第71話 どこにいても③
「ボス、離れて下さい。危険です」
「問題ない。立てるな」
「はい」
崩してしまっていた体勢を整える。刃物を拾って腰へ収めた。
「取り乱して申し訳ございません」
貿易のボスがかけてくれた上着を差し出すと、横に首が振られた。
「着ていろ」
「何故ですか」
かけてくれた理由も分からない。触れられていたら、あのときの様に暴れていた可能性は高い。だが、貿易のボスは知らないはずだ。
「ゴスロリを本部へ着て来ることはどうかと思う。だが、似合っていることは間違いない。いつこの男が変な気を起こすとも知れないからな」
何故それを
いや、少し考えれば分かる。地下に幽閉されていた私がそういったことをされていない可能性は低い。それは弓弦さんも言っていた。
私のあの発言で、その相手が南海人だと思っても不思議ではない。
「ありがとうございます」
「俺にも素直だと気持ち悪いな」
台詞とは裏腹に、小さく微笑んでいる。南海人を振り返っても笑顔だ。ただし、歪んだ笑顔だ。
「ところで、俺のことは覚えているか。南海人とやら」
「………………」
「そうか。あのときは世話になったんだが」
これも己の姿ではないのか。
貿易のボスの言葉が嘘であったとしても、なにも答えられないことが答えだ。大方、私が暴走することを見越して指示されていたのだろう。
「今は立場が逆だ。今度は俺が拷問してやろうか?安心しろ、もちろん殺しはしない。手加減してやる」
「ぼ、僕じゃない…!」
瞬きをすると、再び姿が変わる。
「それがお前の本来の姿か?」
嵌められたことに気付いたのだろう。少し思案した後に、小さく頷いた。
貿易のボスが振り返る。見覚えのある人物か聞いているのだろう。私は小さく首を横に振った。
「名は」
「角南誠」
恐らく、角南は良いと言える家系ではないのだろう。それなら、弓弦さんの生まれについての発言も筋が通る。
「異能の本を見せてあげなさい」
13冊の異能の本を持って来ると、正雄さんに任せた。苗字が分からない者もいる。徽章の色でも言ってやった方が良いだろう。
西は『手なし娘』『舌切り雀』『赤ずきん』の3冊。
それぞれ西であろう雄剛さん、西文、銀の徽章を持った氏名不明の男性。
南は『アラジンと魔法のランプ』『フィッチャーの鳥』『雪の女王』『靴屋の小人』の4冊。
それぞれ南であろう金の徽章を持った男性、南瑞人、楠静、南坂友己。
北は『池の水の精』『金の斧銀の斧』『シンデレラ』『天国と地獄』『鉄の処女』の5冊。
それぞれ北辰巳、北政宗、北条伊吹、仙北谷螢、仙北谷仁。
「『白雪姫』西霞城」
そう言った瞬間、空気が少しざわめくのを感じた。
戦闘で死んだと聞けば、異能の本を持っていることは不自然だろう。手紙や晴臣さんが聞いた言葉もあって、私に視線が集まる。
「俺は『眠れる森の美女』で、彼女は『赤い靴』。終わり」
「霞城さんが所持していた異能の本『白雪姫』は楠静が持っていて、それを更に私が奪ったと報告しています」
霞城さんを殺したことは知られている様なものだ。問題はない。晴臣さんは自身が望んだこと。そして霞城さんも。
「詳しいことは報告書にまとめます。それより今は恭一を」
「良いだろう。角南誠、東恭一の居場所を教えなさい」
「異能戦場だ。右のポケットに詳しい場所を記したものがある」
弓弦さんが床に転がっている角南誠の押さえ方を変え、身体を起こさせる。さっきよりは反撃のしやすい体勢になった。これが目的か。
しかしなにも行動を起こしそうにない。杞憂か。
楠巌谷が送って来た者であれば、手紙を持たされてはいるだろう。だが、異能の本も持っているはずだ。なにか罠が仕掛けられてはいないだろうか。
…訝しんでばかりでは進まないか。
言われた通り右のポケットを探ると、手紙があった。手に取っても、なにか起きる様子はない。
内容は…文面通り受け取って良いのだろうか。
貿易のボスへ渡し、耳打ちをする。
「異能は得た瞬間、呼吸をするかの様に自然に使えるものです」
記されている内容が、私が把握している事実と違うことを理解したのだろう。小さく頷くと、手紙に視線を落とす。
「…悲しいものだな。読み上げます」
恐らく前半は、近くにいた私にしか聞こえなかっただろう。そんな小さな声だった。憐れんだ視線を角南誠へ向け、小さく深呼吸をする。
「角南誠に異能『マッチ売りの少女』は五感や一部記憶の共有。本人には内臓等の機能も共有されると説明してある。そのプレゼントはどう使ってもらっても構わない。異能戦場で待っている。…以上です」
