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貴方と異能戦場へ  作者: ゆうま
第3章1部 正義の議論
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第104話 帰る場所④

 扉が極々小さく叩かれた。布団の近くにあった机から貿易のボスが離れ、扉を開ける。すぐに閉めると、布団の脇に立った。


 「夕食だ。身体を起こせ。………気付いていたのか、とでも言いたいのか?そんなもの当たり前だ。お前の嫌いな“草”はない。身体を起こせ」


 なんの匂いかは分からないが、温かい匂いがする。本当に草はなさそうだ。それにしても、そんなことまで知っているのか。


 「おはよう」

 「……おはようございます」


 貿易のボスが優し気な笑みを浮かべている。私はそれを見たくない。

 底が見えていた透明という綺麗な色らしい水が、濃い色で汚れてゆく。何故だか、そんな気がする。


 「ぼさっとしていないで食べるぞ。冷める」


 良かった。よく見る、少し不機嫌そうな表情をしている。

 小さな鍋の蓋を開けると、美味そうだ、と笑顔で呟く。この笑顔は水が汚れていく感覚を覚えることはない。


 「ろくに食事をしていないと聞いた。何故そんな無茶をするのかは、聞いても答えられないだろう。答えられたとして、俺が分かるとも思えない」

 「申し訳ございません」

 「本当にそう思うなら、今後は一日に一食は食べろ」


 霞城さんも、同じ様なことを言っていた気がする。


 「努力します。…ところで、これはなんという食べ物ですか」

 「お粥も食べたことがないのか?米を煮たものだ。分かるか?具は溶き卵とネギだ。とても簡単だが消化に良く美味い」

 「稲穂は俳句の季語ですね」

 「はぁ…?」


 なにか変なことを言った様な反応だ。

 一口頬張る。熱い。味がしない。これが美味しいのか?米は高級品だと聞いたが、こんなものが何故。


 「首を傾げたいのは俺だ」

 「どうぞ…?」


 深く、長い、ため息が吐かれた。


 「美味しいのか?美味しくないのか?」

 「味がしないので分かりません」

 「そうか。質素な食事をしていただろうと思って薄味にさせたが、濃い味付けで誤魔化していたのか」


 武闘組織では賃金の搾取が行われていた。十分な食費が確保出来ていなかったことを、調査の過程で知ったのだろう。

 それを踏まえてのことか。それだけ気遣いが出来れば、もっと慕われても良さそうなものだ。知られていないのだから、仕方のないことか。


 「そういえば」


 濃い色の液体を入れながら、ふと思い出した様に言った。置いた容器には醤油と書かれている。


 「カレーは食べていただろ。それで何故、お粥を知らない」

 「かれー…カレーライスでしょうか。カレーライスはカレーライスという食品として図鑑に載っていたので、知っています」

 「ったっく…、一体なんの図鑑に載っているんだ。あー、答えなくて良い」


 沢山読んだ。題名を覚えているものは、あまり多くない。だから聞かれても答えられない場合の方が多い。

 それよりも、カレーライスに米が使われていることが気になる。


 「余計なことを教えたくない“武闘の”の気持ちも…いや、沢山食べろよ。身長と顔はどうしよもないが、そんなに細いから余計にナメられるんだ。太れ」

 「筋肉は身体が重くなるので、速度を重視した今の戦闘方法では丁度良いと考えています。脂肪は動き辛くなるので必要ありません」

 「重症だな」


 なんと返答して良いのか迷っていると、そのまま無言が続いた。静かに手を合わせ蓋を閉じる。


 「もう食べないのか?」

 「一人前を全て食べると、眠くなってしまいます。それに食後すぐに素早く動けませんし、身体も重くなります。もう十分です」

 「なるほど。感心は出来ないが、本当に自分なりの理論があったのか」


 自らの言葉に小さく頷くと、私の前にある今閉じたばかりの蓋を開ける。匙に大きくお粥を掬うと、こちらへ差し出して来た。


 「最後にこれだけ食べろ。自分が出来ると思っている範囲から一歩踏み出すと、出来ることが増える。剣も食事も同じだ」


 水が、汚れてゆく。気持ち悪い。


 「早く受け取れ。腕が疲れる」


 同じ言葉ばかりが頭の中を反復している。扉を叩く音で我に返り、扉へ駆け寄った。その向こうに誰がいても良かった。

 貿易のボスの笑顔を、見ていたくなかった。


 「あ…南、久しぶり。目が覚めたって聞いたから来ちゃった。南は休むってことを知らないから心配でさ」

 「お久しぶりです。ご心配をおかけして、すみません」


 顔は覚えているが、いつどの隊で一緒だったか分からない。ましてや名前など欠片も思い出せそうにない。


