第107話 表情の裏側①
教養本部の者たちが私たちを歓迎していないことは、私にも分かった。急な訪問だ。無理もないだろう。
まず通された客間に座っていた男性は立ち上がらなかった。偉そうに背もたれに身体を預け、コップを口に運ぶ。
「急なのに承諾してくれてありがとう。世話になるよ」
「タダで承諾したみたいな言い方だな」
「そう聞いてるよ。見返りがあるなら尚更、急だろうと客人には最低限の礼儀を持った方が良いよ」
「客人だと?笑わせるな」
理由は知らないが、客間で待っていたという事実は変わらない。なにが不満なのか分からないな。
「晴臣さんを殺した者が来ると聞いた。俺と勝負をしろ。もちろん真剣だ。落とし前をつけないとな」
「それは止めておいた方が良いよ」
「これからどこかへ行くんだろ。その前に怪我をしたくないのか?」
不愉快な笑顔だ。そういえば、会合の際にいた気がするな。いや、全員同じに見えているだけか。
「今すぐ撤回することをお勧めします」
「お前は確か少し前に武闘組織から引き抜かれた者だったか。戦闘に邪魔そうなソレを使っていろじか」
「あー!駄目駄目っ。それ以上は駄目です」
邪魔された。こんな無礼な者の可愛らしい“ソレ”など誰も見たくないだろうが、裸踊りで勘弁してやろうとしていたのに。
途中で止めたとしても、言おうとしていたことは分かる。無礼は見過ごせても、こういった類の侮辱は見過ごせない。
「なんだ、五月蠅いな」
「殺されたいなら続きをどうぞ」
「佐治、煽るな。問題を増やすつもりか」
発言のない私に自然と視線が向けられた。その表情に対する表現は、嘲笑が正しいだろうか。
「こんな小娘が殺したとでも言いたいのか。しかも全員で止めるほどの実力者だと?それとも本当に殺した者を隠しているのか?」
「彼女の実力を自身で体験するには戦闘技術が不足してる。そう全員が言ってるの。頼むから大人しくして」
馬鹿にされたと感じて余計に騒ぐ可能性があるな。面倒だ。
「暗褐色の少女歩兵。この二つ名にかけて、ボスにこの者の首を送ります。この様な者の首など取るに足らないものですが、折角ですから」
「は…?」
「知っていたのか」
下手な芝居だ。私の耳に入っていることなど、気付いていただろうに。他者から言った方が説得力はあるだろうが、その様な芝居では見抜かれる。
「はい、もちろんです。おい貴様。殺されたくなければ、杏さんを侮辱したことと我々に無礼を働いたことを謝罪しろ」
刃物を抜いた私を降り押さえようと、部屋にいた護衛たちが動き出す。
「止めろ!本当なら殺されるぞ。だが…」
目を細めて私をまじまじと見る。そこに厭らしさは全くないが、気分の良いものではない。
「瞳の色が噂では茶色だが、黒だな。だが所詮は噂だ。3年前に死んだことも、尾ひれが付いたことだとしよう。それでもおかしい。7年ほど前から噂になっているんだぞ。君では幼過ぎる」
正確に知っているほど有名な噂なのか。それとも、ただの噂好きか。畜産のボスの様に、戦闘に興味があるのか。理由はどうでも良いか。
知られていても問題はない。過去そう呼ばれた人物がいたことも、私が今そう呼ばれていることも、どちらも事実なのだから。
「正確には、再来と言われています。ご納得いただけましたか」
「にわかには信じがたいが…」
5人に視線を向けたのち、小さく唸ってやっと立ち上がる。
「悪かった。杏といったか、失言だった。許してほしい」
「構いません。そう言って来る者がいることを分かった上で、引き抜きを承諾しましたので。武闘組織で女性は珍しいですから、慣れています」
笑顔で受け流すほど言われていたのか。貿易のボスから聞いた話とは印象が違う。だがそんなものか。男は仕事と股間の言うことが違うのだ。
17歳だとしても童顔に見えるこの顔でも多少は言われた。流石に相手は組織に入りたての若い連中か、いつまでも燻っているオヤジが多かったが。
「それは俺の知るところではない。返答に困ることは言わないでくれ」
「せめて、良かったと仰らない方で安心しました」
笑顔の杏さんからバツが悪そうに顔を逸らすと、そのまま窓の方へ歩き出す。妙に響く足音だ。建物の構造だろうか。
「ほら、鍵だ。これで開く部屋は好きに探して良い」
束になった鍵が投げられる。金属が触れ合う音が気持ち悪い。
「急に素直だね?」
「思い出しただけだ。貿易のボスのお気に入りだろ」
顎で佐治さんを指す。その音すらも妙に大きく聞こえる。なんなんだ。
「そっか。じゃあ借りるね。いくら東の血が流れて留守を預かってるからって、ボスであるウチにそんな態度をとれる豪胆さは評価してあげる」
