第8話 姫の呪縛①
抗争地区から帰らず、昨日も来なかったためだろうか。妙に視線を集めている。
ついに死んだのだろうと思うのが当然だ。それが急に現れたとなれば、気にもなるだろう。私が気にする必要はない。
目的の人物は、視線が一ヶ所に集まっていることを不審に思い顔を上げたところだった。
「おお、生きていたか。戻って来るのに時間がかかったな。なにかあったのか」
「敵対組織とはなにも。昨日は幹部たちのところにおりました。隊を異動することになりましたので、挨拶に参ったのです」
「…一応聞くが、どこへ行くんだ」
何故一応なのだろうか。興味がないのなら、聞かなければ良い。
5隊は拳銃に込められた弾。其々の行方に一々興味など持ってはいられない。それが正直なところだろう。
「霞城さんの付き人となります」
「出世したな」
浮かべた笑みは、柔らかい。
「隊長は出世したいのですか」
「お前は忖度のないヤツだから言うが、そりゃ出世したいさ。5隊は特攻、4隊は銃を扱うから死にやすい」
当たり前だ。なんのために遠距離の武器を持っているのか。当然相手が遠距離で攻撃してくるからだ。
相手の攻撃手段がなんであれ、こちらは生身の人間が銃を持っているだけ。大砲を打ち込まれれば、瞬時に全滅する。
「3隊には行きたいもんだ。大抵のヤツはそうだと思うぞ」
隊長は私が5隊以外を希望しないことを知っている。誰だって、と言わないのは気遣いが出来る証だ。
人は皆、自分の普通を押し付けたがる。いいや、人は皆、自分が普通だと思っているのだ。
私もそうだった。
だから幸福を抱えきれず戸惑っていたのだ。この幸福は普通ではない。そう思ってしまったから、抱えきれなかったのだ。
「隊長、私だって良くしていただいた方に死んでほしいとは思いません」
「なにかした覚えはないがな」
「私の配置に気を遣いませんでした。言葉にしてしまえば、たったそれだけです。けれど、それが嬉しかったのです」
女が救護担当以外で抗争地区近くへ行くことはあまりない。ましてや5隊だ。気を遣われてきた。それが3年もの間、私が5隊にいられた理由だ。
5-Eは半ば洗脳された戦士たちが勝手に死んでいったがために、偶然生き残ったに過ぎない。
「お前は勘違いしてないか。抗争地区など、どこにいても危険だ。変に気を回す余裕がなかっただけだ。変な期待をするな」
「ですが今も、3隊へ行きたいのなら私が如何様な人物であろうと言うべきではないですか」
「俺は小さな悪知恵なら働く。胡麻をするのは逆効果だと分かっているが、言わなければ分からないだろ。分かったら推薦しといてくれ」
それを言っては元も子もないだろうに。愉快な人だ。
「分かりました。では、名前が上がった際には口添えさせてもらいます。それまでどうかご無事で」
「お前もな」
差し出された手を握り、握手を交わす。
「あれ?南、隊長と握手なんてしてどうしたの?」
「隊が異動になったから挨拶だ。君も探そうと思っていた。抗争から無事帰った様子だな。なによりだ」
「俺は南を心配したけど」
帰らなかったのは私なのだから、それもそうか。
「悪かった。ありがとう」
「うん、まぁ。というか、こんな時期に異動するの?」
握手する手をほどいた私の正面に回って驚いた顔をする。
「それ胴バッチじゃん!しかもチョーカーまでしてる!どうしたの?」
どうやらこの装飾や徽章は誰でも知っていることらしい。私が注目を集めていたのはこの装飾と徽章をしていたためということか。
「この首の装飾は珍しいものなのか」
「前から思ってたんだけど南ってさ、組織のこと知ろうとしないね」
明るい気性のこの男が妙に真剣な口調になると、どきりとする。
南から逃げるときに共に来なかった、同じ年頃の男を思い出すのだ。似ても似つかないというのに、何故だろうか。
「知れば欲しくなるかもしれない。だが、私がなにかを手に出来るとは思わない。それだけだ」
実際、私が手に入れたものは多くない。偶然手に入れたこれが、今の居場所の中でたまたま大きなものだっただけだ。
「結局手にしたわけだが、無欲の勝利という言葉もある。持った今、無知でいることは出来ない。教えてくれないか」
「へぇ、俺のこと馬鹿にしてる?」
