第37話 過去と未来①
日付が変わった瞬間にでも戦闘が始まるのでは。そう思い、眠れずにいた。眠ろうと努める程、目が冴えてゆく。
朝日が昇り、霞城さんが料理をする音が聞こえ始める。心地良い音だ。
調理場へ行くと、振り向いた霞城さんが微笑んだ。
「おはよう」
「おはようございます」
「眠れなかったようだ。ここで少し眠ったらどうだい。僕が見ている」
今日も戦闘があれば、睡眠不足は問題だ。そうさせてもらおう。なんだか、眠れそうな気がする。
「危ないから手に持っているそれは仕舞うんだ」
「なにも…持って、いません」
寝ぼけた頭で辛うじてそう答え、机に突っ伏せた。軽く腕になにかが触れたが、覚えのある感触だったため気にせず眠った。
***
「おはようござ…ってなにを持って寝ているんですか、危ないですよ」
「僕もそう言った。けれど、なにも持っていないらしい」
「癖って怖いですね。でも本当に危ないですよ」
眠り始めてから、どれくらい経ったのだろう。ぼんやりとした頭に、妙にはっきりと会話が響く。
「でも扱いには慣れている。それにこの状況で一番きけ…」
「わっ!自分です!弓弦です!」
「言わんこっちゃない。この状況で一番危険なのは君だ」
霞城さんの視線が、私の奥へと向いている。そこには、私に刃物を向けられた弓弦さんがいた。
「おはようございます」
持っていた刃物を仕舞い、軽く頭を下げる。
「…おはようございます」
「もうすぐ出来る。2人を呼んで来てくれないかい」
「必要ない。弓弦くん、声が大きい」
「今のは弓弦くんが悪いと思うな。それにしても、女性の寝込みを襲うなんて大胆だね」
納得出来ない、とでも言いたそうな顔をしている。
「少なくとも、僕の忠告を最後まで聞くべきだった。それだけは確かじゃないかい。はい、早く運んで」
「分かりました…」
不服そうな顔のまま皿を持って食堂へと向かう。
「お騒がせしました」
「本当だよ。それにしても、霞城くんは絢子さんを甘やかしているね」
「申し訳ございません」
私が不服を申し立てると思ったのだろう。意外そうな顔をしている。
具体的なことは、なにひとつ分からないままだ。しかし、甘やかされているという事実を受け入れるべきだとは思っている。
命令という免罪符は、出来るだけ使わない様にしようと決めたのだ。そう。決めたのだから。
「スープが冷めてしまうよ?早く食べよう」
食堂で椅子に着き、手を合わせる。
「昨日聞きそびれたんだけど、恭一以外の兄弟たちは元気かな」
「普通」
「正雄くんは相変わらず反抗期だね。でも元気なら良かったよ」
皿を見ていた正雄さんの瞳が、じろりと晴臣さんを捕らえた。これ程の殺気をどこに隠しているのだろうか。
「赦されたいとでも思ってるの」
「なにを?」
その笑顔は、なにを指しているのか分かっているな。
「…別に」
「そっか。今日は市場に行ってみようよ」
「行きません」
「なぁに?今の、気になる?」
…嫌な笑顔だ。
それに大抵の者は気になるだろう。実際私は、気にならないと言えば嘘だ。だが、理由はそうではない。
「ボスと以外は行きません」
「そっか。恭一が大好きなんだね」
気味が悪い。気色が悪い。その笑みを早く仕舞ってくれ。
「僕はひとりで行きます。片付けは戻ってからするので、置いておいて下さい」
「自分がやります」
「じゃあ頼もうか。では行ってきます」
言って早々に皿を持ち、出て行ってしまう。どうしたのだろう。今のことについて、なにか知っているのだろうか。
いずれにしても、誰かが話すまでは聞かないでいるべきだろう。
「私も出ます」
「市場に行かないのに、どこへ行くのかな。迷子になって戦闘パートに参加出来ない、なんてことは止めてほしいんだけどね」
「北の者を訪ねます」
「何故かな」
纏う空気を重くして、それでも笑顔のまま、晴臣さんは問いかけた。
嘘を吐くと後々面倒そうな雰囲気だ。元々嘘の吐けない私には、直接的に関係ないことではある。
「北政宗の髪を届けます」
「それを受け取ると思うんだね?」
「…あることを知らなければ、受け取ることも出来ません」
答えている様なものだった。だが、どこの者であろうと“出来ることならしてやりたい”と思っていると信じたいのだ。
違ったからと言って、私がなにかを思うことはないだろう。しかし行動しなければ、私はそれを嘆くだろう。
つまりは自己満足だ。
「北政宗と戦闘したことは、もしかしたら知られていないかもしれない。だけど、行けば確実に知られることになるよね」
