第15話 姫の呪縛⑧
「では話を戻そうか。私は異能戦争へ彼女の指揮の下赴くべきだと思うんだよ。どうかな」
「馬鹿げている」
「そうかな。ウチは良いと思うよ。少なくとも、多くの意見が言える立場で行った方が良いよ。彼女に教えてもらうことは多いからね」
霞城さんに必要最低限しか発言をしないと言っておいて、自分だってそうだった。今更こんな発言をしてなんのつもりだ。
「農園のボス、彼女になにかしたのですか。部屋へ戻って来たときもそうですが、彼女が明らかにあなたを警戒しています」
「そうだね。拳銃を持った者は警戒しないのに、どうしたのかな」
説明出来る様な理由はない。なんとなく、不気味なのだ。
「大丈夫です」
「ふぅん、君がそう言うならそれで良いんだよ」
納得していなさそうだが、それは無理な話だろう。
「大丈夫なら、ウチが指揮官に立候補しても良いよね?」
「嫌です」
思わず反射的に答えてしまった。
「“農園の”嫌われたね。信頼関係なしでは難しい。なにせ絢子くんには後出しじゃんけんが出来るんだから」
部屋の空気が重くなる。ボスのお姉さんは私を少し睨んだ。そんなことをして一体なにが変わるのか。
「私が言えば必ず、質問には正直に答えるよ。けれど、言わないという選択肢があるんだよ?私は絢子くんが信頼している者が指揮官となるべきだと思うんだ」
「それこそ今会ったばかりでいるはずもない。まさかとは思うが、だからその少年を、とは言わないだろ」
「まさか。冗談は休み休み言ってほしいね」
小馬鹿にした様に笑って、小さく首を振る。
「“経済の”はどうかな」
視線を集めたのは、さっき私に絵を見せた男性だ。
「彼女の言うことは信頼出来ると考えるに値する。だけど許せないかもしれない。そんな彼女と赴くこと。今の時点では了承出来ない」
「確かに“経済の”が絢子くんを信頼出来ないのなら駄目だね。絢子くんはどう思うのかな」
「決して許すことは出来ないと思います。それが私の当たり前です。けれどもし許したのなら、そんな貴方もとても人間らしいと思います」
男性の表情がふっと柔らかくなる。ボスのお姉さんとは違い、纏っている空気もほんの少しだが柔らかくなる。
「分かった。引き受ける。君はもう、俺を信頼すると決めてる。俺はなにを聞いても許してしまう気しかしない」
室内を見渡す。纏っている空気は元より濃密になっていた。
これが決意を固めた者の空気なのだろうか。
「俺が異能戦争の指揮を取る」
「良いだろう」
総代が良いと言ったら、余程のことがない限り覆ることはないだろう。ひとつの支部でさえそうなのだから。
「本日予定されていた議題は以上です。なにかある方はみえますか」
やはりなにか言う者はないない。絶対に納得していないのに、だ。どうせ後から後から意見という名の邪魔が入るのだろう。
「では解散」
次々と椅子から立ち上がり、部屋から人が出て行く。残ったのはボス、霞城さん、経済のボスとその護衛1名、総代、私。
「皆糸の異能のことは良かったのだろうか」
それは皆がいる前で確認するべきでは。
しかし困ったものだ。このままでは東の幹部が大勢いなくなることになる。ボスが定着しないうちに攻められれば、あっさり敗北することだろう。
「絢子さん」
「はい」
苗字を呼ばない心遣いはあるらしい。それなのに子らは何故ああなのか。
「解決方法はあるかい」
「異能を使用する者を殺せば無効化出来ます。しかし内部に潜り込んでいる様子です。不可能だとは申しませんが、困難であることは間違いありません」
しかも異能に気付いていることを言っている。聞いていれば逃げているだろう。糸を仕掛けて早々に立ち去っている可能性もある。
「では解決してみせてくれないかい。そうなれば文句も出ないだろう」
「はい、総代」
どちらにせよ、ボスと霞城さんに危険を及ぼす者は排除する予定だ。
「時間は」
「ゆっくりしても問題はないと考えられます」
逃げているのなら追いかけるだけ無駄な時間が経過している。逃げていないのなら状況が変わるのは就寝後…いや、夜だろう。
「この部屋では盗み聞きされても文句は言えませんので、部屋を移りましょう」
歩き出す経済のボスについて歩き出す。しかしボスと霞城さん、経済のボスの護衛は止まったままだ。振り返ると、経済のボスの護衛が頷く。
「お話し中はわたしがお守りします。力不足に思うかもしれませんが、これでも我ボスをお守りしてきたので」
この者には無理だろう。だが、そういう話ではない。