 「心配なんて相手が勝手にすることだから、そんなのは良いの。元気そうで良かった。顔見たし戻るよ。食事と睡眠はしっかりね。じゃ、また会えたら良いね」


 …あ、思い出した。

 含みのある言い方を、貿易のボスがなにか言わないだろうか。そう思ったが、なにも起こらず扉はしっかりと閉められた。


 「彼女とは私が5-Aに所属していた際、共に過ごしました。さりぎ」

 「去り際の言葉も“また明日”のような意味だと知っている。そんなものはお前が眠っている間に済んでいる」


 それもそうだ。貿易のボスは、ボスが覚えていたと言っていた。だが当然、当事者やその周辺の人物からも話を聞くはずだ。


 「失礼しました」

 「あの含みのある言い方を聞けば、釈明したくなる気持ちも分かる。絢子は知らないだろうが、3ヶ月前に引き抜かれていることも気になる点だからな」


 農園本部で食中毒事件があった頃か。なにか関係があるのだろうか。いや、考え過ぎだ。彼女は部下思いの…だから、という可能性もある。

 全く分からないことを疑っていては、息も出来ない。その考えはずっと変わらない。そう。だから、彼女は違う。


 「彼女の隊への配属を望む者が多かったが、滅多にないことらしい。それを聞き付けた本部のどこかの隊長が後見人に、と引き抜いたんだと」

 「そうでしたか」


 聞こえた足音がこの部屋の扉の前で止まる。すぐ近くからしか聞こえなかった。呼吸は落ち着いているが、浅めの深呼吸を数回すると扉が叩かれた。


 襲わなかった元武闘組織の者が誰かなど気にしなかった。そのためなにも聞いていなかったが、すぐに分かった。

 返事をすると、すぐ静かに扉が開く。


 「南!目立った傷は…ないな。さては無理をして倒れたんだな?そうなんだろ?だからもっと睡眠と栄養をといっ…貿易のボス…、失礼しました」

 「もっと言ってやってくれ。一日一食も苦労しそうだ」

 「なんと…!相変わらずダイエットか?そうなんだな?何度も必要ないと言っているだろ」


 よく言われるため、わざわざ調べた単語だ。食事制限をして脂肪を落とす行為らしいが、言われた通り私には必要のない行為だ。


 「騒がしいにも関わらず、好かれているな。心なしか表情が穏やかだ」

 「へっ…!?えっ、いやっ、そんな…あ、違うか。五月蠅くして申し訳ございません。顔が見られたので戻ります。生きてる内にまた」


 貿易のボスの制止も聞かず、部屋を出て行ってしまう。私は一言も発していない。本当に顔を見ただけだ。


 「戦闘時は妙に穏やかな者だと思ったんだが…」

 「彼が慌ただしいのは表面上、主に口で、いつも心は凪いでいます。なので口を開けていても、それに対応する行動以外は穏やかです」


 首を傾げて考える様な仕草をするが、すぐに閃いた様子で私を見る。


 「来るときは足音がしなかったが、去るときはバタバタとしていたな。そしてすぐ不自然に聞こえなくなった」

 「はい」

 「増々不思議だな。“武闘の”の元へ戻る必要が、どこにあるんだ?」


 …どういう意味だ?いや、本当は分かっている。

 彼は5-Dへ配属された際に4-Dの隊長を務めていた。初めて配属された5-Fが2ヶ月で解体された後に配属された隊だ。

 当時は分からなかった彼の、彼女の、優しさが今は分かる。


 「寂しがり屋のボスに、これ以上寂しい思いはさせられません」

 「そうか。いつか絢子が自分自身のために戻りたいと思ってほしいと、俺は思っている。出来ればそれが、東恭一の元ではないこともな」

 「何故ですか」

 「見つければ分かる」


 答えを知り見つけるのではなく、見つけて答えを知るのか。


 「分かりました。覚えておきます」

 「ああ、今はそれで良い」


 何故だろう。何故、この笑顔を見ると水は汚れてしまうのだろう。

 しかし、そもそも本当に汚れていっているのだろうか。濃い色というだけだ。その色がどんなものかも知らない私が、何故汚れてゆくと思っているのだろう。

 分からない。


 「貿易のボス、私は…何色ですか?」

 「下らない二つ名を聞いたのか」


 いつ頃から二つ名があったのか、具体的には知らない。だが長く言われていることを5-Eの編成が大きく変わり、隊長が変わった際に知った。

 それ自体は的を得ており、なにか言うつもりはない。


 静脈血の色は、暗褐色というらしい。二酸化炭素を多く含むため、動脈血の赤褐色より暗い色をしている。そう本に書いてあった。

 今の今まで相手が生きていた証の色と言えるのかもしれない。


 その色を被った、歩兵である少女。


 「大丈夫だ。絢子は汚れてなどいない」


 いいや、確かに汚れてゆく。その優しい笑顔が、水を汚す。この水は一体私のなにを表しているのだろう。

 これ以上ない程に、二つ名が私を表しているというのに。

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