第125話 異能者の苦しみ②
今日予定していた者全員の聴取がやっと終わった。無理な予定だっただろうか。予定していた時間を1時間も超過してしまった。
そのせいで、戻る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。にも関わらず、今日の聴取で分かったことはあまりにも少ない。
組織からの内通者が1名いたこと。それだけだ。
「西文は異能戦争に戦闘要員として参加していました。恐らく、人質は殺されているでしょう」
戦争の全容が決定したのは1年前。しかし徐々に決定していくその内容は、随時報告されていたはず。
反逆者集団に潜入するよう脅されたのは、2年前だと言っていた。その頃には西文を戦場に赴かせるつもりがあったのだろう。
だから汚れ役をやらせた。
生きて戻ることなど、初めから望まれてはいなかった。
近隣の街の者からの信頼がかなりある様子。だが、あの者の様に庇う者がいるとまでは考えてはいなかっただろう。
もし戻って来たときに危険だからだ。
街の者が西の内部をどの程度把握し、どう思っているかは不明だ。
だが、直接脅された者を庇うくらいだ。進んでする選択だとは思えない、と反発されればそれが火種となり大惨事となりかねない。
しかも西文が脅した人物がひとりだとは限らない。
異能戦争への参加者が戻って来て発覚するということは、異能戦争が終わって間もないだろう。勝っても負けても、情勢が不安定になることは想像に容易い。
そんなときに問題が起きることは望まないはずだ。
西は、西文の価値の付け方を間違えたのだ。
「ああ、思い出した」
思い付いたまま言ったかの様な、若干呑気な声色だった。南海人は集まった視線を受けて、苦い笑みを浮かべた。
「今の今まで、なにか思い出せそうで思い出せなかったのです。北からの内通者なら、2人心当たりがあります」
「詳しく話せ」
聴取のときに黙っていたのだから、今言う利点がない。少なくとも黙っていたことが露見するまでは黙っているだろう。
今日聴取した者の中に、その者がいなかった。そう考えるのが道理だ。
「男女2人で、顔や名前は覚えていません。身分の差を理由に恋人であることを認められないため、逃亡した。加えてほしい。そう言ってきたのです」
「それが嘘だと分かっていて、迎え入れたのか」
「はい。解放されたかったのです。潰してくれることを少しだけ期待しました」
そういった目的で送られて来たわけではないだろう。南海人もそれは分かっているはずだ。一縷の望み、というものだろう。
結局、それが叶うことはなかった。
しかし今まで思い出せなかったというのは、変な話だ。珍しいことや、逆に良くあることなら覚えているだろう。
顔や名前を思い出したと言うなら別だが、そういうわけでもない。
農園のボスがそれを指摘した。
「記憶にもやがかかったような感覚でした。確かに覚えているはずなのに、何故か思い出せない。そのもやが急に晴れたんです。でも、まだそのもやが残っているように感じます。名前は兎も角、顔は絶対に覚えているはずなんです」
私も体験したことがある。
存在すら忘れていた楠巌谷を、突然思い出した。しかも段階的に。今の南海人は異能戦場にいたときの私と同じ状況だ。
顔の周辺だけが暗くて見えず、記憶が穴抜けの様な状態になっていた。それが報告の際に突然、恐らく全てを鮮明に思い出せる様になった。
事例は2つだが、具体的かつ一致している。偶然で片付けてしまっても良いものだろうか。記憶を操作する異能者が近くにいるのであれば、危険だ。
小さなことを思い出せない程度であれば、直接大きな問題になる可能性は低い。しかし記憶の大部分を塗り替える程の強力な異能である可能性もある。
「きゃー!止めて!来ないで!」
発言しようとすると、杏さんの叫び声が建物中に響いた。
扉を開けてすぐのところにいた鹿目さんが、腹の辺りを押さえて蹲っている。そして奥には尻もちを付いて小さく震える杏さんがいた。
「鹿目さん、大丈夫ですか」
「そう、見えるか…?いいか、南。あの女を、信じるな」
「傷が開きます。喋らないで下さい」
「それから…ああ、そうだ…爺さんの形見の本、南にやるよ。南、本好きだろ。困ったら読めって、そう言ってたけど、読んだんだったか…まぁ、いいか」
鹿目さんの手が、ゆっくりとこちらへ伸びて来る。持ち上げるのがやっとという様子で、目的地が定まっていない。
その手を両手でそっと包むと、鹿目さんは微笑んだ。とても弱々しい笑みだ。
