第133話 物語と真意④
目を伏せたまま、東野悠はゆっくりと息を吐いた。そして語り出す。
どこから聞き付けたのか、正雄さんが受け入れてほしいと申し出て来る。
金の徽章を持ち、苗字が違うとはいえ東の血を持つ者。本来なら願ったり叶ったりだろう。しかし楠巌谷は断った。
理由は明白。使えないからだ。
勧誘する者を絞る際、正雄さんのことは調べたはず。勧誘しようと狙いを定めた忠臣さんの弟だ。更に詳しく調べたかもしれない。
そして楠巌谷は悟った。正雄さんに、大した使い道がないことを。
しかし正雄さんは中々引き下がらない。面倒に思った楠巌谷は、諦めさせるためにある条件を出した。
各ボスが一新される際に経済のボスに就く権利を手に入れ、就くこと。
経済のボスに就く予定だったのは、忠臣さん。そして正雄さんは経済のボスの補佐役のひとりとして、経済本部に所属する予定だった。
正雄さんは元々経済本部に属していたこともあり、それを不服に思っている様子だったらしい。
しかしそれは必然だった。2人には様々な面において、大きな実力の差があったからだ。誰から見ても比べる必要のない程の。
そして仮に忠臣さんが就かないとしても、とりわけ若かった正雄さんが就く可能性は低かっただろうという。
それを正雄さんはやってみせた。方法は至って簡単なものだが、楠巌谷は想像しなかっただろう。なにせ、諦めさせるために言ったのだから。
忠臣さんを自殺に見せかけて殺し、偽の遺書を用意した。
ボスに就くという重圧に耐えられなかった。経済のボスを自分に。
偽装した遺書にはそういったことが記されていた。しかしこの遺書は、あまりにも正雄さんに都合が良い。そのことから偽物であることが疑われた。
だが筆跡は忠臣さんのものだとされた。更に正雄さんはその日を含め数日の間、風邪で寝込んでいた。そのことから遺書は本物だとされた。
正雄さんはそれをどう思ったのだろう。経済のボスに就けることを、純粋に喜んだだけなのだろうか。
動かせる者がいない。そう組織に思われたというのに。
貿易のボスは危険な場所に連れて行ける者がいた。恐らく貿易のボスであれば、その者が実行したという考えも出ただろう。
兎も角、正雄さんはこうして経済のボスの座を手に入れると同時に、反逆者集団の一味となった。
遺書をどの様に用意したのか。どの様に殺したのか。それらは当人に一度聞いたが答えなかったため、不明。
反逆者集団は組織が持っている情報を入手しているに過ぎない。組織が調べていないことは組織の誰も知らない。そのため分からない。
独自で調べることは可能だ。だが重要なことではないため追及すらしなかったのだろう。そして、愉快な話ではない。
「適切だと思う言葉が見つからないけど、簡単に言えば味方だったわけだよね。どうして正雄くんを襲ってたのかな?」
「小南朝陽との取引です。2ヶ月に一度ほど、殺さない程度で襲ってほしいと要求してきたのだそうです」
「目的は?」
「分かりません」
それでも呑んだということは、悪くない取引だったのだろう。
新さんを狙ったという可能性も出ている。苗字持ちではない新さんを知っているとは思えないが、可能性は潰しておくに限る。
そのため理由を把握しておきたいところだが、知らないものは仕方がない。
「東恭一は反逆者じゃないんだよね?どんな取引をしたのかな?」
「率いる楠巌谷は死に、集団は崩壊。約束はなくなりました。直ちにお話すべきことはありません。本人からお聞きになった方がよろしいかと」
「知ってることも限られるだろうし、そうするよ」
地図と筆記具を出す様に指示がされ、東野悠の前に広げる。
迷うことなく、その地図に次々と印が書かれていく。領地の堺が多いが、本部付近にも少なくとも自動車と武器の用意はあるらしい。
「僕が把握している場所は以上です。この印に偽りはありません」
筆記具を置くと、農園のボスの目をしっかりと見る。
はっきりと口にした理由は、海人さんの異能を知っているからだ。そうすれば信じてもらえると分かっている。
そして海人さんが合図を出さなかったため、私たちは部屋を出た。
「小南朝陽のことで、知っていることがあります」
闘技場では足音が響く。はっきりと聞こえる3つの足音が数m進んだとき、その中に海人さんの声が混じった。
適当な部屋に入ると、農園のボスが手で海人さんの発言を促した。
「彼女には1歳で亡くなった9つ下の弟がいました。それ以外には腹違いでも弟はいません。ですが2年半前の彼女には、今も弟がいるようでした」
