第130話 物語と真意①
暴力を振るわれていた亀を助けると、お礼にと海中の城へ連れて行かれる。その城で主人公は美しい姫に引き留められるまま、遊んで過ごした。
3日が経ち、主人公はついに姫の誘いを断り家に帰る。
しかし海中の城は主人公のいた場所と時間の流れが異なっていた。主人公は知人が全員死んでいなくなった世界で途方に暮れる。
事態からの脱却。せめて逃避を求め、土産にともらった箱を開ける。すると主人公は老人になった。
まとめると『浦島太郎』はこんな内容だ。
老人になった主人公がどうなったのか。これは複数の物語があるらしい。だが広く知られるものとしては、老人になった後のことは描かれないのだという。
そして彼は、老人の顛末が描かれた物語をひとつも知らなかった。
しかしそれでも物語が時間に触れている部分はある。時間を戻す異能というボスの仰ったことが、現実味を帯びたと考えて良いだろう。
土産にもらった箱の中身は時間だった。主人公が経過したと感じた時間を、本来経過していた時間に戻したのだ。
ボスの指は誰も触れていないにも関わらず、落とされた。北園義満は扉の持ち手に触れた瞬間、手を押さえて蹲った。
これらは、その空間の時間を戻したことで起こったのではないだろうか。
続いているように見える場所に、時間という明確な境界線が生まれる。その境界線を超えてしまった身体の一部が過去に戻った結果、切り離された。
それぞれで、その場所に存在している時間が異なる。このため、離れざるを得ないというわけだ。
時間を操る異能は強力だ。そして予想通りだとすれば、例に漏れず楠巌谷の異能も強力だ。にも関わらず、楠巌谷は異能をあまり使わなかったように感じる。
それは異能の発動条件が難しいものだったからではないだろうか。物語では箱を渡すという行為だ。
「寝るためにやってんのに、考え込んでんじゃねぇよ」
「主人公は城で遊んで過ごした対価を払ったということなのでしょう。しかし箱を開けるとは限りません。城にいた姫の目的も不明です」
「ご想像にお任せってやつだ」
そうか。物語に各々の解釈があるのは当たり前だ。複数あるという顛末は、解釈に物語を付け足したものなのだろう。
とすると、異能の効果は何故同じなのだろう。異能は本を読んで得る。各々の解釈で多少の違いがあるものではないのだろうか。
「次は『ハーメルンの笛吹き男』だな。寝ろよ。良いな」
ハーメルンという町は、鼠の被害で苦しんでいた。そこへやって来た笛吹きの男が全ての鼠を退治するからと金を要求した。
その額の大きさに住民たちは悩んだが、結局依頼をした。
笛吹き男が笛を吹くと鼠は男の後をついて歩いて行く。全ての鼠を池に落とし、町からは鼠はいなくなった。
しかし村長は金を払うのが惜しくなり、理由を付けては支払いをしなかった。
怒った笛吹き男は再び笛を吹いた。その後をついて歩くのは町の子供たち。大人たちは必死に止めるも、笛吹き男は子供たちを連れて町を出た。
数年後も山奥からは時折、子供たちの楽しそうな声が聞こえるという。
「何故町なのに村長なのでしょう」
「うるせぇな、雰囲気だ。村でも町長でも良い」
笛の音色を指定の者が聞くと、吹いた者の思う通りに動くということか。
考えられる異能の効果は3つだろうか。操ることが出来る。洗脳が出来る。記憶の操作が出来る。
いずれにしても『ハーメルンの笛吹き男』が異能の本なら。もしそうであれば、異能を使ったのは鹿目さんということになる。
だが鹿目さんが異能者であることを自覚していたとは、どうしても思えない。
なにも知らない鹿目さんに、誰かが笛を吹かせていた可能性があるか。
記憶の操作が出来る異能であるなら、そのこと自体を忘れるよう予め織り込むことも可能なのではないだろうか。
それなら自覚がないことも頷ける。そして、私や海人さんに起こった記憶障害のようなものの説明もつく。
操ることが出来る異能であれば、私が本部で暴れたことに説明がしやすくなる。あれを人心掌握だと思わせて、南を警戒させる。
それが狙いだった可能性も捨てきれない。
洗脳は…分からないな。
「なんだ、他に文句があるのか?」
「笛吹き男の後をついて行った理由は、どの様に解釈されているのでしょうか」
「楽しそうな音につられてってのが一般的じゃねぇか?だが必死に止める大人に見向きもしなかったことから、操っただの洗脳だの色々ある」
解釈や時代、政治的事情によって歪められてゆく物語。どれが初めの物語なのか分からなくなっているのかもしれない。
