第57話 掛け違えたボタン③
晴臣さんは一度大きく頷くと、私と目を合わせた。
自分から言った方が良いか。私は今まで、どうしていただろうか。急に分からなくなってきた。
なにも考えていなかったのだろう。
「真っ直ぐ北に向かってA1北西寄りの中央辺りで戦闘。間違いないね?」
「はい。基地の場所を知っているかの様な動きは、不自然です」
「そうだね。だけど同時に2つのことが説明出来る可能性があると思うんだ」
分からない。ただ、ここで周囲を見回すのは違うと思った。
「西のポイントが少なかったのは、情報を買ったから。だけど買えた情報は、良いものではなかった。どうかな?」
東に負けようとするのなら、わざと交渉を拗らせてあまり利益のない情報を多額で買う可能性もある。
だが実際は私が教えたのだから、このポイントの少なさの説明にはなっていない。何故少なかった。
「なにか気になることがあるのかな?」
「気になるという程ではありません。ですが、交渉が上手く出来なくとも不自然に思われない者が戦略パートに選ばれたことは少々不思議に思います」
これは実際に気になることだ。想定出来る交渉の結果は、失敗と言わざるを得ないもの。
さらに言えば、誤魔化すのは東との戦闘だけで良い。だが、他の戦闘と戦略に差があっては怪しまれる。指揮能力は高いはずだ。
この差はなんだ。
3人の視線が霞城さんに向けられる。
「真白さんは極度の人見知りです。交渉はもうひとりの金バッヂの者が行った。そう考えれば不思議ではありません」
私が知っている人見知りの意味と違うだろうか。いくら気を許している相手とはいえ、人見知りのすることではない様に思える。
「優秀な人材です。少し壊れていますが」
なにかを懐かしむ様な表情だ。態度ほど嫌がってはいなかったのだろうか。
それは置いておいて、霞城さんへの態度を知っている者が僅かである理由が分かったな。そもそも本人が話せる者が少ないのだ。
「他にはなにかあるかな?」
霞城さんに小さく微笑んでから、全員を見渡す。
「戦闘要員が2名と少ないのに同じ場所に2人現れた。囮に使える数はいない。気になる」
これが私が把握している疑問点2つ目だ。
「でも3人は、姿を見てないんだよね?」
3人が頷く。
当然だ。本当に西の者は2人同じ場所に現れたのだから。そして、雄剛さんは囮だった。
――やっぱり、お前も約束を守る気なんてなかったんだな。
あの者はそう言った。私より前に約束を破ったのは、誰だったのだろう。西真白であれば、繋がるのではないか。
これは、この先もずっとこのままの仮説だ。
「他は良いかな?」
見回し、他になにもないと判断したのか私を見て微笑む。
「うん、絢子さんお疲れ様。じゃあ弓弦くん」
「はい。自分は指示通り、B2の南寄りとC2の南西を巡回してました。判明してた基地にポイントを追加した他には、ここに」
B2の南東。隣接するエリアからの距離が全て等しい。そんな位置を指す。
「西のものではない基地がありました。以上です」
「うん、お疲れ様。じゃあ正雄くん」
「C3の元々の基地にポイント追加した後は指示通り待ってた」
一度言葉を切ると、拗ねた様子で晴臣さんをちらりと見る。そして私を見て、地図に目を落とした。
「けど退屈で。4つ基地の位置が分かってる。もうひとつの基地は西にある。そう思って見に行った。ここに、あった」
南北は中央。西から0.2km程の場所だ。
「他組織の基地だった。終わり」
「お疲れ様。じゃあ最後に――ところで、今回は今までに増してみんな自分勝手にやってくれたよね」
視線を向けられた霞城さんが肩を小さく震わせた。感情に疎い私でも分かる程、怒っている。何故だ。
「絢子さんは対応しただけだから、仕方ないかもしれないよ?でも殺せとは言わなかった。弓弦くんも、分からないのなら聞いてくれないと」
どういう意味か計りかねたのだろう。弓弦さんは、完全に困惑している。
「殺さずにどう守れというのですか」
「分からないよ。言ったと思うけど、私は戦闘の経験が乏しいからね。でも君には出来たはずだよ」
出来た。初め、私はそれを選択していた。でも追いかけて殺した。殺してはいけないのなら、そう言ってくれないと分からない。
だってここは、戦場だ。
「君が殺さないから、あの頃東は何度でも何度でも他組織に攻撃されたんだよ」
「どういう意味ですか」
「霞城くんから聞いたことと私が知っていたことを合わせると、そうなるんだよ。他組織が休戦を受け入れたのは、君が積極的に人を殺し始めたから」
意味が分からない。私が無意味に人を殺したとでも言いたいのか。
「間接的に、殺すよう恭一に言われたね」
「ボスはそんなこと…」
「よく思い出して。例えば、こんなことは言われなかったかな?」
怒っていた雰囲気はどこかへ行き、優し気な雰囲気を纏っている。…恭一に、似ている。兄弟だからなのか、特技なのか。
「敵を全員殺さなければ戦争は終わらない。人を殺せない者を戦場に送るのは気が引ける」
――まやかしでない平和が欲しいのであれば、手を血で染める覚悟が必要だよ。南くん。
「殺してやるのもまた優しさであり、救いである」
「止めて下さいっ」
「言われたんだね。だから君は、殺すことに拘ってしまったんだよ」
違う。あれはそういう…違う!