文面通り受け取れば、角南誠を殺しても恭一は死なないということになる。ただし痛覚は共有されているため、あまり乱暴なことは出来ない。
しかし本当のことだけが書かれているとは限らない。
斜め読みで完璧とは言えないが、私が把握している事象と異なる。しかも訝しんで読めば、角南誠が持っている異能ではないとも取れる。
本人に聞いたら早いのだが、勝手に動いても良いだろうか。
「おい、お前の主は東恭一だ。だが、今はいない。戻って来るまでの主を決めろ。恭一のためにならなくとも、その主のために動け」
私が問いただしたいことを察してのことか。この人は何故会合の際、あの様な陳腐な役割をしていたのだろう。それすらも誰もやらないためだろうか。
「それはズルいんじゃない?彼女が恭一のお気に入りだってことは置いといても、壊れてることは分かる。けど同時に、優れてることも分かる。それで正雄くんのことは苦手。私とはほぼ初対面。凛太郎くんって言うに決まってる」
そうとも限らない。無意識ではあったが、出会ったときからそうだった。恭一を主としていた。全てを投げ打ってでも、恭一が欲しい。
「まるで俺が欲しがっているような言い方だな」
「違うの?」
「紅茶もろくに淹れられない情緒が不安定なヤツを、誰が欲しがる」
「酷い言いよう」
そうだろうか。私が優れているという評価もよく分からない。
恭一は、私が壊れているが故に玩具として欲しがったに過ぎない。もし少しでも条件に合わなければ、拾わなかっただろう。
恭一は人を育てる様な面倒をしない。…そうか。だから恭一は武闘組織のボスになったのか。
「貿易のボス、私を使って下さい」
「ほらやっぱり」
「理由を言え。それによっては断る」
いらないと言っておきながら、理由を聞いてくれる。やはり優しい人なのだな。そして乱れていたとはいえ、私に刃物を手放させた。
対して晴臣さんの代わりにボスをしていると思われる女性。ほぼ初対面ということは、あの会合にいた。論外だ。
「優しくて強いからです」
「悪い気はしない理由だ。霞城を殺したのがお前だったとして、それを明確に知らなかった。嘘を覚えたな」
嘘の様な理由だからと断るつもりだろうか。その様な理由で断るのなら、嫌という感情的な理由のはずだ。それなら、初めから言えば良いだけのこと。
「良いだろう。恭一が戻るまで、俺がお前の主をやってやる。記念に良いことを教えてやろう。蘭道双葉は、恭一の婚約者だ」
「凛太郎さま…!?」
異能『赤い靴』
「自害しろ」
双葉さんの手が、自身の首を絞めていく。
「何故…ですの…」
「ボスといえど組織に属している以上、所詮誰かの犬だ。蘭道などにボスという立場の者の、妻の座を奪われてはいけない。そう思う者は大勢いる」
双葉さんの視線は私に向いている。主の命だという答えを聞きたいはずもない。恭一から色彩感覚がないことを聞いていたのか。
しかしそれなら、異能の詳細についても聞いたはずだ。赤い物を身に付けるはずがない。
「よくしていただいて、ありがとうございました」
双葉さんは、そのまま息絶えた。
「ボス、絢子さんの異能の詳細や目のことは知ってますか」
「目?なにか悪いのか」
まず心配するのか。この調子では聞いていないな。
わざわざ全てを言う必要もないことかもしれない。だが、戻ったときのことを考えれば全く伝えないことは少々危険を伴う。
「落ち着いてからお伝えします。絢子さん、他にはなにを聞きましたか」
「それだけです」
「分かりました。総代、2人はどうしましょう」
私もか。そうだな、金の徽章の者を目の前で2人殺している。しかも片方は姓が東だ。霞城さんについては明言していないが、殺したと言った様なものだ。
「全て凛太郎に任せる。異能戦場へ行くなら、大まかな作戦は報告するように。良いかい」
「はい、総代」
大きな欠伸をすると、護衛を連れて部屋を出て行く。
「取り敢えず、椅子に縛って動けないようにするか。縄と見張りを用意してくれ。部屋はここで良い。弓弦、佐治、“経済の”と絢子は俺と一緒に来い」
「今のことについて話すんでしょ?私たちも…」
「大勢で話すことになんの意味がある。話すのならまだ良い。聞いているだけだろ。無意味だ」
厳しい言葉に聞こえるかもしれないが、事実だ。言葉が返って来ないことを確認して出て行く。そんな貿易のボスに付いて出て行った。




