第17話 姫の呪縛⑩
本部へ向かう自動車の中は、ボスが眠ってから少し空気が薄く感じた。じっと外を見続け、ひとつ思い至ったことがある。
「整備されていない道が走れないからなのでしょうが、綺麗に整備されている道のみ行くのですね」
「君は東へ来て以降、街へは行かなかったのかい」
「はい。その様なものがあることも知りませんでした」
大きなため息を吐く。息を吸った瞬間、肩が軽くなった。
ボスが起きている。
「起こしてしまいましたか、申し訳ありません」
「絢子くん」
「はい」
いつもより少し覇気のない声だ。寝ぼけているのだろうか。
「君は昨日訪れた街が“正しい世界”だと言ったら信じられるかな」
「どういう意味ですか」
「そのままだよ。東で荒れた土地をしているのは、武闘組織の周辺と領地の堺だけなんだよ。命を脅かすものなど、ないんだよ」
私の手をそっと取ると、優しく微笑む。その笑みが、崩れていく気がした。今まで見ていた世界が崩れていく。
その崩れた世界の後ろに隠れていたのは、あの景色。忘れていた、忘れてはいけないはずだった、あの景色。あの出来事。
「ボス、正雄という男性を知っていますか」
「もう眠っている」
固定されていない頭がゆらゆらと揺れる。私はさっきまでボスの頭があった場所へ、ボスの頭を引き寄せた。
不自然に動いた手が、ボスが起きていることを語っていた。けれど、なにを言うこともしなかった。きっと知らせたくないことがあるのだろう。
それがボス自身のみのためだったとしても、良いのだ。
***
霞城さんが三杯目の紅茶を置いた頃。考え込んで俯いていた正雄さんが、ふと顔を上げた。
「異能に弱点はないの」
「あります」
そういえば言わなかったか。
「私が持つ『赤い靴』は短調な動きはある程度の時間続けることが可能です。しかし指示が細かくなるほど時間や効力は短く弱いものになります」
隊長が楠英昭と同じ行動をしたのは、短時間で同じ物に触れたからだ。
そう、本当は理由などはっきりしていた。
だからきっと、私は袖口に赤色が使われていることをあの瞬間悟っていたのだ。ただ気付かないフリをしていたに過ぎない。
こうして事実をありありと自覚するときになって、ようやく私はそれと向き合うのだ。いつだって、そうなのだ。
「それは鍛錬でどうにかなるの」
「異能は事象です。余程使い込めば別かもしれませんが、能力は皆同じです」
あとは使い方が上手いか下手か。それだけだ。
「なるほど」
「『白雪姫』は使役するものを増やせば動きを単調にせざるを得なくなり、使役の時間が短くなります」
「こっちは、単調に“なる”のではなく、“せざるを得ない”のだね」
「はい、これは人間の限度の問題の様です。なので、鍛錬で技術が向上する可能性はあります」
そのための使役演習だろう。
基本的に異能保持者を積極的に殺すことはない様子だ。使役が少数のときでしか異能保持者の使役を試みなかったのが、その証拠だと言えるだろう。
「『長靴をはいた猫』自体はどっちの異能を得るか分からないこと。不明確なことが多いこと」
「そうですね。変身の方は姿以外は変えられず、触れられている部分の変身が解けること。嘘を真にする方はこれも不明確な点が多いことでしょう」
「過去改変なら出来ないの」
過去で不可能だったことは必ず嘘になる。誰もが考えることだ。だが、そう簡単でもない。
「それは例えば、こんなことですね。2つの団体が勝負をする。負けた団体が勝負に勝つと言えば、勝った未来が待っているのか」
「そう」
「敗北の原因は往々にして、ひとつではありません。そういった曖昧なことは不可能の様です」
それなら敗因だと考えられることを、ひとつずつ変えれば良い。
南の者はそう考えた様だが、結果は駄目だった。むしろ言動に矛盾が出て、大敗することとなった。
「原因がひとつで理由が明確。天気くらい?それも正確にはひとつではないけど、空模様という一括りに出来ないの」
「可能でした。ただ、実験はそこで終わりとなっています」
「理由は」
「短期間での度重なる大きな過去改変により体調を崩し、亡くなっています。その後は変身の方しか得られていません」
それでも南は実験を続けようとする。楠英昭は変身の方だったにも関わらず、何故すぐに殺されず潜入などしていたのか。
実験に反対する声が多かったが、敵陣へ行くくらいしか利用価値がないとでも思われたか。
「念のため聞く。糸の異能は」
南の愚行に関して私に言っても仕方がないからだろう。小さくため息を吐いただけだった。
