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「ウワア!?」
悲鳴が聞こえて目を覚ます。
辺りはまだ薄暗い。
「……どうしたの……?」
「えっと、なんでここで、寝てるんだっけ……」
すっかり酔いは覚めたようだ。
良かった。私は彼の腕から抜け出してランプに火を灯す。
「酔ってここで寝ちゃったんだよ。私を捕まえたまんま」
「あーそう……ごめん。飲み過ぎた……」
「良いけどちゃんとベッド寝なきゃ。
ほら、ベッド行こう?」
腕を差し出すがダユトは動かない。ただ私の首筋をジッと見ている。
「……それ、は……」
「それって?」
「首の、それ……」
なんのことか思い出せなかったが、そういえばダユトに印を付けられていたのだったと思い出す。
吸われたところを摩る。まだ痕は付いたままのようだ。
「もう……全部忘れちゃうんだから」
「え……」
「ダユトが印付けたいって言って付けたんだよ?
ほら、ここにも」
動かない彼に腕に付いた赤い痕を見せた。
「嘘だろ……」とダユトは呟き、ソファにもたれかかった。
「嘘じゃないよ」
「いや、ごめん、そうだね。嘘じゃないよね。
そうじゃなくて……ああ。頭痛い……最低だこんな……」
「これ、何か良くないものなの?」
「良くないっていうか。
……ごめんね。気持ち悪かったでしょ」
「気持ち悪くないけどくすぐったいし痛かった……。
でも謝らなくて良いよ。私もやり返したからおあいこ」
ほら、と彼の腕に付いている赤い痕を指し示す。
しかしまたダユトは固まってしまう。
「……アルラが、僕に……?」
「う、ん」
「……なんで思い出せないんだろう……。
お酒なんて飲むもんじゃないね……」
「そうだね! あんまり飲み過ぎないで?」
「あー……勿体ない。せっかくアルラが……。少しで良いから思い出したい……」
「ダユト?」
「いや、違うよね! こんなこともうしないようにちゃんと理性を持ってないと。
最近かなぐり捨てがちだったし。良くない良くない」
「……大丈夫……?
今日お休みだよね? ゆっくり休んで……」
「そうする。
アルラも……僕のせいで寝苦しかったでしょう?」
確かに寝返りは打てないし、ダユトの硬い体は寝心地がいいものではない。
だけど小さい時に一緒に寝ていた頃を思い出せてなんだか懐かしくて……
「嬉しかった」
まあしばらくは遠慮しておきたいけれど。
柔らかいベッドに入りたいと思いダユトの腕を引く。
彼は赤い顔をして「理性、理性」と呟いていた。
……まだお酒が抜けていない……?
*
休みの日と言えどやることは、私は変わらない。
家事をこなし家の点検をする。だがダユトがお休みの日は手伝ってくれるのでかなり楽だ。
ヴィホネルさんのこともすっかり任せておける。
洗濯物を取り込んでいると声がした。
「アルラさん」
「あ、ヨニナ……さん!」
彼女が笑うと花がパッと咲いたように明るくなる。
こんな人が満たされない気持ちを抱えていたりオーヴェルをいじめたりしていると思うと少し悲しい気持ちになる。
「ヨニナで良いですよ。
この間は急にすみません。
……花を植えたんですか? お庭綺麗になってますね」
ヨニナの指摘の通り、花の種を撒くだけじゃなくていくつか株ごと植えたものもある。
「雑草まみれだと森と間違って入ってきちゃう人がいるんです」
私が森の方向を指さすとああ、と彼女は頷いた。
「でも森と繋がってるだなんて素敵ですね。
散歩するのも気持ち良さそう」
「野犬が出るから危ないですよ。人も襲いますから」
「あら残念」
あまり残念そうではなく呟き、彼女はこちらに向き直った。
「そうそう、いま少しお話しできます?」
「もちろん」
なんでも聞いてくださいと言おうとして、だけどそれは言葉にならなかった。
肩をグッと引かれる。顔を見なくても分かる。ダユトだ。
「……こんにちは、ザンデセタさん」
微笑んでいるが目は笑っていないし声も冷ややかだ。英雄の息子と言われたことを根に持っているのかもしれない。
「こんにちは。
ちょうど良かった。良かったら3人でお話ししませんか?