「君が人を殺しても殺さなくても、西との二度目の戦闘後に言おうと思っていたんだよ。どうしてだと思う?」
「恭一に不信感を抱かせ、自分のものにするためですか」
「それもありだったね。でも、もうそうは思っていないよ。君は、君が望めばずっと恭一の玩具だよ」
いいや、違う。私はボスの玩具だ。恭一は、私の玩具だ。
「晴臣さん、訂正した方が良いです。彼女にとって“ボス”と“恭一”は同一人物であり、同一人物ではありません」
「ふぅん、歪だね。私には分からないよ。兎に角、私はもう君を自分のものにしようとは思っていないんだよ」
そっと手を取った人物が、優し気に囁く。
「異能戦場は人を殺す場所ではないよ。未来を勝ち取る場所なんだ。君には綺麗事に聞こえるかもしれないね。だけど戦場ではなく、異能戦場はそうなんだよ。殺さなくとも勝てる方法があるんだよ」
言っていることが矛盾している。戦闘要員を全員殺して基地を奪う。そう言っていたはずだ。
「なにが本当なのか、教えて下さい」
もうなにも考えたくない。だが、そうもいかない。だからせめて、答えを聞かせてほしい。それから考えるから。
「もちろん。私は矛盾したことを言っているよね。それは、絢子さんに対峙した者を殺さないという選択をしてほしかったからだよ。だけど、殺す方が圧倒的に簡単だからだよ」
簡単な方ではいけないのか?戦場に来る以上、覚悟は出来ているはずだ。私が戦闘した者の多くはそうだった。
多分西文だって本当に覚悟出来ていなかったわけではなかった。霞城さんに会いたかっただけだ。
「北は作戦があれ以外ない。だから対峙した者を殺さなくてはいけないだろうと思う。南は小者だからすぐに殺せてしまうと思う。それから、生い立ちから罪悪感が生まれにくい。二度目にしたのは、数は減らしたかったから」
俯いていた顔を覗き込まれる。優し気な笑顔だ。恭一には似ていない。
「だから絢子さんには怒っていないよ。分かってもらえたかな」
「はい…。それでも、申し訳ございません」
優しく手が叩かれ、その手が離れてゆく。視線を合わせるためにしゃがんでいた晴臣さんが、ゆっくりと立ち上がった。
「これはみんなにも言っているんだよ。分かっているね」
私を含めた4人の返事が食堂の空気を揺らした。
「さて、弓弦くん」
元いた椅子に腰掛けると、弓弦さんを睨む様に見る。
「B2を念入りに。C2を大まかに。そういう意味だったんだよ。方角なら方角を言うと思わないかな?確認してほしかったな」
「申し訳ございません。以後気を付けます」
「うん。そうしてくれれば、それで大丈夫だよ」
このために、わざと曖昧な言い方をしたのでは。
「待たせたね、霞城くん。基地が5つ増えているんだ。説明してもらうよ」
単にB2に基地があっただけではないのか。
基地は守らず取りに行く。これしかポイントをまともに増やす方法はない。ポイントの追加を1,000もする必要があるとは思えない。
それに、基地が増えることは余程辺鄙な場所でなければ、良いことのはずだ。何故怒っている。
「A2にある残りひとつの基地は西のものである可能性が高いです。ですので、少し様子見に行ったら偶然発見しました」
北、西共に0.2km程の位置が地図で指される。
「それこそ大まかに見ただけで、探すつもりはありませんでした」
「何故私の指示通りにしなかったのかな。意見なら言えたはずだよね」
「勝手をして申し訳ございません」
説明を求めている者に、ただ謝ってなんの意味があるのだろう。
「私は理由を聞いているんだよ?意見もせず、私の命令を無視した理由をね」
「そんなに責めた言い方しなくて…」
「正雄くん、私は正雄くんにも怒っているんだよ」
鋭い視線が移る。
「反省していそうだった。理由がはっきりしていた。大きく持ち場を離れたわけではない。だから強く言わなかったけど、意見は出来ないよ?正雄くんも、私の命令を無視したんだからね」
ボスが会合で見せていた笑顔と良く似ている。
この人もやはり、寂しいだけなのだ。
「貴方を裏切ったのではありません」