第120話 最期の言葉②
印象に残る小さな微笑み。それを浮かべる悠さんがなにを言いたいのかは、全く伝わって来ない。
私がおかしいのだろうか。
分からない。
「ああすることで悠さんなりに救えたと言うのなら、悠さんはいつでも楠巌谷を救うことが出来たはずです」
私には出来ないと思っていたのなら何故、私に助けを求めた。
自身で救うことが出来るのなら何故、もっと早くそうしなかった。そうすればあの町が、あの町の方たちが、なくなってしまうことはなかったのに。
「いいえ、いつでもは無理です。それに救える方法は、その時々によって異なるものですよ」
それなら霞城さんも晴臣さんも、別の方法で救うことが…いや、違う。私が2人を救ったのは、結果論に過ぎない。
私は自分のために2人を殺した。そのときは、それが救う方法だっただけだ。
救おうなどという気持ちは、一切なかった。
「さっきは偶然殺すという方法で救えて、偶然読み取った僕に、偶然その機会があっただけです。全ては偶然なのです」
「偶然…」
それだけのことが重なったことすらも偶然。
それなら偶然でないことなど、存在するのだろうか。なにもかもを偶然としてしまって、それで良いのだろうか。
「僕と話す機会を設けたのは、弘美さまの指示ですか?」
…そうなのかもしれない。全ては、偶然なのかもしれない。
悠さんが、今これを問うた理由。
この質問の答えに、とある事実を付け加える。それによって私は、悠さんに対して“あること”を示すことが出来る。その理由。
全てが偶然なのだとしたら。
「いいえ、私個人の判断です」
「秘密の命令ですか。余程隠す正当性があったのですね。そうではないのなら、弘美さまには報告するはずです」
分かった様なことを言ってくれる。
言わなかった理由は、そんなことではない。そして、それは正しい判断だった。農園のボスがそう言ってくれた。
「東に協力すると誓って下さい。そうしなければ、私は六花さんと交わした約束の中で一番悪いものを果たさなくてはなりません」
命令がなくとも、人を殺すかもしれない行動が出来てしまった。これに悠さんは驚いていると言った。
私がそうでないことは、見ていたのなら知っているはずだ。
私は自身の欲のために人を殺せる。そういう人間だ。
そしてこれまでも命令とはいえ、私は沢山の死体を生み出してきた。坊ちゃんに言った様に、空に手が届く程だ。
今更ひとつやふたつ増えたところで、なにが変わるわけでもない。
「命令がなくとも殺せる。そういうことですか。そうでしたね。殺すなと命令されていれば、それが優先なのでしょうけど」
確かにそうだろう。だがいちいち鼻に付く言い方をする。
戦闘前に話したときは、素直に返答していた。嫌味と受け取れる様なことも言わなかった。他人に寄り添う様な発言さえもしていた。
今との、この違いはなんだ。
「誓いましょう。元よりそのつもりでした」
楠巌谷を殺して自分も死ぬと言っていたはずだ。協力するつもりだったと言うのなら、あの発言は一体なんだったのか。
今はそれより武器の回収だ。誓うと言うのだから、後でゆっくり聞けば良い。
「では武器が隠してある場所を教えて下さい。他は後程聞かせてもらいます」
「異能戦争時に各組織に割り当てられた建物に、多くあります。それ以外にも点在していますが、口で説明するのは難しいですね」
隠してあるということだろう。それなら襲撃者に使われる心配は少ない。
逆に、4つの建物には簡単に使える様置いてあるということだ。その武器の回収を急いだ方が良いだろう。
「分かりました。また来ます」
「気を付けて下さいね」
その言葉は、閉まりかけた扉の隙間から極々小さな声で聞こえた。再び扉の向こうへ入り、今度は刃物を構えた。
「どういう意味ですか」
「僕が誓ったのは“協力”ですので、それ以上は」
なにか仕掛けがあるのかもしれない。
捕まっていないと確信の持てる者がいるのかもしれない。
それらについて、もちろん気を付けてはいるだろう。だが、わざわざ言うのだ。それなりの理由があるはず。
急いで知らせるには、信号拳銃で集合させるしかないか。
撃ってからそう時間は経っていないだろう。
だが4人が集まるまでの時間は、長く感じた。
「…どの方向ですか」
「東です。割り当てられた建物周辺のため、他よりは知った場所だから探索しやすいだろうと。どうされたのですか」
一番に東の建物へ向かってもおかしくない。時間がない。
「説明している時間はありません。みなさんはここで待機していて下さい。くれぐれも、なににも触れない様に」
