抗争地区にて
何百年か前までは、この世界は潤っていたらしい。ここにあった国という地域は、皆が水準の高い暮らしをしていたと聞く。御伽噺みたいだ。
これまでの暮らしを考えれば、今の景色を見れば仕方がない。誰だってきっと、御伽噺だと思うだろう。
実際、生涯体験出来ないことなど御伽噺となんら変わりのないこと。
一日一食は当たり前。それだって満腹になどなりはしないのに、食べられない日もある。
景色は一色。建物だったものの破片がそこら中にある。
図鑑で見たことのある植物というものはどこにもない。
抗争が終わったばかりのこの場所で辺りを見渡せば、死体ばかりが目に入る。
私が属する隊がこの抗争で担う役割は、反逆組織のお偉いさんのところへ小さな刃物のみで特攻することだった。
お偉いさん方は、呑気にワインを飲んでいた。
正確には、あれがワインかは分からない。初めてワインというものを見たからだ。だが、多分そうだ。人の血の様な色をしていた。
せめて最後に一杯くれと言うお偉いさんに、転がっていたお偉いさんの部下の血を飲ませてやった。食事も満足に取れず死んでいく者がいるにも関わらず、死の間際まで贅沢をする輩に罪悪感が湧くことはなかった。
今歩いている辺りは銃撃戦が行われたらしい。そんなものを買って保管しておく場所代や人件費を払うなら、給料を上げてほしい。
せめて、家族に遺せるものだけでも多くしてやってほしい。私にはそういう存在はいない。だから私には必要ないが、この死体の山を見ると一層そう思う。
今日死んだ者の中に、どれだけいるだろう。家族がいる者が。夢がある者が。どれほどいるのだろう。
見慣れた腕輪…ブレスレット、だったか。それを見つけた私は、駆け寄った。それはもう、友人ではなかった。
友人には夢があった。私には夢という言葉自体が縁遠いことで内容は覚えていないが、熱く語った友人の顔はよく覚えている。
「何故私ではなかったのだろう」
「それは死んだのが、という意味かい?」
声に振り向くと、ひとりの青年がいた。
全身暗い色の服。大きな淵の眼鏡。少し癖のある髪。蒼白と言われてきた私と同じような肌の色をしているように思う。服は少し汚れていそうだが、無傷。
私が属する組織の最年少幹部だと聞いている。下っ端中の下っ端である私でも顔だけは知っている。そんな存在だ。
何故こんなところに。もう抗争は終わったが、私のような死に損ないがいないとも限らない。危険極まりない。
「ここはまだ危険です。はや」
「僕の質問に答えるんだ」
早く移動してもらいたいが、命令に背くわけにもいかない。
「…そうです」
「死にたいなら死ねば良いじゃないか。生きることは生きている間にしか出来ないが、死ぬことはいつでも出来る」
私は小さく首を振った。
生か死。そう簡単なものではない。ただそれは私が私の命に対して思うことであり、世界の価値ではない。世界から見れば、誰の命だろうと羽虫の様なものだ。
だが、私は
「意味のない死はしたくないのです」
「そんなものがこの世にあると思うのかい」
「この抗争のために死んだ。そうなれば、ひとつひとつに意味はなくとも全体を見れば少しは意味もあるでしょう」
私の足元にあるものを見て、彼はため息を吐いた。
「では“それ”は意味のある死をしたのに、君は嘆いているのだね。それは矛盾しているんじゃないかい」
「生きていることに意味がない故、死に意味を探しているのです。かつて人だったこれには夢がありました。生きていることに意味があったのです」
「君は、意味ある死を探して“ここ”に辿り着いたのかい?」
私はただ頷いた。彼はそんな私に侮蔑の視線を向ける。
「ないよ。そんなものは、ない」
「はい」
知っていた。気付いてはいても、割り切れていなかっただけだ。だから、この返事にそれ以外の意味はなかった。
私の返答を聞いた彼はニヤリと笑った。それが初めて見た彼の笑顔だった。
「面白い。ついて来たまえ」
返事も聞かずに歩き出す彼の後を、私は慌てて追いかけた。