第64話 迷子の心③
『これより15分後、東と北の戦闘エリアへの門を開きます』
準備をして、晴臣さんの前に並ぶ。
「B1に南の基地があったことは、北も知っているはず。B1には行かず、ひとつずつ確実に取る。良いね」
事実かの様に言っているが、ただの予想だ。基地がある方へ誘導するとも思えない。しかし返事をしておく。
2人も返事をし、それと重なった。
「戻って来てね」
返事が再び重なる。そして、駆け出した。
「散会」
正雄さんの合図は変わらない。だが、その方がきっと良い。
A1にはまだ人の気配がない。出入口が中央より南だという予想を立てていたことを、すっかり忘れていた。北の者より早く来られたのだろう。
基地を見つけて待ち伏せだな。…などと思った様にはいってくれないらしい。
銃弾が背後から飛んで来る。
弾こうとしたが、出来なかった。その銃弾は水で出来ていた。切っても元の形に戻り、軌道通りに飛んで来る。思ったよりも厄介だ。
しかも人の気配が減っている。
戦闘要員が私しか見当たらないため、B1にでも行ったのだろう。もうひとりは西の基地が多くあったと予想されるA2だろうか。
不味い。
今のところ避けるしかない。しかし、いつまでも避けてばかりではいられない。どうする。
下手に水に触れるわけにもいかない。水分は異能の範囲ではないだろうが、少しでも表面に残ればどうなるか分からない。
考えることは苦手だと言ってい…しまった。挟まれた。
後方に水の異能者。前方に1名。少し遠い。スナイパーか。どちらも遠距離戦向き。スナイパーから仕留める。
足を踏み込んだ先は、空だった。握っているものは、刃物ではなく恭一の手だった。落ちている。
幻覚だ。
もう一歩踏み出すと、元の景色があった。木が揺れたところまで、一気に距離を詰める。仙北谷螢だ。
「な、なんで…!」
髪留めを投げ、異能を発動させる。
「このエリアにいる、北として参加している戦闘要員を大声で呼べ」
「辰巳さ…」
切れ味が良い。異能の本を取り出し、北辰巳が来るのを待つ。来るはずだ。
よく接する者に“さま”で呼ばれることを嫌った。そして、南程とは言えないが方向性の異なる作戦。
…来た。
水の結界の様なものを纏っている。しかし所詮は水。異能を発動する前に殺せば良いだけだ。
やはり切れ味が良い。しかしまた服が濡れてしまった。このままで52分間か。いつか風邪を引きそうだ。
北辰巳の異能の本に触れると、視界がなくなった。戦闘終了後、五感を奪われる感覚に似ている。異能か。しかし辺りに人の気配はない。
恐らく北辰巳か、北辰巳の所持する異能の本に発動条件があったのだろう。
移動は出来ても、端末の操作が出来ない。先にこの異能を使った者を見つけて殺すしかないか。
視界がなくなる直前まで、私は北東を向いていたはずだ。右手を横に真っ直ぐ伸ばした方向。それより少し南方向へ行けば、A2へ行けるはず。
刃物を持ち替え、歩き出す。
空気の流れが止まっているところへ踏み込むと、空気がさっと通り抜けた。まさかB1に来てしまったのか。
銃弾が飛んで来る。誰だ。辺りに身を隠せそうなものはない。このまま戦闘するしかないのか。
しかし相手も身を隠す場所がないのは同じはず。出来る。
銃弾が飛んで来る方向へと向かって行く。発射音が近付いている。銃口だと思われる場所へ、刃物を突き刺そうと振りかざす。
流石に避けられたか。
「政宗さまを殺しただけのことはある」
女性の声。喜世さんか。
「喜世さんも仲間にしてあげます」
視線が合わなくとも、不自然でない様にしなくては。
移動している様子はない。しかし全てが分かるわけではない。この間に移動していて、見当違いの場所に向かえば知られてしまう。
「嬉しいですか」
「全然」
よし、移動していないな。少し取られた距離を、一気に詰める。
振りかざした刃物が、受け止められた。銃ではない。刃物か。だが、それにしては太い。
「…もしかして、見えてないの。嘘。この動きで?」
「どこか怪我をしている様に見えますか」
そうだとして、正直に言うと思いますか。
そう言いかけて止めた。これは、視力を失う理由が外傷以外にあると知っているということになりかねない。
「見えない。だけど」
「だけど、どうしましたか」
「別に。無駄話は止め…」
刃物を振りかざす途中で、急に視界が晴れた。誰かが異能者を殺したのか。
相手はやはり喜世さんで、B1にいる。右手に銃。左手に変な形の盾を持っている。しかし盾にしては細い。
それによって刃物が受け止められる。これは…北政宗が身体に付けていた武器だ。予備なのだろうか。
なるほど。今の喜世さんを、様子が変な者だとは思わない。そう見えていたのは、北政宗のことが心配だったからだ。
