第67話 迷子の心⑥
晴臣さんは建物を入ってすぐの扉ではなく、食堂で座って待っていた。
「おかえり」
「最低」
思わず口から言葉が出ていた。
「そんなに私に出迎えてほしかったのかな?」
「全く違います。あなたが侮っているので、私が怒られました」
「へぇ、そう。殺せなかったんだね」
もう少しで殺せるところだった。時間制限さえなければ。
「じゃあまずは絢子さんの報告から聞こうか」
「C1の巡回をしていると、C2から人が現れます。近付いて殺そうとしたのですが、C2へ引き帰してしまいます。追いかけてC2へ行きました」
私なら必ず来ると思った。そう言っていた。弓弦さんや正雄さんであれば、どうだったのだろう。
「待ち伏せされて、こう言われます。殺せると思っているから追いかけて来たのだ、と」
私が仙北谷仁を殺す。これは事実だ。
そう思ったが、少なくとも今回の戦闘では事実ではなかった。私の傲慢だったのだろうか。
「銃弾による攻撃により近付けずにいる間に、終了の時間となりました」
「仙北谷仁は何故、絢子さんに気付いたのかな?」
「耳が良い。歩く度に揺れて触れ合う、髪留めの音が聞こえる。そう言っていました。この小さな音が」
大きく振っても、それ程大きな音はしない。
「私は侮っていませんでした。しかし指揮者が侮っていれば、その組織の者全員が侮っている様に思えるものです。侮っていないとは言わせません。こんなところで待っていたのですから」
小さな笑みが向けられる。
「それで最低、ね。そうだね。時間はどれくらいあったのかな?」
「20分程です」
「一昨日3人殺したときと同じ時間だね。そう、彼、強いんだね」
相性など、これまで大した問題ではなかった。そう、仙北谷仁は強い。
「基地については指示通りポイントを追加しました。以上です」
「はい、お疲れ様。じゃあ次は正雄くん」
「全て指示通りに。絢子さんが戦闘になる前に戦闘もしなかった。終わり」
指示通りに動かなかったことについて厳しく言われて以来、拗ねているのだろうか。子供ではないのだから、しっかりしてほしいものだ。
「うん、お疲れ様。じゃあ弓弦くん」
「はい。B2南東の基地にポイント追加後、B3を反時計回りに見て回ります」
南から東から共に0.2kmの地点、南0.4kmで東西中央付近の地点、南から西から共に0.1km以内の地点。この3点が指される。
「中央付近の基地が無所属で、2つは北の基地でした。北の基地は中途半端に追加して取れないと嫌だなと思って、南東の方に追加しました」
「何故南東にしたのかな?」
「仮にどっちかを守ろうとしてるなら、南西だと思ったんです。C3を得意とする者がいることを把握してるなら、少しでも離すために南西を守るかなと」
晴臣さんは笑顔で頷いている。納得出来たらしい。私も問題のない推察だと思う。全てが“仮”でしかないが、それ以上は難しいだろう。
「名推理だね。戦闘はなかったんだね?」
「はい」
「うん、お疲れ様。では、最後に私から」
俯いてわざとらしく咳払いをすると、顔を上げる。視線は真っ直ぐ。誰のことも見ていなかった。
「手に入れた基地は7つ。奪われた基地はなし。現在の所持ポイントは29,600。残りの基地は2つ。B3とC3の南西。正雄くんにはポイントをそれだけしか配布しなかったんだ。自分を責める必要はないよ」
なるほど、名推理ではなく迷推理だったか。
C3を得意とする者がいると知っているのなら、C3を守らないだろう。しかし一体どういう理由で比較的近い基地を守ったのか。
「さっきの仮定は忘れて下さい…」
「私は良いと思うよ。弓弦くんの離す、はC3自体からだよ?だけどC3に守っていた基地があったんだから、間違いではないよ」
C3の南西とB3の南東では近い。連携を取られることを気にしたのだろう。だが、もっと離れた基地も選べたはずだ。
「明日の戦闘について話すよ」
なにかを言いかけていた弓弦さんがそれを止め、居直る。
「B3に絢子さんと弓弦くん。C3に正雄くん。ポイント配布は正雄くんと絢子さんに3,500。基地はB2南3つ、B3とC3に基本2,000ずつ。どこを1,900にするかはまた考えるよ」
基地へ一番に向かうと考えているのか。来なかった場合やられ放題だ。危険ではないだろうか。
