第148話 閑話休題
ボスたちは部屋に戻った私に、なにも言わなかった。服に付いている血が見えていないはずはない。
忠臣さんの登場を知らなかった。そんなボスや畜産のボスも、予想していたことなのだろう。そして心を痛めていない。
「閑話休題。各組織の状況を把握するため、人を送る」
説明が続けられる。しかしその内容は、忠臣さんが登場する前と全く同じもの。経済のボスが聞けていなかったためだろうか。
しかしそれにしては、経済のボスの反応が薄い気がする。貿易のボスが扉の方を気にしているのは、なにか関係があるのかもしれない。
…足音が向かって来ている。久しく聞いていなかったが、案外分かるものだな。佐治さんのものだ。貿易のボスが呼んだのだろう。
「堅いことはなにもない。もてなされて街を少々見て回るだけだ。宿泊する旨は伝えてあ――待て」
「しかし開けた扉は、2つ向こうの扉です」
近くの部屋にいるため、近付く者がいればすぐに分かる。そのため、隠すようなことはしていない。開ければ死体が見える。
こんなことなら少しくらいは、隠しておくべきだったか。しかし発見された際、面倒になる場合もある。
「ボス!いらっしゃったら返事をして下さい!」
鬼気迫るような、とても慌てた声だ。しかし貿易のボスを探すため、駆けている足音は普段と違った音ではない。慌てていない。
つまり佐治さんも仕掛け人であり、状況を把握している可能性が高い。同じ説明をしたのは、佐治さんの到着を待っていたため。
何故その様なことを。秘密裏に処理した方が良いのではないだろうか。
「佐治、慌ててどうした。部屋はこっちだ」
「ご無事で良かった…!あの部屋で、男が死んでいるのです」
探していた者の安否確認が出来て駆け寄る。慌てたものになるだろうその足音はやはり普段と違った音ではない。佐治さんも仕掛け人だ。
近くに人がいたことも、仕掛けのひとつなのだろうか。すぐに騒ぎを聞きつけたその者たちが、寄って来ている。
血の付いた服を見られるのは不味い。
「確認します。貿易のボスは、ボスたちと部屋の中にいて下さい。佐治さんは、念のため医者を呼んで下さい」
人はまだ少なく、遠巻きに見ているだけ。あまり見えていないはずだ。目の前で血が付く理由を作るのが良いだろう。
幸い俯きになっている。身体を起こした際に付いたと解釈されるはずだ。
…想像より派手に付いてしまった。この服はもう着られない。ボスにいただいた服ではないため、服が汚れることは構わない。
しかし、これでは後から来た者に誤解されかねない。
「室内に不審な者や仕掛けは見当たりません。亡くなっている方ですが、徽章を付けてみえます」
ボスたちは驚いた様子で部屋を出て、問題の部屋を覗いた。そしてさらに驚いた表情を見せた。
芝居だと分かっていても、本当に驚いているように見える。
「忠臣…じゃないか…?」
「そうだよね。でも4年半前に…」
言いながら、視線を経済のボスに向ける。
今ここで大量の血を流し死んでいるのだから、4年半前に殺されたはずはない。詳しくない者でも、この数日の出来事だと考えるだろう。
噂を知らず、周囲につられて悪い印象を抱いている者もいるはず。
その者たちの耳にあえて噂を入れる。そしてそれを否定することで、悪い印象を変えようとしているのだろう。
「道を開けて下さい!」
野次馬が廊下を塞いでしまっている。それをかき分け、佐治さんと医者がやって来た。随分と早い到着だ。
しかし仕掛け人ではないだろう。数が多い程、様々な面で危険性が増す。医者は迅速に対応が出来る様になっているのだろう。
「硬直の状態や、血の乾き具合。これらを見る限り、どれだけ長く見積もっても1時間前までは存命だったと思われます」
「分かった。話しを客観的に聞く者が必要だな」
「近くの部屋で集まってたウチたち。忠臣くんを発見した佐治くん。あと階段で作業をしてた者たち。優先的に話を聞くのは、それくらいかな?」
その言葉に、貿易のボスが頷く。どうするつもりなのだろう。ここまでの騒ぎになることは予想していなかったのだろうか。
殺したのが私であることは、明らかになっても構わない。しかし手引きした者がいると知られては、この大芝居の意味がない。
このまま有耶無耶にするのだろうか。
「こんなところに集まって、なにをしている」
「業務を放り出してなにをしに来たのか、問いただしたいところだね。でも今はそれより大事なことがあるんだよ」
「用がなきゃ来ませんよ。それより、なにかあったんですか?」
