第102話 帰る場所②
坊ちゃんが撃たれた銃声だけが、妙に大きく聞こえた。
それからのことは、あまり覚えていない。ただ慣れた感触を得続け、気が付けば血の臭いが充満していた。
数だけでは勝てないと判断したのか、退散して行く。
「本当にお嬢…だよね?」
「はい。挨拶は先程させていただいたはずです。それより、みなさん怪我はありませんか」
見渡すと住民は、私に怯えた目を向けていた。スミレさんについての説明を求めているのだろうか。
「彼女は今見てもらった様に、東に協力的です。貿易組織に正式に入ってもいます。襲われる心配する必要はありません」
「みんなもう、そんなことは分かってんだ」
坊ちゃん…無事だったか。良かった。弓が飛んで来ないと思ったら、腕をかすっていたのか。慣れていないため、動けなかったのだろう。
発熱が心配だが、今は一安心だな。……動いていない腕時計。妙な物を身に付けているな。
「なんでお嬢はそんな躊躇なく人を殺せるんだ?知ってるヤツだからこそ怖いってこと、お嬢には難しいのか?」
畜産のボスはそうだと気付いていなければ、ただの金の徽章持ちだ。スミレさんは御用人故、荒事に慣れていると思っているのかもしれない。
私はここで、世間知らずのなにも出来ない少女だった。
「…言われれば理解することは出来ます。しかし辞書にはその様な言葉は載っていませんでした。なんという心持ちなのですか」
私の言葉を聞いた瞬間、空気が柔らかくなった。
「いつまで経っても、やっぱお嬢だな。んなもの載ってねぇよ。言っとくが、あんな分厚い本読んでねぇからな。けど簡単な物語を読んでやれるくらいにはなった。お嬢のおかげで、この町の楽しみは少し増えたんだ」
同時に、私はこの町の者の命や笑顔を奪う理由となった。合わせる顔などなく、本来であれば来るべきではなかった。
いや…、それなら剣の特徴を伝えることで私が行かないという方法もあったかもしれない。本当は、来たかったのだろうか。
「それは良かったです。坊ちゃん、先程の質問には答えた方が良いですか」
「言いなくなきゃ別に。でもみんなお嬢が今どうしてるのか、いつも気にしてた。俺だってそうだ」
期待する答えとは違うだろう。そう前置きして、静かに息を吸った。
「私はこの町を去ってから3年間、武闘組織に属し抗争地区へ赴いていました。作った死体を積み上げれば、空に手が届くかもしれません。今は武闘のボスを主としています。今後も私は、死体を作ることでしょう」
多くの住民が表情を曇らせて俯く中、坊ちゃんは笑っていた。
「お嬢はいつも、どっかで俺たちを守ってくれてたんだな。ありがとう」
「…よく分かりません。ですが、とても温かい言葉だと思います」
「うん、お嬢も成長してるな。さて、と。用事があるんだろ?さっさと済ませて、全部解決させて、またここで一緒に暮らそう。待ってるから」
口笛の音が複数聞こえ始めた。他の住民の顔も、さっきよりは明るい。情緒が不安定なのか?精神面を診る医者を連れて来た方が良いのだろうか。
スミレさんに小突かれ振り向くと、その顔はニヤついていた。
「プロポーズなんて、隅に置けないね」
「西間スミレ!お嬢に変なこと吹き込んでんじゃねぇぞ。俺は兄貴として心配してんだっ。それだけだ。求婚なんて!誰が!こんな!ちんちくりんに!するか!」
球根…きゅうこん…求婚。なるほど。今のは冷やかしということか。
「お断りいたします」
「だからしてねぇ!」
「如何なる好意にも甘えるわけにはいきません。坊ちゃん、私はボスの元へ戻ることしか出来ません。帰る場所など持ってはいけないのです」
「ああそうかよ。勝手にしろ」
今ここから動くことは危険だ。それは分かっているのだろう。ひとりでどこかへ行ってしまうことはなかったが、距離を取って背を向けられてしまった。
この場で理由を話すことは無理だ。改めよう。
「探し物をしに赴きました。事情は改めて説明します。急ぎですので、先に彼の家を探させていただきます」
「なんもねぇよ」
投げやりだったが、どこか確信めいた声だ。
是忠さんからなにか聞いているのか?それなら坊ちゃんも危険だ。何故…いや、そうせざるを得なかったのだろう。
「なにを探しているか、知っているのですか」
「知らねぇ。でもないことは知ってる。この町には鍵しかない。俺宛の手紙にそう書いてあった。おっちゃん宛の手紙のことは聞いたか」
「はい」
「それよりは新しそうだったけど、割と古そうだった。物自体はお嬢がこの町を去ってすぐに渡された」
