝う。それはとても綺麗だった。
「余所者だって疎まれていたから居心地が悪かったとか、そういうことで出て行ったんだよね?だったら私にだけは、そのときには分からなくても出て行ったことが分かったときに分かる挨拶くらいしてくれても良かったのに」
西間スミレに晴と名乗った彼は、小さく首を振った。
「わたしの引き取り先を探している様子でしたので、邪魔に思っているのだと思ったのです」
「そんなことない!」
「はい。ご自身が姿を消すためだったのですね」
恐らく彼を拾ったことで、西間スミレは良く思われていなかったのだろう。それを分かっていたから、行き違ってしまった。
「あの日が良い機会でした。会ってしまうと異動の告知まで待とうと思ってしまいそうで、会えなかったのです」
「そう、良かった。晴の力になれない私のことが嫌いになったから出て行ったのかなって、不安だった」
晴さんは、深く頭を下げた。
「お世話になりました」
頭を上げ刃物を構える。その姿は確かに佐治さんだった。
「質問には答えました。始めましょう。わたしはもう、晴ではないのです」
本当は伝えたかったのだろう。だから捨てた過去に深く関わる人物の質問に答え、言った。
それでも今を捨てる気は全くないのだろう。西間スミレは佐治さんを呼ぶとき、あくまで“君”とした。それにも関わらず、敢えて宣言をしたのだから。
「そうだね、佐治くん」
試合開始の合図が鳴る。その瞬間、髪の束が佐治さんへ向かって飛んで行く。
元は首の中央くらいの長さだったのが、メートル単位の長さになっている。更に、先が尖っている。本当に自由に操れるわけか。
刃物で弾く様子を見る限り、それなりに硬さがありそうだ。
長いということは、自身に近い場所に隙が出来る。だが、弾いた後も追尾している。恐らく間合いに入ったところで、後ろから刺されるに違いない。
髪を防御に使われる可能性もある。どうする。
「わたしが最後にお会いした際は腰まである美しい髪でしたが、何故切ってしまわれたのですか」
会話をして注意を逸らすつもりか?いくらなんでもそれは無理だろう。
「覚悟の証だよ」
「では何故、髪の異能を選ばれたのですか」
容赦なく飛んで来る髪の束の内ひとつを捕まえた。危険な行為だ。枝分かれしないとも限らない。
それだけではなく、髪の束は他にもある。そして西間スミレ当人は両手が空いている状態。
片目を瞑っている。砂でも目に入ったのだろうか。
問題は2つある。死角が増えること。片目で動くことに慣れていないであろうこと。案の定、増えた死角から尖った髪が飛んで行く。
刺される。
そう思ったが、佐治さんはその髪の方向へ刃物を向けた。弾くことしか出来なかったはずの髪が、切れた。
その瞬間、西間スミレの髪が元の長さに戻る。だがすぐに復活し、再び尖った髪が飛んで行く。
「佐治くんは西間スミレの異能を『ラプンツェル』だと考えたみたいだね。さっきは位置的に片目しか見えなかったけど、両目を瞑ってたんだ」
「盲目の登場人物がいるのですか」
「主人公の相手役が物語の途中で失明するんだよ」
足を切断したり、呪いをかけたり、失明したり。童話というものは血を流さずにはいられないのだな。
ではこの出来事も、いつか童話になるのだろうか。…そんなことより、今は佐治さんの勝負だ。
どうやら髪に触れている間は髪が切れるらしい。そして切られると、一度元の髪の長さに戻る。その間に間合いを詰めて行っている。
間合いを詰めたところで、異能を解くことは出来ない。防御に徹せられたらどうするつもりなのだろうか。
「童話の定番はキスだよ。でも『赤い靴』には相手役がいないんだ。もしかしたら、絢子くんはいつか私を」
「ボス」
きゅっとボスの手を握った。ふわりと笑ったボスは、しっかりと私の手を握り返してくれた。
「もうすぐ見せ場かな」
その視線の先に目を向ける。丁度佐治さんが西間スミレに触れるところだった。目の辺りにそっとキスをし、ずっと閉じていたであろう目を開く。
