第92話 手遅れ③
食事が運ばれて来るまでの間、私のことを問われるかと思った。幽閉されていた理由や、私の詳しい出自を南海人が知っているかもしれない。
そういったことを、ひとつひとつ解決してくれようとする方たちだ。
「それにしても佐治も他組織から来たとは、全く気付かなかった」
「弓弦も隠れた村の出身という意味になりますが、それにしては物事を知り過ぎています。ですので気付かない方がおかしいのです」
それはつまり、佐治さんも弓弦さんが他組織の者だと知っていて異能戦場へ赴くことを推薦したことになる。言って良いことなのだろうか。
「そうか。弓弦は何故気付いていたんだ?」
「言葉に出来ないものを感じ取ってたんですけど、ボスをからかってると知ってやっぱりなって感じです。いくら東の者でもそんなことしてませんから」
ボス3人が小さく笑うと、扉が叩かれた。頼む際に残り物で良いと言っていたため早いのだろう。
各々並べられたカレーライスを食し始めるが、南海人は俯いて動かない。
「嫌いか?それとも初めて見るものか?」
「いや…でも、あの…」
横目でちらちらと弓弦さんを見ている。その手は、震えていた。
これまでの状況の方が震えたくなりそうだ。少々横柄気味に振る舞うことで、誤魔化していたのだろうか。
「あっ!」
「なんだ、急に大きな声を出すな」
「ボス、彼はボスを拷問した者ではない可能性が高いんです。えっと、なにから説明して良いのか…」
忘れていた。長い報告だったため。なにを報告していないのか分からなくなっていた。私からの質問の流れであったこともあり、省かれた部分だ。
「食事中に物騒なことを言うな。南海人も、食べられるのなら早く食べろ。まだ話すことがあるなら、食事のあとで聞こう。南では食後は紅茶か?珈琲か?」
「彼は異能で総代への報告を聞いてたんです!」
匙を運ぼうとしていた手が止まる。
「俺の南海人へ化けた者への発言も聞いたのか?」
「はい」
「何故早く言わない。南海人、あれは本来の姿を現させるための嘘だ」
異能越しでは、嘘が分からないのか。それともこれが嘘か。いや、いくら赤い嘘として見えたとしても、それでは心休まらないことなど分かるだろう。
「俺と対面することを恐ろしく思ったことだろう。それでも気丈に振る舞い、我々のために発言してくれたこと、感謝する。ありがとう」
南海人の目元が光る。カレーライスを掻き込むと、光りが次々と落ちてゆく。
「美味しい…」
「鍋の底が見えるまで御代わりして良い。ゆっくり食べろ。弓弦、お前は早く食べろ。説明してもらうぞ」
「報告を省いた私が悪いんだ。それに事情は全員聞いてる」
ボスの目を睨む様に見るが、ボスは少し悲しそうな表情を変えない。視線を逸らして静かに匙を置いたボスを、軽く睨む。
「南では食後は紅茶か?珈琲か?」
「紅茶…です」
「佐治、食事が終わったら用意してくれ」
「はい、ボス」
ゆっくり光りを落としながらカレーライスを次々と口に運んでゆく。そんな南海人を、貿易のボスは小さく笑って見守っていた。
全員食事が終わり、机には9つコップが置かれた。
正雄さんは食事を終えた時点で佐治さんによって別の部屋に移された。仮に無実の罪だったとしても、暴れて事が良い方に転ぶことはない。
分かっているのだろう。素直に部屋を出て行った。
「確認だが、『マッチ売りの少女』という異能は本当にあるんだな?」
「はい。聴覚のみ共有していました」
「そうか。あの手紙を全くの嘘だと決め付けていたからな…」
省略されていた車中での会話を聞くと、弓弦さんを睨み付けた。
「申し訳ございません」
根本が分かっていない謝罪だな。貿易のボスもそう感じたのだろう。ため息を吐いてコップに口を付けた。
「長い報告だった。そうでなくとも、全てを報告することは出来ない。俺が言いたいのはそんなことではない。働く者への敬意を忘れるな」
「それとね、弓弦くん。後世へ勝者が正しいと語られることは事実だよ。でも、勝者だけが正しいと勝者が語ってはいけないんだ」
スミレさんが感激している。金の徽章を持つ者がその様な考えを持っていることが珍しいのだろう。
「説教は柄ではない。これくらいで良いだろ」
居直ると、私に視線を向ける。
「もし“武闘の”が反逆者であったら、どうするつもりだ」
「凛太郎さんの仰せのままに」
「そうか。嘘でも良いから、俺を殺してでも恭一の味方をすると言ってほしかった。やはり流れる血はなにをしても変えられないな」
どういう意味だ。浮かべる表情はとても穏やかで、そこからなにかを読み取ることは出来ない。
「弓弦、お前の名は?」
「…北園満弦と申します」
「一応覚えておく。俺は各組織へ出す手紙を書いて来る。似顔絵の報告書が来たら知らせてくれ」
扉が静かに閉められる。その扉を、見つめることしか出来なかった。
「…嘘だった。嘘でも良いって、嘘だった」
「とどのつまり凛太郎くんも組織を裏切れない、ただの犬だからね。本当はスミレくんが羨ましいんだと思うよ」
それでは流れる血という部分を説明出来ない。
命令に逆らえないという点では、全ての組織が同じはずだ。少々話を聞いただけで分かったような気になるとも思えない。
過去の発言になにか鍵となる言動はなかったか?