もうなにをしても助からない。そう悟った。
元より医療の知識が全くない私に、出来ることなどなかった。私は無力だ。疾うの昔に分かっていたはずだ。
私には人を殺すことしか出来ない。
涙を流すことや、微笑んで見せることすらも出来ない。
「はい。ありがとうございます。大切に読ませてもらいます」
「本当は、俺が…守ってやりたかった。弱い先輩で、ごめんな…。自分が、幸せだと…思う道を、行けよ…」
鹿目さんの手から力がなくなり、私の手の中からこぼれ落ちてゆく。その手が勢い良く床に当たった音が無意味に反響した。
「…鹿目さん、鹿目さん」
返事がない。もう呼吸をしていない。
何故こんなことに…睨むように視線を上げ、杏さんに視線を向ける。自身を守る様に両腕を抱えているその姿は、芝居がかっている。
「鹿目さんを寝かせたら、なにがあったのか聞かせてもらいます」
少し震えた、わざとらしい返事が聞こえた。
抱きかかえて、布団に寝かせる。腹に刺さった刃物をどうするべきなのかが分からない。抜けばまだ血が出て来るのだろうか。
「絢子さま、今はそのままにしましょう。後で落ち着いて、ゆっくり処置をした方が良いと思います」
「出来るのか」
「知識だけなら出来ます」
それですぐに処置が出来なかったのか。いや、状態は私が見てはっきり分かる程悪かった。知識だけがあるからこそ、なにもしなかったのだろう。
小さく頷くと、鹿目さんの服を探った。
「一体なにを……本?どうして本なんて持ち歩いて…まさか、異能の本」
「可能性はある。だが少なくとも鹿目さんはそうとは知らなかっただろう。このことは黙っていろ」
「承知致しました」
一同が介した部屋の扉を開ける。そこには農園のボスと佐治さん、そして杏さんの3人が座っている。
彼は見回りに出ている。巻き込まずに済んで良かった。
私が座ると、杏さんは自身の前に置かれたコップから手を離した。大きく深呼吸をして、私の目をしっかりと見る。
嘘を吐かないことを示したいのかもしれないが、無意味だ。
青い嘘の場合右手、赤い嘘の場合左手、緑の嘘の場合両手を握る。そう打ち合わせをしてここへ入って来た。
「じゃあ杏さん、なにがあったのか聞かせてくれる?」
「はい。南のことで話したいことがあると言われて、部屋に入れました。そしたら突然、襲い掛かって来たんです。それで私必死で抵抗して…」
つまらない嘘だ。南海人の合図などなくとも、嘘だと分かる。鹿目さんがそんなことをするはずがない。
南海人も右手のみを握っている。
「本当は突然、なにがあったのですか」
「嘘なんて吐いてない!もし嘘だって言うなら教えてよ。なんの利点があって、人目のあるところで自分が犯人だって言って殺さなきゃいけないの?」
「突然であることは本当だからです」
嘘だと分かっているのだから、考えるまでもない。利点などない。
鹿目さんの人柄以外で断言する理由があるとすれば、南海人が手を握ったときに杏さんが言っていた言葉だ。
言葉を色として認識し、行動しなくてはいけない。当然、嘘が吐かれた瞬間から手を握ることは出来ない。
“突然”という言葉が嘘であれば、“襲い掛かって”と言っている時点で握っているはずだ。だが握られたのは“掛かって”からだ。
「どうしても私の言うことは信じてくれないんだね」
「はい。出来ません。鹿目さんは手に武器を持っておらず、周辺に落ちてもいませんでした。つまり襲ったというのは、性的な意味になると思います」
南海人が苦い顔をして視線を逸らす。
全く信じていないわけでも、全く信じているわけでもなかった。だが本当に命令で仕方なくやったことらしい。
「そうだよ」
「この数日共に過ごして、その嘘が通用すると思ったのは何故ですか」
「嘘なんて吐いてないって何度も言ってるでしょ!それに誰だからって庇うのはおかしい。男なんてそういうところはみんな同じなんだからさ」
杏さんにとって、鹿目さんは何者でもなかったらしい。
個人を特定、認識するために分類は必要で、性別はその中のひとつだ。杏さんは鹿目さんを分類でしか見ず、鹿目さんとして認識しなかった。
たった数日のことだ。無理もないのだろう。
「よく分かりました」
「…杏さん、本当はなにがあったのかな?」
「だか―――」
「優しく問われている間に答えろ。もうそろそろ我慢の限界だろうな。俺は初めからお前のままごとに付き合いたくはなかった」
南海人が、杏さんの首元に刃物を突き立てている。
少しでも動けば切れるだろうが、誰かが咎めることはない。そんな周囲の様子を見て、杏さんは大きくため息を吐いた。