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7.×××××××××××××××

部屋を出るとオーヴェルはいなかった。

代わりにいたのはダユトだった。

予想外のことに驚くが、古びた廊下に立つ彼はまるでそこに取り残されたかのようで寂しげに見えた。


「……アルラ」


青白い顔をし、唇が強張っているような歪んだ弧を描いている。

彼は私にゆっくりと手を伸ばしてきた。微かに指先が震えている。


「帰ろう」


後ろに立っていたヨニナが「私が長く話し込んでいたから」と謝っている。私が怒られないか心配してくれているのだろう。

けれど多分ダユトは怒っていない。不安なのだ。

私は彼の手を掴んだ。大きな手はいつものように温かくなく特に指先は氷のように冷たかった。


私が触れるとダユトはホッとしたように頬の筋肉を緩め、しっかりと手を繋いでくる。

色々聞きたいことはあるけれど今聞くべきじゃない。

私はおとなしく家に帰ることにした。帰っていく私たちの姿をヨニナはずっと見つめていた。


帰路の間おしゃべりはしなかった。「よくあそこにいるってわかったね」「ザンデセタさんのいそうな場所を当たっただけだよ」「そっか」……これくらいだ。

家に着いてからも私たちの間には気まずい沈黙が流れ続けている。

だけど核心に触れ続けずにいることはできない。

私はわざとらしくブーツの泥を落としながら沈黙を破った。


「ダユト……。

話したいことが、色々あるんだけど」


「……なに?」


本当に色々ある。

ヨニナに取った態度、オーヴェルが街に出るお金を出したこと、私の顔をそこまで醜く思わないで欲しいということ。

そして、解決しなきゃいけない問題。


「私、働きたい」


そう言った途端ダユトはすごくすごく、傷付いたような顔をして口元を押さえた。


「……どうして?」


「もう19歳だし……いつまでもダユトに養ってもらうわけにはいかない。

ヴィホネルさんのこともあるし、いきなり一人暮らしってわけにはいかないからまだダユトに頼る部分はあるけど、でもちゃんと、家にお金入れる……」


「働かなくていいよ。

アルラはこの家のことちゃんとしてくれてる。僕は養ってなんかないよ……役割を分担してるだけ」


「私が働けば軍にお金を貰わなくて済むんじゃないかな」


「……大丈夫。お金の心配はしなくていいよ。

ちゃんと貯金してるから」


「オーヴェルにお金を渡したのに?」


彼が息を飲んだのがわかる。

目が見開かれる。彼の瞳にはおかしなお面を付けた私が映っていた。

誰にも醜い素顔を見せないように、絶対に外させないお面。


「……どうしてそれ。オーヴェルが話したのか」


「そう、だよ。

ダユトが私の首に印を付けたから、オーヴェルは約束を破ったって言って教えてくれた」


「……お酒なんか飲むもんじゃないね」


乾いた笑い声を漏らす。けど顔は全然笑っていなかった。


「私の顔を見たから、オーヴェルが画塾に行けるお金を出したって……。そんなに私の顔は醜い?

私っ……そんなことまでして欲しくないよ……」


「違うよアルラ。君は醜くなんかない」


醜くない?

その言葉に感情が爆発する。目の前が白くなって我慢していた言葉が次々と出て行ってしまう。


「ならどうしてお面を外させないの!? オーヴェルに口止めなんてしたの!?