「野心があるのは悪いことではない。悪く言っているように聞こえたのなら謝罪する。悪かっ…」
「嘘!嘘!焦った顔、見れないかなって思ってさ」
いつもの調子ではあるが、謝罪の言葉は口にしなかった。気を悪くさせてしまったのは事実だろう。だが触れない以上、私がなにか言うのも変か。
「チョーカー自体がってわけじゃないんだよ。その模様の色。暗い紫って言えば良いのかな」
「模様?」
「それはボスの色だからね」
ここへ誰が招き入れたか、色で分かるよう本来はなっていたということか。恥じぬ言動をするようにという自身への戒めという効果も期待されたのだろう。
私には意味のないことだ。
「頑張ってよ、将来の幹部サマ」
将来も幹部になる気はないが、わざわざ言う必要もないだろう。幹部になれる機会があったとなれば、また不愉快にさせてしまう。
腕を軽く何度か叩かれる。その際見えた手首の傷には、見覚えがあった。
本来なら、ここで見ることはないはずの傷。全く似ていないのに思い出す男と、同じ傷。
「…手首のその傷はなんだ」
「え?手首に傷なんてないけど?ほら」
手首を見せられる。確かに見たはずの傷はない。
互いに息がかかった者を送り込んでいることなど予想出来ることだ。そして南の場合、それが異能使いであることも。
こんなところで会うとはな。
恐らく、異能自体に殺傷能力や他者を操る力はない。予想は合っているだろうが、聞いておく必要があるな。
「君には好意を寄せる人物がいるか」
「急になに?」
「言いたくないなら構わない。忘れてほしい」
「い、いない。ということはない。けど…」
これから異能を使うことになるだろう。久々に使ってみるか。君の末路にも、丁度良いと思わないか。
「そうか。陰ながら応援している。色々、お互いに頑張ろう」
「うん、ありがとう」
握手をする際に袖口に仕込んだ赤い布を触らせる。こういうときは、いっつしょうたいむと言えば良いのだろうか。
異能『赤い靴』
聞こえた銃声は二発。同時だ。一発は今握手をした目の前の人物。これは私が異能で指示をしたのだから当然だ。
もう一発も近かったが、同じ瞬間に一発だけなんてどういうことだ。
「隊長!」
誰かがこっちへ駆け寄って来る。そういえば、近くにいたはずの隊長がいない。
周囲の者の視線は私の足元にある。恐る恐る下を向くと、隊長が銃で頭を打ち抜いて私の足元に転がっていた。
何故だ。
同じ瞬間に同じ方法なのだから、私の異能のせいだと考えるのが道理。しかし私は隊長に異能を使っていない。なにより、隊長は赤いものを触っていないはずだ。
そうだ、だから私ではない。なんらかの異能によって行動が紐付けられていたに違いない。
「お前、なにをした!」
「挨拶をしていただけです。誓って、変なことはしていません」
「嘘を吐け!こっちに来い、じっくり話を聞いてやる」
私の方へ向かっていた手が突然止まる。
「上の者へ連絡します。少々お待ちを」
首の装飾だけならまだしも、徽章を付けているとこうなるのか。なんて寂しいことだろう。これを見ても分け隔てなく接してくれた2人はもういない。
私が殺したのだから。
「必要ないさ。僕が見ていた」
突然登場した幹部に、隊がざわめく。
「ここへ来た理由なら、君と同じさ。嫌な予感がしたのだよ。ボスへは僕が説明しよう。戻ろうか」
「その前に確認することと回収する物があります」
元々異能で指示した者は、やはりあの男だった。手に傷もある。
知らない男が自分たちと同じ服を着て、自分たちの基地で自害している。そんな風景に、多くの者が戸惑っていた。
そんな中私は遺体の服を探り、一冊の本を取り出す。
こんなくだらない異能を持たされて敵地へ送り込まれるなど、やはり君は見放されているのだな。
「終わりました。戻りましょう」
差し出された手を、私は取れなかった。隊長を殺してしまったのが私の異能なら、私の知らないことがあるのかもしれない。
いや、そうでなくてはいけない。
怖かった。恐ろしかった。
霞城さんは、なにも言わず小さく微笑んだだけだった。手を後ろで組んで歩き出す。その斜め後ろを黙って歩いた。
基地を出てしばらくしても、霞城さんは私になにも求めなかった。それが妙に心苦しかった。