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6.///////////////

ヨニナは宿にいるだろう。だけれどよく考えたら宿がどこにあるのかよく知らなかった。

ずっと住んでいる村とはいえ、用の無いところには近づかないようにしていたのだ。

困った……。

脇道にこそこそと隠れ歩く私に村人たちの不躾な視線が降り注ぐ。

嫌だ。早くヨニナを見つけて帰ろう。

そしてダユトにも謝らないと……。


「アルライン? お前って外に出れたんだ」


「わあ!? あ、オーヴェル……」


見知った顔に会えると途端に安心する。


「良かった……。

あのね、ヨニナに会いたいんだけどどこにいるかわかる?

宿かなって思ったんだけど場所がわからなくて……」


言ってからハッとする。方向音痴のオーヴェルに宿までの案内なんて無理に決まっているのだから。


「ごめん。自力で探す」


「俺もヨニナに会いたい。

よし、探すか」


「そうだね。別々に探そっか」


「はあ? なんでだよ。

……あ、ちょうどいいところに。おい」


彼は突然道を歩く若い女性に声を掛けた。彼女は驚いた様子で私とオーヴェルを交互に見ている。


「ど、どうしたの?」


「宿までの道がわからないんだ。教えてくれ」


「私、オーヴェルのこと素敵だなって思ってるよ。本当に。

でも道を教えるのだけは嫌。理解しないんだもん」


女の子のハッキリした言葉に彼は不愉快そうな顔をした。


「ならお前も一緒に来いよ」


「……仕方ないなあ。

言っておくけどオーヴェルが見たことないくらいカッコいいからやってあげるんだからね。

カッコいいことに感謝して?」


「感謝!」


世の中やはり顔が美しいと得をするのか……。そっとお面に手をやる。

美しければ私もこの女の子に宿の道を教えてもらえたかもしれない。

だけど実際は、彼女は絶対こちらを見ようとしないでオーヴェルに話を振るだけだ。


しばらく村を歩くと小さな赤茶けた建物が出てきた。ここが宿らしい。

女の子は「今度私のこと描いてね」とオーヴェルに言って来た道を引き返して行った。


「さて。ヨニナは何号室かな」


彼は躊躇うことなく宿の中に入り店主のおじさんに「ヨニナと約束がある」と堂々と嘘をついた。


「207号室」


おじさんはぶっきらぼうにそう言うと新聞を広げる。私のことを新聞越しに見ているが声はかけてこない。

オーヴェルは行くぞ、と私に促した。そして小さな声で「防犯もクソもねえな」と呟く。


「防犯?」


「犯罪を防ぐこと。

まあ、お前にゃ関係ないよ。ダユトが守ってくれる」


ボロボロの階段がギシギシと音を立てる。

建物自体も古そうだったが、隅に埃が溜まっていたりクモが巣を張っていたり、手入れが行き届いていないような気がする。


「そうなの?」


「お前の兄貴はそれだけが生き甲斐だからな」


そんなことはないと思うが、だけどダユトが私のことを大事に思ってくれているのは事実だ。

なのに私は嫌いなんて言ってしまった。もっと別のやり方があったはずなのに……。

俯く私にオーヴェルが「ギョワ!」と変な声を上げた。


「なっなに!?」


階段を踏み外しそうになる。ギョッとした顔の彼を見上げながら私は2階へと上る。

埃と人の匂いが混じった独特の匂いがしてきた。


「えっと、首に、虫刺されが、痒そうだなって」


「ああこれ……」


虫刺されじゃなくてダユトがやったことだ。でも彼に付けられたと言うのはなんとなく恥ずかしくて誤魔化しておくことにした。


「な、なあ。虫刺されだよな? そうだよな?」


「そ、そう、だよ。当たり前じゃない。それ以外ある?なんの虫だろうね。ダニかなあアブかなあ、あー痒い痒い」


「嘘が下手!