物語を通して、作者がなにを伝えようとしたのか。それは、“そんなこと”として扱われたのだろうか。
いかにも欲深く浅ましい人間のすることだ。
あるいは作者は、本当は誰にも受け入れられたくなかったのだろうか。そのため全てを語ることをしなかった。
もしそうなら。
「それより寝る気ねぇだろ。ベッドに入るときより冴えてんぞ」
「語り方の問題かもしれません」
「うるせぇヤツだな。一字一句覚えてるはずねぇだろ。それに読み聞かせなんてしてやれたことがない」
気になる言い方だ。だがそれより、今は異能についてだ。
「ですので、これを読んでもらえませんか」
私が差し出した一冊の本を見て、戸惑いの表情を浮かべた。
普通なら戦場に本は持って来るものではない。それくらい分かる。しかも聞かせてくれと言った物語だ。
「…大事な物なんだろ。俺に渡して良いのか?」
そうだった。彼は異能戦争の報告を聞いていた。異能が童話の題名であることに気付かない方がおかしい。
異能について考えていることに、早々に気付いたはずだ。それでもなにも問わず付き合ってくれていたのか。
「はい。お願いします」
「分かった」
本が開かれる。彼は戸惑う様子を見せず、ゆっくりと息を吸った。そして何度も読んで暗記してしまった、最初の一文が聞こえた。
その声が、物語を続けていく。
「ふと顔を上げたとき、靴屋のガラス窓の向こうに赤い靴が見え――っ!」
急に言葉を止め、頭を押さえた。露骨な反応を見せたということは、余程激しい痛みだったのだろう。
異能の本を読んだせいか。やはり迂闊だっただろうか。
「少し頭痛がしただけだ。心配ない」
「危険かもしれません」
「ただの頭痛だろ、大丈夫だ。ほら、横になってしっかり布団を被れ。寝てくれないと、俺が休めねぇだろ」
本を落としたことを謝罪しつつ、拾い上げる。落ちた拍子に閉じてしまって迷子になった頁を探すために、パラパラと本をめくる。
小さく首を傾げた彼だったが、特になにも言わず頁を探す。
見つけたのか、手を止めた。だが物語を読もうとはしない。どうしたのか問おうとすると、開いたまま私に本を見せた。
「読んだところまでしか文字がない。確かに続きはあったはずだ」
なるほど。私の考察は全くの的外れではないということか。
使用者のある異能の本でも、内容が読める場合がある。それは、相手に受け入れてほしいという思いがあるとき。それに近い感情があるとき。
研究や組織のために持たされるであろう異能。読もうとする者に心を開いているとは考えにくい。故に誰も知らなかった。
そう考えられるのではないだろうか。
私にそんな感情があるとは思わなかった。しかも相手はボスではない。そしてボスは一度、この本を開いている。白紙だと仰った。
正体を明かす際のことだ。異能戦争に参加する前のことだ。様々なことが今とは違った。それだけだ。だが、それでも白紙だったのに。
…いや、仮説を確かめるために読んでもらったのだ。多少なりとも、そういう気持ちがあったのだろう。
「すっかり寝る感じじゃねぇな。…さっき聞いてきた『ハーメルンの笛吹き男』の笛吹き男の後をついて行った理由な。俺は記憶操作だと思ってる」
「何故ですか」
「ついて行ったら楽しいことがある。それくらいの洗脳なら、目が覚めるのも早いんじゃねぇかって。だが楽し気な声は数年後も聞こえる」
それも歪んだ物語の内のひとつかもしれない。
そう思ったのと同時に、それを言ってはいけない気がした。理由はなんとなく。酷く曖昧なものだと思ったが、言わなかった。
「そうすることが普通だって思わされてんだ。その解釈が、俺には一番しっくりくる。苗字持ちは偉い。この大陸の誰もが無条件にそう思ってる。そういうフリはしてる。いつでも人のすることは変わらねぇってことだ」
彼が何故、中流らしいとはいえ苗字持ちと恋人という関係を築き、そしてそれを長年続けられているのか。それが分かった気がした。
仙北谷を名乗った、北からの内通者が言っていた。苗字持ち同士だろうと身分の差故に交際を認められないことがある。
そして海人さんは異能によって嘘だと分かっただけだ。それはつまり、自身は違和感を抱かなかった、ということになる。
彼にはこれが、違和感の塊でしかないのだ。
海人さんが違和感を抱かなかったことも、全てが。違和感。違和感に辟易してしまう程、それを抱いているのだ。
そんな思いを時折口にしながらも、適度に周囲に合わせる。そんな自身を、彼はどう見ているのだろう。
「だから名前を捨てられなかったんじゃねぇの?」
彼の視線が身体にこべり付く様な、そんな感じがした。