部屋の中を見てから、わざとらしく目を伏せた。見るように手で促す。だがその必要はなく、それより前に部屋を覗き込んでいた。
驚いて息を呑み、数歩後退る。
「どういうことですか?どうして忠臣さまが、こんな状態で亡くなって…」
「分からない。生きてたのは長くとも1時間前までだろうって。ただウチたちはその時間、2つ向こうの部屋にいたから動けない。調べてほしいな」
農園のボスと目が合った瞬間。その一瞬だけ、眉をひそめた。その際の視線を、なにかに勘付いたかの様に感じてしまう。
理由は分かっている。あの部屋でなにが起こったか、知っているからだ。堂々としていれば、今はまだ問題ない。今は、まだ。
問題は嘘が吐けるか、ということだ。
「分かりました。先ずボスから、概要を聞きがてら聴取としましょう。他の者はわたしの指示があるまで動かないように」
少し離れた部屋に、農園のボスと入って行く。扉が閉まると、貿易のボスが今の者のことを教えてくれた。
東出という、東の右腕的な家の出の者で、現在は東を名乗っている。農園本部で中核を担う業務をしており、農園のボスとは腐れ縁。
その様な者がこの時間に到着するなど、偶然であるはずがない。驚いたあの様子は嘘に見えなかった。恐らく仕向けたのだろう。
であれば、あの者なら気付かない。あるいは、気付いて協力する。そう考えての人選ということか。
ボスたちが次々と呼ばれ、私の番となった。
上手く嘘を吐こうとすれば、かえって怪しい言動をしかねない。質問には可能な限り正直に、しかし解釈の余地がある言い方をする。
「君が、武闘のボスを主とした変わり者か。戦闘能力が高いそうだが、見た限り可愛らしいだけの少女だな。服も似合っているが、それはもう着られないな」
「…ありがとうございます」
「異能戦場では活躍したとか。感謝する」
分かった。これは世間話から入り緊張を解く、という話術だ。ボスたちの聴取が早く終わった理由は、この会話が必要ないためだった。
ここから忠臣さんについての質問が始まるのか。気を引き締めなければ。
「ここではなにを話した?と聞かれたら、なんと答える?」
「…嘘は語っておりません」
「良いだろう。戻って良い」
気付いて協力している。後者ということか。それでも一応のやり取りは必要ではないのだろうか。
しかし私だけ聴取が長ければ、噂になりかねない。必要ないという判断に、従う他ないだろう。礼をし、部屋を出た。
次に聴取が行われる佐治さんが、私たちの中では最後だ。
終えて共に出て来ると、階段で作業をしていた者以外は一時解散と言った。皆が持ち場へ戻り始める。
私たちには、動き回らない様にとだけ言った。それくらいは当然のこと。むしろそれだけで良いのかと思ってしまう。
全員の証言が一致していたことに大した意味はない。口裏を合わせることなど、簡単だからだ。そう言われれば、それまで。
だがそれは杞憂だった。階段で作業していた者を抱き込んでいたからだ。いや、その言い方では事実と異なる。
あの部屋で唐突に始まった演目には、私も少なからず驚いた。そのため作業員に気付かなかったのだと思っていた。しかし実際はいなかったらしい。
その偽作業員は、2つのことを証言した。
通った時間をある程度は特定出来る様な、かといって具体的過ぎないこと。扉が開く音は、三度だったこと。
後から来た経済のボスが入る音。佐治さんが問題の部屋を開ける音。佐治さんの声を聞いて、自身がいた部屋の扉を貿易のボスが開けた音。
この三度ということだ。つまり死体が発見されるまでの間は、入る者はあっても出る者はなかった。
そして集まった部屋に行く前の行動は全員、ある程度の把握が出来た。東忠臣を殺すことは、私たちには不可能だった。そういうことになった。
これは娯楽として、瞬く間に広まった。
同時に、4年半前の噂も広まることとなった。しかし当時と違い現在は、無実が証明されている。
経済のボスに哀れみを向ける者や、これまでの苦労を憂いる者もいるという。
あの場所で死んでいた理由。死んだとされていたが、生きていた理由。誰に何故殺されたのか。それらは後日調査することとなった。
東出の出というあの者の協力により、明らかになることは恐らくないのだろう。全て、貿易のボスが思い描く通りに事が進む。
「さて、本当に閑話休題、だ」
貿易のボスは満足気な笑みを浮かべ、そう仰った。一度明るいため息を吐くと、他組織へ赴くことの詳細を語り出した。