第2話 眠れる王子と自殺姫②
「なにか分かったのかな」
思わず笑った私へのその問いは、優しい口調だった。
「はい。“王子様症候群”――とでも呼べば良いのでしょうか」
「王子になるか、死ぬか。そういうことだね」
「さっきの『眠れる森の美女』の城に挑んだ者の話ですわね」
彼は小さな寝息をたてている。まだ起きる様子はない。
こうして見ていると、本当にただの子供だ。
「暗示のようなものをかけているのでしょう。いくら数日眠っていないといっても、昼寝では3時間もすれば目覚めるでしょう。目覚めるまでに暗示をかけた者へ辿り着くのは不可能。となると、解決方法が確実ではありません」
「一応ある。そういうことだね。聞かせてもらいたいな」
なんとなく、彼の頭を撫でた。私なりの決意表明なのかもしれない。眠っている彼に跪いても、なんの意味もない。
視線を上げた私は、ボスだけをじっと見た。
「人を殺させます」
「なにを言い出すかと思えば…!」
五月蠅い女だ。
「私の仮説に過ぎませんが、目覚めた者は自殺するのではありません。“不可能に近いが、達成出来たのなら凄いこと”をやろうとするのです」
先の私の言葉に立ち上がって抗議していた女性へボスが軽く微笑む。
やはり女性は大人しく座った。私の質問が的を得ていたことも功を奏したのかもしれない。
「不可能だと分かれば暗示が解けるのかは不明です。なので確実ではありません。しかし他に出来ることは、恐らくありません」
「確実かも分からないのに、人殺しなんてさせられませんわ」
「なにを常識的なことを言っているんですか。人殺しを含め、犯罪なんて沢山してきましたよね。ひとり増えたところでなんだって言うんですか」
思わず笑いそうになったのを堪えていた。しかしボスが大声で笑い出したことで、つられて笑ってしまいそうになる。
「悪いね、愉快だったものだから思わず。続きを聞こう」
少し緩んでしまっていた顔を直し、小さく頷く。
「高いところに人を立たせておきます。周囲には誰もおらず2人だけ。目覚めれば、背中を押すでしょう。人は生身で空を飛べない。これを自身ではなく他人に立証させます」
もっとも、私は鉄の塊や大きな布の風船で飛んだことがない。知識として知っている故に、生身では飛べないのだと思い込んでいるだけかもしれない。
しかし、もし飛べるのなら飛び降り自殺というものは存在しない。故に人は生身では空を飛べないのだろう。
「目覚めたときに人が近くにいた例は他にもあったはずです。ですが、非力な者だったのではないでしょうか。それでは倒せて普通です」
「…ありますわ。悪戯しようとした子供、横で寝ていた妻、起こしに来たメイド…皆非力ですわね」
「つまり、ある程度の判断能力はあるはずです」
私は真面目に考えているというのに、ボスは楽しそうだ。他の幹部たちは冷や汗をかいて見ている。彼の命は大して重要ではないらしい。
分かってはいた。幹部だろうと代わりはいる。形ばかり気にしてこうして集まったんだろう。
だけど、誰が見てるって言うんだ。
下っ端の下っ端とはいえ、これだけの幹部がいることを組織の者が知らないのに、誰が見てるって言うんだ。
「立証しようとしていたことが目の前で不可能だと知らされることになります。では次、となるかもしれませんが、そこは正気を取り戻してほしいものです」
「それを実行するとしよう。でも次の問題があるね」
他の幹部が息を呑んでもボスは笑みを崩さない。私は決めていたことを口にするため、息を吸った。
「私で構いません」
私の腕の中で寝息を立てる彼に視線を向ける。ボスも、私がそう言うとは思っていたのだろう。表情を崩すことはない。
「さっき霞城くんに言ったね」
彼はかじょう、というらしい。
「目覚めた際の案内人のことでしょうか。でしたら不要です。世界は変わっていないのですから」
「死んでも意味がないかもしれないよ。それに言ってしまえば、霞城くんが自殺すれば良いだけのことでもある」
反射的にボスへ向けた視線が普段のものより強い気がする。それを誤魔化すために、私は笑った。
見透かされてしまっているだろう。しかしそれは私にしてみれば、大した問題ではない。そんなものは慣れているからだ。
「それなら、私は随分と不義理な人物ですね。眠って良いと言ったのは私です。立案したのは私です。他に理由が必要ですか」
