第38話 過去と未来②
私が気持ちとして一歩引いたことには気付いただろう。だが、それを意に介さず続けて語る。
「母親たちがなにをしても、2人は興味を示さなかったよ」
そこでふと、ある考えが浮かんだ。
兄である自分を母親が推さない。晴臣さんはそのことに、不満を持っていたのだろうか。
どちらかと言えば、晴臣さんも興味がなさそうだ。しかし面白くはないだろう。
「私もあまり興味はなかったけどね、母親の手を煩わせたくなくて“そういう風”を装っていたよ。幼い頃は特に、皆そうだと思う」
総代を目指すものなのだと言われれば、そうするしかないのだろう。地下になどいなくても、どこにも自由などなかったのだろうか。
「そんな中で、正雄くんの母親が倒れたところを私が目撃した。正雄くんはわざと発見を遅らせたんじゃないかと思っている」
晴臣さんが戦略パートの者として異能戦場にいることは知っているはず。
それなら正雄さんにとって赴くことに対する問題は、私だけではなかっただろう。だが、そんな様子はなかった。
知らなければ見えないこと、覚えていないこともあるだろう。けれどそんな風には見えなかったという感想は変わらない。
ここでのやり取りだってそうだ。母親を見殺しにした相手を恨む様な素振りではなかった。
殺気は別として雰囲気は、嫌なことを言われて怒った。そんな感じだ。
「――っていうのが、東の家での噂話だよ」
この人嫌い。
「実際は、私と正雄くんの2人で見たんだよ」
「正雄さんのお母さんが倒れたところを、ですか」
「そうだよ。それで私が止めたんだ。“これ以上醜くなっていく母親を見たいのか”って」
では、正雄さんは自分の母親を見殺しにしたのか。いいや、亡くなることまでは望んでいたなかっただろう。
しかし結果として、亡くなってしまった。
自分が赦されないとは思っているが、微塵も後悔をしていない晴臣さんに怒りを覚えた。そんなところだろうか。
「私は総代の座よりも、理解を示し合わせられる者が欲しかったんだ。持っている正雄くんが羨ましかったよ」
「正雄さんのお母さんが亡くなれば、正雄さんや栞さんがどうなるか分かっていて止めた。そんなこと、言わないですよね」
私の発した声は、震えていた。
違うと言ってほしい。嘘で良い。茶番で良い。なんでも良いから
ボスと同じ様に微笑んで、そんなことを言わないで。
「知っていたよ」
嫌だ。違う。
「何故ですか。僻むのは勝手です。でも、それで人の人生を狂わせるなんてことが、何故出来るのですか」
「簡単だよ。私がそういう人間だから。それだけだよ」
にやりと、不気味な笑みが浮かべられる。
昨日の地図についても、そういうことだったのだろうか。
「南絢子、君が狂信している東恭一も、そういう人間だよ」
「違う!」
ボスはそんな風に、全く他人の人生を狂わせることなんてない。
自覚がないこと。仕方のないこと。そういうことを数に入れれば、きっと誰もが一度は誰かの人生を狂わせたことがあるだろう。
「違わないよ。恭一は婚約者候補を次々と殺した。断るより、殺す方が早いからだよ」
自分勝手な理由で他人の人生を狂わせる?しかもそれを自覚して?そんな者が沢山いてたまるものか。
ボスがそうであってたまるものか。
「それが、こんな壊れた少女を傍に置くなんてね。少年も幾分か壊れている」
「ボスはそんなことを、しません」
「もうその話は終わったよ」
常に過去は過去でしかない。過去を終わったと表現するのなら、終わっているだろう。しかし過去は今を形成する。
過去はいつまで経っても、終わりはしない。
「恭一のなにをそんなに気に入ったのか、私には分からないよ。でも恭一が絢子さんを気に入る気持ちは、分かるかな」
分かってたまるものか。理解など必要ない。ボスが私に良くしてくれる理由など、ボス以外が知らなくても良いのだ。
「それで、霞城くんとはいつ会ったの?」
「栞さんと晴臣さんの関係をまだ聞いていません」
わざとらしく驚いた様な顔を作ると、小さく頷く。怒りを覚える顔だ。
「たまに顔を合わせる程度だよ。呼び方は、気を引くために言っただけ。騙されちゃった?ごめんね?」
「最低ですね。なにがしたかったのですか。意味が分かりません」
「調教だよ」
これが異能戦争を生き残るために必要だとは、とても思えない。
辞書通りの意味で使っていないとは、そういうことだったのか。しかしどういう意味なのかは分からない。
「難しい方がやり甲斐がある派なんだ。君を私の物にするよ」
「嫌です」
晴臣さんのその笑顔は狂っていて、ボスのものとは全く違った。そう、全く。
