第39話 過去と未来③
喜世さんが教えてくれた通り、3つ目の階段を降りると微かに見覚えのある景色があった。
迷わずに建物には着いたが、すぐには入らなかった。霞城さんが建物に入ったことを確認して、私も建物へ入る。
「只今戻りました」
「おかえり」
「なにか買い物をされたのですか」
食糧も日用品も、まだ十分あるはずだ。買い足す物などあったのだろうか。
「下見をしただけさ。お昼はなにを作ろうか」
「あまり食糧を無駄に出来ません。今日は戦闘もありませんし、お昼は良いのではないですか」
これも理由のひとつではある。しかし一番の理由は、晴臣さんと顔を会わせたくないためだ。
「軽くでも口に入れないと駄目だ。身体が資本なのだから」
「…はい」
「だけど戦闘が始まった今、ゆっくり出来るのは事実だ。持ち運べる物を作るから、外で食べないかい」
そうして、なんでもない日を過ごした。
霞城さんの言う通り“ゆっくりする”ということを体験していて良かった。そうでなければ、今頃どうして良いか分からず徘徊していたことだろう。
夕食は全員で食べたが、晴臣さんの調子は変わらなかった。気にしていた私が馬鹿らしい程だ。
「今日は霞城くんも一緒に、違うトランプゲームをしない?」
ご機嫌な様子で札の束を顔の横で振る。
「では、ブラックジャックをしませんか」
「私は休ませていただきます。皆さんも今日は特に、早く休まれた方が良いと思います」
「どうしたんだい」
霞城さんが夕食を作る背中を見ながら考えていた。異能戦争は本当に平等の名の元、ルールに乗っ取って行われているのか。
答えは簡単だ。違う。
「明日の戦闘は明け方、遅くとも8時までには開始されるでしょう。そして、戦闘するのは東と西です」
「根拠はあるのかな」
「ありません」
そんなものがあるのなら、問題になっている。他組織は気付いていないのだろうか。それとも、協力関係にあり黙認しているのだろうか。
ルールに書いてあることは守るべきだ。守られるべきだ。しかしルールに書いていないことは、なにをしても構わない。
門番と同じだ。
戦闘する組織をどの様に決めるかは、明記されていない。この建物へ案内される道中、無作為だと説明されただけだ。
エリアについてもそうだ。環境が大きく変わることは、説明もされなかった。
「ここへの道中、霞城さんから異能戦争を西が取りまとめていると聞きました」
「まず戦略派の北と東を戦闘させる。翌日、戦力を落とした北の様子を南で見る。自分は現状把握がまだ出来てない東と戦闘」
発言が合っているか確認する様に向けられた視線に頷く。
「北が戦力を落としていなければ、東が連続で戦闘していた可能性もあると言いたいのかい。もちろん西と」
「はい。それが可能なのかは分かりません。しかし流れを考えるのなら、それが一番自然だと思います」
「何故早い時間だと思ったんだろう?」
「地面がただ掘られただけの門が、開く時間です」
ここへ来て2日目。確証はない。だが、空気が慌ただしい。
「死体を投げ入れるのでしょう。昨日は真夜中に開いていましたが、今日は夕方開いていました」
「昨日眠れなかったのは、そういう訳かい」
「はい。なにがされているか分かりませんでしたので。昨晩は3つ、なにかが投げ入れられました」
3つという時点で大方察しはついていていた。だが、説明されていないことが多くあることもあって、穏やかではいられなかった。
「今日は夕方、霞城さんに夕食を作っていただいているときです。ひとつ、投げ入れられました」
「開始時間の違いかもしれないよね」
「空気が慌ただしいのです。昨日はそんなことはありませんでした」
ただの主観で、少しの根拠もない。信じてもらえるとは思えない。だが、それでも私は口にする。
正しいと信じたいからだ。
死んだ戦闘員たちは、本当にゴミにされてしまった。異能戦争を一刻も早く終え、穴から救い出す。
そのためには、この事実を信じなくてはいけない。
「本部で空気の流れについて言っていたけれど、それかい」
「はい。壁で囲まれているせいでしょう。よく分かります」
正雄さんは異能の糸に気付いた理由に結び付くかもしれない。だが、晴臣さんと弓弦さんはにわかには信じがたいだろう。
「だから佐治が隠れていることに気付いたんですね」
「佐治さんは隠れる気がなかった気もしますが、大体それが理由です」
「誰も気付かないのに、毎度やらされることを嫌がっていたんです。そうかもしれません」
誰も言わなかったのではなく、誰も気付かなかったのか。少なくともボスと霞城さんと正雄さんは気付きそうだが。
「絡まれるのが面倒だから言わなかった」
「僕もボスも気付いていたさ。当然だ」
「可哀想ですね」
知らない話題だからだろうか。晴臣さんが不機嫌そうな顔をしている。