「南からの脱出についての話でもあります。恭一と霞城さんにも聞いてもらいたいのですが、構いませんか」
「分かった」
「あなたとは、一度手合せを願いたいです。名前を聞いても?」
「東後晶です」
苗字持ちか。厄介払いといったところだろう。
「晶くんは部屋の前で誰も来ないか見てて」
「はい、ボス」
会合の前に待たせてもらっていた部屋で、経済のボスと向かい合って座る。
「確かに俺と話すのは君。けど、自分のボスを差し置いて座って良いの」
「他に椅子はあります。第一、恭一はそんなことで文句を言いません」
「ナメられてない?大丈夫?」
「絢子くんはこれで良いんだよ。霞城くんは駄目だけどね」
どうでも良さそうな返事をすると、私に向き直る。
「先に聞く?先に話す?」
この方も変わり者の様な感じがある。あの場で無理に聞かなかったこと。それもあるが、結果が見えているであろう言葉にも礼を言った。
極めつけにこれだ。早く知りたいだろうに。
「先にお聞かせ願えますか」
しかし事実を知った後も冷静でいられるとは限らない。先に聞かせてもらう。けれど、冷静でいられない様な者はボスなど…いや、分からないな。
他の者であれば、あのとき怒って聞き出したかもしれない。
「分かった。この写真の女性は俺の恋人。6年前、東に潜入した」
さっきも見せてくれた絵をもう一度見せてくれる。
これが写真というものか。撮影する機械は図鑑で見たが、撮った物を見るのは初めてだ。
「それから2年間くらい。2ヶ月に一度程度、報告の文書と一緒に手紙をくれてた。伝書鳩だからかさばらないよう短かったけど」
この方の“くらい”がどれ程の期間を指すのかは分からないが、私が逃げた時期と同じと考えられる範囲か。
「潜入して1年が経った頃。配置換えで東に近い家の警備をすることになったと書いてあった」
領地の堺に近い場所にあったのか。ではあの建物で暮らしていたのは、家族役の可能性が高いか。
「そこには地下に幽閉された少年少女がいる。その見張り兼世話をするのみで、危険はない様子だ。そう、総代がこっそり教えてくれた」
「幽閉の理由は書いてあったのか、聞いていませんか」
「確かにそう言ったわけではない。けど多分書いてない。君自身は知ってるの」
「なにかの実験だとは知っていますが、具体的には知りません」
当主へ推薦される会合の前の会話を盗み聞いて初めて知った。
――被験者なのだから追い出されはしないだろう。期間は十分だ。屋敷で暮らしてその人柄や実力を目にする機会が増えれば、評価が上がるに違いない。
意味はあまり分からなかったが、妙に期待されていることは分かった。
「あまり聞こえの良いものじゃない」
「心を痛めていただくのは結構ですが、そうしたところで過去は変わりません」
「恭一くんは変わらない。昔から壊れたものが好き」
変わり者に変わり者と言われるボスは、変わり者なのだろうか。それとも、普通なのだろうか。
「続けよう。流石に手紙は持ち歩いてない。印象に残ってるものを言う」
私と楠英昭のことが書かれていることがあったのだろう。
「男の子はいつも誰かに殴られていて、女の子はそれを欠片も心配しない。女の子が心配――これはどれくらい殴れてるのか分からないからこそか。俺も同意見。実際、君は心配になる」
「よく分かりません」
肩を竦めてボスをちらりと見るが、すぐに私へ視線を戻す。
「どこで覚えたのか、女の子は優しい――これは矛盾してると思った。けど実際、君は優しい。だから異能戦争での指揮を引き受けた」
優しい?私が?
「本当に優しい人は、自分のことを優しいとは思わない」
「そういうものですか」
ため息を小さく吐いてボスを見る。
「私を見られても困るよ」
「壊れたままが良い。だからなにも教えなかった。違う?」
「どうだと思う?」
「君も壊れてる。だたそれだけ」
ボスはにこりと笑っただけだった。再度ため息を吐いて私に向き直る。
「女の子は異能の本を開かなかった。一先ず誤魔化したけれど、どうなるか分からない。心配――これが最後」
写真は若かったため不確かだったが、やはりあのときの使用人か。
「彼女は今、どうしてる」
分かり切ったことを聞くのは、語るべきことを語り終えたということだろう。次は私が話す番だ、と。
嘘を伝えるつもりは初めからない。しかし真実のみを伝えることが、果たして為になるのだろうか。
いいや、これは言い訳だ。分かっている。私は怖いのだ。
忘れてはいけないことを忘れていた。それを口にすることで、ありありと思い出すのが怖いのだ。
私は優しくなどない。ただの臆病者なのだ。




