第11話 姫の呪縛④
北の街は、随分と賑わっていた。荒廃した世界が嘘の様だ。色が見えなくとも、この街が様々な色彩で溢れていることが分かる。
「この辺りの者たちは良い暮らしをしているのですね」
「そうかな。普通だと思うよ」
「皆露店で易々と買い物をしています。高価な食べ物を当たり前の様に買っています。裕福です」
ボスが辺りを見渡す。やがて私に視線を向けて、首を傾げる。
「高価な食べ物などあるかな」
「パンが小麦のみで作られています。しかもトウモロコシが乗ったり、ジャムが挟まったり。高価です」
「君にもほぼ毎食買えるはずだよ」
ボスが断定するのだから、そうなのだろう。しかし私は実際、毎食良いパンを買うどころか毎食食べられないのだが。
「ほぉう、誰かがくすねているようだね。良い根性をしている。戻ったら調査をしなくてはいけないね」
「不満の声が届かないのなら、持っていてもその程度の不満です。面子のためでないのなら、力む必要はありません」
もっとも、ボスが面子を気にする様子など思い浮かばないが。
「君自身はどうなのかな」
「通貨というものは概念しか知りませんでした。毎食食べられないことなど当然でした。なので、気が付きませんでした。申し訳ございません」
さっきまで纏っていた雰囲気はどこかへいって、困った様に笑う。
「君がその事実を知っても怒っていないのなら良いんだよ。責めてはいない。むしろ気が付かなくて悪かったね」
「確かに統べる者の責任でもあります。おあいこということにして、この話は終わりにしましょう」
「そうだね。折角仕事をサボって楽しい場所に来たのだから」
お忍び偵察という体はもうどうでも良くなったらしい。
「あの服なんてどうかな」
「動きにくそうです」
「そう言わずに、着てみよう」
「絶対に買わないものは着ません。邪魔になるので、店の者にも悪いです」
眉を下げて曖昧な返事をされる。着ると買わされそうだ。
「そんな顔をしても着ません」
「では、あれはどうかな?」
「露出が多いです。怪我をします」
「あ、これを貰えるかな」
なにを勝手に買って…髪留め?細長いものが随分沢山入っている。
「プレゼントだよ。これが君の武器になる。投げ当てて、指示をするんだ」
「なるほど。ありがたく頂戴します」
「試してみなくて良いのかな」
相手が如何なる人物でも疑うべき。霞城さんが言っていたことについて言っているのだろう。
「必要ありません。他者のために怒れるボ」
唇に指を当てて言葉を止められる。
ボスは怒ることが苦手だと言っていた。怒るという言葉は適切ではなかったか。
「お忍びなのだから、違うだろう?」
忘れていなかったのか。では、こうだろうか。
「他者のために怒れる恭一を信頼しています」
ふわりと笑うと、何度か小さく頷く。
「それは良かった。では行こうか。食べたい物があれば言うと良い」
「餌付けなら不可能です」
「違うよ。想像するに、君はここでなにひとつ買い物が出来ないのではないかな。私の責任でもあるからね。ご馳走させてもらうよ」
日々食べることに精一杯だったのだから、もちろんそうだ。適当に誤魔化すつもりだったのだが、やはりお見通しか。
「……甘味というものを食べたいです」
「うん、分かったよ。ところで、あの服はどうかな」
「恭一が勧める服はひらひらしています。何故ですか」
「私の趣味だよ」
いっそ清々しいな。しかしそれなら仕方がない。動きにくそうというわけではないし、露出も多くない。ポケットが沢山あるのも良い。
「念のため聞きますが、暗い色ですよね」
「うん。流石にそこは分かっているよ。主に使われているのは紺という色でね、紫だから…茄子かな。それをすごく暗くした色だね。分かりにくいかな…」
頭を悩ませるその姿は、可愛らしい。もう少し見ていても良かったが、可哀想なので止しておこう。
「いいえ、なんとなく分かります」
「それは良かった。どうかな」
「着てみま」
近づいて来る人の気配を感じ、ナイフを構えて振り返る。
「お店の人だよ。大丈夫」
「店の者なら大丈夫な理由はなんですか。背後から近づくなど信頼出来ません。この店は止めましょう」
「えぇ、折角可愛い服を見つけたのに」
「服など着られれば十分です。行きますよ」
歩き出してもボスの気配はついて来ない。背後から近づく店の傍に身を置くなど、危険極まりない。早く連れて離れなくては。
振り返ると、ボスはいなかった。
「おい、さっきまでいた男をどこへやった」
「し、知らないっ!」
「嘘を吐くな。殺されたいのか」
「本当だ!瞬きをした瞬間にいなくなった!」
そんな一瞬でいなくなるはずがない。異能か?店員に扮して近寄って来たにしては変だが、仲間の可能性や雇われた可能性がある。
「指でも落とせば正直に話す気になるだろうか」
「人の話を聞け!知らないって言ってんだろ!」
「聞いている。主張だけなら誰にでも出来る。嘘でない証明が出来るのか。出来るなら早くしろ」
「知らないんだから出来るわけ…!出来る。後ろ」
気を逸らすつもりか。異能で動かないように指示をして振り返っても良いが、他に仲間がいないとも限らない。
「絢子くん」
ボス!
