番外編 東正雄の変化
随分と騒がしい街だと感じた。栞さんの家らしいこの建物の近くには、沢山の人が同じ場所に留まってる。すごく不思議な場所。
連絡手段が分からなくて、突然の訪問になってしまった。迷惑に思って帰って来ないのかもしれない。もう帰ろうかな。
「ただいま。ねぇ、どうしたの?家の周りに人が沢山いるけど、誰も目も合わせてくれない」
「おかえり。それが、正雄さまがいらっしゃってて…」
「誰?」
……………ああ、そういえば名乗らなかった気がする。しまった。どうしよう。もしかして俺、不審者かも。
「あまり大きな声で言わないで。壁が薄いんだから。本家の方よ」
「もしかして…いや、まさか。とりあえず会ってくる。奥の部屋だよね?」
言いながら歩いてるのか、声が少しずつ近くなる。扉が軽く叩かれて、それに返事をすると静かに扉が開いた。
俺を認識すると、微笑みを作る。
「こんにちは。お待たせしてしまいましたか?」
「そんなに。それに突然だったから。ご両親も突然男が来たからか、随分驚かせてしまって。ごめん」
「驚いた理由は違うと思いますが…」
恭一くんと恋人関係に近いものを築いてる。そんな娘を、突然男が訪ねて来た。それが驚く理由じゃないなら、なんだろう。
栞さんは軽く咳払いをすると、机に置いていた物に視線を向けた。
「それはどうされたのですか?」
「どう思うか、正直な感想を聞かせてほしい」
本当に正直な感想が良いのか、と確認された。それに俺は頷いた。
そして、華道も花も詳しくないため素人の意見だと前置きをされた。そんなの俺にはどうでも良い。
「かなり微妙です」
やっぱり。来て良かった。
「うん、悪いお手本みたいに良くない。だけどみんなが褒める。だから俺がおかしくなったのか、世界がおかしくなったのか、知りたくて来た」
「…そのためだけに、いらしたのですか?」
「ん。ありがとう。突然ごめん。あ、今更だけど、俺の名前は東正雄」
あはは、と声を出して笑い出す。そんなに可笑しいことがあったかな。とりあえず同じようにしよう。笑っておこう。
「自分が笑われているんですよ?お馬鹿さんだなぁ」
「む…成人までには賢くなる。まだ3年くらいあるから余裕」
「…え?」
すごく驚いてる。流れからしてやっぱり俺の年齢だろうけど、いつもいつも驚かれるのはどうしてだろう。そんなに子供っぽいかな。
服装とか髪型とか、大人っぽく見えるように頑張ってるのに。
「成人してみえると思っていました。外見はとても大人っぽいので」
「本当?あのね、襟足は短い方が良いって。それから――」
「はっきり申し上げますと、そういうところが子供っぽいというか、馬鹿にされてしまう点ではないでしょうか」
一緒に暮らす兄弟と以外はあまり交流がない。年が少し離れてるから、一緒に稽古とかをしないせいだと思う。
苗字持ちでも東以外は話しかけて来ても、適当な褒め言葉を言うだけ。本当はどう思われてるのか、分からない。陰で言われてたりするのかな。
本家の者は矢面に立つことが多い。大勢の前で恥をかくことがないように努力しないと。えっと…
「今の私の発言に対しては最低限、外見“は”?と言うべきかと。言動の裏にある人の感情を読み取る努力をすべきです」
「なるほど。そういう些細な言葉で攻撃してたんだ。ねぇ、また来て良い?」
千年以上も前に生きた人がなにをしたか。複雑な数式の解き方。それらはいつか役立つんだと思う。でも俺に今すぐ必要なものは、それじゃない。
栞さんからじゃなくても教われるだろうとは思う。でも栞さんが良い。
「恭一さまがどう思われるか、考えましたか?」
「…そっか。嫌、かも」
「ですので、お断りいたします。いつか呼ばれなくなって今の奇妙な関係が終わりましたら、いつでもお待ちしております」
…それって、良い意味で受け取っても良いのかな。楽しそうではなかったから、良いよね。恭一くんに、呼び出すのを止めるように言おう。
帰ってすぐ、恭一くんのところへ向かった。
呼び出すってことは自ら赴く手間が惜しいわけで。それはつまり、相手に大した興味がないのではないか。
傍から見て双方が楽しそうではない。だから栞さんも自分自身も変に縛るのは止めにして、他に興味の持てそうな物事や人物を探すべき。
出会った経緯を説明し、こう伝えた。出来るだけ恭一くんに不愉快な思いをさせないように、一生懸命考えた言葉だった。
それを恭一くんは鼻で笑った。
「つまり正雄くんは、こう言いたいんだね。より栞くんに興味があり、栞くんがより興味を持っている自分との交流のために身を引け、と」
「そ、そういうことじゃ…いや、そう。栞さんとの時間を譲って」
「ふぅん、そうだね。じゃあ本人に聞いてみよう」
なに言って…もしそんなことが噂で広まったら、栞さんがどうなるか。本家の者を天秤にかけるようなこと。
そうか。だからご両親は驚いた。俺が東を名乗ったから。どうしてそんな簡単なことにも気付かなかったんだろう。
「栞くんは心を開いてくれる気配が全くない。そんな者に相手をしてもらわなければならないほど、相手に困ってはない。けれど無条件で引き下がるのは非常に癪だからね。それに選ばれることを期待する程度には興味を持ってる」
その寂しそうな笑顔を見て、結果を悟ってるんだと思った。
それでも引き下がれないほど、栞さんへの気持ちに期待してる。それを引き裂くようなことをして良いんだろうか。そう迷った。
でも、その提案を受け入れた。俺も、栞さんとの時間がほしかった。噂はもう広まってるはず。傷の浅い内に、白黒付けてしまった方が良い。
***
母親が亡くなって、色々なことが目まぐるしく変わった。表向きは第七妃という立場に甘んじてたけど、裏ではそれなりに力を持ってたらしい。
俺たち三兄弟の力を弱める良い機会。それを狙ってる者が大勢いる。
3人全員の力が少しずつ弱まるより、誰かひとりの力が大きく弱くなるだけの方が良い。それは分かる。そのひとりに俺が選ばれたのも分かる。
少しは変わったつもりだけど、2人の兄には及ばない。だから東泊に養子に出されることに不満はない。
だけど、どうしても納得出来ないことがある。栞さんが南に潜入する。なにがどうしてそうなったのか、全く分からない。
俺と婚約してたせい?事実がどうであってもそう思って、俺を選んだことを後悔してるかも。恭一くんを選んでたら、こんなことには。
「正雄くん」
どう呼べば良いのか分からなくなった人物が、部屋に入って来てた。扉を叩いた音は聞こえなかったけど、叩いたんだろう。
まだこの恰好は見慣れないけど、変わらず慕う者がいるらしい。だからきっと、俺を笑いに来たんだ。周りにもう誰もいない俺を、笑いに来たんだ。
その人物の言葉を、俺は聞かなかった。