第144話 いつかこの問題に①
亜樹さんがいるという部屋の扉を、軽く叩く。
中から聞こえた返事は、少し息が荒い。それを聞いて貿易のボスが、私に視線を向けて来る。異変が起こっていないか分かるかを、聞いているのだろう。
「腕立て伏せをしているだけです」
「ったく、筋肉野郎め」
「聞こえてますよ。慌ただしそうだったとはいえ、なにも言わずに遅れておいて悪口ですか」
私たちが入らないためだろう。自分で扉を開け、顔を覗かせた。その表情は不満そうなものだ。
見る限り部屋には家具しかなく、暇になるのも仕方がないと思える。しかし本があったとして、読むだろうか。だが選択肢はあった方が良いだろう。
「悪かった。訪ねるのは夜になると伝えるように言ったはずだが、上手く伝わらなかったようだ」
「そんなことだろうと思いました」
扉を大きく開き、部屋に入れてくれる。やはり家具以外のものはなかった。
腰掛けると、すぐに語り出す。こちらが聞きたいことが、是忠さんや異能の剣のことだと予め聞いていたのだろうか。あるいは分かっていたのか。
是忠さんに頼まれた剣を作り始める、前日のこと。とある女性と出会った。旅の途中だというその女性に、様々な話をする。
最終的に“隣の芝生は青く見える”という様な、愚痴っぽくなっていた。それでも微笑んで聞いてくれたという。
話したのも、姿を見たのも、それきり。
完成させた剣を使った是忠さんが、血相を変えて店にやって来る。
特別な素材を使ったり、特別な手法で作ったりしたか。それならもう、その素材や手法で作ってはいけない。そう言った。
なにを聞いても、詳細は言えないの一点張り。思い当たることがあるとすれば、不思議な雰囲気の女性のみ。
あまりにも必死な是忠さん。そして何故かそのときになってやっと感じた、女性への不気味さ。この2点と直感的から、店を譲って鍛冶職人を辞めた。
二度と剣は作らない。そう心に決めて辞めて以降は、体格や筋力を活かし用心棒の様なことをして生計を立てていた。しかし父親が倒れ大金が必要になる。
異能戦場では可能な限り目立たない位置に店を構えた。そして金のために長引くことを祈った。
しかし私が現れ、剣を作ってしまう。
もう長く続かないため、滅茶苦茶な金を要求して稼ごうと思った。そう、無理に納得させた。しかしなにか予感があったのかもしれない。そう振り返った。
「俺が知ってることなんて、こんなもんです」
「確かなことはひとつもありません。ですがこの剣も是忠さんが危険視する様な物である可能性が高い。そう思っているのですね」
亜樹さんは小さく頷き、そのまま俯いた。
作ってはいけない。そう分かっていながら作ってしまった。そのことに罪悪感を抱いているのだろう。
「あの剣は、なんなんだ?」
「教えられません」
「俺のため俺のためって言うのか?餓鬼じゃねぇんだ。それに俺の作った剣だ。俺に責任がある。いいから教え――」
「止めなさい。親より長生きしたいなら、止めなさい」
あの剣を作ることが出来た理由どころではない。剣が異能に関するものだということも知らない。中途半端に知っているわけではない。
可能なら知るべきではないことを、わざわざ教えることはない。このまま解決を待つべきだ。
「それはお前さんも同じだろ。それにその若さで異能戦場やらこんなところやらにいるのは、是忠さまが師匠だったがためなんじゃ――」
「立つな。持つな」
命令であれば仕方がない。今回は見逃す。だがボスを馬鹿にしたこと、忘れると思うな。赦すと思うな。
亜樹さんがなにか言おうとすると、私の肩に手を置いた。いや、置くと言うには少し力が強い。だが、どうにでも出来る。
「止めておけ。主を馬鹿にする者をコイツは赦さない。今度こそ死ぬぞ」
「…この手はそういうことですか。亜樹さん、死にたいなら早く言って下さい。今なら特別に、あまり苦しまない様に殺します」
「はぁ!?待て待て」
両方の掌をこちらに向け、左右に振る。これは降参の合図だと聞いた。つまりは殺されたい、ということだろうか。
「俺は同じ主を持つ者として…なんだ、あれだ。…いや止める。なにが起こるか分かったもんじゃない」
「よく分かりませんが、亜樹さんの主は是忠さんではないのですか」
「……お前さん、主は誰だ?名前も聞いてなかったな」
なにかを察した様子だ。私はまだ、なにも分かっていない。質問に答えて教えてもらうとしよう。
