第7話 酉より王子、午より姫④
どうしたら、なにを言えば、あのときの様に笑顔に変わってくれるだろうか。
寂しそうな顔をするボスを前にして、私はそう考えていた。
ひとつ明らかなことはある。ボスが言った椅子に座れば良い。
しかし、それで良いとは思えない。私にどんな血が流れているかといった問題ではなく、ただ望まれた行動をするだけではいけないのだ。
ボスの望んだ行動をせず、ボスを笑顔にする方法。
それには、ボスがその行動によってなにを得ようとしたかを知る必要がある。
霞城さんと私を拾った理由は明確にされている。その2人を幹部の椅子に座らせることでなにがしたいのか。
権力を強めたいと思う様な人ではない。それに、それならもっと従順な者が良いだろう。霞城さんもそういった者ではなさそうだ。
「ボス」
「座ってくれるのかな」
冗談っぽく聞こえるように言ってはいるが、表情は寂しそうなままだ。
「ひとつ質問をしてからもう一度考えさせていただけますか」
「いくらでもしてくれて良いのだけどね」
小さく首を振ると、手で質問を促される。
「この部屋の椅子に座らせることは、輝きを取り戻す最終段階でしょうか。それとも、輝きを取り戻したからでしょうか。それとも、ただ遊んでいるだけですか」
それぞれの回答に対し、なんと言うかは決めている。本当は座る気など微塵もない。しかし大きく違う場合どうしたものか。
「3つ目だよ。遊んでるんだ。霞城くんも座らないかと思ったんだけどね。君が言った通り、彼は死に怯えている。そこそこ素直に座ったよ」
「そうですか。しかし私は、椅子に縛り付けなくともずっとボスの玩具ですよ。玩具箱から勝手に出て行ったりはしません。寂しくなどありませんよ」
椅子に体重を預け、呆れた様に笑う。
この人の孤独を埋められるものなど、ないのだろう。この人が寂しさを感じないことなど、ないのだろう。
「本当だとは思えない。君はすぐ、人に物をあげてしまう」
「癖はそう簡単に直りません。しかし約束しましょう。この装飾は誰が欲しがっても手放しません。命は、自らの意志で手放すときはボスと霞城さんのみに差し上げます。他にはなにかありますか」
「いいや。信じよう。君はいつも、絶対に出来ないだろうと考えることは約束しないからね」
他にはないらしい。ボスにとってそれほど大切な装飾を、私は容易く他者に譲っていたのか。
「これもあげよう。私の方へ来なさい」
椅子のときと違い、命令。ということは、受け取り拒否は不可能のようだ。
手に持っていた2つのなにかを机に置くと、片方を手に取る。置いてあるものは徽章。転がらないように伏せてあるため、柄は分からない。
手に持った物を見せてくれる。これも徽章だが、色が違うのだろうか。柄は花びらが5枚描かれている簡単なものだ。
「この花は桜というのだよ。淡いピンク色の小さな花を、木に沢山咲かせたそうだよ。先代の総代が気に入ってね」
「これにはどの様な意味があるのですか」
「見て分かると思うけど、金は幹部がつける。銀は準幹部。向こう側の者は銀色を付けているだろう?」
他の者に興味がなく意識して見ていなかったが、確かに色が違うように思う。
「胴は幹部の傍使いのような意味だね。君は自らの命を差し出すと言った私と霞城くんの世話を焼くんだ。それだけだよ」
「それはボスと霞城さん、お2人に付きっ切りということでしょうか」
残念ながら分身は出来ない。
「詳しいことは後日話すけれど、南くんには霞城くんと西へ攻めてもらう。だから霞城くんに付いてくれるかな」
自分の世話も、と言ったのはあくまでも自分の玩具だと言うためか。霞城さんだって人の玩具を取ったりはしないだろうに。
「分かりました」
それにしても、追い出されたとはいえ霞城さんは全く表情を変えない。予め聞いていたのだろうか。兎も角、冷戦状態の現状が動くらしい。
「では明日、隊へ挨拶をしたら合流します」