「佐治さん、正雄さんはどこですか」
「それは…」
「行かせてあげなさい。みな私を信じてくれてるようだけど、まだ疑いは晴れてない。そんな主より、仮の主を大切にするべきだよ」
礼をすると、佐治さんと共に部屋を出る。
「良いのですか。彼の反応を見るに、武闘のボスは嘘を吐いていました」
「いつか結果を知って、悔やむことがあるのかもしれません。しかしそれはそのときになってみなければ分かりません」
「そうですね…」
立ち止まった扉の向こうにある部屋の中にいるのは3人。糸はない。
「ありがとうございました。佐治さんは戻って下さい」
「わたしにも聞かせて下さい」
「望まれていないであろうことは理解していますか」
「…はい」
扉を開け、中にいた見張りに外に出てもらう。正雄さんは、大きくため息を吐いてみせた。
「まだ誤解は解けないんだ」
「はい。聞きたいことがあって来ました」
「座って」
異能を使って暴れることはおろか、逃げることすら簡単なはずだ。そうすれば認めているも同然だが、この状況をひっくり返せるとでも思っているのか。
何故か、普段より余裕を持っている様に見える。
「――死への恐怖を、君は知ってるはず。そう、貿易のボスに言いましたね。それは何故ですか」
「悠くんが行方知れずになってすぐ、凛太郎くんに手紙が来た。悠くんを返してほしければ来いっていう、ありがちな手紙」
懸賞金が懸けられたのは、5年前だったな。その少し前の出来事ということか。晴臣さんの話では、貿易組織のボスには就任していないだろう。
ただの東の血を引く者であった貿易のボスに、大勢の人を動かす力があったとは思えない。手近な護衛を連れて無理に赴いてもおかしくはない。
「連れて行った2人の護衛は残虐に殺された。自分も酷い拷問を受けた。それでも、凛太郎くんは屈しなかった」
その手紙が本当だろうが偽物だろうが、呼び出されていることに変わりはない。3人で赴くのは無謀と言う他ない。
「なにを聞かれたのかは知らない。それだけ聞かされて、面倒を見るように言われた。放っておけば、食事も取らなかったから」
「何故正雄さんだったのですか」
「恋人のことで塞ぎ込んでた時期があったからだと思う」
その頃に色々なことが起こったらしい。塞ぎ込むのは無理もない。
だが、それとこれは別で、安直な考えだ。心に傷を負った者が必ず共感するとは限らない。
「人からなにを言われたって無駄なことは分かってる。だから凛太郎くんのいる部屋で、ただ本を読んでた。食事も黙って食べてれば、10日経った頃には俺が文句を言われない程度には食べてくれた。ちょうど1ヶ月が経って、こう言った」
案外安直ではないかもしれない。
無理に明るく振る舞われると拒絶が強くなる。口に運ばれて来た食べ物は食べたくない。これ見よがしに食べられても美味しそうに思えない。
正雄さんは知ってか知らずか、そうしなかった。
「――面倒をかけたな。そろそろ出る。塞ぎ込まないのは多分おかしい。すぐ元気に振る舞う余裕がなかったことは事実だ。だが特別悲しくはない。もう顔もぼんやりとしか思い出せない。俺は、それが悲しい」
ボスが沙也加さんに言った言葉が、脳裏に浮かんだ。
――壊れてると自覚がある者の方が案外、壊れてないものなんだ
私は弓弦さんや佐治さん、貿易のボスが壊れているとは思わない。部下ひとりにあれだけ出来る沙也加さんがおかしいのだ。
だから、沙也加さんは別の意味で壊れていたのだろう。沙也加さんがそれに気付くことは、なかったわけだ。
だが貿易のボスは、自身が壊れているかもしれないことに気付き、苦悩した。いや、している。
ボスの様に、そういった自分を受け入れることが出来ないでいる。
「俺が見聞きした限りだけど―――」
…私は本当に、聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないだろうか。正雄さんも、それを分からないはずはない。何故素直に話したのか。
何故か、普段より余裕を持っている様に見える。
なにか良くないことが起こる。そんな予感がした。




