第134話 その心の中には①
本部の門が開き、私たちが乗る自動車が中へと進んで行く。降りてすぐ通された部屋では、ボスと貿易のボスが待っていた。
入って来たことに気付き立ち上がると、作った穏やかな笑顔を向ける。そして危険な場所への長期間の潜入と自動車の長旅を労うと、椅子を勧めた。
その好意的な態度に戸惑いを見せたが、選択肢などない。命令とはいえ、反逆行為をしていたのだから。勧められるまま椅子に座った。
2人は名乗ると、危害を加えるつもりがないと伝えた。そして、これからのことを簡潔に述べた。
身元の確認が取れるまでは監視の元で生活してもらう。以降は組織へ戻るなり、ここに残るなり、好きにして良い。
東本部にいる間の行動範囲は、この部屋とこの部屋から出られる中庭のみ。
「自由に動いて良い、と仰るのですか…?」
「そうだ。東の者を殺していない者などいないのだろう。だがそれは組織にいたとしても同じこと。自分の身を自分で守れなかった者の責任だ」
霞城さんから聞いた限りでは、想像した東の人柄とは随分と違うだろう。組織から教えられた東の者は、気性が荒いはずだ。
戸惑い、他組織の者とまで目配せをしている。
「それから杏だったか。しばらくはこの者たちと同じように生活しろ」
報告は1日に1回、伝書鳩で行っていた。そのため戻ったすぐの今だが、異能戦場で起こったことはある程度把握している。
鹿目さんを殺し、その理由も言わない。そんな杏さんは、次になにをしでかすか分からない。監視下に置くのは当然の措置だ。
杏さんも分かっているのだろう。返事をしただけだった。
監視の者を残して部屋を出ると、貿易のボスは俯いてしまう。
口ではああ言っていたが、よく知る部下の死は堪えるのだろう。戻って来た者の中にその姿がなかったことで、現実感が増してしまった。
「仁彦、お前はもう休んで朝一番で戻れ。教養本部の業務が滞っている。蘭道六花が担当する業務の周辺だ。早く戻れ」
「ご存知なのですね。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
「知ってたのは“貿易の”じゃない。2人がいつでも結婚出来るのは、双葉くんが私を説得したからなんだよ。業務が落ち着いたら、墓参りにでも行きなさい」
彼は知らなかったのだろう。なにか問いたそうな顔をした。けれど、ボスは手で追い払う様な仕草をするだけ。
なにも聞けないと判断して諦めたのか、深々と頭を下げて去って行った。
「1時間ほど休め。その後で詳細に聞かせてもらう」
伝書鳩は盗み見られる可能性や、稀ではあるが着かない可能性がある。そのため記したのは概要のみ。その存在すら記していないものもある。
異能の制御についてと、鹿目さんが持っていた『ハーメルンの笛吹き男』が異能の本である可能性。この2つだ。
これは農園のボスにも報告していない。貿易のボスに直接報告すべき。そう判断したためだ。
だが後者は特に、報告すべきか今も迷っている。
鹿目さんが使用者である場合、異能は解けている。だが持っていただけの場合、異能者がいて、まだ生きている可能性が高い。
そもそも異能の本かどうかも分からない。どちらにしても、自分の言動ですら疑わしくなってしまう。混乱することは間違いない。
「絢子くん」
自動車を降りてすぐ、海人さん、亜樹さん、東野悠の3人はどこかへ案内されていった。あまり本部の中をうろつかせる者ではない。
残っていた農園のボスと佐治さんは歩き出している。だが、決めかねている私は歩き出せないでいた。
「どうした?」
貿易のボスが顔を覗き込む。心配そうな表情を浮かべるその顔は、少しやつれた気がする。
「私はなんでもありません。貿易のボスはお休みにならないのですか」
「…ああ、そうだな。一緒に茶でも飲むか?」
「行っておいで」
確認を取るためにボスを見る前に、そう言われた。
見ると、ボスはよく見せる小さな微笑みを浮かべていた。だが声はよく聞くものと違う様に感じた。どう違うのかは、分からない。
「…はい」
貿易のボスの部屋は、散らかっていた。以前入った際は、使われてないのではないかと思う程片付いていた部屋だ。それが、見る影もない。
あちこちに書類があり、多くの本が床に平積みにされている。
「そうだった。別の部屋にしよう」
「片付けも出来ない程忙しいのですか」
「元々片付けは得意じゃない。長期間本部にいることが分かっていれば、いつも片付けてくれる者を連れて来たんだが」
