第4話 酉より王子、午より姫①
組織の幹部が集まる部屋に、再び私はいた。無傷の私を見て、幹部たちは大層驚いている。嘘でも良かった、と言えないものか。
いや…それに関しては私が言えたことではない。
「ではまず、昨日の糸の件について報告をさせていただきます」
昨日と同じく、奥の方の椅子に座る彼は鼻歌まじりでご機嫌だ。そんな彼を幹部たちはちらりと見たが、誰もなにも言わなかった。
「結果として自殺となる。この理由を1つしか説明しませんでしたが、3つの候補がありました。まず、単なる殺人衝動」
「それは自分で否定していたはずですわ」
「はい。ですが、全く否定する材料はどこにもありません。次に、皆さんに説明した“王子様症候群”です」
彼がちらりとボスを睨んだが、ボスは微笑み返すだけでなにも言わない。
何故彼が私を呼んだのか分かった今、彼がなにを言いたいのか分かる。彼についての結果でもある。彼には知る権利があるはずだ。
「教えて差し上げれば良いのではないですか。あのとき、私が突き落される役を申し出たとき、ボスには私がどの様に映っていましたか」
「もちろん君が霞城くんのために死のうとしているように思えたよ」
なんてことのない様に、当然の様に、口から滑る様に出た言葉。それに対し、勢い良く椅子から立ち上がる。
「何故止めなかったんです」
ボスが彼を見る顔はきょとん、としている。
彼の言うことが分からなくはないが、私はどちらかと言うとボスの思っているであろうことの方が分かる。
死にたいのなら、早く眠れば良かったのに。
私がこれに正確な対処が出来る可能性は、彼から見てもボスから見ても、低かったはずだ。
それなのに身代わりに連れて来たかの様な人物が犠牲になろうと言うのを止めろと言うのだから、意味が分からなくても仕方がない。
「死にたいのなら早く眠れば良かったんじゃないのかな」
けれど、違う。ボスが思っている意味とは違うのだ。彼は誰も死なせたくなかっただけだ。
眠らない。これには限界がある。限界が来れば、彼は自らの意志で飛び降りたのだろう。元はと言えば、糸に触れてしまった自分が悪いのだから。
「そうでないのなら一体、君が南くんを連れて来たのはどういった了見かな」
「死ぬ前に一度、話しをしてみたかったんです」
そんな雰囲気ではなかったが。それに、会話なら抗争地域でした。
「君も南くんを気に入ったのかな」
「そうです。話しをして、僕を救ってくれるかもしれない。そう思ったので連れて来ました」
面白いと言われたことも不思議だが、あれでどう判断したのだろうか。
それに、この言い方では抗争地域で会う前から私のことを知っていたかのようだ。昨日も私が1年以上前から5隊にいたことを知っていたと言った。
「君もとは、どういうことですの。それに霞城、あなたを救うなら自分の代わりに死ぬことになるやも、とは思わなかったのですわね」
「思いませんでしたよ。救うというのは、救うために動いた者が不幸に見舞われてはいけません。不幸に見舞われたのなら、それはただの自己犠牲です」
なるほど一理ある。それにしても、過大評価されたものだ。
「では教えてもらおうか。霞城くんを救った方法。結果として自殺となる理由の3つ目。まずは一番自信があったと見受けられるのに、言わなかった理由から」
ボスの微笑が、部屋の空気を重く震えさせた。この空気の中言わなくてはいけないのかと思うと、小恥ずかしい。
「それは…その、恥ずかしくて…。これが正しければ言わなくてはいけないことは分かっていたのですが…」
「言い訳は必要ありませんわ!早く言いなさい!」
焦るな、女。お前に命令などされなくとも説明する。そう意気込まれると余計に言いにくいことくらい分からないのだろうか。
「…姫を、用意する」
彼の笑い声が部屋に響く。恥ずかしい気持ちを咳払いで一先ずどこかへやり、彼を小さく睨む。
「笑わないで下さい。暗示にかかっていたとはいえ、その用意された姫にキスをしたのは誰ですか」
「僕だね。ごめん、ごめん」
笑い過ぎて溢れた涙を軽く拭うと、私を見る。
「“王子様症候群”…それはこれにも言えるんじゃないかい。それに今回の場合、分からないままのこともある」
腕を組んだ彼の表情は、真剣なものになっていた。
「窮地に陥っている者であれば良いのか、思い入れのある者でなくてはいけないのか。また、その者が窮地に陥っていなくてはいけないのか」
“思い入れのある”という言葉に、幹部らに視線を向けられる。しかし私に説明出来ることはなく、首を傾げる。
「昨日から疑問だったのですが、以前から私を知っていたのですか」