こればかりは、なにが言いたいのか分かる。小さく頷いてみせた。
「警戒される。それが今後にどれ程影響を及ぼすかは分かりません。しかし、その事実は理解しています」
「それでも行くんだね」
晴臣さんの目をしっかり見て、再度頷いた。
そんな私に、晴臣さんはただ微笑んだ。ボスと同じ、見透かした様な笑みだ。だがボスとは違い、本当に見透かされている気にはならない。
「それならいっそ、今度の食事会で渡そう。他組織の前で、堂々と。正雄くん、どうかな」
「好きにしたら。止めてもやる気なのに聞かない」
そうかもしれない。命令を言い訳にすることを止めたのであれば、私はなんとしてでも北政宗の髪を北の者へ届けるべきだろう。
「じゃあそうしよう。ところで、霞城くんとはいつ知り合ったのかな」
何故そんなことを聞くのだろう。
「ごちそうさま。弓弦くん、2人の分も食器お願い」
「はい」
再び重くなった空気から逃げる様に、皿を持って食堂を出て行った。
「俺に聞かせたいの。違うなら聞きたくない」
「じゃあ出て行って良いよ」
不気味な笑顔を浮かべる晴臣さんを小さく睨むと、食堂を出る。睨まれた方の晴臣さんは、気にしている様子が全くない。
「教えてよ」
「何故それを知りたいのですか」
「興味があるからだよ。君は随分と、恭一を狂信しているね。でも霞城くんを頼り切っている。3人の歪な関係を知りたいんだよ」
面白がられているというわけか。不愉快だ。
「その様な理由であれば、拒否します」
「そっか。残念だよ。栞ちゃんが命懸けで救った子のことが、知りたかったんだけどね」
正雄さんの恋人のことだろうか。そんな呼び方をするなんて、晴臣さんとはどんな関係なんだ。
「気になる?正雄くんの恋人と、私の関係が」
人の神経を逆なですることに喜びを覚えるのだろうか。趣味が悪い。
「他者の大切なことを嗤う者に、大切なことを教えられると思うのですか」
「それも良いと思うよ。さっきのことが、本当に気にならないならね。これは絢子さんに関わることでもあるんだよ」
どこまでが本当が怪しいものだ。しかしこう言えば私が食いつくことは分かっているだろう。
「先に聞かせていただければ、答えます」
「じゃあそうしようね」
満足そうな笑み。やはり乗るべきではなかったか。この人は一体なにがしたいのだろう。
「総代には7人の奥さんがいてね。私と恭一の母親は3番目で、正雄くんの母親は7番目の奥さんだったんだよ」
「過去形ですか」
「正雄くんの母親は亡くなっているからね。7番目の奥さんの子供のうえに、兄弟の中では歳が若かった。そして口下手」
それは今も変わらない。
この流れで亡くなった母親について話す。そして“赦す”ということは、その死に関わっているのだろうか。
「正雄くんを次期総代に推す声はそれなりにあったんだけど、色々あって東泊へ養子に出されたんだ。それ以降途端に聞かなくなったよ」
「それが大切だという者もいるでしょう。しかし正雄さんにとっては“そんなもの”なのではないでしょうか」
「そうだね。色々っていうのは言っても分からないだろうから端折るけど、母親が亡くなったことで諸々の事情が急展開したんだよ」
そう堂々と言われると、特に言及する気も起こらないな。確かに東の内情については全く分からない。
「栞ちゃんは苗字を持たない者だったんだ。だけど正雄くんと婚約していて、それを総代も認めていたんだよ」
「だけど…ですか」
「そうだよ。それが多くの者から見た事実だよ。少々悲しくは思うけど、変えたいとは思わない」
恐らく私もそうなのだろう。3年半もの間、ボスに正体を隠していたのはそういうことなのだ。
拷問を避けたかったというのもある。しかし私は、なにも変えるつもりがなかったのだ。だから黙っていられたのだ。
「“諸々の事情”の中には栞ちゃんのこともあってね。死人に口なしって言うでしょ?そんな感じで南に行くことが決まったんだ」
「それで何故正雄さんが晴臣さんを恨んでいるかの様な、あのやり取りになったのですか」
「正雄くんの母親が倒れたところを、私が目撃したからだよ」
対応が良ければ、という思いではなさそうに思える。ということは、見殺しにしたと思っているのだろうか。
「あの頃私たちの母親と正雄くんの親は仲が悪かったんだ。次期総代争い関連って言えば良いのかな」
「ボスも正雄さんも興味がなさそうですが」
「だからだよ。だから母親が必死になるんだ。なってしまったんだ」
最後の、妙に熱の入った語り。それに私は一歩下がる気持ちになった。
これまでで一番嘘っぽいそれが、気持ち悪かったのだ。