第58話 掛け違えたボタン④
「貴方を裏切ったのではありません」
不思議そうな顔を向ける晴臣さんの目をしっかりと見て、念押しをする。
「決して、違います」
「私もそう思うよ。だからこうして話を聞いているんだ」
“聞く”という感じではない。だから霞城さんはこんなに怖がっているのだ。
「物心がつく年齢が3歳から4歳です。仮に4歳だとして、霞城さんは15歳まで西にいたのです。幼少の11年というのは、長いです。とても、長いです。窮屈に過ごせば過ごす程、長いのです」
西で霞城さんがどの様な思いをしていたのか。それは当然知らない。どの様に過ごして来たのかも、知る必要などなかった。
だがその寂しさや侘しさ、怒りや窮屈さ。そういったものは、想像するべきだ。
「霞城さん、晴臣さんは寂しいだけなのです」
この状況でなくとも、晴臣さんは寂しい人なのだろう。だが、それ以外を語るつもりはない。
「自分が見られない景色で、自由に動ける私たち4人。その1時間をただ待つしかない自分。その違いが寂しいのです」
指示を勘違いしたが、その指示通りに動いた弓弦さん。
指示を守る気はあったが、暇を持て余したために少し逸脱した正雄さん。
そして、指示を初めから守らなかった霞城さん。
「だから特に、霞城さんへ厳しい目を向けてしまっているのだと思います」
晴臣さんは確かに怒っているのだろう。だがそれは、ただ怒っているのではない。寂しいから怒っているのだ。
「霞城さん。基地を奪取後、何故指示とは反対の方向へ向かったのですか」
「いいや、違う。基地を奪取後B2に行った。残り時間10分までB2だけにいた」
10分でA2北西まで移動し、基地を見つけたと言うのか。それは少々無理があるのではないだろうか。
「動けるとはいえ、暇を持て余していたのは僕も同じです。残り10分。今遭遇しても弾丸の無駄遣いに終わる。そう思い、A2の残りひとつの基地を適当に探しました。全く命令に背いたわけではありません」
あの者の腕前は直に見た霞城さんが一番知っている。10分では自分が怪我をするだけだと思う程の腕前ということか。
そして、A1では仕掛けをしていた。頭も回るのだろう。霞城さんもなにもせず歩いていたわけではないだろう。だが、それでも敵わない。
私だって、あの者が姿を現さなければ殺せていなかったかもしれない。
「ふぅん、信じよう。けれど今後そういう勝手な行動は謹んでね」
「はい。申し訳ございません」
深めに下げた頭を上げると、地図を指す。B2北0.1km西0.2kmの地点だ。
「ここに基地があったのですが、西のものではありませんでした。最初東の基地だった基地も、同様です。以上です」
「うん、お疲れ様。手に入れた基地は5つ。奪われた基地はない。現在の所持ポイントは8,600」
新たに手に入れた基地が5つで1,000ポイント。戦闘前からの所属基地が7つで700ポイント。戦闘前のポイントが3,600。合計で5,300ポイントのはず。
いや、戦闘要員に配布されていたポイントも加算される。3,300はその分だ。
全てのポイントを戦闘要員に配布することは、西には出来ないはずだ。
東の戦闘要員の前に姿を現せば、殺される可能性が高い。全てのポイントを戦闘要員に配布すれば、奪われて終わりだ。
西真白はそれでも良いかもしれないが、戦闘要員2人にそうは言えないだろう。A2やB2に配布すると言っておいて、遠い基地にポイントを配布したのだろうか。
本当のポイント配布を知るのは、戦略パートの…まさか。
――やっぱり、お前も約束を守る気なんてなかったんだな。
丸栖和真は、なんらかの形でポイント配布に偽りがあったことを知った。そして、なにか約束をした。しかし西真白に約束を守る気がないことも知った。
「ひとつの可能性の話なのですが、よろしいでしょうか」
「なにかな」
「戦闘要員に配布されていたポイントは3,300です。300ずつ基地に配布すると、11つで3,300です」
何故わざと気付かせる様なことをした。遊んでいるのか。
「ポイントは全て、丸栖和真に配布されていました。丸栖和真は、西真白がわざと負けようとしていることに気付いたのではないでしょうか」
A1の基地にポイントを追加する際、初めて。
だから基地を奪わなかった。どんな約束をしたのかは知らないが、自分だけは約束を守ったのかもしれない。
「3も11も素数だね」
「今回の戦闘前に西のものだった基地が、11つだったってことですか?」
「そう考えることも出来る。それだけです」
私と丸栖和真のやり取りを知らない4人には、突拍子もない内容だろう。