「いいや。君を連れて来た霞城くんの判断は、正しかったようだね」
新しい“玩具”を見つけたような笑顔。
そういった人物を見る機会はなかったが、これが正しい表現なのだろうと思わざるを得ない。最もしっくりくる表現だ。
楽しそうで、ウキウキしていて、浮かれている。しかし、その表情には暗いものを感じる。
言うつもりは元々なかったが、より言う気がなくなった。私がこの組織に流れ着いたばかりの頃は、こんな表情をしていなかったはず。
…いや、昔のことを言うのは止めよう。時が経てば人は変わる。私も変わった部分があるだろう。
頭を下げると、彼を抱えて部屋を出ようと足を踏み出す。
「南くん。君と霞城くん、どちらかを選ぶなら霞城くんになる。けれど、私は君を死なせたいわけではないんだよ。それだけは分かってほしい」
「…私が一応組織の人間故に、言葉を並べただけですか」
だって、それは嘘だ。
「そう思うのなら仕方がないね。霞城くんを頼んだよ」
再度頭を下げ、部屋を出た。当たり前だが、今度は誰も私を呼び止めなかった。
他にどこへ行って良いのかも分からない私はその足で屋上へ向かい、柵のすぐ近くに彼を寝かせた。その隣に自分も横になる。
「私などを頼った。その判断が正しいかはまだ分かりません。どれが正解なのか、まだ分からないのですから。私を東へ招き入れた判断が正しいかは、この結果次第でしょうか」
最後の一文は、言うつもりがなかった言葉を言ってみるついでだ。少々嫌味っぽいだろうか。
いや、誰も聞いてなどいない。そんなことを気にする必要もない。
「夕日が綺麗だ…」
それが沈む頃、彼が小さく動く。慌てて柵を越え、振り返る。
彼はゆっくりと立ち上がるところだった。
「おはようございます」
彼の手が、私へと伸びる。
隔てるものは、胸の辺りまでの高さしかない柵のみ。彼に押される前に落ちては元も子もないため、柵を持ってはいる。
ボスらに説明したようなものなら、私は押される。そして、離して落ちる。違えば、大人しく委ねるのみだ。
それか、共に落ちる。その場合地面の次に到着するのは、互いに地獄。
さて、この“異能”はなにを望む。
彼が触れたのは、私の頬だった。押す気配はない。一番害のないものが正解らしい。良かったのか、悪かったのか。
少なくとも、彼にとっては良かったのだ。彼は死にたくないのだから。
では私にとってはどうなのだろう。死に意味を探す私には、絶好の機会だったはずだ。だが、少しほっとしている気がする。何故だろうか。
「私は姫ではありませんよ」
彼の唇が、私の唇に重ねられた。
「おはようございます」
「おは…よう…」
彼は呆然と返事をしただけだった。寝起きが悪い方なのだろうか。この状況をどう説明したものか。
「早くこっちへ来るんだ」
表情が切り替わっている。寝起きは悪くないらしい。
慌てなくとも、もう落ちるつもりはない。落ちる必要がないのだから当然だ。
心配性なのか、バランスを崩して落ちないよう手伝ってくれる。だが慣れていない彼の手伝いはかえって邪魔だ。落ちるかと思った。
「一体どういうことだい」
「接吻なら貴方からです」
「そうじゃないっ」
今にも泣き出しそうな表情と、慌て困惑した声。
そうか。彼はただ死が怖いだけだ。自分が死ぬことではなく、死そのものが怖いのだ。なんだか悪いことをした気になるが、私のせいではない。
「『眠れる森の美女』だと分かっていた貴方なら、分かっているはずです」
「そうさ。分かっていた。けれど別の方法をと。それに君は目覚めた僕を案内すると言ってくれたじゃないか」
「数時間で世界は変わりません」
しばらく涙を溜めた目で私をじっと見ていたが、やがてため息を吐くと小さく首を振る。
「夏とはいえ、夜は冷える。中に入ろう。ボスに報告もしなければいけない」
さっき入った部屋があった階より上で廊下へ出る。この階にボスの仕事部屋があるのだろう。いくら組織の者とはいえ、それを教えても良いのだろうか。
今思えば、幹部たちの顔もそうだ。もちろん座っているだけの者のとこなど私は覚えていないが、覚えようと努めれば覚えることも出来る。
「霞城です」
「どうぞ」
扉を叩く音にそう返事をしたボスの声は、会合のときと同じ声だった。
やはり彼が戻って来るとは思っていたのだろう。扉を開けたとき、私がいればどんな反応をするだろう。
私は少しだけ、わくわくしていた。