第63話 迷子の心②
市場を適当に歩き続けた。あの街で恭一とそうした様に。
隣を歩く晴臣さんが、ちらりと私を見てふっと笑う。
「なんて顔をしているのかな」
「分かりません」
「それは分かっているよ。そういう意味ではなくてね」
ではどういう意味なのか。余程変な顔をしていたのだろうか。
「一言では言い表せない表情だったよ。懐かしんで、悲しんで、でも楽しそうで…ってこれは私の願望かもしれないけどね。でも本当に様々な感情が混じって、変な顔になっていたよ」
様々な感情が入り混じる…。そうだろうか。私は迷子にならないことを、いもしない神に祈っていただけだ。
「飲み物に例えよう」
何故か得意気な顔をしている。正雄さんが弓弦さんに水の異能について説明したことに対抗しているのだろうか。
どれだけ上手く説明出来るにしても、得意気な顔をするのは早い気がするが。
「苦くて酸っぱくて辛くて甘くて塩辛い。そんな飲み物を飲んだときの反応」
ただの言い換えだ。そしてやはり味が想像出来ない。
「混ざって混ざって、どんな味か分からない。そんな表情だよ」
小さく笑う晴臣さんに、私は間の抜けた返事をしてしまった。
よく分からないが、なんとなく分かると思ってしまったのだ。そんな自分を不思議に思った。
「ところで、私が来たことに文句のひとつも言わないね。小言を言われるかと思ったよ。それに、断られると思った」
「もう良いのです」
そんな拘りはもう必要ない。なにせ、ボスの玩具は私だけになったのだ。
ボス以外とこういった景色を見れば、なにかが起こると思っていたのだろうか。私の中の想いや、見た景色が塗り替わる。そんなことは有り得ない。
私にとってボスは唯一無二の存在。
そしてまた、恭一にとって私は唯一無二の存在なのだ。
だからもう、誰とでも歩ける。ひとりでも歩ける。でも、また恭一と歩きたい。だから、もう良い。拘りなんて必要ない。
「それはどうい…」
「それより、ありがとうございました。買い物というものを自分でしたことがなかったので、危うく窃盗や無銭飲食になるところでした」
初めて5隊に配属になった際、やってみたことはある。だがどうにも上手く出来ず、適当な者に頼んでいた。
皆が普通にやっていることが出来ない。この事実は、私が外の世界をなにも知らないということを自覚させた。
「それは大変だね。見つけられて良かったよ」
「晴臣さんはなにか用事ですか」
「私も適当に歩こうと思っただけだよ。絢子さんもそうだよね?あそこにいても落ち着かない」
確かにそうだ。だが、戦場に落ち着ける場所を求めてはいけないのだろう。ルールがあるから良いのだろうか。いや、戦場は戦場だ。
殺すなと言った晴臣さんが、殺せと言った。それはやはり、ここが戦場であるが故にそれ以外は出来ないということなのだ。
「久々ですね、東の御仁。最近見かける少年はどうしたんです?」
店の者が明るく声をかけて来る。
どうした、だと。ここは戦場だ。考えなくとも分かるだろう。
「今日は買い物の日ではないんだよ。我々は冷やかしでね。うん、君の店なら冷やかしても良いかな。野菜を見よう」
「冷やかしは止めて下さいよ~」
そう口では言っているが、笑顔だ。概ね、金の徽章を持つ者と気軽に会話出来ることが自慢なのだろう。
「じゃが芋は野菜ではありません。何故八百屋に置いてあるのですか」
「厳密には違っても、野菜のようなものと果物のようなものが置いてあるのが八百屋だよ。それで良いんだよ」
最後の一言が、妙に胸に落ち着いた。
「分かりました」
以降も質問する私に、晴臣さんは“なんとなく”の回答をし続けた。次で何個目の質問になるだろうか。
「トマトは果物です。何故野菜と一緒に置かれているのですか」
「匂いが野菜みたいだからかな。良い匂いの中に青臭いものがあったら、嫌だと思わない?」
「言わんとすることは分かります」
青臭くないトマトもあると図鑑には書かれていた。しかしトマトを別々の箇所に置くことは、陳列方法としてあまり正しいとは言えないだろう。
「そろそろ次のお店を冷やかしに行こうか」
「本当に冷やかしですね。なにか買って行って下さいよ」
「悪いね。今日は必要ないんだ」
それ以上強くは言えないのだろう。笑顔で見送られたが、その目は笑っていなかった。南での食事会の際、よく見た表情だ。
そうやっていくつか店を冷やかし、同じ笑顔で見送られた。
「次はこの鍛冶屋に行こうか」
適当に歩いていた様に見えて、ここを目指していたのか。