「絢子さんは私のように勘に頼り切った発言はしない。なにか発想の起点になった出来事なり言葉なりがあったと思うな」
ひとつの可能性だ。そんなことを聞かれるとは思わなかった。どう答える。いつまでも黙り込んではいられない。
「交戦する直前、約束が違う、という独り言を聞いたのです。丸栖和真に配布されていたポイント。西真白が東に負けようとしていること。その3点を合わせると、可能性があるのではと考えました」
少々無理があるかもしれないが、一応筋は通っているはずだ。
「うぅん。少し突飛だね。でもそうだね。絢子さんにしか分からないこともあるだろうからね」
「私にしか分からないこと、ですか」
「寂しいと思っていることに気付いていなかったけれど、君の説明で自分の中のなにかが腑に落ちた。ということさ」
霞城さんの報告が始まったために、なにも言わないのだと思っていた。けれどそうなのか。気付いていなかったのか。
「私のことはいいよ。それより西の基地だった場所について話そう」
「絢子さんの勘っぽいものを信じれば、今無所属の基地は6つ」
なにも書かれていない紙を取り出し、四角を9つに割っただけの簡易的な地図を書く。A1、A2、B2、C3に大きく斜め線が引かれていった。
「確実にないエリア。一度目の戦闘の際C2に配置があった。C2に複数あると考えても良いと思う」
「向かってないのは、A3、B1、B3、C1ですね」
小さく唸った晴臣さんに注目が集まった。
「北と当たったときの動きに、大きな変更はなし。A1で交戦しない者が向かうのは、C1とC2。C2が優先だよ」
A1で水の異能者と交戦することを優先するのか。しかし北の者3名と交戦する確率は下がる。その方が良いのだろうか。
「交戦が2名の場合、B2を通って素早く。交戦が1名の場合、もう1名はB1の基地の場所を出来るだけ確認しながら。頼むよ」
私を含め、4人が同時に了解の返事をした。最後の3文字の大切さが、今はすごく分かる。3人もそうだろうと思う。
「南は全く変更なし。以上。霞城くん夕飯は奮発しようよ」
「無駄遣いは禁止」
自信は傲慢になり、傲慢は敗因となる。
ひとつの組織を負けに追い込み、調子に乗っている。そういうところを見せつけることも、ひとつの手ではある。
東はこれまで堅実だった。隙を見せて隙を作る。これも戦法だ。
「飲み屋街があるんだよ。ここに来てから、ずっとずっと我慢していたんだよ?駄目かな?」
「酒が…あるの」
弓弦さんを見ると、顔を寄せて来る。小さな声で話せる様、私も顔を寄せた。
「北園では滅多に見られませんでした。ごく一部の良家の者にとっても、手が出しにくい嗜好品なんだと思います」
「模造品は出回っているのですか」
小さな反逆組織が高級な嗜好品をあれだけ買い込めるとは思えない。
霞城さんと出会ったあの日。いや、霞城さんが私を迎えに来たあの日。反逆組織のお偉いさんがいた部屋には、ワイン瓶が大量にあった。
仮に全ての瓶の中身がなかったとしても、過去あれだけのワインを買えたということに変わりはない。
「酒自体は、ピンからキリまであります。お2人が言ってる酒は、高価な物のことだと思います。安価な物でもそれなりに値が張りますが、アルコールがないものは安価で手に入れられます。ただのジュースですから」
模造品という概念はないのか。あの瓶の中身は、なんだったのだろう。
反逆組織が安価のものでも大量の酒を購入出来る事実は、見過ごせないのではないだろうか。
「いくつ林檎が買えますか」
「林檎?えっと…高価な物は15個くらい、ですかね。安価な物でも最低3個くらいは買える印象です。なんで林檎なんですか?」
「物価が分からないものですから」
首を傾げて曖昧な返事をされる。
林檎の価格は季節で上下しにくいと書いてあった。加えて、果物が置いてある場所には必ずと言って良い程ある。私には分かりやすい指標だ。
「気になることがあるのかい」
「あの日の反逆組織は、大量のワインを所有していました。価値が分からなかった故に報告しなかったのです」
比較的贅沢な物だという認識はあった。しかし右腕的な家柄であっても、高価な物だと入手にしくい程だとは思っていなかった。
納得した様に頷くと、小さく微笑む。
「戻って報告しなくてはいけない」
「ということは、実物を見たいよね?」
口実に利用されているのか。飲んでみないと分からないが、成人は18歳だ。未成年の飲酒は禁止されている。
「そういえば、雄剛さんは下戸なのでしょうか」
この一言で、食堂の温度が一気に下がった。