私の正面に立つと、腕時計に触れる。それが鍵ということか。
「ここに来るまでなにしてたんだ?世間知らずなのに言葉遣いとか礼儀だけ妙に正しくて、読み書きが出来る。何者なんだ?名前くらい、教えてくれよ」
「…幼少より地下に幽閉されておりました。命辛々逃げ出して彷徨っていたところを武闘のボスに拾っていただいたのです。名を、南絢子と申します」
「は…?なんだよ、それ…」
坊ちゃんの目から、光りが次々と溢れ出す。
私は、坊ちゃんを傷付けているのだろうか。可能性としてあるのは、南の者である事実。そしてそれを隠していたこと。
「隠していてすみません。ですが1ヶ月程前までボスにも明かしていませんでしたので、坊ちゃんに明かすわけに」
「そんなことじゃねぇ!なんでお嬢はいつも、自分自身を置いて行くんだ」
「………よく、分かりません」
乱雑に目元や頬を擦ると、光りはあまり見えなくなっていた。まだ少し光る目で、私をじっと見る。
嘘は許さないと言われている様な気がした。
「霞城っていう、詐欺師みたいな笑顔の男といるのか」
表現自体がよく分からない。それに、あまり笑顔でいる印象はない。どちらかと言えば悲しそうな顔をしている印象だ。
異能『眠れる森の美女』の調査の際に訪れたのだろう。相手に緊張を感じさせないために、そうしていたのだろうか。
「この1ヶ月はよく行動を共にしましたが、亡くなりました。何故霞城さんが気になるのですか」
「言いたくない。ほら、持って行けよ」
外した腕時計が差し出された。それを受け取った手が包み込まれる。
「お嬢がなんと言おうと、この町にはお嬢の家がある。いつでも帰って来て良い場所だ。そう思わなくても良い。帰って来なくても良い。だけど、俺がそう言ったことだけは覚えておいてくれ」
それは旦那様が、坊ちゃんのお父上が、私が原因で亡くなったのだと知っても言ってくれるのだろうか。…そんなはずはない。
これは御伽噺ではない。全てを受け入れてくれる存在など、ありはしない。そんな現実を歩んで行くしかないのだ。
「ありがとうございます」
「山賊は出来るだけ処理して行くが、応援を呼ばれている可能性もある。死にたくなければ、しばらくは気を抜くな。行くぞ」
お礼と別れの言葉が次々と、背中に投げかけられる。坊ちゃんの声はなかった。振り返ってしまおうか。そう思っていると、一気に静かになった。
近くには住民以外では私たち4人しかいなかったはず。隠密系の異能者がいるのだろうか。
「この坊主たちを殺してほしくなかったら、腕時計を渡しな」
坊ちゃんが持っているとはいえ、近くには私たちがいた。襲えば戦闘することになる。それよりも、人質にした方が良いと考えたのだろう。
姑息な真似をするものだ。
弓弦さんが坊ちゃんを抱えた者の頭を打ち抜く。そして周りの者が驚いて、周囲を見回したところを片付けた。
隠密が得意ではない弓弦さんの気配に気付かないのだ。足を洗った方が良いだろう。しかし死んでは、それも出来ないか。
「話を聞けそうな者は捕らえて、佐治が見てます」
「分かった」
歩き出した畜産のボスの後ろを、3人で歩く。住民も坊ちゃんも今起きたことの情報処理が上手く出来ていないのか、声をかけられることはなかった。
スミレさんに視線で話しかけられた。それは分かったが、なにを言いたいのかは分からなかった。
「襲撃か」
「はい。応戦している間に捕らえていた者を殺されました」
自動車の近くには5人の死体。4人は拘束されていない。
どの程度の戦闘能力があったかは分からないが、この団体にあまり低い者はいないだろう。数としては圧倒的に有利だ。助け出すつもりだったのだろうか。
「申し訳ございません」
「口の中に薬を持ってたんです。いざとなったら自決するつもりだったんだと思います。攻撃の感じも反逆者たちだとは思えません。一体…」
言葉を続けることは出来ただろうが、俯いて止める。
聞かされていないということは、知らせることが出来ないこと。知る必要のないこと。若しくは、知ることでさらに危険になること。
「出過ぎたことを言いました。申し訳ございません」
「……彼の生家や、ここ以外で長く過ごした場所は道中にないはずだ。他に心当たりがなければ、本部に戻る」
「ありません」
不機嫌そうに自動車へ乗り込む。恐らく、是忠さんの生家は本部から遠くないのだろう。しかし自分の判断で向かうわけにはいかない。
ボスという立場の者が、総代以外の犬である。これを見せられた様な気がした。飼い主は、誰でもないのかもしれない。




