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貴方と異能戦場へ  作者: ゆうま
第1章 血みどろな童話の世界へ
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第24話 白黒姫の赤い口付け⑦

 今日は夢を見なかった。


 扉が開く音を聞いて、反射的に刃物を手に取る。この足音は霞城さんか。刃物を布団の中に隠すと、身体を起こした。


 「おはようございます」

 「おはよう。起こしてしまったかい」

 「いいえ」


 手に持っている器に視線を移すと、納得した様に小さく頷く。


 「朝食が楽しみで眠れたかったのかい」


 冗談じゃない。


 「冗談だ。少しは付き合ってくれないのかい」

 「申し訳ございません」

 「お詫びとして、今日の課題は最低二口だ」


 私がなにをしても、そう言うつもりだったのではないか。


 「うぅ…、はい」

 「そんなに嫌かい」

 「もちろんです」

 「…嘘も少しは覚えないといけない」


 匙のくぼみには、昨日より少し濃くないであろう色の液体がある。


 「食べるんだ」


 思い切って匙を口へ入れる。


 「どうだい」

 「草の味はします。けれど昨日より甘くて食べやすいです」

 「そうかい。では全て食べようか」


 私の視線が移動した先には、茶碗がある。


 「昨日より大きくはないですか」

 「これなら君も食べられると確信していた。だから大きくした。なにか質問はあるかい」

 「あり過ぎて、ない気がします」


 匙に掬われた液体が再び差し出される。それを再び、私は口へ入れた。


 半分程食べたところで、扉が軽く叩かれた。


 「絢子さん、今日は食事の作法を学んでいただきますわ。支度をして早く、2階の広間へ来るのです」

 「では朝食はこれで終わりにしようか」

 「ご馳走様でした」

 「お粗末様でした」


 支度と言っても、なにもすることはない。立ち上がると、すぐに言われた場所へ向かった。

 そこには、月に一度の食事会の様な光景があった。


 「恥をかくことのないよう、覚えてもらいますわよ」


 三年も経てば変わることもあるだろう。皿が置かれている前へ座った。


 「コップには飲み物が入っている設定ですか」

 「水くらい入れますわよ。焦らず待ちなさ…い」


 言葉に詰まったのは何故だろう。余程不躾な質問だったのだろうか。


 「申し訳ございません」


 水をコップに注いでくれる。皿に乗っていた布を足の上に置くと、驚いた顔をされた。さっきから一体なんだ。


 「折り目は自分の方になっていますわね」

 「はい」


 確認される様なことだろうか。そう思ったのは私だけの様子で、以降そういった確認が逐一行われた。


 「完璧ですわ…!一体どこで覚えたのです」

 「月に一度食事会に参加する際、文句をつけられぬ様学びました。三年も経てば変わることもあるかと思いましたが、こういったことは不変なのですね」

 「…ボスへ報告してきますわ。ここで待ちなさい」


 少し不機嫌だろうか。なにか憤りを感じさせることをしてしまったらしい。…分からない。


 「見ていたよ。双葉くんは手厳しいのに、すごいじゃないか」

 「ありがとうございます」

 「では今日は休むこと」


 今日もなにもさせないのか。


 「昨日も休みました。ここにいては邪魔でしょうか」

 「霞城くんに言われただろう?休めるときに休む。これも仕事だよ」


 休むことが仕事…よく分からない。


 「絢子さんには難しい様子ですわ。わたくしにも時間がありますし、予定を早めても良いのではありません?」

 「うぅん、そうだね」

 「では絢子さん、次は化粧の仕方ですわ」

 「必要性を感じません」


 即座に言うと、ボスが小さく笑った。


 「君ならそう言うと思ったよ。だけど必要のないことを教えると思うのかな」

 「では、鏡を見ずに出来る方法でお願いします」

 「そんなものは存在しませんわ」


 一喝する双葉さんとは違い、ボスはなにか考え込んでいる。


 「昨日君は櫛を手に取らなかったそうだね」

 「…はい」

 「風呂に入りたくない理由は、水が苦手だからではないね。鏡があるからだ」

 「はい」


 初めて鏡をしっかりと見たのは、楠英昭の母親が腕を切り落とされたときだった。髪に櫛が入りそうなところ、腕を落とされた。

 楠英昭はそれを一番近くで見ていた。鏡越しに、はっきりと。


 あの光景が見えそうで恐ろしいのだ。


 「理由を、私に聞かせてくれないかな。もちろん無理にとは言わないよ」

 「特別な理由ではありません。あの瞬間、ただ無表情であった自分と同じものを見るのが恐ろしいだけです」


 嬉しそうだった顔が驚きに変わり、憎しみになった。私はそれを、一歩も動かずただ見ていた。

 無表情のまま、ただ見ていた。