「侮られていると思って怒ったんだよね?だったら必ず来るよ」
「…そうですね」
私が戦場で侮られることが多いことなど、分かり切ったことだ。見て言われて、そう返事せざるを得なかった。
仮に私がそうされた場合、再度戦闘する必要の相手であれば、自ら行くだろう。そう思った。
晴臣さんは戦闘の経験がないのではなかったのか。いくら指揮を経験しようとも、戦闘自体をしたことがなければ分からないこともある。
それを、何故。
「よし、じゃあ以上。絢子さんと弓弦くんは、連携が取れるようにしておくように。良いね?」
そういえば私は異能戦場へ来る前も、いつも単独で戦闘していた。連携とはどういうことを指すのかもよく分かっていない。
分かっていないから初めから単独なのだろうか。それとも、単独になってしまうのだろうか。
私が周りの者を殺していたのだろうか。
「お昼は私が振る舞おう。2人はよく話し合うように。先延ばしにしないで、今だよ。分かったね?」
自信のなさそうな返事が重なった。
2人が食堂を出て行き、弓弦さんと2人になる。
「連携とは、どうするものなのですか」
「自分もあまり分かんないです」
終わった。話し合いが出来ずに終わった。結論、分からない。
「絢子さんが戦闘して自分がサポートか。絢子さんが囮になって自分が戦闘するか。それくらい決めておきますか」
確かに。仙北谷仁を前に手間取っていると、また怒られそうだ。慣れていないだけで、侮っているのではないのだが。
だがそうだな。目の前で話し合いが始まれば、私もそう思うだろう。
侮られている。
馬鹿にされている。
「前者でお願いします。囮というものがよく分からないので」
「分かりました」
雄剛さんと丸栖和真の様に、相手を見て分かることはある。しかし自分がやるとなると違ってくる。連携か。戻ったら調べるとしよう。
「私の背後からでも、遠慮なく撃ってもらって構いませんので」
「だから武闘の者は野蛮だって言われるんです」
撃たれる気があると思っているのか。誰がそんな痛そうなことを望んでするものか。虎鋏の傷はまだ痛む。これ以上怪我を増やしたくない。
「避けられますので、問題ありません」
「仙北谷仁と戦闘するんですよ」
「問題ありません。仙北谷仁と戦闘しながら、後方から撃たれる弓弦さんの弾丸を避けることが出来ます」
小さくため息を吐くと、首を振る。ため息を吐きながらも頷くのかと思った。なにがいけないのか。
「駄目です。20分間戦闘して近付けなかったんですよね。加えて自分の弾丸を避けるなんて、無茶です」
「すぐ近くまで行けていました。あと5分あれば殺せました。ですので、問題ありません」
「問題ありまくりです。すぐ近くなのに5分も必要なんですよ。駄目です」
そういう捉え方も、出来る。出来はする。
「仙北谷仁の足元に撃って誘導とか、そういう感じで行きましょう」
「分かりました。ただ…いいえ、なんでもありません」
「本当ですか?」
じっと見られて、顔を逸らす。
多分今の私なら本当だと言うことは簡単なのだろう。だが、“なんでもない”という誤魔化しとは違い、明らかな嘘だ。
疑いを持たれる行為をすることは、避けるべきだ。
「では晴臣さんの様子を見てきます。ひとりのときは自分で作ってたんでしょうから大丈夫だとは思いますが、一応」
善い人だな。誤魔化しすら曖昧にして、食堂を出て行く弓弦さんを見送った。そして、私はひとりになった。
それで、深く考えてしまった。
私は…なにを言おうとしていたのだろう。言葉自体は分かっている。言葉のままの意味ではない。そして、問題はそこではない。
恭一以外に、なにかを強く思っている。何故、何故、こんなに上手くいかないのだろう。私は恭一だけを…
いや、今回は私が侮られることが多かったためだ。それだけだ。鏡の相手を好こうとするのは止めた。大丈夫。私は恭一だけを想っている。
恭一だけを、ずっと。
そういえば、何故私は霞城さんを特別気にかけていたのだろうか。出来もしない約束をして、頼り切って、頼りにされたことを悪くないと思って。
思い出せない。
他にもなにか思ったことがあったはず。何故思い出せないのだろう。いや、思い出せないことなど沢山ある。
「絢子さん、駄目でした!食材が黒焦げに…!」
扉越しに聞こえた悲痛な声に、私は無意識に表情筋を動かしていた。