第62話 迷子の心①
食事が乗っていた皿を机の端に寄せ、弓弦さんが再び椅子に座る。
「まず伝えないといけないことは、これからはポイントを換金して食糧や物資を買わなくてはいけないこと」
努めて明るく、さて、と言うと軽く手を叩く。
「明日は南と北の戦闘だろうね。北は無所属の基地を取り放題だよ。頑張らないといけないね」
「ん。北と当たったとき、どうするつもり」
3人にしてみれば、想定外のことが二日連続で起こったことになるのだろう。特に晴臣さんは、二日共狼狽えていた。
「明後日当たったらA1へは絢子さんひとりで行ってもらう。正雄くんはC1のあとC2へ。弓弦くんはA3のあとB3へ」
南に戦闘要員がいないということは、北の戦闘要員の数が減ることはない。つまり5人のままだ。
3人A1に配置したとしても、残り2人は自由に動ける。それで十分だと思われるか、A1に配置する人数を減らすか。
複数人いなくとも苦戦しそうな、相手に有利なエリアだ。ひとりにしてほしいものだが、そうもいかないのだろう。
「元西や北の基地がどこにあるか、こちらは全く分からない。だから、どこに現れるか分からない。今までで一番危険な戦闘になる」
「分かってる。基地にはどれくらいポイントを配布するつもり」
「A3にある2つとC3南東に2,500ずつ。A1にある2つは取られるだろうけど、絢子さんが取り返す」
簡単に言ってくれる。
「基地に配布するより、戦闘要員に配布した方が使い勝手も良い。もちろん弱点は把握しているよ。良いね、絢子さん」
「はい」
「他は全く予想出来ない。だから取りに行く」
東がどの基地を手に入れたかは、完全に予想でしかない。ここを訪れて以来戦闘していない相手だ。難しいだろう。だが、それはこちらも同じだ。
厳しい戦闘になるだろう。
「正雄くんと絢子さんに2,700、弓弦くんに3,000」
「確認です。ポイント追加はA1の基地へのみ。分配は、1,200×2と100×3で合っていますか」
「うん。2人は任せるよ。足りなさそうなら、自分でどうにかしてね」
こっちも簡単に言ってくれる。私には直接関係のないことだが、無茶振りも良いところだ。
しかも殺すな、と一度言ったはずだ。それが今度は殺せ、と言っている。一体なんだったのか。
「ただ、ひとつ問題があるんだ」
「明日、明後日に食事会があることですね。南に戦闘要員がいないこと。東の戦闘要員がひとり減ったこと。これを知られると少々やり辛いです」
違っただろうか。何故か正雄さんにじっと見られる。
「正雄くんは、まだ分からないのかな?親しい者の死など、絢子さんにはよくあることなんだよ。それでもあれだけ取り乱したんだ。霞城くんは絢子さんにとって、とても大切な人だったんだよ」
取り乱していた様に見えたのか。どの辺りだろうか。聞きたいところだが、不自然だろう。
「良くしてくれる者が戦場から帰らないことは、間々ありました。慣れてはいけないのだとは思います。けれど、慣れなければいけなかったのです」
「…ごめん」
「正雄さんって成長しないですね。平和ボケのお坊ちゃんだから、こんなところまで来て恋人復活計画なんて考えられるんですよ」
今は毒を吐く性格なのか。正直、よく言ってくれた、という感じはある。晴臣さんも庇えないのか、わざとらしく咳払いをしただけだった。
「南とは当たらないだろうから、良いよね?」
徽章が示す順に返事をすると、弓弦さんが皿を持って食堂を出て行く。それに続いて私も出た。
行く当ては当然ない。自然と足が向きそうだった、喜世さんと会ったあの見晴らしの良い場所へは行かなかった。
喜世さんがいると思ったからだ。どう接して良いか分からない。
私は北政宗を殺したことを、なんとも思ってはいけない。私と喜世さんの共通点は一点のみ。
慕う方の行く先が心配である。
それだけだ。しかし重要な部分だ。そんな喜世さんに会って、私は、なにかを思わずにいられるのだろうか。
きっと出来ない。だから会えない。
私は、恭一以外に心動かされてはいけないのだ。
私が向かっていたのは、市場だった。
誰も私を知らない場所。誰も私がなにをしたのか知らない場所。こんなに人がいるのに、誰も知らない。
「東のお嬢さん、甘いものはどうです?」
そう声をかけられた私は、その店に吸い寄せられる様に寄って行った。
「たい焼きが食べたいです」
「粒餡派です?漉し餡派です?」
恭一はどちらが好きなのだろう。