否定しないということは、そうなのだろう。反逆者集団は大きな問題だ。指揮を取るのは大変だろう。しかし目に見えてやつれる程とは。
まさか人に散々文句を言っておいて、自分がずっと休んでいなかったのでは。
それでも私が文句を言うのもおかしなことか。小休憩となるだろうが、一先ず休む気になったのだから、それで良い。
「そうなのですね。それでは貿易のボスの落ち着く部屋を探しながら、紅茶を淹れに行きましょう」
「茶葉が可哀想だ。止めろ」
初めて紅茶を飲んだ感想同様に、酷い言い草だ。
私の腕前がどの程度のものかは分からない。だが私はあれから、皆に甘えてなにもしなかった。だからその感想は変わらないだろう。
「合うものを選びます。それを淹れてもらえば良いのです」
――カップを投げたいほど不味い
かつて静かにそう感想を口にした人物が、安堵した様なため息を吐いた。
きっと美味しかったからだ。弓弦さんが淹れる紅茶は、美味しかった。その味に慣れているせいだ。
だが弓弦さんは、もういない。私が見す見す殺させてしまった。
「いや…それもどうだろうな」
紅茶の茶葉は片仮名が多い。苦手ではあるが、読めないわけでも使えないわけでもない。そして効能は図鑑で覚えた。貿易のボスに合った茶葉を選ぶ。
調理場に着き、担当者に声をかける。紅茶の茶葉が入っていると教えてもらった引き出しを開けた。……が、読めない。
「だから言っただろ。autumnも読めない者にこれが読めるのか?」
担当者に茶葉の名前を言っても、ないと言う。
「仰る茶葉と同じような効能でしたら、ダージリンティーをお勧めいたします」
「それは駄目です」
「いや、それを淹れてくれ。いつもと同じだって良いだろ。弓弦もそう思って、俺を気遣って、淹れていたんだろうか」
担当者に軽く礼を言うと、紅茶を持って適当な部屋に入る。
貿易のボスは、効能を問うことはしなかった。
弓弦さんにはそのつもりがなかったかもしれない。効能を知って、弓弦さんの思いを知った気になりたくないのではないだろうか。
「…それで?」
なにを問われているのか全く見当が付かず、首を傾げるしかなかった。ため息を吐かれるかと思ったが、静かに紅茶を飲んだだけだった。
「なにか話しがあるんだろ?“農園の”にも報告していないことが。長い間会えていなかった“武闘の”と言葉も交わさず、俺のところに来たんだからな」
ある。あって、どうすべきか分からずにいる。だがそのためではない。それに、それでは休めない。休むと言ったはずだ。
私もこんな風に映っていたのだろうか。
「今俺にだけ言うか、後で皆に言うか、選べ」
どうしても、その2つのどちらかしか選べないのだろうか。
報告するなら貿易のボスにのみ。そう考えていたことは事実。だが報告すべきなのだろうか。命令されたどちらかからしか…いや、そんなことはない。
提示された選択肢からしか選べないわけではない。弓弦さんの話を聞いたとき、そう思った。だから違う。
「私は本当に、ただ貿易のボスと紅茶を――」
「選べないのなら、皆の前で問う」
私がこれまでに見た貿易のボスは、どこか余裕があったように思う。ではその余裕がなくなってしまったのは何故なのか。その答えは明白。
やつれてしまう程の大量の業務だ。であれば、余計に言うことは出来ない。負担を増やす様なことは言えない。
「今は申し上げられません。しかし大勢の耳に入れることは避けるべき、というのが私の意見です。考え直していただけませんか」
「言える目処はあるのか?」
「貿易のボスがしっかりとお休みになれば、いつでも」
俯いて大きく首を振ると、額に手を当てる。
私に言われることになるとは思わなかったのだろう。私も誰かに言うことになるとは思わなかった。
「…5年前、悠を迎えに行ったときのことを夢に見る。何度思い出そうとしても顔も名前も思い出せなかったあいつらが俺に拷問される姿を、鮮明に。業務に多少の無理があることは事実だ。だが眠ることが出来れば、問題ない」
夢を見るため眠ることが出来ない。そのため集中力が低くなり、業務が思う様に進まなくなる。すると眠る時間を削る必要がある。
そして眠らなくなると、眠ることに疑問を抱く。本当に必要な行為なのか、と。見たくもない夢を見るとなれば尚更だ。
原因を知れば、いくらか心は晴れるのだろうか。
「その方々を思い出せなかったのは、貴方が薄情だからではありません。恐らく異能のせいです」
鹿目さんから譲り受けた『ハーメルンの笛吹き男』を取り出し、見せる。そして推測出来る異能を告げた。
聞き終えた貿易のボスは、小さく笑った。




