第137話 浮き彫りになった問題に①
布団に入って天井を眺め続ける。そんな時間が、何時間か続いている。
元いた部屋に戻って報告が続けられたが、それだけだった。
あの剣が異能を無効化する剣だと聞かされても、ボスは大して驚いた様子を見せなかった。危険な物だということは認識していたためだろう。
しかしどこか違和感を覚える反応だった。ボスは異能に関する剣だということも知らなかったはず。だがそれは知っていた様な、そんな気がする。
異能の酷使について、貿易のボスはなにも言わなかった。異能については分からないことが多い。慎重になっているのだろう。
いずれ話す必要があるだろうが、対策の案を持って話したいのは分かる。
丸投げしては指揮を取る者として体裁が悪い。そして気になる反応を見せたボスに好き勝手されてしまうかもしれない。
亜樹さんから話しを聞くのは、明日の午前中になった。
今日はもう遅い。聞くに、亜樹さんは働き詰めだったらしい。そんな状態で長時間移動したため疲れて寝てしまっていた、というのも理由のひとつではある。
私も疲れているはずだが、その感覚はまだ曖昧だ。これまで自覚するための努力もしなかったせいだ。だが多分、私は疲れている。
何度も強制に近い形で休みを取らされた。それに従ったのは、普段よりも身体が重いことは分かっていたからだ。
その中でも酷くそれを感じていた際と、同じ重たさを感じている。
羊と唱えると眠れる。そうなにかに書いてあったのは、嘘だった。それに牛乳を飲むと心が落ち着くというのも嘘だった。きっとまじないの類なのだろう。
そういえば、またボスに聞き忘れた。たい焼きの名前の由来も調べていない。
近付いて来た足音に、勢い良く身体を起こす。部屋の前で止まり、歩き出そうとしない。私が眠っているか確認しているのだろうか。
門は破られていない。奇襲ではないな。内通者が殺しに来たのか。
「何者だ」
扉を開けた際、扉の裏になる場所。そこで壁を背にした。足音や気配に気を配れない者には、これくらいで十分だ。
「夜分に申し訳ございません。南坂真紀と申します。少しだけ、お時間をいただけませんか?」
南を名乗れば警戒心が解けるとでも思ったのか。寧ろ警戒されると、考えればすぐに分かるはずだ。
なるほど、意識をこの者に向けさせることが目的か。
「東の本部には農園のボスから話しを通していただいておりますので、もう内通者ではありません。ご相談があるのです。決して企てではありません。私の個人的な悩みといいますか…心配事があるのです」
もう内通者ではない…か。話しを通すにしても、本部へ連れて来る必要はない。農園のボスに、なにか考えがあるのだろうか。
追い返しても良いが、なにかしようというなら早く対処出来た方が良い。誘いに乗った風を装って阻止する方が早い。
「分かった。扉を開けて良い」
「ありがとうございます。失礼します」
扉から距離を取って、刃物を構える。
入って来た者は手になにも持っておらず、戦闘体勢でもなかった。対して、私は戦闘体勢だ。だが私を見て、微笑んだ。
「お初にお目にかかります。南坂真紀と申します。夜分に突然訪問したにも関わらずお時間をいただき、感謝いたします」
「これについてはなにも言わないのか」
「初対面の者を警戒するのは当然のことです。それにこんな深夜ですので」
これが南の“普通”なのか。あの家では様々なことが起こった。だが当然それだけで社会の在り方が分かるわけではない。
驚く素振りすら全く見せない。武器を向けられることに慣れ過ぎている。南だからなのか、どの組織も本家以外の者はそうなのか。
「では持ったまま聞かせてもらう」
南坂真紀は、農園組織の管轄内で孤児院の責任者をしていた。内通者として送り込まれたが辺境の地であるため、なにも出来なかった。
異能戦争に東が参加した頃、農園のボスが訪れ正体を指摘される。気付いていたが黙っていたという。
殺される覚悟で打ち明けるが、何事もなく日々は過ぎた。物資を農園本部に取りに行くと、本部へのおつかいを頼まれる。
今度こそ殺される。そう思い向かったが、名前が知られているにも関わらず丁重な扱いを受け困惑している。
「殺すなら早く殺してくれれば良いものを、最後の晩餐と言わんばかりにもてなされます。私はこれからどうなるのでしょう」
「どうにもなりません」
「……そうですよね」
言い方を間違えたな。もうどうしよもない。殺されるそのときまで怯えて過ごすしかない。そう受け取られてしまった。
「内通者であったことを理由に殺されることはありません。殺すなどという行為は本部でなくとも出来ます」