「どうせ待つなら、全員で行けば良い。絢子さんは焦ってる。それは分かるね?客観的に見られる者が必要だよ」
言い争っている時間が惜しい。勝手にすれば良い。なにを言ったところで、命令には背くことなど出来やしない。
返事も反論もせず、駆け出した。その後ろを4人が追って来る。
2週間近く過ごしたあの建物の前に、人が倒れている。
僅かだが息がある。外傷は見受けられない。
扉が半開きだ。持ち手に毒が塗ってあったのか。どうすれば。
「しっかりして下さい」
「絢子さん…」
意識はそこまで混濁していない様子だ。良かった。
「どうすれば良いですか。なにが必要ですか」
「俺のこと、どう見えますか…?」
「どういう意味ですか。いいえ、そんなことより手当が先です。必要な物を教えて下さい。すぐに持って来ます」
私をじっと見たまま、動こうとしない。焦点が少し合っていない。
振り返るが、4人とも首を振った。3人は替えの利く駒。ひとりはボス職。知っている方が珍しいのだ。分かっている。
「しっかりして下さい、弓弦さん!」
「そう、ですか…。良かった…」
ゆっくりと目が閉じられる。
眠っては駄目な気がする。
よく分からないが、凍死と同じなのではないだろうか。意識を保っていた方が良いのではないだろうか。
「見てみたかった…です。4人で、言ってたんですよ。…きっと、綺麗な瞳の色、なんだろう…って」
「そんなもの、良くなったらいくらでも見せます。だから目を開けて下さい」
お願い…
「絢子さん…約束…守れなくて、すみません」
「駄目です。嫌です」
すぐにはなんのことか分からなかったが、口をついて出た。考えるより先に言葉が出た。それがいけなかったのだろうか。
口元に小さな笑みを浮かべて、弓弦さんは動かなくなった。
「呼吸が止まりました。誰か、早く心肺蘇生を…」
「もう無理だよ。仮に出来たとしても、なにをして良いのか分からないからね。休ませてあげよう」
休ませてあげる…?
そんなものは手前勝手な考えだ。弓弦さんがそう言ったわけでもない。出来ないなら出来ない。それだけで良いはずだ。
出来ないからしなかった。その言い訳に、他人を使うべきではない。
だがある種、事実かもしれない。
心肺蘇生の手順も知らない者たちに、解毒が出来るとは思えない。心肺蘇生に成功したとしても、苦しむ時間が長引くだけだろう。
「…分かりました」
力のなくなった弓弦さんを抱きかかえ、元いた建物へ向かう。安全だと分かっているのはそこだけだ。
布団にそっと寝かせると、ただ眠っているだけの様にも見える。
キスは童話の定番だと弓弦さんが言っていた。
童話『眠れる森の美女』も王子様のキスで、お姫様は目を覚ました。私も同じ様にすれば目が覚めるのだろうか。
…いや、所詮は御伽噺だ。100年前のこの大陸と同じだ。
目が覚めないよう、そっと扉を閉める。その先には4人が待ち構えていて、全員が眉根を寄せている。
武器の在り処を東野悠に聞いたこと。主に異能戦争参加者へ割り当てられた建物にあること。そして“気を付けて”と言われたこと。
この3点を端的に述べる。
「4つの建物に仕掛けがしてある。そういうことか?」
「その可能性が高いです」
東へ割り振られた建物へ行く可能性は、私と弓弦さんが圧倒的に高い。私だと睨んだのだろう。直接殺せないからと、毒などという卑怯な手を使うとは。
だが少々不自然だ。
あの扉を開けるということは、私たちが武器の回収をしている状況のはず。楠巌谷もそれを想定していたはずだ。
その場合、反逆者集団は壊滅状態になっている可能性が高い。
そんな状況で、私を殺す意味などあるだろうか。
毒を仕込んだ者が、弓弦さんを殺すつもりだったと仮定する。一体誰がなんのために、そんなことをするのか。
考えろ。危険はまだ、すぐそこにある。
弓弦さんに、北園満弦に、恨みを持つ者。若しくは秘密を知られている者。
今になったのは、機会の問題ではないとしたら。東には知られても問題ないが、他組織、特に北に知られてはいけないことを知っているとしたら。
あり得ない話ではない。北園満弦という人物は、東でいうところのどこかの本部の中枢にいた様子だった。
保身のために人を殺す様な者が反逆者になっているとは思えない。命令があったのか。しかし反逆者になってまで、命令を実行するだろうか。
そうか―――
命を置いた者と、武器を置いた者の大きな違いがひとつ分かった。不味いことになるかもしれない。