「亡くなってなかったんだね。少なくとも小南朝陽はそう思ってる」
「はい。話しは飛びますが、休戦協定の会合に東泊正雄は行きましたか?」
休戦協定の会合は恐らく2年8ヶ月前に行われた。他組織が東に攻め入るのを止めた時期だ。異能戦争へ向かう道すがら、ルールを聞く際そう聞いた。
そして小南朝陽の嘘を海人さんが認識したのが2年半前。なにか関係があると考えているのだろう。
「…行ってる」
農園のボスもそれには気付いたが、どう関係しているのか分からないのだろう。ただ事実を答えたのみだった。
「彼女も行っています。東泊正雄が護衛として連れて行った者が彼女の弟なら、辻褄が合います」
「突拍子もないけど、そう突っぱねるには噛み合うことが多いね」
反逆者集団に属するか知らないとしても、ボス職の護衛など危険だ。東では危険が少ないのだと感じたが、それを南の者が知っているはずがない。
それでも道すがら襲われることは南でも少ないのだろう。危険な目に遭わせることで、辞めさせようとした。
正雄さんを指定したのは目的に気付かれにくくするため。そして目的が達成された後も正雄さんを襲おうとも、関係がない。
1歳の子供が自分の意志で別組織に行くことも、8歳の子供が別組織に口を利くことも、出来ないだろう。となれば誰かに託したはずだ。
その者と連絡を取れば、様子を知ることは可能。休戦協定の会合で知ったというのは不自然だが、組織に入ったとだけ聞かされていたのかもしれない。
「言いたいことは分かった。それはそうと、詳しいね?」
「なにが仰りたいのか分かりません」
「小南は分家も分家。すぐ詳細に思い浮かぶものだから、仲が良いんじゃないかと思ってね。話せという命令ではなく、からかってるんだよ」
正雄さんは金の徽章を持つ東の血の者だ。組織から決定的に見放されているわけでもない。座っているだけなら問題ないと、選ばれても変ではない。
だが分家も分家と言われる家の者が、選ばれるだろうか。休戦協定の会合は4つの組織が一堂に会する会合だ。変だ。
「言いたくないと言ったら、肯定しているようなものです。意地が悪いですよ。それならいっそ、言えと命令して下されば良いではありませんか」
「それじゃ恋バナにならないからね」
故意…来い…鯉…なんの話なのか全く分からない。
からかっていると口にした農園のボスはもちろんだが、嫌がる様なことを言っている海人さんも心なしか笑顔だ。
私に関係のない話なら戻りたい。
「…僕はいつも、偽物の笑顔と過剰な気遣いの中を駆け回っていました。彼女の無愛想さが新鮮だったのです。それだけです」
「少し長くいれば、進展がありそうだね」
「しつこいです。本当に、女性は恋や噂の話をするのが好きですね。ご期待に沿えず申し訳ございませんが、そういったものではありません」
口を尖らせた農園のボスが私を見て、肩をすぼめる。
会話を理解していないことを責めているのだろうか。それなら主語をはっきりとさせて、具体的に話してほしい。
「絢子さんが暇そうにしてるから、戻ろうか。明日の朝一番に出発出来るように準備をしなくちゃいけないからね」
そう、明日やっと異能戦場を発つ。本部に戻れる。
楠巌谷との約束がなくなった今、ボスが口をつぐむ必要はない。様々な証言を合わせれば、ボスが反逆者である容疑は晴れたも同然。ボスに会える。
異能戦場のことは、彼と一緒に来た3人に任せる。3人の中には苗字と徽章を持つ者がいて、その者が中心になってまとめるらしい。
鹿目さんがいれば、鹿目さんに残ってもらえたら良かったのだが。…杏さんは置いて戻ることが出来ない。
多くの事情を知る東野悠と、組織からの内通者。それから念のため亜樹さんにも安全な場所にいてもらった方が良い。
亜樹さんは今朝見つかったばかりで、まだ話しを聞けていない。だが緊急性の高いことでもない。本部に戻ってボスたちと共に聞けば良いとの判断だ。
これを聞いたとき、亜樹さんは本部に戻ることを渋ったらしい。特別手当という金のために危険な場所へ来たのだから、予想済みだ。
同等以上の金を約束すると、簡単に頷いたという。
金で物事が進んでいく。そんなところを目の当たりにすると、全てのことは金で動くのではないかと思えてくる。
この大陸の歴史という物語は、どこへ向かうのだろう。なにを正義とし、なにが真意となっているのだろう。
いつか分かる日が来るのだろうか。
第3章完結です。
第4章では他組織の者が物語に絡んで来ます。