「武闘のボスである東恭一を主としておます。南絢子と申します」
「そうか。…そうだな。事情は知らないが、あれはボスを悪く言っているように聞こえるかもな」
そうか、分かった。私の主を是忠さんだと勘違いして話していたのか。
異能戦場での振る舞いは兎も角。この部屋で亜樹さんは、私を弟弟子の様なものだと思い、接していた。親しい故の悪口、というつもりだった。
それが違ったということだ。
「申し訳ございませんでした」
「赦すつもりは全くありませんが、その言葉は覚えておきます。ところで私が南を名乗ることにはなにも言わないのですね」
「あまり他組織のことには首を突っ込みたくないんです。それに聞いたとして、言う気があるんですか?」
それもそうか。知らなくとも良いことは、知らないままの方が良い。
驚かれることが常だという先入観があったのか。だが、そうではなかったことも多かった気がする。
「話しを進める。女性の外見は覚えているか?」
「瞳の色が緑でした。他はぼんやりとしか…」
他人の印象に残らない様、意識的に振る舞うことが出来る。なにかの本に書いてあった。訓練すれば、顔を思い出せない様にする程度は出来るのだろう。
しかし緑の瞳は珍しいらしい。そのせいで印象に残った。あるいは瞳の色だけを印象付けるために、わざと見せた。
「そうか。他に心当たりのあることや、覚えていることはあるか?」
「ありません」
思い出したことがあったら手紙を書く様に言うと、部屋を出て行く。
亜樹さんは再び異能戦場に赴くらしい。これ以上ここにいても、手当は出ない。金が欲しいのだから、当然の選択だと言えるだろう。
手紙は中身を確認せず送る様に指示をする。さらに念のため、いくつか暗号文を覚えさせたという徹底ぶりだ。
謎の女性と私は、同じ瞳の色をしているらしい。そして珍しい色らしい。なにか関係があるのかもしれない。これを貿易のボスに言うべきなのだろうか。
ボスからは他人に知られるな、と言われている。珍しいためだと仰っていた。
だが珍しければ隠さなければならない理由を、私は聞かなかった。理由の分からない命令。それを私はこれからも、如何なるときも守るのだろうか。
「…貿易のボス。お話しがあります」
コンタクトを取った私の瞳を見て、貿易のボスは少し驚いた表情を見せた。だがその表情はすぐにしまって、私にそっと近づく。
目の下の骨をなぞる様にそっと触れる。そうするときの手つきは、とても優しいものだった。微笑みが浮かべられる。
「綺麗な色だ」
優しい声が、耳に馴染んだ。水は汚れてゆかない。こちらに向かって来る手にもなんとも思わなかった。
単に多くなったため、慣れただけだろうか。それとも、相手が…2つ目の選択があったことが、水を汚した気がした。
「珍しい色だそうですね。なにか関係があるのかもしれません」
「…ああ。“武闘の”は知っている…というか、指示されたんだろう?他に知っている者はいるか?」
「仁彦さんと六花さん、それから海人さんも見ていると思います」
弓弦さんは、異能戦場で私の瞳について4人で話したと言っていた。
視力の矯正ではなく、色を変えていると考えた理由は分からない。そのため誰がそう考えているのか分からない。
そして弓弦さんのその発言を、聞いていた人物がいる。農園のボスと佐治さんと杏さんの3人だ。
「南の者は知っている可能性が高いということか。関係があるなら、少し面倒になるかもしれないな。“武闘の”にはなんと言われて隠していたんだ?」
「聞いていません。他人に知られるな、とだけ。つい最近までの私にとってボスの命令は、絶対の正義でした。世界の全てでした」
貿易のボスは微笑んで頷くと、頭に手を乗せた。
それをどういう意味で行っているのかは分からない。だが優しく左右に動く手の温かさは、妙に伝わった。
温かさを表す色は赤らしい。血は赤だと知っている。傷口から出る血は温かい。つまり温かいというのは、生きているという証なのだろう。
「…凛太郎さん」
「どうした?絢子」
特に言うことはない。非常に無益な行為と言わざるを得ない。しかし全く無意味かというと、そうとも限らないと思う。
名前を呼んで、呼んだその者の返事がある。それだけで良い。
「そういえば、歴史書についてですが――」
「絢子、お前は本当に…はぁ」
ため息を吐かれたのは何故なのだろう。呆れているのだろうか。なにに。しかし怒っている気もする。
どちらにしても理由が分からない。