ダユト……以外いないけど、そうなのか?」


答えないでいるとオーヴェルは「胸糞悪」と言って立ち止まる。形の良い眉を寄せ嫌悪を露わにしている。


「ムナクソワルって?」


「不愉快ってことだよ。

結局手出したなアイツ」


「えっと……それは、どういう意味?」


「俺が街に行く前に、アイツお前に手は出さないって約束したのに。

まあやるとは思ってたけど……いざそうなると、やっぱ気持ち悪いよ」


街行く前と言うと8年前だ。

その時にオーヴェルとダユトがどんな話をしたというのか。


「……街に行く前に喧嘩でもしてたの?」


「俺が街に出て画塾に行けたのはダユトが金出したからだよ」


「えっ」


ダユトが、なぜ? オーヴェルのことを嫌っているのに。


「お前の顔を見たのは俺だけだろう。口止めだよ」


「な、なんで? 他の子もいたよ? それに、小さい時だったし……そんなことしてどうしたいの?」


「ちゃんと見たのは俺だけなんだよ。

で、口止め料として画塾に行くことを提案された。だけどすぐにって訳にはいかなかったしダユトも金を用意するからって3年準備してて……」


頭がクラクラする。

オーヴェルの言葉に脳が追いつかない。


「まあ、金って言っても旅費とちょっとくらいだけど。けどお陰で色々勉強できたよ」


「そんな必死に口止めしなきゃいけないくらい私の顔は醜いんだね……」


それが一番悲しかった。

ダユトは私のことを綺麗だとかなんとか言うけれど、そんなの嘘じゃないか。

綺麗だって褒めてくれるなら他の人に隠すような真似しないでよ。


「……アルライン。そうじゃない。こともない……。

……俺はお前の顔嫌いだ。っていうか好きな奴なんてダユトだけだろうよ。けどダユトの愛情は歪んでて……」


「他人に私の顔を見せないように……見た人は、誰かに言わないように……。そうしたら、私の顔が醜くてもどう醜いかはわからない……」


「そういうこと」


それくらいわかるかとオーヴェルは言うが、わかったのではない。知っていたのだ。

ダユトがこの世で一番私の顔を醜いと思っている。だからお面を外させない。


「私が喜ぶと思ったのかな……」


「思ってないだろうな。だからアイツは俺にこのことを黙ってるように言ってた。

口止めの口止めだ。

俺は代わりにお前に手を出さないように言ったんだ。けど、子供の言うことだからって多分忘れてたんだろうな……」


オーヴェルの琥珀色の瞳が私の首筋を嫌悪混じりに睨む。


「お前のことどうだっていいけど、やっぱこういうの嫌じゃん。気持ち悪い。

無抵抗な人に無理矢理やってるのと同じくらい不快だ。お前俺の言ってること半分もわかってないだろう?

そういうのだよ。知恵を奪って選択肢を奪って自分を選ばせてる感じ。嫌だな……」


選択肢を奪って。

その言葉は今の私の状況にピッタリと当てはまっていた。

最初は私にヨニナと話していいと言ったのに、彼はヨニナに酷いことを言って追い払った。

どちらにせよ、彼はヨニナをどうするか決めていたのだ。


「ダユトは私のこと嫌いなんだね」


そうじゃなきゃこんな酷いことしない。

しかしオーヴェルは首を振った。


「好きなんだよ。でも、アイツおかしいから。

ずっと悪意を見させられておかしくならない方がおかしいか?」


彼は私のお面を見つめている。


「街に行くべきだったのは俺じゃなくてダユトの方だったかも……この村の奴って閉鎖的だし。

街だったら、お前の顔のこと……みんな噂はするけど、多分存在丸ごと無視したりはしない」


オーヴェルに道案内をした女の子や、宿のおじさんを思い出す。彼等は私の一挙手一投足を目の端で観察するけど絶対に話しかけてこない。特別な事情も無ければみんなそうだ。

我が家に近づいてじっと見ているのに話しかけてこようとはしない。


「今からでも遅くない。

どこでもいいから働いて村を出ろよ」


「……無理だよ」


「文字が読めないから?