「『眠れる森の美女』自体を読んだことがあったため、それまでにあった事例と合わせて考えただけです。なので詳細は知りません」
「催眠だと考えた僕も彼女を同じ結果を導き出しました。異能の存在を知っていれば、より容易に考えられたでしょう」
「物語を知っている。これが異能全体の弱点になるということだね」
そうはなるが、どの部分が異能となるかは不明だ。
『長靴をはいた猫』の例もある。『白雪姫』は物語を知らないため分からないが、他に登場する人物に関するものになる可能性だってあったのだ。
「弱点をあげていくと、案外どうでもない」
確かにどの様なものであれ、事象であることには変わりない。そして『眠れる森の美女』がそうだった様に、異能を解く方法は必ずある。
「そうですね。種のない手品程度です」
3人が一斉にため息を吐く。
「君が妙に危機感を持ち合わせていないのは、そういうことかい」
「火くぐりに失敗すれば燃えて死にますから、緊張感は持っているつもりです」
「それはサーカス」
「間違えましたか」
サーカス…大道芸のことだったか。
「兎も角目的がどうであれ、動くのは皆が就寝した後でしょう。不安な御仁は就寝されるか分かりませんが」
「私は眠るよ。糸に触れていないしね」
「それが良いでしょう。先に武闘組織を襲撃したのは、ここへ来させないためだったと考えるのが妥当です。真っ先に恭一が襲われる可能性は高いです」
ボスは小さく笑みを作り、霞城さんは呆れ、正雄さんは苦い顔をしている。
「恭一くんはそれ聞いて寝れるの」
「もちろん。絢子くんが守ってくれるからね」
「はい。恭一を殺そうという者は、先に私が殺します」
深くため息を吐いて背もたれに身体を預ける。
「恭一くんを壊したのは誰だろう」
「さてね。それより絢子くん、今回は生け捕りだよ」
「はい、ボス」
殺してはいけないとなると力加減が難しいな。異能で動かない様に指示をするか。しかし思考については指示をすることが出来ない。
「絢子くん、君は考えることがあまり得意ではないだろう?思ったままに行動すれば良いんだよ」
「しかし、今回ばかりは慎重な対応をしなければいけません」
「作戦を考えたところで、それを忠実に実行しようとして失敗するのが君だろう?それくらい分かってる」
…心当たりがある。
「申し訳ございません」
「俺も君の扱いには気を付ける。…難儀」
考え込まれると申し訳なさが増す。私はそんなに変だろうか。
「話は終わったようだ。君もなにか飲むかい。口を付けないまま、すっかり冷めてしまっている」
「はい。先程霞城さんに淹れていただいた際、初めて紅茶というものを飲みました。他にもなにかあるのですか」
「変わったものはなかったけれど、君には全てが変わっているかもしれない。見に行ってみるかい」
「はい」
***
無言の室内に、扉を叩く音が響く。返事をする間もなく大きく開いた。
「“貿易の”どうしたのかな。まだ返事をしてないんだけどね」
「どうもこうもない。貴様、“経済の”の護衛に手合せを願ったそうだな」
実際のところ話は終わっているが、部屋から出て来ていない以上大事な話をしている最中かもしれない。それだけの用件で慌てて入って来るのが普通なのか?
「事実です。それがなにか」
「なめているのか!」
「いいえ、全く」
拳を強く握って震わせている。一体なんだと言うんだ。
「では何故このような者に手合せを願った!」
「どの様な者かは知りません。しかし恭一と霞城さんを守るなどと戯言を言うので、そう出来る実力があるなら見てみたいと言っただけです」
「そんな意味だったんですか」
正雄さんが深くため息を吐く。
「晶くんがなんて言われて俺のところに来たのか知らない。けど俺の護衛になったのは、俺がひとりでも大丈夫だから」
「言っていて恥ずかしくないのかな、とは思ったよ」
「異能戦争に行く前に、誰に押し付けようか悩んでた。次に貧乏くじを引くのは誰か、考えてた」
俯いて拳を握る正雄さんの護衛。それと同じく貿易組織のボスも手を握っている。しかしその表情は嬉しそうだ。
「そうか、そうか。では私の護衛と手合せしてもらおうか」
「面倒なので嫌です」
「な…!“武闘の”!どういう教育をしている!」
「そんなものは一切していないよ。私はこの絢子くんを気に入っているからね」
こうして言い争いをするのも面倒だ。
「一度のみです。ひとり一度ではなく、正真正銘一度きり。それで良ければお受けします」
「それは楽しみだね」
ボスが嬉しそうだ。それならまぁ、良いか。
夕日が綺麗だ。