髪は飛んで行かない。異能が解けたのか。
「君に異能なしでは敵わないよ。降参」
試合終了の合図が鳴り、そのまま2人でこちらへ来る。
他の御用人より反逆者となる時期は遅かった様だが、それでも十分な情報を持っていると考えて良いだろう。
「佐治くん、お疲れ様。西間スミレ、君の異能の本を見せてもらえるかな」
「奪わなくて良いの?」
「持ってなくても使えると聞いたよ。それなら意味がない。でも本を破棄すれば異能者は死ぬんだったね」
差し出された異能の本を受け取る。題名は『ラプンツェル』だ。
「うん、でも返すよ。西間スミレ、私は君を部下として受け入れるよ」
「は…?え?馬鹿なの?」
「違うと思うよ。これは悪魔の囁き」
戸惑いしかない西間スミレに、沙也加さんが哀れみの笑みを向ける。
「痛い思いをして情報を吐いて死ぬ、または奴隷のような生活を送る。部下として噓偽りなく情報提供して働く。どっちが良い?ってことだと思う」
「実質一択…」
情報に関してだけ言えば一択だ。だが、その後の生活は随分と違う。
「考えるまでもないだろ。本名を知っても、誰も俺を本名で呼ばない。だから誰もアンタのこと、西だからって蔑んだりしない。反逆者って部分は分かんないけど。でも自分のためじゃないんだろ。だから胸のそれを外せないんだ」
弓弦さんが指した場所には、徽章がある。
「あなたはこれ、どうしたの?」
「その辺に捨てた。アンタと同じ銀のそれは、思ったより軽かった。でもそれすらも、もう持ってられなかった。アンタも外して持ってみれば分かるかもな」
ちらりと佐治さんの方を見る。
「僕に聞かれても知らないよ。僕はなにも持っていなかったんだから。きっとなにかを持ちたくて転々としていたんだろうね」
「もし西に私が居続けたら手に入れられたの?」
「いいえ。いずれ出て行ったと思います。どうにも晴という名前がしっくりこなかったのです」
名は人を現わす。西にいる自分を、自分とは思わなかったのだろう。
「今の佐治って名前は、好き?しっくりきてる?」
「…雑談は終わりだよ。相手が待っている。どうするの?」
ボスに手を差し出す。
「彼の同僚にして下さい」
「それは困った相談だね。佐治くんのボスは私ではないんだ。でも聞いてみよう。それまでは私の部下で我慢してくれるかな」
「承知致しました」
異能の本がスミレさんへ返される。
「ではスミレくん、早速話してもらおうか」
「はい。彼は近接戦を得意とします。銃は見せかけで、次に出て来る者が銃の扱いに長けています。最後は楠巌谷です」
スミレさんはただ反逆がしたいわけではないのだろう。等しく分ける世界を望んでいる理由もそれなりにある。そう見受けられる。
だからそれが実現に向かって行くのであれば、その組織が如何様なものでも良い。そう考えている。そう思えばスミレさんの態度は不思議ではない。
だが、不自然だ。
その不自然さに、私は初めて会ったときから気付いていた気がする。
当人を心配していたのではなくとも、利用したいから必要だと思っていたのなら言うべき台詞がある。弓弦さんの無事を確認した、貿易のボスの様に。
―――無事だったか
迎えの自動車を運転してくれた者が伝書鳩を送っていた。それに記しはしただろう。だから霞城さんがいないことも驚かなかったのだ。
だが、本当に目立った傷もなく無事に戻って来た。そんな弓弦さんを見て思わず漏れた言葉だろう。
楠巌谷は予め映像で見ていたはず。だが本物を目の前にしたにも関わらず、あの対応は淡泊が過ぎる。
それに実力を計るためとはいえ、必要だという私まで攻撃した。この勝負もそうだ。私が殺されるかもしれないにも関わらず、私の参加を認めたのは何故だ。
「沙也加くん、行けるね」
「うん」
考えがまとまらない。でも駄目だ。この不自然さに気付いていないフリをしてはいけない。
「待って下さい」