……なら俺が教えてやる」


予想外の言葉に私は呆然とした。

そうか……文字をオーヴェルが教えてくれるなら……。


「いいの?」


「絶対ダユトに言うなよ」


それは勿論。絶対に言わない。

私が何度も頷くと「約束だ」と言って彼は廊下を歩き出した。


*


207号室の扉は塗装が剥げ頼りない感じがした。

いや、この宿の扉は全てそうだ。

オーヴェルがノックをしヨニナの名前を呼ぶ。


「……いないのかな?」


「かもな。無駄足だったか……」


念の為私もノックをして呼びかけた。

今度は返事がした。


「今出ますね」


ギィギィと軋む音を立てながら扉が開いた。どこもかしこも古ぼけた建物だ。


「ヨニナ!」


彼女の顔を見たオーヴェルがパッと嬉しそうに笑う。けれどヨニナは彼の方を見ずに「アルラさん」と私に微笑みかけた。


「さっきのこと謝りたくて」


「気にしなくて良かったのに」


「おい、俺のこと無視するなよ」


「ごめんなさい気付かなかった」


……たしかに、ヨニナはオーヴェルをいじめているようだ。彼は悲しそうに眉を下げている。


「オーヴェル……」


「同情するな! 余計惨めになる……」


「アルラさん。もう少しお話ししても良いですか?」


「もちろん」


「なら俺も」


「この宿とっても狭いんです。私とあと1人しか入れなくて」


「なら外で話そう」


「ごめんなさいね」


ヨニナは素早く私の腕を引くとさっさと扉を閉めた。

私が呆気にとられていると彼女はシレッとした顔で「ね、狭いでしょう?」と手を広げた。

古びているとはいえそんなに狭くない。色あせた毛布のかけられた小さなベッドに、立て付けの悪そうなクローゼット。窓からの日光がゆっくりと部屋中を照らし、退色させていた。

2人がけのテーブルが部屋の中央に置かれている。

これならあと1人、つまりオーヴェルは入れたのではないだろうか?


「……あんまりオーヴェルのこといじめないであげて」


彼女は首を振る。


「いじめてません。距離をとっているのですよ。

さあどうぞ」


椅子を引かれそこに座る。ヨニナも向かいに座った。

私は背筋を伸ばした。


「ダユトが酷いこと言ってすみませんでした」


「なぜあなたが謝るのです?」


「え?

だって……」


「あなたのしたことじゃありませんよ。気にしなくていいんです」


「そうだけど……」


ダユトは私の身内だ。身内の過ちは身内が謝るのではないのだろうか?


「……あなたとダユトさんはどういう関係なんですか?」


「孤児だった私をダユトとお母さんが育ててくれたんです」


ずっとダユトと一緒だった。私たちの間に秘密は無いと思っていたのにダユトは私に内緒でオーヴェルを村から出した。

私の顔を見たオーヴェルを……。

そんなにもこの顔は醜いの?


ヨニナがお菓子をテーブルに広げてハッとする。余計なことを考えていた。


「親戚とかではないんでしょう?」


「全然。でもそんなの関係ないって言って家族として扱ってくれました」


「じゃあ本当のお兄さんではないんですね。

でもよかったですね。拾われたのが彼で。優しい人、らしいですし」


ふふふ、とヨニナは笑う。彼女はダユトのことを優しいとは当然思えないのだろう。


「ごめんなさい」


「あ、やだ。当て擦りじゃないんですよ?

みんな良い人良い人って言うのにあんな冷たい人だったからおかしくて」


「……普段は優しいの」


「よそ者に冷たい人って多いですから」


その言い方から普段から冷たくされることがあるのだとわかる。


「ヨニナはよく他の街に行くんですか?」


「仕事で時々出張しなきゃいけないことがあって」


疲れるけど楽しいですよ、とヨニナは微笑んだ。今度は優しい笑顔だった。


「へえ……。

オーヴェルとはどこで会ったの?」


「えっ、なんでそんなこと聞くんです?」


「なんで? えっと、ちょっとだけ気になったから……?」


聞き返されると戸惑ってしまう。

そんなにおかしなことを聞いたつもりは無かった。


「あ、そうですよね……。

トーティ社はウンキン街にあるんですけどそこでたまたま。

オーヴェルくんがここの村の出身だって聞いて、会ってみたんです」


そう言って彼女は終わり、というようにクッキーを食べ始めた。


「……オーヴェルはイチヤカギリノ関係でいじめられたんだって言ってたけど」


瞬間、ヨニナはグッと喉を詰まらせた。

慌ててベッドサイドの水差しを渡す。勢いよく飲んだ後、ゼエハアと荒い息をしながら「なんてことを」とヨニナは呟いた。


「……それ、他の人に言わないでくださいね?」


「ごっごめんなさい。大丈夫?」


「はい、まあ。

……なんと言いますか、オーヴェルくんが20歳だって知らなかったんですよ。もう少し歳が近いのかと。

まさか11も年下だとは思わなくて……」


「年下だとよくないの?」


「そうですねえ。例えば私とオーヴェルくんが結婚したとして、そしてずっと一緒にいたとして……。どんなに願ったって私が先に死ぬことになる可能性が高いでしょう?」


私は黙る。

年月とはそういうものだ。誰にでも平等に降り注ぐ。そしてゆっくりと色を失わせるのだ。

まぶたの裏に屋根裏のベッドがよぎった。


「それ以外にも色々ありますけど」


「……ヨニナはオーヴェルのこと嫌い?」


「嫌いじゃ……。

……オーヴェルくんの絵を見たことがありますか?」


「ううん」


そういえば無い。頼めば見せてくれるだろうか?