恭一は団子とたい焼き、どちらが食べたかったのだろう。
恭一は―――
「ひとつずつ貰えるかな」
「恭一?」
声が聞こえた先には、恭一はいなかった。
声が聞こえた先には、晴臣さんがいた。
「はいよ、300円です」
なにか光るものを渡すと、それと引き換えにたい焼きを受け取る。
「ありがとう」
「ありがとうございました」
適当な場所に腰掛けて隣を軽く叩く。そこに座ると、たい焼きが差し出された。
「ごめんね、恭一じゃなくて」
「いいえ…」
「私も恭一がどちらを好きなのか、知らないんだよ。予想して、戻ったら聞いてみようか。こっちが粒餡だよ」
言われてみれば鯛に見えるかもしれない。そんな生地は良いとしよう。何故鯛の中に小豆が入っているのだろう。
臓器に似ているのだろうか。…美味しくなさそうだな。
「恭一が好きな方を食べたかったんだよね?」
「はい。ただ、今じっと見ていたのは、何故この食べ物をたい焼きと呼ぶのかを考えていたからです」
「戻ってなにかの辞書でも見れば書いてあるよ。それより、冷めちゃうよ?」
温かいものなのか。受け取ると、確かに温かかった。
「美味しいです」
「うん、そうだね。美味しい」
2人とも無言だった。無言で食べ進めていた。だが、ふと晴臣さんが食べる手を止めて私を見る。
「恭一と呼んでいるんだね」
晴臣さんの前でそう呼んだのは、初めてかもしれない。
「こうして街に出た際、ボスと呼ばない様に言われました。恐らくそこからです。ボスと恭一が同一人物であり、同一人物でなくなったのは」
「そう。恭一は意地悪だね」
今の話の、一体どこから。
「でも絢子さんのことを欲しているのは確かだと思うよ。多分、恭一なりの愛情表現…かな?」
「あいじょう表現、ですか」
「そうだよ」
小さく笑って、私が食べていたたい焼きを取り上げてしまう。隣を見ると、晴臣さんが食べていたたい焼きが差し出されていた。
「漉し餡だよ。恭一はどちらが好きかな」
受け取り、口に入れる。違いは分かるが、恭一の好みは分かりそうにない。
「あと、どこから食べる派か、とか」
「どこからか、ですか」
「うん。頭、尻尾、腹、背ビレ、くらいかな」
私は腹、晴臣さんは頭から食べていた。
「恭一は、尻尾からだと思います」
「どうして?」
「晴臣さんが頭から食べるからです。恭一は、晴臣さんが欲しがっているもので自分がどうしても必要だと思うもの以外を手放したのではないでしょうか」
婚約者候補を次々と殺す。そんな恭一には何故か婚約者候補が次々と現れる。頼まれても恭一に会わせたがらない。それが親というものだろう。
一方長男である晴臣さんはどうだ。あの口ぶりでは、晴臣さんのそういった経験は一度。あっても三度までだろう。
晴臣さんが恭一になにか特別な感情を抱いていることと同様。恭一もまた、晴臣さんになにか特別な感情を抱いているのだ。
いつだろう。晴臣さんは、いつ殺せるだろう。
餡の好みも、反対なのだろうか。
「じゃあ恭一は粒餡派かもしれないね」
そうだ、双葉さんも殺さなくては。
「晴臣さんは漉し餡派なのですね」
「絢子さんは、どっちが好きかな?」
恭一以外のことはどうでも良い。いや、それは言い過ぎか。例えば弓弦さんや正雄さんが戦闘エリアから戻らなければ、少々思うところがあるのだろう。
では私がどちらの餡が好きなのかも、どうでも良いことではないのかもしれない。大袈裟だろうか。
「粒餡です」
「恭一が好きだからじゃないよね?」
「漉し餡は原型がないので、なにを食べているのか分かりません」
不貞腐れた様子でなにかを言っている。でも、だって、そういった類の言葉で、特に意味のない言葉の羅列だ。
「ねぇ、見て回ろうよ」
いつの間に機嫌を直したのだろう。笑顔で手が差し伸べられている。だが、私はその手を取らずに立ち上がる。
「それは必要ありません」
「でも迷子になりそうで心配だよ」
確かに人通りが多い。こんな道は、ボスと行った北の街しか歩いたことがない。
「では、これで」
服の肘辺りを持つ。服が伸びると言われるだろうか。
「うぅーん、まぁ良いか。あまり強く持たないでね。伸びちゃうから」
少々は良いらしい。よく分からない。
機嫌良く歩き出す晴臣さんに引っ張られる形で、私も歩き出す。
どこへ向かっているのだろう。晴臣さんは明らかに適当に歩いている。2人して迷子にならないことを祈ろう。
祈る神などいない。だが、私は神に祈る。