「兄弟だろ」
「そう思いたくないって言ったのは自分だよ?」
もう喋らないでくれ。頭に音が響いて…
「ちょっと南、顔色悪いよ。大丈夫?」
「触らない方が良いです。絢子さん、聞こえたら反応して下さい。絢子さん」
弓弦さんの声は変に聞こえない。人によって違うということは、薬の類ではないだろう。暗示か。
「大丈夫です…」
「そう見えないから言ってるんで…尋常じゃない汗だ。どうしたら…。佐治、お前も精神疾患の本は読んだだろ。なにか思い当たることはないか」
「え?いや、そんなもの読んでないよ」
「あれだけボスの傍にいてアホか!」
気付いていないというのは本当だったのか。あまり傍にいない自分が気付くという理由で、隠していないと思っているのかもしれない。
実際、事実自体は大して隠してはいないだろう。だが、そういった場面を見せることは避けているはずだ。しかしこれは私が感じたこと。
「暗示かも、しれません。…周囲に警戒を、して下さい」
教養本部の者の動きは増えるだろうが、言わなくてはいけないことでもある。関心を逸らすために使う。
「遠くから個人を狙うより、神経ガスの類の可能性を考えた方が良いだろ。小柄な分、早く回ったんだ」
慌てて窓を開けようとする男性を、農園のボスが止める。
「外におびき寄せるためかもしれない。落ち着いて」
「じゃあどうする。考えあぐねている間に全員倒れてからでは遅い」
大袈裟な仕草が音になって、頭の中で暴れている。
外にいる者の動きを把握出来れば、なにか分かるかもしれない。早く乱れた呼吸を整えて、状況を。早く。
集中しようとすればするほど平衡感覚が失われてゆく。立っていられない。
「絢子さん…!彼の発言の度に酷くなってます。一緒に来た自分たち5人の声には反応してませんから、神経ガスではないと思います。絢子さん、慌てなくて大丈夫です。俺に合わせてゆっくり呼吸して下さい」
吸って、吐いて、と繰り返しゆっくり言われる。そうしようとはするが、上手く出来ない。
「いくら南が小柄でも、他の誰にも少しの症状が表れないのは変だ。神経ガスの可能性は排除しても良いだろうが、もっと簡単な方法はいくらでもあるはず」
「考えさせることでこの部屋に留まらせることが目的とか?」
…そうだ。私がいつもなにも考えなかったのは、敵に真っ直ぐ向かって行ったからだ。全くの考えなしではないが、大したことは考えていない。
今、敵は、どこにいる可能性が高い?外だ。
「絢子さん!」
部屋を出てみれば、簡単に音は響かなくなった。空気の流れがよく分かる。
だが誰を攻撃すれば良いのか分からない。対抗図は大体分かるが、どちらなのか分からない。
「分かんねぇなら俺の援護しろ!」
「…………」
「異能戦争の報告のときにいただろうが!最近のことなんだから覚えとけよ!若干覚えてねぇかもとは思ったけど、ホント興味ねぇこと覚えてねぇんだな」
ああ…いた気がするな。人ひとり拘束出来ない者になにが出来る。そうは言っても、敵味方も分からないのだから仕方がないか。
確か筋は悪くないと貿易のボスに言われていた。
「他の4人にも指示をして下さい。2人は接近戦、ひとりは遠距離、もうひとりはどちらも可能です」
窓から顔を覗かせる4人をちらりと見ると、小さく頷く。
「アンタは中央の塔に昇って全体の援護。貿易のボスの護衛はこの部屋周辺だ。ある程度顔が知られてるから攻撃されることはないだろう。2時の方向で髪を結った男から、お前は10時の方向でキャスケットを被った男から指示を受けろ」
小さく返事をすると、指示された場所に向かって行く。
「俺らは7時の方向だ。ったく、休みの日に限って勘弁してくれよ」
「こちらは助かりました。教養のボスと共に出ていなかったのですね」
「あのな…護衛を必要最低限しか持ってないボスの方が珍しいんだ。類は友を呼ぶってことだろ」
いくら下っ端だろうと、反逆者集団にしては弱い。ここで襲って来る利点もない。片付けて気を緩めているところに、もう一度来るかもしれないな。
個人の戦闘能力は低いが、数が多い。そのせいか疲弊している様に思える。
「先程指名した2人と戦闘能力の高い者と、特に疲弊していそうな者を下げて休ませて下さい。増援が来るかもしれません」
「今これだけ数がいるんだぞ」
「だからです。今度は戦闘能力の高い者が来ます」
まだある程度の数がいる。そこに戦闘能力の高い者が来てしまえば厄介だ。こちらは疲弊している者が多いのだから。
「…分かった。ここはまか」
「駄目です。もう遅い」