今は自信がなさそうだ。北政宗が敵わなかった相手に自分が敵うのか不安で、北政宗が使って通用しなかった武器で戦えるのか不安。
距離を取らずに、がら空きの左腕に髪留めを投げる。対応が遅い。見えなかったが、当たっているだろう。
異能『赤い靴』
「動くな」
「くっ…!」
「信頼がないのですね。そんなに北政宗が心配でしたか。それなのに、北政宗が敵わなかった相手に自分が敵うのか不安ですか」
「強い人には分からない」
私は強いらしい。だが、この様な者に言われてもなにも思わない。自分自身で立ってもいられない者など、どこにいても弱者だ。
私の不安は違った。
霞城さんが私に殺されてくれるか。その方が不安だった。私がやろうとしたことが知られれば、ボスになんと思われるか分からない。
「情報を吐いてから死にますか。それとも、今死にますか」
「さっさと殺して」
「でも物は試しですね。切れ味が良くなったのです。指くらいは落とせます」
新しい刃物を構え、喜世さんの目の前に立つ。
「A1、仙北谷螢、北辰巳に配布されたポイント。それから喜世さんがどこにどれだけポイントを追加したのか教えて下さい」
「やっぱり見えてないの」
「今は見えています」
喜世さんが息を呑む。
「言うのですか。言わないのですか」
「言うはずない」
右手の親指を落としてみる。叫び声を上げているが、言いそうにないな。
「さようなら」
「悪魔」
私に角が生えて見えるのだろうか。それこそ異能ではないだろうか。
喜世さんは異能の本を持っていなかった。仮定だが、正雄さんの様に異能に侵食されているわけではないらしい。
ではこれは後に考えるべき問題だ。
喜世さんはA1に行こうとしていたのだろうか。私が確認した3名の内のひとりなのだろうか。
私が今所持しているポイントは4,500。奪ったポイントは1,800だ。どう考えるのが妥当か。
そもそも100の位が元々なかったとは限らない。考えるだけ無駄か。
中央付近と北東にあった無所属の基地にそれぞれ200ポイント追加する。南東の基地は無所属だったが、追加出来なかった。
北西にあるだろうと向かうと、本当にあった。北の基地だ。
A1の基地は場所をある程度把握している。どうするか考えてから動いた方が良いか。…いや、考えて分かることではない。
この基地には1,100ポイント追加。残りの3,000ポイントの内2,700は予定通り使うとして、あと300ポイントか。
A2の様子を見に行こう。
恐らくA1で最初に確認した人物は、喜世さん、仙北谷螢、北辰巳で間違いないだろう。A2には仙北谷螢が向かったはず。
ほぉう、と思わずボスや晴臣さんが言う様なことを言いそうになる。
仙北谷螢と北辰巳は通信機を付けている。しかし喜世さんは付けていなかった。
なにかの知らせや、誰かからの指示を受けてとんぼ返りした。そう思って差し支えないだろう。
どこへポイントを追加したのか。
しかし北の戦闘要員はいてもあとひとりだ。面倒なことは放っておいて、水遊びでもするか。
やがてあのけたたましい音が響き、いつもの者が迎えに来てくれる。
「近頃、どうされたのですか」
「あなたが思う、それまでの私が変だったのです」
「…そうですか」
車椅子に座ると、五感が奪われる。しばらくして五感が戻り、目を開ける。弓弦さんがまだだ。
お礼を言うと、正雄さんと戦闘エリアへの門を見つめる。
「大丈夫。戻って来る」
確信めいた言い方だ。まだ門が開いているからだろうか。そういえば、私はいつも最後だった気がする。
すぐに車椅子に乗った弓弦さんがやって来た。
良かった。
目立った怪我もしていない。弓弦さんは自身のことを、平和だからこそ強かったと言った。しかし、それは間違いだ。
六度の戦闘をほぼ無傷で終えている。敵と当たらないこともあったが、運も実力の内という。敵となどは、当たらない方が良いのだ。
「戻ろう」
ほっとした様な笑顔になると、小さく呟く様に言って歩き出す。2人でその後ろを歩いた。
建物に戻ると、晴臣さんは笑顔で迎えてくれた。だが、これまでとは違いどこか寂しそうだ。
水遊びと言っても服が濡れない様にしていた。そのため、服は乾いていた。そのまま食堂へ行き、座る。
「まずはみんな、お疲れ様。北との戦闘を一先ず無事に終えられて良かった」
これまでで一番危険な戦闘になる。そう言っていた。薄く光る目元のそれは、間違いなく本物なのだろう。
「さて、誰の報告から聞こうか」
「私から良いですか。離れた場所で時間軸がはっきり重なる場面があります。恐らく私の視点から聞いた方が早いです」
3人が同意したことを確認し、小さく息を吸った。