美味しいクッキーを貰ったんです」
カゴから彼女は包みを取り出した。甘い匂いが僅かに香る。
「わあ、良いね!」
「……まだやること残ってるでしょ?」
「でも」
クッキーを食べたい……というのはちょっとあったが、それよりもヨニナがどういう人なのか気になった。
それにチェイラの行方の手掛かりになるようなことは教えてあげたい。
「お忙しいなら日を改めます。なんせ私は暇ですからねえ。ええ」
「こちらが暇になるまで来るつもりですか」
「そんなつもりでは。でも顔は覗かせてもらうかもしれません」
「……関わらないでほしいと伝えたはずですが」
「ならあなたには近づきませんよ」
「アルラにも」
「それはアルラさんが決めることなんじゃ?」
ダユトは黙った。彼は私に村の人や外の人に接して欲しくないのだ。ダユト以外の人は私をいじめるから。
「……ダユトが嫌ならもう関わらないよ」
小さく、彼にだけ聞こえるように言う。だけどダユトは少し寂しそうに微笑んで「アルラが決めて良いんだよ」と言った。
「なら……お話だけする? もしかしたらチェイラって人のこと私たちで何かわかるかも……」
「そうだね」
柵に3人並んで腰掛けた。ダユトとヨニナを並ばせると喧嘩をしそうなので間に割って入る。
ヨニナが静かな動作でクッキーの包みを開けた。チョコ入りの美味しそうなクッキーだ。
包みを回しながら私たちはもそもそとそれを食べる。
「それで、何が聞きたいんです?」
ダユトの声はまだ棘があった。早く用事を終わらせろ、と言わんばかりだ。
「まあまあ、そんないきなり本題に入らなくても。
そういえばダユトさんはどうして医者の手伝いをしてるんです? 大変な仕事でしょう」
「……やりがいはありますから」
「それはそうですよね。色んな方を救えますし。
村の他の人たちもダユトさんのことすごく褒めてましたよ。彼はよく働くって。気も使えるし、優しいし、とにかく欠点が無いと。
偏屈なおじさんまであなたのことになるとニコニコ話してくれるんですから、あなたって相当人気者なんですね」
「そんなことはありませんよ」
「アルラさんは何かお仕事されてるんですか?」
「いえ……」
「アルラには家のことを任せています」
ヨニナは「そうなんですね」と微笑む。
優しい笑みだ。だけど彼女が何を思ったのかなんとなくわかる。
こんなお面を付けている女が職に就ける訳がない。
ヨニナは私になぜお面を付けているのかも聞かないし、何か考えている素振りすら見せない。
それでも違和感を持っていないわけじゃないのだ。
「……ヨニナのお仕事は?」
「今はこうしてチェイラの捜索をしてますけど、それも彼女の本を出版するためなんです」
「……でも……」
チェイラがいなくては本を出しようがない。私の言いたいことがわかったのか、ヨニナは首を振った。
「チェイラと連絡が取れなくなって今年で10年経ちます。彼女は身内がいませんでしたから、編集長が代わりに失踪宣告を国に出すつもりのようで」
失踪宣告とは、10年以上行方不明になった人に対し家族や友人などが死亡したと国に伝える制度、らしい。
ダユトのお父さんも失踪宣告で死亡したことになっている。
「もし宣告が通ればチェイラの詩は編集長、というかトーティ出版のものになります。
彼女の書いた詩なのに他の人が手を加えてよくなるんですよ…。
私はその前になんとか彼女を連れて帰って彼女の作品を守りたいんです」
ヨニナの声には熱いものがあった。
この人は本当にチェイラの詩が好きなのだ。
「チェイラのファンなんですね」
「……ええ!
詩集を読んで感動しました……不気味なのに優しい……美しい詩を書く人だと。
私にはなんの変哲も無い世界が彼女の目を通すと歪で愛おしい存在になるんです。チェイラの詩を読んでいると私にもそんな世界が見える気がして……」
どこか苦しげにヨニナは息を吐いた。
文字が世界を作り出し、そして読んだ人もその世界を見ることができる。私にはわからない感覚だった。
「……だから、安月給で馬車馬のように働かせられるとしてもトーティ出版に勤めてるんですよ」
「人生をかける価値があるのですか?」
ダユトが冷ややかに尋ねる。
「もちろんですよ。
ダユトさんはチェイラの文、読んだことあります?」
ヨニナの明るい声に彼は冷たい視線を投げる。
「ありますよ。毎日」
「毎日! あら、あなたもファンなんです?」
ふふふと彼女はからかうように笑う。
……私はダユトが詩を読んでいるところは見たことがない。
「心底嫌いです」
バッサリと言い放つ彼の言葉にヨニナは少なからずショックを受けたようで、目を見開き唇を微かに震わせた。
だけどすぐにまた微笑んで「それは残念」と軽やかに言った。
それでもダユトは攻撃をやめない。
「チェイラ・ヤクスの文字になんの価値もありませんよ。なぜあなたが探しているのか、理解できない」
「詩を読んだのでしょう?
彼女の詩は彼女だけの世界があって、素晴らしいものじゃありませんか」
「素晴らしかったとしてもそれは過去のことです。
あれの文字は詩じゃない。意味をなさないただの線です」
「ダユト!」
明らかに言い過ぎだ。私は彼の腕を引いた。
けれどダユトは忌々しげにヨニナを睨みつけている。
「あなたにとってそうでも、私にとっては意味のある詩なんです」
彼女はクッキーの包みをぐしゃりと丸めた。
「……ごめんなさい、帰りますね。また来ます!」
いつもの溌剌とした声を出してヨニナは足早に去ってしまった。
私は彼女になんと声を掛ければいいのかわからずその場に立ちすくんでいた。
「戻ろうか」
ダユトに手を引かれるが振り払う。
「なんであんな言い方したの!?」
「ああ言えばもう来ないよ」
「ならハッキリそう言えばいいじゃない……! そんなに私がヨニナと話すのが嫌!?」
「アルラ……。
あの人は優しく見えるかもしれないけど、そんなことないよ。他人のことを嗅ぎ回る浅ましい奴らなんだ」
「……どうしてそんな……」
「村中の人に取り入ってくだらない噂話聞いて。
嫌になる。目障りなんだ」
目の前にいる彼がまるで知らない人のように見えた。
他人をわざと傷付けるのも、侮辱するような言葉も、私の知っているダユトには思えない。
「アルラ。帰ろう?」
「……嫌」
「え?」
「帰らない。ダユトは帰ってればいいじゃない。
私はヨニナに謝りに行く」
「そんなことしなくていいよ」
伸びてきた手を私は避ける。
彼に掴まれたらサッサと家に戻されてしまう。
「触らないで……ダユトなんて嫌い」
口から飛び出た言葉は思ってもみない言葉で、私は慌てて口を閉じる。
彼を見ると目を見開いたまま動かなかった。
どうしよう、傷付けた。嘘だよと言うべき?
でも……多分ヨニナは同じくらい傷付いた。それを彼はわかるべきだ。
ダユトに背を向けて走り出す。
彼は追って来なかった。