「晴臣くんも見たことあるはず」
「紹介されたわけじゃないんだから知らないよ」
他人に興味がなさそうだから仕方がない。私だって他のボスの護衛は知らない。興味がなく、必要のない情報だからだ。
「兎も角、3人が信じるのは分かったよ。私は正直疑わしいけど、ひとりじゃ出来ないからね。大人しく寝るよ」
誰も寝るとは言っていないが、大した問題ではないだろう。食堂を出て行った晴臣さんの背中を見送った。
「君も寝るのかい」
5隊ではどこも使っていた言葉だ。期間は不明だが、霞城さんも5隊にいたと言っていた。知らないはずはあるまい。
「いいえ。睡眠は大切です。しかし、中途半端な睡眠は活動の妨げになると考えます。なので、休みます」
首を傾げる正雄さんと弓弦さんに、霞城さんが小さく笑みを向ける。
「戦闘の最前線近くへ身を投じる3隊までで休む、と言うと“少人数で腰を落ち着ける”という意味になります」
「ゆっくりする、とは違うの」
「そうですね。銃の整備をしていたりするので、ゆっくりはしていません」
「仕事中毒」
私を見られても環境は変わりはしない。仮に私がなにかを出来る立場にあったとしよう。しかし異能戦場からではなにも出来ない。
「貿易組織でも小休憩は“良い場所で座っての見張り”ですから、皆仕事中毒なのかもしれません」
「良い場所?」
「夏なら日陰。冬なら焚火の近く。そんな感じです」
日陰ということは、遮るものがすぐ近くにあることになる。視界が制限される。焚火は煙が遠くから認識されやすい。
お飾りであれば良い場所だろう。涼しく、暖かい。
「危険もあるので、自分は嫌だったんです。その発言を偶然ボスに聞かれてどうなるかと思ったら、内勤になりました」
「その人のことは聞いた。手放さないと思ってたから、弓弦くんじゃないと思ってた。意外」
「どういう意味ですか?」
「佐治くんは自分の護衛で抜けることも多いし、近接戦向き。遠距離戦の出来る危機感のある者がいた。そう機嫌が良かった」
そのときのことを思い出しているのか、正雄さんは微笑んでいる。一方弓弦さんは、呆けた様な顔をしている。
少し話しただけだが、貿易のボスがそんなことを言うとは私も思えない。
「それは、いつのことですか?」
「1年…いや、2年前くらい。どうしたの」
「いいえ、なんでもありません。自分は仮眠を取ります。失礼します」
慌てた様子で食堂を出て行ってしまう。何事だろう。
「食事会での楽しみが増えた。そう思えば良いのさ」
この発言を問うたところで、霞城さんは答えないだろう。
しかし“増えた”とはどういう意味だろうか。北政宗の髪については、霞城さんは聞いていないはずだ。
「さて、僕も仮眠を取るとしよう」
笑みを残して去ったことを確認して、私も立ち上がる。
「私も失礼します」
10つの個室。武器庫。食堂。調理室。風呂。5人でも広いこの建物に、ずっとひとりでいたのか。何故か、改めてそう思った。
***
長針と短針が真上で重なる。落ち着かない。空気の流れが妙に穏やかだ。戦闘が始まる予感がする。
長針が45度になる前に、あのけたたましい音が響いた。
『これより15分後、東と西の戦闘エリアへの門を開きます』
やはり戦闘相手は西に仕組まれているのだろうか。
それより、今は目の前のことだ。
ポイントの配布が出来ないことは避けなければいけない。今の音で起きないはずはないが、一応部屋へ行こう。
「全く、本当に信頼がないね。それくらいは信頼してほしいよ」
晴臣さんが自分の使っている部屋の扉の前に立ち、不服そうな顔をしている。4つの視線がそこで重なっていた。
「相応の言動を求める。だけど、今はそれよりも戦闘」
手を振る晴臣さんを背に、戦闘エリアへの門へ急いだ。
「この戦闘が無事終わったら、聞いていただきたいことがあります」
「なんで死亡フラグ建てるの。ドMなの」
「正雄さんも茶化したりとかするんですね」
むくれた様な表情をする正雄さんに、弓弦さんがくすくすと笑みを向ける。
これから殺し合いをしに行くというのに、気分が凪いでゆく。それを、霞城さんのため息が水面を荒立たせる。
「駄目だ。食事会まで秘密にするんだ」
「なにを気付いて…」
「それも秘密さ」
作った笑みが、更に荒立たせる。水が底からかき回されている様な気分だ。一体なにを企んでいるのか。
まさか東を…いいや、違う。
「弓弦さん、命はより上位の者に従うべきです。あの椅子の位置が示す通りに」
「それは自分の方が、絢子さんよりも上位という意味ですか?」
「どちらでも構いません。世話を焼かれないといけない者より下位であるのは、不服ですか」
その笑みは、答えそのものだった。
「そのバッヂには、感想なんて関係のない価値があるんです」