「彼の絵は……怖い絵なんですよ。

いつも同じ。裸の女の人の顔が剥がされてる絵。怖いでしょう?」


ヨニナの顔から表情が消え、どこか虚ろな瞳で中空を見ている。

桃色の唇からポツポツと言葉が溢れていく。


「でもその女の人は幸せそうに笑っているんです。周りに色んな人物がいるけど彼らはまるでそれに気づいてないみたいに彼女に向かって手を挙げたり、横を通り過ぎていたり。

怖い絵だし、見てはいけないと思うのに、すっごく惹かれるんです。

顔が剥がされてるのに幸せってわかる笑顔をした女の人が私を捕らえて離さない」


彼女は今、絵を見ているのだ。頭の中にあるオーヴェルの絵を。


「オーヴェルくんも同じです。

彼は美しいけど、何か闇を抱えている……。それが怖いのに目を離せない」


「ああ……」


私がダユトに対して思っている感情も同じだ。

怖いのに目が離せない。彼に惹かれてしまう。

今だってあの笑顔を思い出すだけでドキドキするのだ。


「怖いのに目が離せない人、アルラさんにもいるんですか?」


「……います」


「それはそれは。

そうなったら手遅れですよ。

そういう人や物ってどんどん私たちの心を蝕んでいきます」


「どうしたらいいんだろう……」


「どうもできない」


ヨニナはふうと息を吐いた。


「チェイラもそうだったみたいです。

彼女はある俳優と不倫していました。彼はチェイラをただの愛人として……大事にはしなかったんですよ。コレクションの1つ、のような……。

チェイラは頭が良くて美しい人でしたし、詩も世界的に認められていました。

そういう名声のある人が自分の愛人であることだけが重要だったのでしょう。アクセサリー扱いですね」


チェイラの思わぬ情報に私は驚く。

そうなると、彼女は今その俳優のところにいるのではないだろうか? 私の疑問に気づいたらしいヨニナが言葉を続ける。


「俳優のところにはいませんでした。彼はもうずっと前にチェイラを捨てたと、それだけ。ひどい人です。

たくさんの愛人がいた人です。それを苦に奥さんは自殺したのに、それでも女遊びをやめないで……。

チェイラも自分がいずれ捨てられるとわかっていたのでしょう。それでも惹かれてしまう自分の想いを詩にしていました。

痛ましい詩です」


そう語る彼女の表情は悲しげだった。本当に、心の底から。


「チェイラのこと本当に好きなんだね」


「……一度、会って話がしたいです」


彼女は少し間を開けて、あるお話を聞かせてくれた。


私たちが聞いたこともない小さな国にそびえる高い高い山。雲の上にまで達するほどの高い山の頂上に首の長い赤黒いくちばしをした鳥がいた。

鳥は羽がないので飛ぶことができず、山に一人で住んでいた。

ある日山に男が来た。低い声をした男だった。

鳥は久し振りに誰かと話せることが嬉しくて男が帰ると言っても理由をつけて返さなかった。

そのうち、男の恋人が心配して山を登ってきた。鳥は、彼女が邪魔だった。だから二人を別々のカゴに入れて引き離す。

けれども恋人は自分の喉の骨を取り出してカゴの鍵を外すと男と二人で逃げ出した。

鳥は追いかける。翼のない羽をバタつかせる。

ふと、自分が空を飛んでいることに気がついた。

鳥は雲の上のさらに先に登って二度と山には帰らなかった。


「……今のが?」


「そう。不思議な詩でしょう?

別の世界の話のようなのに、まるで彼女はその世界を知っているかのように詩にするんです。

私は彼女に……この鳥が誰なのか、どんな鳥なのか聞きたい。

でも聞くことはできないかもしれませんね……」


ヨニナは黙った。

多分、死んでしまっている。

それは私も思ったことだ。10年近く失踪しているのだ。その可能性は大いにある。


「……まだ探すの?」


「確証が欲しいです。

ねえ、また何かあったら会いに行ってもいいですか?」


一瞬、脳裏にダユトの顔が浮かんだ。

それを振り切って私は頷く。


「もちろん」


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