言ってることめちゃくちゃだよ……」


「そうじゃないんだ……」


「他の人がなんて言おうとダユトが私のこと綺麗って思っててくれればそれで良いのに。

ダユトが一番私の顔を醜い、外に出しちゃいけないものだと思ってる!」


心臓が掴まれたかのように痛む。耳の後ろがドクドクと脈打ち全身に怒りと悲しみが巡っていく。

私はお面の紐を引っ張って彼に顔を見せた。

ダユトの顔が一瞬悲しげに歪む。……その表情が答えだ。


「……嘘つき。ダユトなんか嫌い……大っ嫌い……」


視界がじんわりと滲んでいく。涙が粒となって零れ落ちたのが分かった。

それはとどまることを知らない。次々に目から溢れ私の頬や首筋を濡らし足にまで落ちていった。


「君は醜くなんてない。本当だよ……。嘘なんてついてない。

でも周りの人がアルラに意地悪する……この村の人たちは酷い人たちだから。

僕の目の届く範囲にいてくれないとどんな酷い目に合うか……」


恐る恐るというようにダユトが私の腕に触れた。私はそれを振り払わず、何もせず、涙の溢れるままにしていた。

ダユトが私を心配してくれているのはわかってる。ずっとそうだった。

けど私は心配してほしいんじゃない。この醜い顔を受け入れてほしいのだ。


「……村の人が何しようとどうだって良いよ……」


「何されるかわからないよ……。

誰かに殴られても見殺しにされる。それどころか加担するかもしれない」


彼の腕が今度は私の頬に触れた。冷たい指が涙を拭う。

ダユトを見ると彼もまた泣きそうな顔をしていた。


「アルラ。君がこの世で一番大切なんだ」


長い睫毛に涙が溜まっている。

彼が瞬きをするとそれは私の顔に落ちた。


「……君が傷付く姿は見たくない。この世の悪意から君を守りたい……」


熱くてぬるぬるしたものが私の頬に触れる。以前私の印を付けたもの。

ダユトは私の顔に走る岩のような凹凸に舌を這わせていた。


「な、なに、してるの」


「こうしたら僕の愛情伝わるかなって」


額や瞼にまでを彼はキスしながら舐めている。

くすぐったい感触に足の裏までゾワゾワした。

慌ててダユトを止める。


「わ、わかったから……」


わかってはないが恥ずかしいし意味がわからないしやめてほしい。

その気持ちがわかったのか彼はあっさりキスをやめた。


「ん……。

顔拭こっか」


今度は優しい手つきで私の顔をハンカチで拭い始めた。

まるで宝石を磨くかのような手つきだ。


「自分でできる」


「いいから。ね?」


なにがなのかわからない。だけどそのまま、彼のなすがままになることにした。

まだダユトの顔色は悪いし指先は冷たいまま。

それだけ私が外に出て村の人にいじめられるのを恐れているのだ。

……ダユトが村の人を酷い人だと思うのは当然だ。

彼の心配もわかる。けど私は納得がいかない。

落とし所があればいいのに。


「僕が守るから……ここにいて……」


ダユトの震える呟きを、私は聞こえないふりをした。


*


昔からダユトが恐ろしかった。

5歳年上の彼はオーヴェルより背も高く体格が良く力が強い。

その力を人に振るったことはないが、村の人はいつ自分たちに振るわれるか怯えていた。ダユトの父がそうしたようにきっと彼もそうするだろうと思っていたのだろう。

しかしオーヴェルが怖かったのはダユトの物理的な力によるものではない。


アルラのお面が落ちた。彼はアルラインの素顔を見てしまった。醜く歪んだ恐ろしい顔を。

オーヴェルが思わず口に出していた言葉はアルラインをひどく傷付けた。そしてダユトも。

その日の夜ダユトはオーヴェルの家を訪れこう提案する。

—街の画塾に通わない?


それが口止めであるということをオーヴェルはすぐに気付いた。両親はいきなりの提案に驚いていたがオーヴェルはすぐに首を縦に振った。

ダユトに逆らうのは恐ろしい。

あの張り付いたような笑顔。いつもオーヴェルや友人達……村の人たちを監視しているような気がした。

何か間違ったことをしたら想像もできないような目に遭わされる予感があった。


—あの父親に似てきてるのよ。恐ろしいわ。


母の言葉にオーヴェルは鳥肌が立った。

英雄と呼ばれるダユトの父親は非道な人間で、ダユトや彼の母はもちろん、気に入らない人間はすぐに殴りつけたという。

それは軍の人間により掻き消され問題はなかったとされる。村の人はダユトの父に支配されていた。

誰もダユトたちを助けなかった。

彼はその恨みをいつか果たすんじゃないか。


母に、ダユトにお礼を渡すように言われ彼の家に向かう。

父親が生きていた頃ダユトは色んなところに痣があったらしい。母はそれに気付かないふりをして彼らと極力関わらないようにした。自分が被害に遭わないように。

その罪悪感からか、母はダユトに近寄ろうとしない。彼がどんなに困った素振りをしていようと目を合わせないで足早に立ち去りダユトの姿が見えなくなるまで地面を見つめている。そういう時母の体はいつも震えていた。


ドンドンと拳で何度も玄関の扉を叩く。母がダユトを嫌うのは結構だがお使いはちょっと面倒くさい。お礼をしなきゃいけないのは幼いオーヴェルもわかっているが早く帰りたかった。

いくらノックをしても誰も出ない。アルラインすらいないようだ。

彼女が家から出ることはほとんど無いので畑にいるのだろう。

畑に回って行くのも面倒だ。

だからオーヴェルは勝手に家にお邪魔することにした。お礼を渡してササっと出ればダユトも怒らないだろう。


「おじゃまします」


重い扉を開け室内を覗く。やはり誰もいない。

玄関に上がりもう一度声を上げたが返事は無かった。

これは床に置いてもう出よう。お礼の品はパウンドケーキだから、一時間くらい放っておいても大丈夫のはず。

その時、上から声がした。

なんだいるんじゃないか。オーヴェルは階段の方に行ってまた声を上げようとして、聞こえてきた声に口を閉ざした。


「うるさい! お前のせいだろ!」


ダユトの声だ。普段の落ち着いた声とはまるで違う怒声。まさかアルラインに?

上にあがろうかオーヴェルは悩む。彼女はなに考えてるかわからない不気味な子だけどこんな風に怒鳴られているとしたら可哀想だ。


「お前がアルラを不幸にしたんだ」


言葉を聞くにアルラインに言っているわけではないようだ。

……なら誰に?

この家に住んでいるのはダユトとアルラインだけだ。アルラインじゃないとしたら、一人で?


そう思った途端オーヴェルは居ても立っても居られなくなった。こんな所に一秒だっていたくない。

彼は音を立てないよう慎重に、だけど早足で玄関に向かい扉を開けた。


扉の先に不気味な笑顔のマーク。

アルラインのお面だとわかるのに時間がかかった。悲鳴をあげなかっただけでも偉いと思う。


「……オーヴェル? どうしたの?」


やっぱりアルラインじゃなかった。

ダユトは一人で怒ってる。

頭がおかしくなってるんだ。

彼はいつか、もうすぐにでも恨みを果たすかもしれない。母の怯え切った顔が頭に浮かんでは消えていく。


オーヴェルは半ば押すような形でアルラインを退かすと自分の家に駆け出した。

走っても走っても家に着かない。心臓が嫌に大きな音を立てて脈打ち頭の中はダユトの狂った声とアルラインの歪んだ顔でいっぱいだった。


気がつくと森にいた。家に向かっていたはずなのに。

オーヴェルはもう家までどう帰ればいいのかわからなくなっていた。


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