「ああ、そうだよ。そして気になっていた。抗争地域で君に声をかけたのは偶然ではないのだよ。死ぬ前に話せる場は、あのときしかなかった」
いつ私の存在を知ったのだろう。幹部が5隊へ来るとなれば、騒ぎになるだろう。ここへ来てすぐの頃なのだろうか。
「ところで、ボスも君を知っていた様子だけど、それにはなにも言わないのだね。僕にはそれが不思議だ」
女性の発言から話題を逸らしたということは、言わない方が良いのだろうか。
ボスに視線を向ける。すると頷いて、組んでいた手を軽く開いて見せた。言って良いらしい。確かに言わないことは変ではある。
「ボスにはここへ招き入れていただきました。ですので、知らないはずはないのです。故になにも問いませんでした」
部屋がざわめく中、彼だけは小さく笑っている。
「そのような者が5隊にいるはずがありませんわ。本当だと言うのなら、何故ブレスレットをしていないのです」
この組織には迎え入れた者がその証を贈るという風習がある。腕輪だと知っているということは、ボスは腕輪を贈ることにしているのだろう。
そういえば、彼も腕輪をしている。
「私には派手な装飾でしたので、友人にあげてしまいました。邪魔だと思ったのですが、気に入っていましたよ。その友人は昨日の抗争で死にましたが」
「なっ…!」
「昨日していなかったから、そうじゃないかと思って用意しておいたよ。君はすぐ人に物をあげてしまう。自分の命ですら。その癖は直しなさい」
「必要とする者の元にある方が、幸せではありませんか」
私のところへ来たボスが、なにかを首に巻く。窮屈だ。
「チョーカーという、ネックレスみたいなものだよ。これなら邪魔にならないだろう。それに自分から見えなければ派手だとも思わない」
「なるほど。では頂戴します」
「ほ、本当…なのですわね…。しかし、何故5隊に」
彼が吐いた小さなため息が、部屋に充満していく。
「不思議なことなどありません。双葉さんは先代に幹部になることを前提として迎え入れられたため知らないと思いますが、僕も最初は5隊に入りました。それがボスの方針です」
「しかし、長くいるように聞こえましたわ」
「はい、3年になります。5隊以外への配属は、全てお断りしています」
一旦静かになっていた室内は再びざわめき、ボスと彼は笑みを見せる。
「3年かい。君はしぶといのだね」
「何度か説得したのだが、5隊が良いと言って聞かなくてね。理由すら聞かせてくれないから諦めてしまったよ」
大袈裟に首を振り、肩を竦める。見たことのない仕草だ。ボスになり環境が変わったことで、自身も変わってしまったのだろうか。
「それでも君は生きて、人に物を与え続ける。それが君の生き方なのだと、今は迎え入れたときよりも君を気に入っているよ」
そう、私の知っているこの人は、こんな風に優しく笑う人だ。どの様に壊れても、どんなに腐っても、優しく笑う。そんなおかしな人だ。
「では話を戻そうか。君は昨日、見せたい物があると言ったね」
「はい。この本です」
「この白紙の本がどうしたのかな」
ボスへ渡した本を返してもらうと、幹部らが集う机の上に置く。ボスは一先ずの用が済んだと判断したのか、奥の椅子へ戻って行く。
「確かに白紙だ。この本がどうしたんだい」
「私には、その本に書いてある文字が読めます。白紙ではありません」
「なにか特殊な道具を使って読むということかい」
小さく首を振る。
全くの見当違いだ。だが、全く知らない者からすれば仕方がない。
「その本には、童話『赤い靴』が描かれています。最初に本を開いた者だけが読めるのです。そして、超常現象と言うべき力を得ます」
「霞城が触れた糸はその超常現象の一部だ、なんて言いませんわよね」
「言います。童話『眠れる森の美女』の異能を持った者による仕業でしょう」
これを言えば殺されるだろう。けれど私が招いたことだ。仕方がない。
まずは正しく名乗るところからだろう。荒廃したこの世界では、苗字を持っている者は多くない。名家とその右腕くらいだ。
それ自体はこれに関しての問題ではない。ここでの問題は、苗字を持つ者らの関係だ。私は関係ないというのに、全く面倒だ。
「問わないのですか。何故それを知っているのか、何故それを昨日の時点で言わなかったのか、と」
「話す順番があるだろうからね。君の自由に話してくれて構わないよ」
「ではまず、私の名前から」
ボスと彼が視線を合わせ、首を振る。当然だ。誰にも言っていない。こんなところで言ったら拷問されて殺されるだけだ。拷問は痛いから嫌だ。
「南絢子と申します」