 「うん、では霞城くんに覚えてもらうとしよう。君は目を閉じ、身を委ねていれば良いんだよ」


 なにも言わない私の顔を覗き込む。


 「不服かな?」

 「いいえ…」

 「ではそうしよう。ところで君は“あの瞬間”も、そんな表情をしていたのかな」


 表情?今もあの瞬間も、私は無表情だと思うが。


 「一度で良いから見なさい。確かに表情筋の動きは少ないけど、無表情ではないよ。君が知らないだけで、君はとても可愛らしく笑うんだ」


 微笑んだボスが、私には可愛らしく見えた。空気がふわりと浮いて、それでも地面に立っている確かな感覚がある。


 この心持ちを引きたい。

 辞書が今すぐ欲しい。


 けれどきっと忘れないという、確信に似た自信があった。だから私は辞書へ向かわず、ボスへ向き直った。


 「命令であれば、一度だけ」

 「では止めよう。君が見たいと思ったときに見なさい」

 「…はい、恭一」


 微笑んでいた顔が驚きに変わり、涙が零れそうな笑みになった。私はそれを、ただ見ていた。

 けれど“あの瞬間”とは違うことがあると思う。


 きっと私はそれを見て、笑った。




                  ***




 またあの夢を見た。


 どんな夢を見ても現実は変わらない。

 けれど夢で見た私がほんの少しだけでも、悲しそうな顔をしていた。それで少しだけ、なにかを償えた様な気になった。


 「おはよう」

 「おはようございます」

 「やっと刃物を構えなくなった」


 気付いていてなにも言わなかったのか。


 「申し訳ござ…」

 「今日の朝食は生の野菜だ。沢山お食べ」


 遂に来た…!ただの葉っぱ!


 「ドレッシングはどんなものが良いだろう」

 「味の濃いものでお願いします」

 「今日が出発だというのに、君は全く…」


 出発の日など関係あるものか。


 「食べることを拒否していたことを考えれば、成長したと言えるか」

 「必要になれば食べます。野菜以外」

 「君には野菜が必要だ。今までよく倒れなかったものだ」


 扉の傍で聞こえる音に反応して刃物を構える。その音は足音で、双葉さんのものだ。仕舞って、扉が軽く叩かれる音に返事をする。


 「…絢子さん、何故自分で食べないのです」

 「本当は食べたくないからです」

 「霞城が甘やかすために、こうなったのですわよ」


 甘やかすなんて、双葉さんはなにを言っているのか。私は我儘にされてなどいない。我儘が許されるのなら、食べない。


 「物凄く抗議の目で見られている気がしますわ」

 「本当は食べたくないのだから当たり前です。訳も分からず勉強しろと言われて素直に勉強する子供がどれだけいると思うのですか」

 「あなた本当に16歳ですの」


 適当な返事をすると、葉っぱを私へ差し出す。双葉さんはなにをしに来たのか、ずっと眺めている。

 やっと半分程になったので、一応言ってみる。


 「もう食べられません」

 「分かった。では終わりにしよう」

 「霞城」

 「初めにあまり無理をさせると以降、一切口にしなくなります」


 もう二度と食べたくない。


 「化粧をして、ボスへ挨拶をしに行こうか」

 「はい。ふたつお願いがあるのですが、良いですか」

 「なんだい」

 「口紅は赤でないものにしていただけますか」


 霞城さんは理由を問わず、ただ頷いただけだった。


 「もうひとつは」

 「その色は、赤ということにして下さい」

 「分かった」


 これも、なにも問われなかった。歩き出した霞城さんの斜め後ろを付いて歩く。双葉さんの足音は付いて来ない。一体なにがしたかったのか。


 化粧をし、服を整えた。口紅はグロスという種類の橙色らしい。果物の蜜柑と同じ色だったか。


 「霞城です」

 「どうぞ」


 ボスの部屋の扉を軽く叩く音に声が返って来る。

 霞城さんが扉を開けると、ボスは心なしか落ち着かない様子で座っていた。


 「私の玩具たち、無事に帰って来るんだよ」

 「はい、ボス」


 返事をしない私へ視線が向けられる。


 「ボス、近くへ行って良いですか」

 「うん」


 机を回り込んでボスの横に立つ。背の高い椅子に座っているボスと背の低い私。同じくらいの背丈だ。


 「この赤色は、似合っていますか」

 「うん。とても似合っているよ」


 否定しないということは、分かっているのだろう。それでも私には必要なことだ。きっと、この可愛らしいボスにも。

 そう信じたい。


 ボスの頬に手を添えると、唇を重ねた。


 「たった今から、恭一は私の玩具です」

 「困った子だね」


 言葉とは裏腹に、その表情は笑顔だ。


 「必ず戻り、再びボスの玩具となりましょう」

 「うん。待ってるよ」


 この笑みを忘れぬ内に戻らなければ。


 「では、行って参ります」

第1章完結です。

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