「…霞城さんと初めて会ったのは、2週間程前です」
「随分と最近なんだね」
「質問には答えました。失礼します」
食堂を出ると、その勢いのまま建物も出た。行く当てなど当然なかった。それでも、あそこにいる気にはなれなかった。
市場とは真逆の、静かな方へと向かう。
階段の上にある建物の横を通り抜け続け着いたのは、見晴らしの良い場所だった。門まで一望出来る。
「女の子供…?」
先約が振り向き、驚いた顔をした。腕章をしている。どこの者だ。色彩感覚がないことが露見するのは不味い。
「上の人の我儘には、付き合い切れない。あなたもその口でしょ。でももう、その我儘を聞くこともない。そう思うと――」
その女性は、泣いた。静かに、綺麗に、泣いた。風が攫った涙が、私の頬に触れる。妙に温かいそれを、私はどうにも出来ずにいた。
「恨みなんてしない。そういう場所だから」
この儚い様子からは想像が出来ないが、北政宗が我儘を言って連れて来たという女性だろうか。確か名前は喜世さん。
変わり者だが慕う者が多い、という場合もあるだろう。断定は出来ない。
「なにも話さないなら、どこか別のところ行って」
小さくお辞儀をして背を向けるが、あることを思い出して立ち止まる。
「大変申し訳ないのですが、帰り道を教えていただけませんか」
「…え?」
「帰り道をおし…」
違った。これは聞こえなかったのではなかったな。
「夢中で駆けて来たものですから、どう来たか自信がないのです」
「なにそれ。良いよ」
手が差し伸べられる。この形は、握手だ。
「北浦喜世。あなたは」
判断を仰ぐ者はいない。どうするべきなのだろう。
「知らない人と話さない。お母さんとの大事な大事な約束か、上の人からの命令があるなら自分で帰って」
引っ込められそうな手を、無理に握る。
「失礼しました。南絢子と申します」
「南?」
腕章に目を向ける。同然の行動だろう。私が付けているものは、東の腕章だ。
「東は、馬鹿なの?」
「否定しかねます」
南の中に私のことを知っている者がいれば、食事会の際にでも分かることだ。
多分、今誤魔化すことは出来る。それは誤魔化していると分かれば、喜世さんが聞いて来ないであろうからだ。
「面白い。こっち」
ふわりと笑って歩き出した喜世さんの後ろを、追いかけた。手招きで横を歩く様に言われ、その通り横を歩いた。
「なんで道も分からなくなるほど夢中で走ってた」
「言い争いと表現すれば良いのでしょうか。それで、飛び出して来たのです」
「胴バッヂはひとり。そう聞いた」
また徽章の話か。これを付けて基地へ行ったときの、皆の反応が懐かしい。しかし、分からない。
「これは、それ程大切な物なのですか」
「エキセントリック」
益線とリック?物語だろうか。どんな関連性があるのだろう。
「本家なのに驕らない。バッヂ持ちでない者に敬語。しかも北浦なんていう、分家の分家。なんで」
「年上には敬語を使うものだと、本に書いてありました」
それに御家柄のことは、北に限らず全く知らないと言って良い。
「そう。…ここからは独り言。北政宗と当たったのは誰」
それを聞いてどうするのだろう。恨まないと言っていたのは嘘なのだろうか。なんにしても、今度の食事会で知ることになる。
独り言だと言っていたし、下手に返事をすることはない。黙っているのが良いだろう。
「分かってる。ごめんなさい。ただ最期が聞きたかった」
瞳には涙が溜まっている。私は、後悔しないのだろうか。
「…誰にも言わないと約束して下さい」
驚いた様な顔が、決心した様な顔に変わる。そして大きく頷いた。
「言わない。約束する」
「次の食事会で分かります。それ以上は尋ねないで下さい」
「分かった。ありがとう」
殺したのが私だと知ったとき、喜世さんはこの言葉を後悔するのだろう。けれど、それは私にはどうにも出来ない。
過去は決して、変えられないからだ。
「3つ目の階段を降りたら分かると思う。分からなくても、そこなら人がいる」
「分かりました。ありがとうございます」
礼をした瞬間、あのけたたましい音が響いた。
『これより15分後、南と北の戦闘エリアへの門を開きます』
「健闘を祈ります」
小さく頷いて素早く去って行く。
正雄さんが戦闘を避けた者であるのなら尚更、死んでもらった方が良い。それは分かっている。
だが、慕った者の最期も聞けずに逝けるだろうか。ましてや、聞けると分かっているにも関わらず。
私には出来ない。
今思えば、ボスがああ言った理由をきちんと考えるべきだった。街へ出るのが最初で最後だと言った理由だ。
私が異能戦場から戻ったとき、ボスは存命だろうか。