もしや、それが目的で付いて来たのだろうか。確かに手入れして使うにも限界はある。そして、実質短い刃物一本で戦闘することにも。
「いらっしゃい」
「こんにちは。短剣を見せてもらえるかな」
「今使っている物を見せてもらえますか」
晴臣さんが苦い笑みを見せる。
「情報の漏洩を気にしているのですか。しかし短剣を見せてくれ、と言う時点で武器の情報は漏洩する可能性があります」
まさかそれのみで戦闘するとは思わないかもしれない。しかし買う程重要な武器だとは考えるだろう。
「そうだね。私が不用心だったよ。でもそれだけではな…」
ずっと持っている刃物を店の者の前に置く。
「変なことをするなよ」
店の者との睨み合いになる。しかし私はそんなもので怯えたりはしない。例え体付きが良く目付きが悪い者だろうと、私は殺せる。
ルールのため出来るのは先に手を出された際の拘束のみだ。しかしルールのある戦場。この者たちにはこの者たちのルールがあるだろう。
「…気に入った。東の旦那、店を閉めてくれ。明日までに作ってやる。当然少し値が張るが、口止め料も含めてその値段だ。どうだ」
「明日中で頼むよ。貝にでも当たってくれるかな」
鼻を鳴らして笑った店の者と晴臣さんが、握手を交わした。
***
『これより15分後、南と北の戦闘エリアへの門を開きます』
そう聞こえた1時間後、あのけたたましい音が再び響いた。
『戦闘要員の全滅、ポイントの全損により、南の負けが確定しました』
戦闘要員なしで基地を守れなかったのか。本当に小者だな。しかし響という者を小者と言った晴臣さんの言葉は信じるまい。
「これからは毎日戦闘だね」
「そうですね」
「他人事だな。自分が行くんだぞ。分かっているのか」
鍛冶屋の店主に心配されることなどない。
「それより、出来ましたか。もうすぐ店仕舞いの時間です。訪ねて来なければ時間外労働ですが、納期に間に合わないのであれば我々に落ち度はありません。時間外労働の手当は納品相手ではなく、主に請求して下さい」
2人が顔を見合わせて笑う。晴臣さんは大爆笑だ。
「だから夕方に行こうと言ったんだね。あー、可笑しい」
「変わった嬢ちゃんだ。出来てる。奥で試して行きな」
そんな場所もあるのか。
握った感じは悪くない。立てられた木の棒を切った感触も、悪くない。
「これで大丈夫です」
「良い腕だ。いくつか質問をして良いか」
はい、と返事をすると、息をひとつ吐いて私の目を見る。
「お前さん、東是忠を知っているか」
「苗字は知りませんが、名が是忠という者は知っています」
「どんな関係だ」
「剣の師です」
目が大きく見開かれる。店主こそ、是忠さんとどういう関係だ。
「今どうしている」
「何故その様なことを聞くのですか」
「俺の店の常連だったが、5年前のある日を堺にぱったり来なくなった。今どうしている」
私が刃物を振る様子を見て関わりがあると思う程の仲、というわけか。
「1ヶ月程前に亡くなっています」
「何故だ」
「言えません」
異能に関わることだ。しかも正雄さんが持つ異能。詳しく話すわけにはいかない。店主が本当のことを言っているかも分からないのだ。
「…3年半程前に私が出会った是忠さんは、幸せそうでした。奥さんの尻に敷かれながらも、お孫さん含め5人で笑顔に暮らしていました」
「あの是忠さまが…」
どの是忠さんでも、生身で空は飛べない。
「ひとつの組織に入れ込むかもしれない要素だね。このことは墓場まで持って行くよ。だから、負けてくれるよね?」
「ちっ、持って行け」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
鍛冶屋を出ても、晴臣さんは歩き出さなかった。
「絢子さんは相手が敬語でなくとも、なにも言わないと思うよ。でも文句のひとつも言われないことを気にしない彼には、そういう相手がいたんだよ」
それが私と関わりのある者だという保証は、どこにもない。
だが、あれは晴臣さんからなにか言ったわけではない。何事もなければ、支払う気でいたのだろう。
「それにしても東是忠だなんてね」
「晴臣さんも知人なのですか」
「私の父だよ。知らないことになっているけどね」
総代の子供ではないのか。母親であれば、分かっていてもおかしくはない。だから恭“一”なのか。
「これも墓場まで持って行かなくてはいけません」
「言えないことが増えたね」
晴臣さんが歩き出す。その半歩後ろを歩いた。この人通りのない通りでは必要なかったが、私は晴臣さんの服を握った。
晴臣さんが、迷子にならない様に。