「しばらくの間、ここを離れることになるからね。世話になった者へ挨拶をしてきなさい」
「大抵の方は亡くなっていますので」
「君は墓参りという言葉を知らないのかな」
ボスらしい言い方だ。墓参りは確かに言葉ではあるが、こういう場合は行為と表現するのが適切だろう。
「ご厚意感謝いたします」
私は適切な言葉を選び、恭しく頭を下げた。
「一通り話が終わったようですわね」
「なにか異議があるような言い方ではないけれど、どうしたのかな」
他の幹部は常にだんまりを決め込んでいるが、確かに双葉さんが一言も文句を言わなかったのは意外かもしれない。
「茶番に付き合わされたようなので、それに文句を言いたい気分ではありますわ。しかし今はそれより気になることがありますの」
「なにかな」
「霞城、あなたは何故南絢子のことを知っていて、死ぬ前に話してみたいとまで思ったのです。それを聞いていませんわ」
わざと流したであろう話をここで持って来るのか。確かに気にはなるが、言いたくないことを無理に聞こうとは思わない。
「言いたくないのなら言わなくても良いんだよ。君もそうだろう?」
「はい」
「聞かれれば答えるつもりはありました。しかし忘れたものと思いましたよ」
忘れるはずはない。大切なことだ。
「僕の最初の配属は5-Dでした。抗争が始まろうというときで、5-Eと合同演習をしました。そのとき君は、5-E所属だった。そこで見かけたのだよ」
「お話しをした覚えはありませんが」
5-Eのときの隊長は私語に厳しかった。
休憩中くらい談笑したいものだが、戦士たるもの常に気を抜かずどうのこうの、と言っていた。私たちは戦士ではないのだが。
「ああ、していない。僕が君を見つけただけだ」
なにか印象に残る動きでもしていたのだろうか。しかしたったそれだけで死の間際にわざわざ会いに行くだろうか。
「世界のなにに絶望して良いのかも分からず全てに絶望したとき、僕はあの人のようになるのだろう。――そう、思ったのだよ」
「私が絶望している様に見えたのですか」
「あのときはそう見えたのだよ。しかし今は違う」
一度言葉を切って俯く。上げた顔は優しい微笑みを浮かべていた。
「君は希望を知らないんじゃないのかい。いや、そう言っても知らないのだから分からないか」
「そうですね。私が南で送った人生にはその様なものは存在しなかったので、分からなかったでしょう。ここへ来て希望と優しさと幸福を知ったとき、初めて絶望を知ったのです」
拾われてすぐの半年は武闘組織の戦闘部隊ではない方のとこに世話になっていた。今回異能『眠れる森の美女』で殺された方たちだ。
武闘組織に入った際も配属先の者たちは基本的に善い人間だった。基準が低いのだろうが、善い人間だったのだ。
その気持ちを上手く消化出来ないまま2年と少し経ち、5-Eに配属された。
そのとき東に来て初めて、心の底から思ったのだ。今まで出会った人物が善い人間だったと。
「だから私はそのとき、きっと絶望していたのではないのです。抱えきれない幸福に戸惑っていたのだと思います」
「そうかい。答えを見つけているのなら良いのだよ。ああ、良かった」
しかしひとつ疑問が増えた。
東へ来てすぐにそれを知っていたということは、西でそれが分かる様な生活をしていたということになる。そんな霞城さんが、何故捨てられたのか。
「あったかもしれない未来の自分を見て、勝手に救いたいと思ったのだよ。だが、僕の勘違いだったようだ。君はあのとき既に救われていたと言うのだから」
本当は、西にいるときに救われたかったのだろう。知っているからこそ、中途半端な未練だけが残ってしまった。
だから西と戦うことにも、表情を崩さない様に務めた。
ただの強がりな青年ではないか。
「はい。しかし貴方が救われていない様子です。私が救って差し上げましょう」
「頼もしいじゃないかい」
私たちは初めて微笑み合った。