「ですが…」
怯えて思考が停止している。なにを言っても無駄か。適当に言い包めたとして、後で不安になってなにをするか分からない。
眠ることは諦めて、安全策を取ろう。
「私から農園のボスへ申し伝えます。お休みになっているでしょうから、明日の朝一番に。不安でしたら今日はここにいてもらって構いません」
「本当ですか…!?ありがとうございます」
あまりの必死さに、一度はその言葉を信じた。しかし全てが作り話である可能性は捨てきれない。いつ襲って来るか分からない。
そう身構えていたが、数分後には床で寝息を立てていた。
***
窓に垂れ下がった布から光が漏れる。太陽が昇り始めたらしい。時計の針が文字盤を半分に別けるには、まだ時間がある。
身体の重さが治っていない。早く用を済ませたいところだが、農園のボスはまだ眠っているだろう。
しかも部屋を出ている間にこの者が目を覚ましでもしたら、不安を煽るだけだ。まだこの部屋にいるしかないか。
「ん…あ、おはようございます」
「おはようございます」
起きたなら部屋を出られる。しかしあまり建物の中をうろつかせて良いものか。
そうだ、料理の練習をしに行こう。自分で作れる様になれば、食べたと嘘を吐くことは簡単だ。それに草を食べなくて済む。
「料理…ですか?私を厨房に立たせるのは不味いのではないでしょうか」
「あなたの作った料理を食べるか否かで、私の言ったことの信憑性も増します。問題ありません」
「そう仰るのでしたら…」
その数分後、厨房ではボヤが起きた。そして騒ぎも起きた。
「出来ないなら最初にそう言って下さい!」
「出来ます」
「出来てないです!どどどどどどどうしよう…!まさかこれを理由に殺すつもりでこんなことを…」
これくらいの火など、どうということはない。それを騒いだために聞き付けた者が次々と来るだけだ。
佐治さんまでもが来た。妙に良い笑顔を浮かべている。
「絢子さん、ボスたちがお呼びです。あなたも」
「は、はい…」
「まだ料理は完成していません」
「…その前にお話ししたいことがあるそうです。要望があるのかもしれません。先ずは行ってみましょう」
連れて行かれた部屋では、3人のボスが待っていた。
農園のボスは私ではない方の人物を見ると、驚いた表情を見せた。ボスは困った様な笑顔、貿易のボスは呆れた表情を浮かべている。
「事情を聞く前にウチからひとつ。彼女は南坂真紀。農園組織の管轄内にいた内通者だけど、総代に話しは通してある」
「何故こんなにも青い顔をしているのか、少し分かった」
「絢子くんに巻き込まれたんだね。可哀想に」
こうまで言われても、南からの元内通者は小さく震えた。それでも命令通り昨晩のことも含めて、はっきりとした口調で語っていく。
それを聞き終えた3人は、笑った。
「東は野蛮人だと歴史書に記す者の方が野蛮人だね。東の歴史書には他組織の者は野蛮人だ、などと記されてない。なにかに当てはめる者は、それがどんなものか知ってる者なんだよ」
ボスたちが同時に同じ様なことを口にする。
呆けた顔のまま、茫然とボスたちの顔をじっと見ている。これは流石に悪い方に受け取らなかったらしい。
農園のボスが最初に庇う様なことを言ったことに対して、ボスたちは不満を口にしなかった。そして今、本当に可笑しそうに笑っている。
「私は…どうなるのでしょう」
「用事が終わったなら、孤児院に戻って良いよ。きっと子供たち、帰って来るのを待ってる。これからも子供たちのこと、よろしくね」
「はい…!ありがとうございます」
話しを通したばかりの元内通者を、ひとりで歩かせることは出来ない。部屋まで送り届ける様にと佐治さんに言い見送ると、私に視線を向けた。
今度は農園のボスも呆れた表情を浮かべている。
「さて絢子くん、なにか言い訳はあ――」
足音がこちらへ駆けて来ている。ボスもそれに気付いたのだろう。言葉を止め、小さく頷いた。
その足音へと向かって行く、2つの足音の速度は変わらない。位置関係からして互いの姿は認識しているはず。
「はぁるー!おかえり!」
スミレさんとよく似た声だが、雰囲気が随分違う。だが佐治さんが晴と名乗っていたことを知り、そう呼ぶのはスミレさんくらいではないだろうか。
「西の者は、お外用の顔がしっかりある者が多いんじゃないか?」
小さく笑う貿易のボスに賛同する様に、2人も小さく笑う。その直後、ひとつの足音が荒々しくなった。
そして、大きな物音が聞こえた。
次の火曜更新はお休みです。第138話は4/23の土曜に更新します。