気配はひとり。何者かに捕らえられている様子はない。
「店員さん、乱暴をして悪かったね。これはお詫びだよ。大事にしないでもらえると助かるのだけど…」
立ち上がる手伝いをした際に、ポケットへなにかを滑り込ませる。
「良いね?」
「は、はい…!」
「では店を見せてもらおうか?絢子くん」
「はい。店の者」
肩をびくりとさせる。
服を専門に売買していれば関わる機会は少ないだろうが、武闘組織近くに店を構えてこの調子で大丈夫なのか。
「早とちりで乱暴をして申し訳ございません。店内を見せていただけますか」
「はい…。どうぞ…」
覇気のない男だな。
「うん、ちゃんと謝れたね。ではこれを着よう」
これはさっき店先で見ていたものと同じものか?まぁ見たところ大差はないし、色も暗めだ。違っても問題ないか。
「はい」
簡易個室の空いている一辺を布で被うと、渡された服を着る。太股の辺りが少しひらひらするが、動き辛いというわけではない。問題ないな。
布を剥ぎ、外へ出ると用意されていた靴を履く。
「やはり似合うね。とても良いよ」
「動き辛くはありませんし、恭一が良いと言うならこれにします」
「店員さん、着て出て行くよ。着て来た服は持ち帰るから、袋をもらえるかな」
店の者の挨拶を背に受け店を出ると、ボスは一層機嫌が良くなった。
「この団子というものは甘いよ。それから、あのたい焼きというものも良い。中に入っている小豆が美味しいよ。あとは…」
「恭一、はしゃがないで下さい。恥ずかしいです」
「良いじゃないか」
私を見る目が、寂しそうなものになる。
「こんな機会は二度とないだろうからね」
ボスがそう言うのなら、そうなのだろう。
けれど、それを認めてはいけない気がした。認めたら、本当に来られなくなってしまうだろう。
「そんなことを言わないで下さい。またいつでも来られます」
「そうだね。君がそう言うのならそうなんだろう」
「どういう意味ですか」
「君はいつも嘘を吐かないからね」
これは嘘ではない。希望的観測だ。ボスもそんなことは分かっているだろう。本気で、最初で最後だと思っているのか。
「はい」
「さて、なにを食べようか」
「団子が良いです」
露店の前まで行き、2本注文をする。
「お嬢ちゃん、お父さんと仲が良いんだね。羨ましいよ」
「本当かな。でも嬉しいよ、ありがとう」
なるほど、肯定はせず肯定しているかの様な反応をするのか。それにしても、随分手間取っているような気がする。
「おい、取り置きしてあるものと焼き加減が違うな。手際も良くない」
「絢子くん」
「お前、本当に店の者か」
店の者を殺して成り代わり、毒でも盛ったのかもしれない。
「絢子くん、落ち着いて。ここは危険な場所ではないよ」
「分かっています。ですので直ちに拘束せず問うているのです」
「うん、そうだね。でもそれは分かってないんだよ。店員さん、気分を悪くさせてしまってすまないね」
店の者は呆けた顔をして曖昧な返事をする。本物だとして、そんな調子ではすぐに殺されてしまうのではないか。
再度店の者に謝罪し、団子を2本受け取る。1本を私へ渡すと、早々に口へ運んでしまう。安全だと言っても疑うためだろう。
しかしボスが自ら毒見など。そんなものは私がすれば良い。
ボスが本当に店の者を信じているのなら、先に食べさせれば良いのだ。思い込みで死んだりはしない。
「美味しいよ?」
その微笑みになにも言えず、私も口へ運ぶ。
「美味しい…。甘いです」
「気に入ってもらえたかな」
小さく頷くと、ボスは嬉しそうに笑った。それだけで私は嬉しかった。
***
しばらく辺りを散策していると、太陽が夕日へと変わり初めた。ボスは空を見上げ、ため息を吐く。
「帰ろうか。暗くなると危ないからね」
「私は、わがままを言った方が…言っても、良いのでしょうか」
「ありがとう。でも帰らなくてはいけないからね」
「はい…」
差し出された手を取って、歩き出す。
この景色を背景にしたボスを目に焼き付けよう。ボスが言う通り最初で最後なのだとしても、ここへ来れば鮮明に思い出せるように。
「明日は本部へ行くんだ。お泊りだよ。君と霞城くんも連れて行くからそのつもりでね」
ボスの表情が曇り、手を握る力が強くなる。思い浮かぶ言葉は気休めばかり。なにを言うことも出来ず、ただ歩いた。